第1話 噂どおりであって欲しかった
ガタゴトと揺れる馬車の中、エレノアは小さく息を吐いた。
手元に置いた木箱の角を、指先で確かめるように撫でる。中身は使い古した手鏡と、針箱と、母の遺品である小さな刺繍布。
実家であるヴァルデック伯爵家を出るときに持ち出せたのは、それだけだった。
「本当に地味で取り柄のない娘だこと。辺境の寒村でせいぜい静かに暮らしなさい」
義母に冷ややかに告げられ、義妹には「王都の喧騒から離れることができるなんて羨ましいですわ」と失笑された。父は書類から目を離しもしなかった。
嫁ぎ先は、北の果てに位置するオルデンブルク辺境伯。
当主のカルロス・オルデンブルク辺境伯は、戦場で数多の首を跳ねた見た目だけは美しい男だという。噂では、情を持たず意に沿わぬ者を容赦なく切り捨てる、氷のような冷血漢らしい。
虐げられてきた身とはいえ、さすがに生きて城を出られるのかという不安はある。
エレノアは灰色の質素なドレスの裾を強く握りしめた。
◇
「エレノア様、到着いたしました」
御者の声が響く。
貧相な馬車の動きの悪い扉が開かれた。目の前に広がるのは、深い緑の山々に囲まれた、静まり返った館の庭園だった。
馬車から降り立つと、ツンと冷たい空気が鼻腔をくすぐる。
館の玄関前には、整列した従者たちと、その中央に立つ一人の男の姿があった。
――あの方かしら。
一目で分かった。
銀糸のような美しい髪に、氷晶を思わせる鋭い青の瞳。彫刻のように整った顔立ち。背が高く、黒を基調とした軍服風の着衣が恐ろしいほど似合っている。
まさに「氷の美貌」。息をのむほどの美男だったが、同時に近寄りみがたいほどの威圧感があった。
エレノアは緊張で足がすくみそうになるのを押し殺し、ドレスの裾を少し持ち上げて深く頭を下げた。
「ヴァルデック伯爵家が長女、エレノアと申します。お招きいただき――」
「……」
挨拶の途中で、シュッと風を切り裂くような音がした。
カルロスが、エレノアの横を無言で通り過ぎたのだ。
(えっ――)
無視されたのだろうか。あるいは、挨拶する価値すらないと判断されたのか。
エレノアの背中に冷たい汗が流れる。
だが、カルロスは屋敷に入るわけでもなく、そのまま庭園の端……眼前に広がる山々の方向に向かって歩いて行った。
従者たちが一斉に額を押さえ、深々と溜め息をつくのが見えた。
カルロスは山に向かって背筋を伸ばすと、両手を口の脇にあて、メガホンのような形を作った。
息を深く吸い込む。胸板が大きく膨らむ。
そして――、
「地味美人! 隠れ豊満!! 最高~~~!!!!」
雷鳴のような大声が、静寂に包まれた館の庭園に轟いた。
「最高~~~~……最高~~~~……」
山びこが虚しく響き渡る。
風が吹き抜け、葉がカサカサと揺れた。
エレノアは頭を下げた姿勢のまま、完全に固まった。
(……はい?)
何が起きたのか分からない。
耳がおかしくなったのだろうか。「冷血」「氷の美貌」という言葉と、いま目の前で起きた現象が、エレノアの頭の中で一切結びつかない。
ふと見ると、木の上に潜んでいた黒装束の男――おそらく護衛の暗部が、枝の上で頭を抱えていた。
カルロスはくるりと振り返った。
その顔には、先ほどまでの氷のような冷たさは微塵もない。キラキラとした後光が見えるような、あまりにも爽やかで完璧な笑みを浮かべていた。
ゆっくりとエレノアに近づいてくる。足取りは堂々としており、優雅そのものだ。
エレノアの前で立ち止まると、彼は低く響く、耳に心地よい極上の美声で囁いた。
「初めまして、エレノア殿。カルロスです。遠路はるばるよくお越しくださいました……とにかく最高です。あと、こう見えても童貞なのでお手柔らかに」
極上の笑顔。低音の美声。威風堂々とした立ち姿。
そこから繰り出された発言の破壊力に、エレノアの思考は完全に停止した。
(顔の造形と美声とセリフがかみ合ってない……!)
叫び出したいのを必死で耐え、エレノアは引きつった笑みを浮かべる。
こうして、地味令嬢エレノアの、想像からかけ離れた辺境生活が幕を開けたのであった。
よろしくお願いいたします!




