罪の重さと愛の価値
シャロンの部屋。ベッドの中でグラントは恍惚の表情を浮かべていた。シャロンに痛めつけられた身体が、甘やかな悲鳴を上げる。自分が生を謳歌していると、これほどまで実感することは今までなかった。もう、彼女なしでは生きられない。
シャロンは寝そべりながらマリファナを吸っている。朝、彼女に命令され、グラントが調達してきたものだ。虚ろな目で、半開きの口から煙が流れている。堕落とは、なんと甘美なものか。と、突然、シャロンの目が何かを見つけたように焦点が戻り、にんまり笑い出した。美しい。まるで、カエルでも見つけた毒ヘビのようだ。そんな彼女に、生きたまま丸呑みにしてほしい、とグラントは切望する。
「ねぇ、グラント。アタシのこと好き?」
「もちろん」
グラントは即答し、期待を込めてご主人様を見つめる。口の端を歪めて嗤うシャロンの瞳に射抜かれ、電流が走ったように身体が痺れた。
「どこまでも、ついていきます、あなたに」
ひどく暑い日だ。太陽は怒ったように熱をぶつけてくる。こういう日にはいつも思うのだが、何だってこんなダークカラーのスーツを着ていなくちゃいけないんだ? まったく、正気の沙汰じゃない。
大法廷の中は外を上回る熱気に包まれていた。先日摘発された大きな麻薬カルテルの幹部達がいるということで、警備も増強し、いつもより人が多いからだ。
番号が呼ばれ、弁護士とともに前へ進み出た大柄の男。FBI凶悪犯罪者リストに入っているヤツだ。両側の首筋に掘られた星のタトゥーは、殺った人間の数だという有名な話がある。今は七つ。そして三件の殺人についての訴状が読み上げられ、ヤツはスキンヘッドをおどけるように傾け、ふてぶてしくすべてを否認した。裁判の日程が告げられると、ヤツは口の端に笑みを浮かべながら退廷する。
次はアイツの番だ。首をすくめ、キョロキョロと視線を泳がせながら前に進んでくる。悲しいほど緊張してるのが分かる。
「連邦政府対フレディ・クロフォード!」
判事の鋭い声が大法廷に響く。ビクッとしたフレディは直立したまま、三十センチは飛び上っただろう。いい気味だ。
老眼鏡を掛けた女性判事は、手に持った訴状を顔に近付けたり遠ざけたりしながら延々と読み上げていく。
「──営利誘拐、監禁、暴行、器物損壊、脅迫。え~と……それから道交法違反、不法侵入、放火に治安びん乱行為」
「えっ? ちょっと待ってよ。俺、放火なんてしてない」
クロフォードが異議を唱えた。
「空き家に侵入してロウソクに火を点けただろう! それが倒れてカウンターに焦げを作ったんだ! 不動産屋はカンカンだぞ!」
「そ、そうなの? 知らなかった……どうしよう……」
ランドール検事補が指摘すると、クロフォードはうろたえて泣きそうになる。
突然、ガンガンガンと判事がヒステリックに木槌を打った。
「認否は私が促してから! ランドールさん、あなたも私語は慎んでください!」
鋭い目でランドールとクロフォードを睨んだ判事は、顔をしかめてこめかみを指でおさえた。あの女性判事が頭痛持ちだということは有名な話で、もちろん俺も知っている。そして、その頭痛が起きると、まるで尻尾を踏まれた猫のようになることも。
その後も判事は、ランドールによるこじつけとも思える罪状を読み続け、こめかみを押さえながら低い唸り声をあげた。それから大きな溜息をひとつ吐くと、不機嫌な声でクロフォードに認否を促した。
ここで否認すれば裁判を行うことになる。まぁ、普通はそうする。アイツに弁護士はいないから、公選弁護人がつけられる。ここにいる公選弁護人はといえば、みんな下を向き、自分が任命されないように祈っている。中には、寝たふりしてるヤツもいる。まぁ、安い報酬で勝ち目なんかなく、しかもこんな面倒くさそうなヤツの弁護なんてごめんだろう。
判事に睨まれたクロフォードはごくりと唾を飲み込み、意を決したように口を開いた。
「そ、そう言われてみれば、それだけのことをしたんだって、反省してる。だけど! 金のためなんかじゃなく──」
「はい、三十五年。次!」
「ジェイソンのために──えっ?」
バカかあいつ! あっさり認めちまいやがった!
