10章「閉幕」
登場人物
結城志保
警部補。機械に弱い刑事。
津田翔太
巡査。結城の同僚。
伏見智遥
結城の隣人。家電に詳しい青年。
神蔵美琴
占い師。紫月ミラの名で活動している。
朝倉義男
会社員。臨終速報に名前を告げられた男。
浅井誠人
借金を抱えた男。
岩下正雄
神蔵の知人。老衰で亡くなる。
宇佐美英充
人付き合いの少ない男。
伏見正明
市議会議員。地元の有力者。
伏見瑛子
伏見正明の妻。
私が家に帰るとき、伏見さんが偶然そこにいた。
先ほど会ったばかりだが、軽く会釈をして家に入る。
一瞬、すれ違う視線に妙な静けさを感じた。けれど、それ以上は何も言わず扉を閉めた。
着替えもせず、私はリビングで待った。
恐怖を抑えるために、頭の中で手順を繰り返した。――計算通りに、すべてが進んでいる。そう自分に言い聞かせた。
日付が変わる頃、テレビが勝手に映る。
ノイズ混じりの画面に、白い文字が滲んだ。
「臨終速報です。結城志保さん。次は、貴方です」
――まだ大丈夫。
落ち着こうとしても鼓動が早くなってしまう。
そのとき、インターホンが鳴った。
「伏見です。今さっき結城さんの名前が流れたんですが、大丈夫ですか?」
気持ちを抑え、扉を開ける。伏見の目は穏やかに見えて、どこか焦っていた。
「伏見さんも……見たんですね?」
「ええ。心配で……」
「どうぞ」
扉を閉めた瞬間、私は鍵をかけた。
「では何か飲み物でも持ってきますね」
私は台所に向かったふりをして、後をつける。伏見はリビングへ向かい、テレビの裏に顔をのぞかせると、すぐに固まった。あるべき物がないことに気がついたのだろう。
「そこにはもうWi-Fi置いてありませんよ?」
私が声をかけると、驚いたのか仰け反るように体を起こした。
「結城さん? どういうことです?」
「ですから、貴方が仕掛けてたWi-Fiは違うところに置いてあります」
私がそう言うと、表情を変えてポケットに手を入れた。
右手にはナイフ。恐怖と焦燥が混ざった顔。ゆっくりと近づいてくる――。
その時、背後から津田が押さえ込んだ。
金属音が床を叩き、空気が凍る。
「伏見、動くな。現行犯だ」
「……お疲れ様。もう署にも連絡したから、もうじき到着する」
翌日、署内は騒然としていた。
伏見は逮捕され、証拠が次々と見つかる。
伏見のパソコンからは、臨終速報の映像データが見つかった。
さらに、部屋からは鯛の形をした藁細工も押収された。
私の家に仕込まれていたWi-Fi機器には、伏見のパソコンから接続した痕跡が残っていた。浅井さんや宇佐美さんとの通信履歴も残っている。全てが一本の線で繋がっていた。
そして伏見は、未だに容疑を否定している。
「結城さん。酷いですよ、俺は心配で行っただけなのに」
伏見はいつも通りの穏やかな顔で訴えてきた。
だがもう、その穏やかさが仮面であることを、私は知っている。
「なら、あのナイフは?」
「あんな怖い映像流れれば、護身用に持つでしょ?」
「でも貴方のパソコンから動画が見つかりましたが?」
伏見は一瞬だけ引きつった。
「あれは冗談ですよ。結城さんが『臨終速報が怖い』って言うから、驚かせようと思って作ったんです」
「それで検査と称して、私の家にWi-Fiやセンサーを設置したと?」
「そうでないと見せられないでしょ? 確かに冗談にしては行き過ぎたかもしれませんがね」
彼の言葉が止むたび、時計の針の音が聞こえる。
それが、嘘の呼吸を測る音にも思えた。
「でもその冗談で人が亡くなっていますが?」
「俺も知りませんでしたよ。それっぽい名前を書いたら、偶然当たったんです」
「もう分かってると思いますが、貴方のスマホからXでのアカウントも、浅井さんや宇佐美さんと連絡を取っていたことも分かっています」
「あれは脅されたんです。匿名の手紙でそうしろとね」
「証拠はないでしょ?」
「はい。燃やしてしまいました」
伏見は笑おうとしたが、口元だけが固まった。
私は体をわずかに前に傾ける。
机の距離が縮まるだけで、彼の声が細くなる。
「なら、あのお二人に対して貴方はどのような役割を?」
伏見は視線を泳がせ、答えを探す。
私の沈黙が、そのまま圧力になる。
「場所指定と道具の持参、そして飲み物を渡すように言われました」
