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野獣の覚醒と明け方の秘め事


「ああ! もう! イライラする!」

パーティを台無しにされたシャロンは、怒り狂いながら部屋の中の物を手当たり次第に殴りつけていた。

「何なの、もうマリアマリアって! ほんとにムカつく!」

怒鳴りながら床を踏み鳴らすと、放り出してあったバッグが跳ねた。それを見たシャロンはバッグに駆け寄り中身をまさぐる。

「あぁ、ハッパもない……」

無いと分かるとどうしても欲しくなる。こうなったらもう何でもいい。この辛い現実から逃げ出せるものだったら。シャロンは自分専用のバスルームに駆け込んだ。ドレッサーの抽斗を片っ端から開けたが、化粧品以外で置いてある物といえば、便秘の時に使うアレぐらいだった。

 シャロンは腕を組んで考えた。パーティーの時、ラリってる奴があれだけたくさんいたのだから、きっとまだどこかに残っているはずだ。自室を飛び出て邸中の部屋という部屋のドアを開けて回った。どこにもない。というよりも、部屋はどこも散らかっていて、根が怠惰なシャロンには、片付けて物を探すなんてことを考えられない。ぱっと見て、乱雑に転がったビール瓶や調度品の隙間にその姿が見えなければ、すなわち無いということ。

「そうだ、オヤジ」

シャロンは父親の寝室に入った。専用のバスルームに入り抽斗を漁る。アスピリンに育毛剤。

「こんなモンしかないのかよ……」

アスピリンなどもう効かない。育毛剤はどうだろう、トリップできるだろうか。シャロンは考えながら育毛剤のボトルを見つめた。こんなものを飲んだら、口の中や食道、胃袋にまで毛が生えてしまうんじゃないか。とても医学を勉強している身とは思えない想像をしたシャロンは、顔をしかめてボトルを戻した。と、棚の隅に隠れるように存在する小さなピルケースを見つけた。

「イーエックス……えーっと……」

何て読むのか分からない。だけどEXの文字があるから、なんだかすごくハイになれそうだ。シャロンは掌に小さな錠剤を四、五粒出すと、一気に口の中に放り込んだ。


「はぁ……」

疲労困憊のグラントはテラスのソファに座り込んだ。パーティー客の追い出しと、嘔吐物の掃除にその他諸々。これじゃまるで召使だ。

「くそっ!」

あのとぼけたメキシコ女が誘拐されたせいで、自分がこき使われているのだ。アイツが戻ってくるか、新しいメイドを雇うかするまで、こんな日々が続くのか。

「うんざりだ……あのハゲ親父」

グラントは途方に暮れたように空を仰いだ。すると、上の方からバタバタと騒がしい音が響いてくる。またシャロンが暴れているのだろう。もうこれ以上トラブルを起こさないでほしい。

「あ~あ」

グラントは重い腰を上げた。シャロンに注意してやったほうがいいだろう。

 いいかげん乳酸の溜まった脚で階段をゆっくり上がる。気のせいか、唸り声のようなものまで聞こえる。嫌な予感がするものの、疲れきった頭は回転が鈍く、脚は機械のようにただ階段を上るだけだった。

 シャロンと結婚することを望んでいるが、あんなバカ娘ははっきり言って大嫌いだ。だいたい、結婚に愛なんて必要ない。あくまで契約なのだから。シャロンと結婚し、あのハゲ親父がいずれ引退した暁にはこっちのものだ。病院の院長として君臨すれば、まさにやりたい放題。あんな傲慢で自堕落なバカ娘よりも、イイ女はより取り見取りだ。病院の実権を握ったら、事故に見せかけて殺してしまうのがいいだろう。

「くっくっく……」

自分の将来設計を思うと笑いがこみ上げてくる。

 シャロンの部屋のドアまで来ると、グラントは深呼吸して表情を作った。厳しい顔もヘラヘラした顔も彼女には逆効果だ。あの娘は親からほとんどまともな教育を受けていないから、きっと家族の愛情というものを知らない。ここは良い兄貴を演じ、毅然としつつも大きな包容力を示してやるのだ。初めて触れる親愛の情に、あのバカ娘も犬っころのように心を開くだろう。

 グラントはシャロンの部屋のドアをノックしてから声を掛けた。

「シャロン、僕だよ。グラントだ」

無視されるかと思ったが、ドアは勢い良く開いた。

「やあシャロン、くさる気持ちは分かるけど、あんまり──」

戸口に現れたシャロンの、飢えた獣のようにぎらつく目に睨まれ、グラントは言葉を失った。

「……シャロン? あっ!」

シャロンにネクタイを掴まれたグラントは、そのまま部屋の中へ引きずり込まれた。


「うう……」

柔らかな光があたり、フレディは目を覚ました。どうやら朝が来たらしい。しかし、もうちょっとこのまま寝ていたい気もする。身体がまだ痛むのと、自分の頭を載せている枕がとても心地良いのだ。適度に張りがあり、頬に吸い付くような滑らかな感触。

「あれ?」

たしか昨夜ベッドに入った時には、安モーテルにありがちな、ぺっちゃんこで消毒薬のツンとくる臭いがした普通の枕だったはずだが。

「おかしいな……」

数回瞬きを繰り返し、ぼやけた視界をクリアにすると、目の前に小麦色の膝小僧のようなものが見えた。息を止め、ゆっくりと顔を上向ける。すると、目を閉じたマリアの顔があった。