打ち鳴らされた木槌の音が法廷内に木霊している。
「えっ、なに? 三十五年って、なんのこと? ねぇ、ちょっと待って!」
事態を理解していないクロフォードが、警備員に引き摺られて退廷していく。
あまりにもあっけなく終わった。長引く裁判が待っていると覚悟していたが。あのお気楽で調子のいい若い方の捜査官からの電話を切り、マシューズは「イエス!」と叫びながらガッツポーズをした。本来なら死刑になってもいいところだが、これでヤツは葬られたも同然。
マシューズは軽やかに廊下を進む。
「ストックホルム症候群だと? そんなもの、俺にとっちゃ、どうってことない!」
女の扱いは心得ている。さらに有り余るほどの金を持っている。そして、何よりの武器は、マリアへの愛だ。これまで誰にも感じたことのない愛情だ。
マシューズは意気揚々と、マリアがいる病室のドアをノックした。
「マリア、いいかな?」
マリアは白いワンピースを着て、病室のソファに座っていた。今朝、診察に来た時よりも顔色が良くなった。美貌を損なうほどではないが少しやつれていた頬には赤みが差し、ぼんやりとしていた眼差しに光が戻っている。
「これなら、もうすぐ退院できるだろう」
まだ自分の監視下に置いておきたい気もするが、医者としての責任感がそう言わせた。それに、マリアを喜ばせたかった。
「すみませんでした、長くお休みしてしまって。すぐに仕事に戻りますから」
マリアが申し訳なさそうに呟く。マシューズは慌てて頭を振った。
「そんなことはいいんだ。もうメイドの仕事はしなくていい」
マリアの顔がサッと蒼ざめる。
「あの……クビ、ですか?」
マリアの不安を打ち消すため、マシューズは微笑を浮かべ、今度はゆっくりと頭を振った。
「そういうことじゃないんだ」
そして、ソファに座る彼女の前に跪き、背広のポケットから小箱を取り出した。濃紺のビロードでできた小箱を開けると、眩い光を放つダイヤの指輪が現れた。
「マリア、私と結婚してくれ」
マリアは困惑している。眉根を寄せ、ダイヤとマシューズに交互に視線を走らせる。それはそうだろう。別居中で夫婦関係は破綻しているとはいえ、マシューズは結婚しているのだ。
「妻とは離婚する」
元妻に財産の半分はくれてやる。マシューズは決心していた。それでマリアを妻にできるなら安いものだ。あの強欲の権化のような元妻が奪っていく金など、すぐに稼いでやるつもりだ。
この病院は金の生る木だ。職員の給料をはじめ、経費を極限まで減らし、今まで以上に利益を追求する。製薬会社や医療機器メーカーにも最大限の圧力をかけてやる。ベッドのシーツも毎日取り換える必要はない。美容整形依存なセレブの顧客も多いことだし、今までは断っていたような無茶な施術だって、何だってやってやる。至高の愛を手に入れるには、それなりの覚悟が必要だ。
「そ、そんなこと急に言われても……」
マリアは戸惑いを通り越して怯えているように見える。至極真っ当な反応だ。マシューズは頷いた。
「分かるよ。返事は今じゃなくていい。よく考えて、自分のために」
マシューズには自信があった。断るわけがない。マリアは貧困から抜け出すため、この国に来たはず。彼女がバカでないなら、こんな夢のような申し出を断るはずはない。
「君の家族の面倒もみる。何だったら、全員こっちに呼んだらいい」
「マシューズさん……」
呟いてマリアは俯いた。マシューズには、彼女が感激して泣き出したように見えた。
「いいんだよ。辛い目に遭ったんだ、少しゆっくりと過ごして、返事はそれからでいい」
優しく肩に触れると、マリアはビクッと身体を震わせた。
「これは確実に墜ちる」
マシューズは胸の内でほくそ笑み、垂れ下がりそうになる鼻の下を隠すため、必死で唇を引き締めた。
「よく考えて」
そう、考えればいい。そうしたら分かるはずだ。今の混乱した頭では、彼女がどんな答えを出すか分かったものじゃない。少し時間をおいて、頭を冷やす必要がある。ストックホルム症候群など、マシューズ様の敵ではない。
これから回診があるからと、マシューズは立ち上がりドアに向かった。
「マシューズさん、指輪!」
テーブルに置かれたままの箱に入った指輪を指差し、マリアはマシューズを呼び止めた。
「持っていてくれ。君のために買ったんだ」
精一杯の魅力を湛え、微笑みながらドアを閉めた。
廊下に出たマシューズの顔は、これまでにないほど緩んでいた。マリアとの新生活に思いを馳せ、歩を進める足は自然とスキップになっていった。