「なら、どうやって殺害したのです?」
「俺じゃない。ただ呼べと言われただけで、殺してはいない」
「なら、あのペットボトルは貴方が用意したのでは?」
「違う。元々置かれていたんです。何かが入ってるなんて知るわけないでしょ」
「何で入ってたって知ってるの?」
伏見の瞳が瞬きを忘れる。
空気がわずかに止まった。
沈黙のあと、声が掠れる。
「え? あの……入ってたんでしょ? 薬が?」
「確かに検出はされたけど、報道はされてない」
彼の指先が机を叩いた回数だけ、嘘が増えていく。
伏見は下を向き、喋らなくなった。
なら、違う線で攻めるしかない。
「次に、伏見正明さんの件です」
その名前を聞いた瞬間、伏見はこちらを睨むように顔を上げた。
だがすぐに目を閉じ、深く息をつく。
「結城さん。俺は遺族ですよ? もう少し労わってくれると嬉しいのですが」
声も態度も、取り繕うことが難しくなっていた。
「事件当日。貴方はあのログハウスにいたんですね?」
「そうですよ。俺はワインセラーにいたんです。外には出てませんよ」
「良かった。それが聞きたかったんです」
私は口元だけで笑った。
伏見が首を傾げる。
「この服を覚えていますか?」
赤いシミの着いた洋服を机の上に置く。
光が布に当たるたび、伏見の目がそれを追った。
「これは俺の服ですけど? 処分したって言いましたよね?」
その表情には焦りが見えた。
嘘は嫌いだが、この男には似合いの贈り物だと思った。
「まぁ、貴方が逮捕されたので調べてもらえました。嘘も方便ってやつですね」
私は一息ついた。
……これで十分だ。
「ワインセラーでも血痕が見つかりました。知ってました? ――ワインの赤だけでは、血は隠せませんよ?」
伏見は瞬きを忘れたまま、口を開けかけて閉じた。
私は椅子から立ち上がる。
机の向こうで、照明がゆっくり伏見の顔を照らした。
それだけで、もう十分だった。
「お疲れさん」
津田がそう言って、ミルクティーを差し出した。
「ええ。でも取り押さえてくれて助かった」
「まさか隣人が殺人犯だったとはな。恐ろしいな」
ミルクティーを一口含む。甘さが体中に染みた。
「でもよ。よく伏見が犯人って分かったな」
津田はまだ核心に気づいていない様子だった。
「前に言っていたことだけど、殺人事件の」
「八十パーセントは身内な」
「それで思い出したの。伏見が臨終速報を見た夜、部屋に入ると赤い封筒が置かれていたことを」
「それで?」
「あれは督促状で猶予はなかった」
封筒一面の赤が、警告のように思い出す。
机の上で、他の書類とは異なる存在感を放っていた。
「近いうちに差し止めされるほどの」
「それほど金がなかったと」
「そう。でも払えなかったってことは」
「親からも見捨てられたと」
「……動機は、そこにあったのかもしれないわね」
津田は飲み切ったコーヒーをデスクに置き、前のめりになりながら聞いてきた。
「なら何でお前に臨終速報を見せたんだ?」
「それは――恥ずかしいけど、私の家に簡単に侵入できたから。あの時は伏見に電化製品は全部お願いしてたし」
「恥ずかしいって、そんな感情があったのか?」
話の腰を折る津田を睨みつけて黙らせる。私はこう見えてデリケートではある。
「臨終速報の相談をした後、数日かけて点検という名目でいろんな道具や機械を持ってきてた。あの時にWi-Fiや送信機を取り付けたんだと思う。私なら何をしているか理解できてなかったし」
「ああ、信頼を裏切るってやつだな。それにテレビと同じWi-Fi使えば、パソコンで動画を再生できる。だから簡単に臨終速報を流せるってわけか」
津田はそう言うと、一瞬遠い目をしていた。何かあったのだろうか。
私は気づかないふりをして話を続けた。
「あとは私が警察官であるという立場ね。父である正明さんを殺すと、自分が真っ先に疑われてしまう。そうならないように通り魔的犯行に見せかけたかった。そして、それを立証する人物が必要だった」
「そうか。警察が連続殺人だと言えば、自分が疑われる可能性が減るというわけか」
「正解。実際に三人には何も接点はなかった。だから動けなかったのは事実」
あの時の混乱は計算の内だったのだろう。
臨終速報を見た夜を思い出すだけで、悔しさがこみ上げてくる。
「そしてXで預言者の真似事をしたと」
