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臨終速報  作者: 紅小豆
10/10

10章「閉幕」

私が家に帰る時、伏見さんが偶然そこにいた。

先程会ったばかりだが、軽く会釈をして家に入る。

一瞬、すれ違う視線に妙な静けさを感じた。けれど、それ以上は何も言わず扉を閉めた。

着替えもせず、私はリビングで待った。

恐怖を抑える為に、頭の中で手順を繰り返した。——計算通りに、すべてが進んでいると

 日付が変わる頃、テレビが勝手に映る。

 ノイズ混じりの画面に、白い文字が滲んだ。

「臨終速報です。結城志保さん。次は、貴方です」

――まだ大丈夫。

落ち着こうとしても鼓動が早くなってしまう。

そのとき、インターホンが鳴った。

「伏見です。今さっき結城さんの名前が流れたんですが、大丈夫ですか?」

 気持ちを抑え、扉を開ける。伏見の目は穏やかに見えて、どこか焦っていた。

「伏見さんも……見たんですね?」

「ええ。心配で……」

「どうぞ」

 扉を閉めた瞬間、鍵を閉める音が聞こえた。

「では何か飲み物でも持って来ますね」

 私は台所に向かったフリをして、後を着ける。伏見はリビングへ向かいテレビの裏に顔をのぞかせるとすぐに固まった。あるべき物がない事に気が付いたのだろう。

 「そこにはもうWi-Fi置いてありませんよ?」

 私が声をかけると驚いたのか仰け反るように体を起こした。

 「結城さん?どういう事です?」

 「ですから、貴方が仕掛けてたWi-Fiは違う所に置いてあります」

 私がそう言うと表情を変えてポケットに手を入れた。

 右手にはナイフ。恐怖と焦燥が混ざった顔。ゆっくりと近づいてくる――。

 その時、背後から津田が押さえ込んだ。

 金属音が床を叩き、空気が凍る。

「伏見、動くな。現行犯だ」

「……お疲れ様。もう署にも連絡したから、もうじき到着する」

翌日、署内は騒然としていた。

伏見は逮捕され、証拠が次々と見つかる。

パソコンには臨終速報の映像。そして鯛の藁細工。

私の家にあったWi-Fiは、伏見のPCと接続されていた。浅井さんや宇佐美さんとの通信履歴も残っている。全てが一本の線で繋がっていた。

そして伏見は未だに容疑を否定している。

「結城さん。酷いですよ、俺は心配で行っただけなのに」

伏見はいつも通りの穏やかな顔で訴えてきた。

だがもう、その穏やかさが仮面であることを、私は知っている。

「なら、あのナイフは?」

「あんな怖い映像流れれば護身用に持つでしょ?」

「でも貴方のPCから動画が見つかりましたが?」

伏見は一瞬だけ引きつった。

「あれは冗談ですよ。結城さんが『臨終速報が怖い』って言うから驚かせようと思って作ったんです」

「それで検査と称して私の家にWi-Fiやセンサーを設置したと?」

「そうでないと見せられないでしょ?確かに冗談にしては行き過ぎたかも知れませんがね」

彼の言葉が止むたび、時計の針の音が聞こえる。

それが、嘘の呼吸を測る音にも思えた。

「でもその冗談で人が亡くなっていますが?」

「俺も知りませんでしたよ。それっぽい名前を書いたら偶然当たったんです」

「もう分かってると思いますが、貴方のスマホからXでのアカウントも浅井さんや宇佐美さんとの連絡は取っていた事は分かってます」

「あれは脅されたんです。匿名の手紙でそうしろとね」

「証拠はないでしょ?」

「はい。燃やしてしまいました」

伏見は笑おうとしたが、口元だけが固まった。

私は体をわずかに前に傾ける。

机の距離が縮まるだけで、彼の声が細くなる。

「ならあのお二人に対して貴方はどのような役割が?」

伏見は視線を泳がせ、答えを探す。

私の沈黙が、そのまま圧力になる。

「場所指定と道具の持参、そして飲み物を渡すように言われました」

「なら、どうやって殺害したのです?」

「俺じゃない。ただ呼べと言われただけで殺してはいない。」

「なら、あのペットボトルは貴方が用意したのでは?」

「違う元々置かれていたんです。何かが入ってるなんて知る訳ないでしょ」

「何で入ってたって知ってるの?」

伏見の瞳が瞬きを忘れる。

空気がわずかに止まった。

沈黙のあと、声が掠れる。

「え?あの……入ってたんでしょ?薬が?」

「確かに検出はされたけど、報道はされてない」

彼の指先が机を叩いた回数だけ、嘘が増えていく。

伏見は下を向き喋らなくなった。

なら違う線で攻めるしかない。

「次に、伏見明正さんの件です」

その名前を聞いた瞬間、伏見はこちらを睨むように顔を上げた。