「えっ?」

いまいち状況がよく分からない。それでも、唇を薄く開けたマリアの顔は官能的で、途端にフレディの身体は熱くなった。この状況に至るまでの過程は記憶にないが、彼女はキスを待っているのに違いない。寝惚けた頭の都合の良い妄想を信じ、フレディも目を閉じた。しかし一向に唇は触れ合わない。薄目を開けてしばらく見ていると、マリアは動かないし、小さな寝息も聞こえてくる。ようやく状況が飲み込めた。マリアは座ったまま寝ていて、自分は彼女の膝枕で寝ていたのだ。

 ようやく合点がいき、深く息を吸い込んだフレディの鼻を、マリアの垂れた髪の毛先がくすぐってくる。ムズムズしてくしゃみが出そうになった。急いで手で口を塞ぎ、そろそろと頭をマリアの膝から下ろす。急に動いたら彼女はきっと目を覚ますだろうし、膝に頭を乗せたまま目が合ったら非常に気まずい。

「っくしょん!」

フレディのくしゃみにマリアはビクッと身体を震わせ、やがてゆっくり目を開けた。柔らかい朝日に縁取られた横顔は美しく、フレディは口に手をあてたまま瞬きも忘れて見入ってしまう。

「おはようございます」

マリアははにかむように微笑んだ。

「お……おはよう」

どうにも口がもつれてしまう。さっきまで頭を載せていたとはいえ、Tシャツの裾から出ている太腿が何とも艶かしい。脚を見ていると気付かれたくなくて、フレディは急いで顔を背けた。

 隣にマリアの気配を感じながら、ベールを通したような朝の光に包まれる。言葉を繋ぐことができない二人に、甘い静寂が訪れた。この気まずさがくすぐったくてしょうがない。おそるおそる目線をマリアに向けると、彼女はこっちを見たまま微笑んでいる。フレディと視線が合うとわずかに顔を俯けた。長い睫毛が頬に影を落とし、触れたら壊れてしまいそうな繊細さに胸が震える。吸い寄せられる、というごく自然な現象を、フレディには止めることなどできなかった。再びマリアがゆっくりと視線を上げ、顔を寄せるフレディと見つめ合うと目を閉じた。二人の唇が触れ合う直前、「きゅるるる」っとフレディの腹の虫が盛大な音を立てた。

「あっ!」

思わず声を上げたフレディが「まずいっ」と思った時にはもう遅かった。マリアは大きな目をぱちくりさせた後、にっこりと微笑んだ。その微笑みは先程の甘く誘うようなものではなく、お腹を空かせた子供に向けられたものだ。

「さぁ、朝ご飯にしましょうか」

「……はい」

願ってもないチャンスをふいにしたフレディはガックリと肩を落とし、ベッドを出るとバスルームに向かう。

 ベッドに残されたマリアの溜息は、ドアを閉める音と重なり、フレディには聞こえなかった。


 空がずいぶん明るくなってきた。『こどもの家』を出てから途中でガソリンを入れ、さらに事故渋滞のために迂回を余儀なくされ、やっとマシューズ家にあと少しで到着というところだ。車に乗った途端、ハケットのバカ野郎はすやすやと眠りについた。これじゃまるで子守りだ。まぁ、寝ててくれた方が静かでいいんだが。

 邸が見えてくると、その周りを取り囲むように車が何台も停まっている。そして車と車の間を埋め尽くす人々。不審に思い、俺は車を停めずにそのまま邸の門の前を通り過ぎた。

「マジかよ……」

テレビ局の車が見えた。その周りを埋め尽くしているのは記者だ。

「何で情報が漏れたんだ?」

思わず独り言が出ちまった。無理もないだろう、これじゃ本格的に人質の命が危ない。

 外壁に沿ってゆっくり進む俺の車、その窓を外から誰かがコンコンと叩いた。モスだ。俺は車を停めて窓を開けた。

「なあ、やっぱり事件だろ? 教えてくれよ、いったい何が起こってるんだ?」

「何が起こってるか訊きたいのはこっちだ! 何でこんなにマスコミが集まってる?」

俺の問いにモスは眉を寄せた。

「知らないのか? 今、ネット上で話題になってるぞ」

「はぁ?」

「あ、ありました。これですよね?」

いつの間に起きたのか、ハケットが得意げに携帯端末を差し出した。

 誰かが投稿した動画だ。若者がたくさん集まったマシューズ家のリビング、そこで怒鳴り合う父親と娘。

『犯人から連絡があっても聞こえないだろ!』

『そんなのアタシに関係ない! 早く新しいメイド雇ってよ!』

延々と罵り合う二人の姿が流れていく。見苦しいことこのうえない。明け方にもかかわらず、視聴者からのコメントもたくさん寄せられている。

『事件の臭いがするな』

『マシューズ脅迫されてるらしいよ』

『メイドにも逃げられたんだ、モグリ医者!』

頭痛がしてきた。普通、誘拐事件の最中にパーティーを開くか? あの娘の思考回路が理解できない。父親も父親だ。いくら頭に血が上ったからって、人が大勢いる所でこんなこと大声で言うか? 一番やっちゃいけないことだろ。こいつら、本当に事件を解決する気があるのか?

「まったく、いいかげんにしろよ……」

「同感です」

さすがのハケットも頭にきたらしい。怒りを露わに呟いた。

「このシャロンて人、言葉遣いがひどすぎますよ」

そこじゃない。


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