「恐らく、警察が連続殺人として取り扱わなかった時の保険。もし騒がれなかったら私に見せる予定だったでしょうね。そして正明さんの死で社会現象を引き起こせたので、奴にしたら成功したってこと」
「まぁ、運が良いんだな」
「そうでもないの。実はセンサーを見つけた日に、臨終速報が流れたの」
津田は驚いた表情でこちらを見た。
「本当か? だから焦ってたのか」
「それでもし、あれが伏見にとってイレギュラーなことだったら? って考えた」
「それで?」
「例えば私の名前を流すも、ずっと生きてたらその効力がなくなったと思われるでしょ? 自然に臨終速報としての熱を下げようとしたと思うの。そして自分が遠くに行っている間に流せれば、アリバイとして無関係を装ってね」
「なら動画が流れるよう予約を入れてたってことになるのか」
「できるの?」
「まぁ、やろうと思えばな。ネットは繋がってるし、再生アプリを入れておけば、タイマーで勝手に動く。でも条件がシビアだ。テレビの電源を切ってたら終わりだし、お前が家にいなきゃ意味がない。それに伏見はその時、参考人として署にいた。帰れないから解除は不可能だ」
「でも私が見てしまったことで、思惑通りにはなった」
「まさかあの条件で見てたとは思ってなかったろうよ。結果、奴の“完全犯罪”は自分の手で崩れたってわけだ」
……あの時、五分でも寄り道をしていれば、気絶することはなかったのかもしれない。
でも、あのおかげで全てが見えた。
「ならあの藁細工は?」
「あれは連続殺人として見られるための道具ね。全ての現場にあれば、同一犯として見られたでしょう。そうすれば正明さんは、無差別に選ばれた一人として認識される」
津田は話を聞いていたが、少し苦い顔をしていた。
「Xとか藁細工とかを駆使してまで、拘ってたのか。異常だな」
「でも私も拘っていた。正明さんの時の藁細工だけ杜撰って言ってたでしょ?」
「ああ。よく分からない棒みたいなやつか」
「あれを私は『同一犯なら意味があるはず』と思ってしまった。だから先入観で笏と認識した。……藁の塊を、そう見てしまったの」
その言葉を最後に、しばらく沈黙が落ちた。
やがて津田が、少し空気を変えるように口を開いた。
「だけどよ。まさかあれで伏見がひっかかるとはな」
津田が呆れたように笑う。
「まぁね。ログハウスにいたなら自分の痕跡は残せない。素足で移動するしかないかなって思ってたの。だからカマをかけて“足紋”って言ってみたの」
津田はデスクの引き出しを開け、A3のファイルを取り出してこちらへ見せる。
表紙には何も書かれていないし何も入っていない、ただの茶封筒。
「これがあいつには重要な物に見えたんだな」
「ええ。あれがなければ伏見は動かなかった」
封筒を机の端に置くと、津田はふと思い出したように言った。
「しかし、あのWi-Fiは上手くいったな」
「ええ。あれがなければ臨終速報は流れなかった。奴に“まだ監視できてる”と思わせるには必要だったの。伏見は“繋がっている”ことに安心していた。自分が支配できる世界が、まだあると思い込んでいたのね」
津田は短く息をついた。
「……そういう奴、いるよな」
空のカップがテーブルの端に寄せられる。小さな音が、短い沈黙を作った。
私は視線を落としたまま、わずかに指先を握りしめる。
伏見も、私が話したことでこうなってしまったのだろうか。
いずれは同じ結末を迎えていたのか。
だが、その沈黙はすぐに破られる。
「あとは正明さんだな。あれはどうやったんだ?」
「たぶん、最初はワインセラーで監禁したまま、直接手を下さずに死なせるつもりだったんだと思う。鯛の藁細工も、そのために用意していた。けれど、どこかで予定外のことが起きた。だから撲殺に切り替わって、あんなに雑な現場になった。そう考えると、正明さんの事件だけ綻びが多かった理由も説明できる」
「アイツ、夜中に自分で作った動画が勝手に流れてパニックったのか。馬鹿な奴だな」
本当にそうなのだろうか。『ごきげんようって何だよ……』その一行が引っかかる。私もどこかで聞き覚えがあることに気がつくも、それがいつだったか思い出せなかった。
「それで慌ててログハウスで殺害したと。それでどうしようとしたんだ?」
「旧ログハウスで殺されたにしては、血の量が少なすぎた。だから遺体は別の場所から運ばれた可能性が高い。正明さんの靴跡も、本人がそこへ向かったように見せるための偽装だったんだと思う。現場を変えれば、すぐには真相へ辿り着けない」
「何でそんな面倒なことを?」
「一種の賭けね。管理人がいるから、その人に気づいてもらえれば通報してくれる。それで現場から離れている自分は怪しいけど、すぐさま犯人とまではいかないって考えた」
「そして俺たちが到着して警察を呼んだと」
「そう。それで警官が来る前に、床や服に付着した血を隠すためにワインをばらまいて、泥酔しているように見せた」
「それで隠せると思うのが浅はかだな」
現実は――今日まで誰も気づかなかったのだ。浅はかと言い切れない。
「まぁ、これで無事、事件も終わったし。飯でも行こうや」
「賛成。逮捕してくれたご褒美に奢ってあげる」
「マジで! なら行ってみたかった店があるから、そこにしよう」
私たちは退勤後、日本料理亭に向かった。
少し高そうな店構えに、私は小さく息を吐いた。
……お財布は、大丈夫だろうか。
店に入り、座敷に通される。
少し待っていると、障子が静かに開き、白い足袋の音が畳をわずかに鳴らした。
仲居は一歩下がり、両手の指先を畳に揃えて三つ指をつく。
その姿勢のまま、穏やかに頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。女将に代わりまして、ご挨拶申し上げます」
その顔は、最近見知った顔だった。
「神蔵さん?」
私の声に反応し、神蔵さんは顔を上げた。
途端にその頬が、着物に負けぬほど赤くなる。
「いやぁ、そのぉ……」
目をぱちくりさせながら、どもっている。
「何でここに?」
「実はお金がなくて……副業です、副業」
神蔵さんの収入のほとんどはこの料亭で賄っているらしく、占い師としての稼ぎはほとんどないらしい。
……なら本業はどちらなのだろう。
「でも……でも……私は生きるために、こうやって恥を凌いでやっているのです。今日だって滞納の電話が来ましたし」
綺麗な作法に邪な思いが混ざると、こんなにも違和感が生まれるものかと感心してしまう。そして滞納か……第二の伏見が出ても困る。
「ちなみに、あといくら必要なんですか?」
「あとですか? これぐらいです」
神蔵さんが示す指の数を見て、心の中で計算する。足りるな。
少し息を整えてから、鞄の中を探り、適当な封筒を取り出して渡す。
「……これは? 同情でも受け取りますけど、念のため!」
「これは、私個人からです。捜査に付き合わせたお詫びと、お礼を兼ねて」
神蔵さんは封筒を開け、ぱっと表情を輝かせた。
「おお! これはこれは……高御産巣日神様、事代主神様、八意思兼神様。それに結城様、私の福の神!」
受け取るや否や、よく分からない単語を口にしてはしゃいでいる。
恐らく神様の名前だろうが、どれも聞き慣れない。
――もしかしたら、この人は本物なのかもしれない。
「でも本当に神蔵さんが津田を呼んでくれたおかげで、事件は解決したようなものよ。よく連絡先を交換したね」
私がそう言うと、津田がこちらを見た。
「俺、教えてないぞ。教えたのはお前だろ?」
一瞬で場の空気が変わる。
「いや、私は教えてないし、そもそも知らない」
神蔵さんの方を見ると、神蔵さんは封筒の中のお札を数えていた。
「神蔵さん……どうやって連絡先を知ったんです?」
「はい? そりゃあ……連絡先に入ってたからです」
神蔵さんはそう言うと、袖の中からスマホを取り出し見せてきた。
確かに津田と書かれた連絡先が登録されている。津田の方を見ると首を振っている。教えていないと表情で語る。
「おかしいだろ。だってあの時!」
津田はスマホを取り出し、着信履歴を見せる。そこには『エセ占い師』と登録されていた。
「津田……貴方、登録したの?」
「え? あれ? 俺……なのか?」
津田の顔には困惑が見られたが、自分だったらやりそうだとも思える表情だった。
「私は似非でも占でもありません。占い師です!」
怒った神蔵さんは、その後きちんと頭を下げて戻っていった。
あの切り返しは、見習うべきものがある。
出てくる料理に舌鼓を打ちながら、ようやく日常の味を思い出す。
店を出る頃には、心地よい眠気が全身を包んでいた。
もうこれで、私の事件も終わりだ。
変わらない日常が戻ってきた。
頭を空っぽにしてテレビを眺める。ニュースでは伏見の件を取り上げている。
財産狙い、計画殺人など、見る側を掻き立てるような見出しとなっている。キャスターは「調子に乗って警察官を狙ったが返り討ちに遭い逮捕された」と言っている。結局、逮捕されて罪が明らかになれば、世間にとって細かいことはどうでもいいのだろう。
一つだけ気になっているのが、伏見の言葉だ。
「結城さんが『臨終速報が怖い』って言うから、驚かせようと作ったんです」
なら、少なくとも朝倉さんの臨終速報は伏見の工作ではない。
岩下さんの件も、事件性のない自然死だった。
そして正明さんの時に伏見が聞いたという“ごきげんよう”。
あれだけは、最後まで説明できなかった。
あれは、ただの偶然だったのだろうか。それとも、何かが私に“知らせようとした”のだろうか。
伏見の犯行は、人の手で説明できた。
浅井さんと宇佐美さんの死も、私に向けられた臨終速報も、仕組みは分かった。
けれど、それですべてが片づいたわけではない。
朝倉さんの名前。
岩下さんの老衰。
伏見さんが父親の名を聞いた夜に呟いた、「ごきげんよう」という言葉。
どれも偶然だと言えば、偶然で済む。
思い込みだと言えば、それ以上考えなくて済む。
けれど私は、もうそれを完全には信じられなかった。
昔の人は、虫の知らせや夢枕に立つ影を、死の予兆と呼んだ。
たぶんそれは、心が“何か”を受け取った証拠だったのだと思う。
けれど今は、死でさえ画面の向こうで消費される。
誰かが亡くなれば速報になり、見出しになり、感想になり、憶測になり、次の話題が来れば忘れられる。
人は死を知りたい。
でも、本当には知りたくない。
怖いから、面白い話に変える。
悲しいから、誰かを叩く材料にする。
分からないから、自分の信じたい形に押し込める。
テレビは昔、“共通の窓”だった。
みんなが同じものを見て、同じように笑い、同じように驚き、同じ死を知った。
今は違う。
ニュースも、噂も、死の意味さえ、自分が見たいものだけを選んで見ている。
だから、同じ景色を見ている人なんて、もういない。
臨終速報は、そんな時代に残った最後の“共通の報せ”だったのかもしれない。
誰が信じようと、信じまいと。
死だけは、都合よく切り分けることができない。
答えのない問題を考えていたが、久しぶりの睡魔に抗えず、ベッドに身を沈めた。今日はぐっすりと眠れそうだ。
結城志保は、深い眠りについた。
テレビがついても、もう気づかないし、見る必要もない。
リモコンの赤いランプが、夜の空気を小さく照らす。
画面がゆっくりと明るくなり、白い光が部屋の形をぼかしていく。
そこに音はなく、ただ一つの声だけが残された。
「……ここで、臨終速報です。伏見智遥さん。最後は、貴方です――ごきげんよう」
【補遺 臨終速報史】
臨終速報は、最初からテレビに映っていたわけではない。
昔の人は、虫の知らせや夢枕、夜中に聞こえる鳥の声を、死の前触れと呼んだ。
それは霊の声ではなく、死を知りたいと願いながら、同時に知りたくないと恐れる人間の心が受け取った、かすかな報せだったのかもしれない。
やがてテレビが家庭に入り、死は遠くの出来事として映像で届くようになった。
誰かの死は速報になり、見出しになり、画面の向こうで共有される情報になった。
その頃から、臨終速報は“テレビに映る報せ”として形を持つようになった。
本物の臨終速報には、必ず最後に一言だけ添えられる。
「ごきげんよう」
それは感情のある別れではない。
ただ死を告げるためだけの、無機質な挨拶だった。
けれど現代では、死はあまりにも簡単に消費される。
ニュース、SNS、動画、噂。
人は死を知りすぎて、同時に気にしなくなった。
だから臨終速報は、ほとんど姿を消した。
まれに条件を満たした者だけが、それを受け取る。
多くの場合、それは夢や誤作動として忘れられる。
本物と偽物の境界が曖昧になり、誰もが自分の信じたいものだけを見る時代。
それでも死だけは、都合よく切り分けることができない。
臨終速報とは、死そのものではない。
死を知りたいと願い、知りたくないと怯える人間の心が生んだ、最後の共通の報せだった。