だがすぐに目を閉じ、深く息をつく。

「結城さん。俺は遺族ですよ?もう少し労わってくれると嬉しいのですが」

声も態度も取り繕う事が難しくなっていた。

「事件当日。貴方はあのログハウスに居たんですね?」

「そうですよ。俺はワインセラーに居たんです。外には出てませんよ」

「良かった。それが聞きたかったんです」

私は口元だけで笑った。

伏見が首を傾げる。

「この服を覚えていますか?」

赤いシミの着いた洋服を机の上に置く。

光が布に当たるたび、伏見の目がそれを追った。

「これは俺の服ですけど? 処分したって言いましたよね?」

その表情には焦りが見えた。

嘘は嫌いだが、この男には似合いの贈り物だと思った。

「まぁ、貴方が逮捕されたので調べて貰えました。噓も方便って奴ですね」

私は一息ついた。

……これで十分だ。

「ワインセラーでも血痕が見つかりました。知ってました?――ワインの赤だけでは、血は隠せませんよ?」

伏見は瞬きを忘れたまま、口を開けかけて閉じた。

私は椅子から立ち上がる。

机の向こうで、照明がゆっくり伏見の顔を照らした。

それだけで、もう充分だった。

「お疲れさん」

津田がそう言って、ミルクティーを差し出した。

「ええ。でも取り押さえてくれて助かった」

「まさか隣人が殺人犯だったとはな。恐ろしいな」

ミルクティーを一口含む。甘さが体中に染みた。

「でもよ。よく伏見が犯人って分かったな」

津田はまだ核心に気づいていない様子だった。

「前に言っていた事だけど、殺人事件の」

「80%は身内な」

「それで思い出したの。伏見が臨終速報を見た夜、部屋に入ると赤い封筒が置かれていたことを」

「それで?」

「あれは督促状で猶予はなかった」

封筒一面の赤が、警告のように思い出す。

机の上で、他の書類とは異なる存在感を放っていた。

「近いうちに差し止めされるほどの」

「それほど金がなかったと」

「そう。でも払えなかったって事は」

「親からも見捨てられたと」

「……動機は、そこにあったのかもしれないわね」

津田は飲み切ったコーヒーをデスクに置き、前のめりになりながら聞いてきた。

「なら何でお前に臨終速報を見せたんだ?」

「それは――恥ずかしいけど、私の家に簡単に侵入できたから。あの時は伏見に電化製品は全部お願いしてたし」

「恥ずかしいって、そんな感情があったのか?」

話の腰を折る津田を睨みつけて黙らせる。私はこう見えてデリケートではある。

「臨終速報の相談をした後、数日かけて点検という名目でいろんな道具や機械を持って来てた。あの時にWi-Fiや送信機を取り付けたんだと思う。私なら何をしているか理解できてなかったし」

「ああ、信頼を裏切るってやつだな。それにテレビと同じWi-Fi使えば、PCで動画を再生できる。だから簡単に臨終速報を流せるってわけか。」

津田はそう言うと、一瞬遠い目をしていた。何かあったのだろうか?

私は気付かないふりをして話を続けた。

「あとは私が警察官であるという立場ね。父である明正さんを殺すと自分が真っ先に疑われてしまう。そうならないように通り魔的犯行に見せかけたかった。そしてそれを立証する人物が必要だった」

「そうか。警察が連続殺人だと言えば自分が疑われる可能性が減るという訳か」

「正解。実際に3人には何も接点はなかった。だから動けなかったのは事実」

あの時の混乱は計算の内だったのだろう。

臨終速報を見た夜を思い出すだけで、悔しさがこみ上げてくる。

「そしてXで預言者の真似事をしたと」

「恐らく、警察が連続殺人として取り扱わなかった時の保険。もし騒がれなかったら私に見せる予定だったでしょうね。そして明正さんの死で社会現象を引き起こせたので、奴にしたら成功したって事」

「まぁ、運が良いんだな」

「そうでもないの。実はセンサーを見つけた日に臨終速報が流れたの」

津田は驚いた表情でこちらを見た。

「本当か?だから焦ってたのか」

「それでもしあれが伏見にとってイレギュラーな事だったら?って考えた」

「それで?」

「例えば私の名前を流すも、ずっと生きてたらその効力がなくなったと思われるでしょ?自然に臨終速報としての熱を下げようとしたと思うの。そして自分が遠くに言っている間に流せればアリバイとして無関係を装ってね」

「なら動画が流れるよう予約を入れてたって事になるのか」

「できるの?」

「まぁ、やろうと思えばな。Wi-Fiは繋がってるし、再生アプリを入れておけば、タイマーで勝手に動く。でも条件がシビアだ。テレビの電源切ってたら終わりだし、お前が家にいなきゃ意味がない。それに伏見はその時、参考人として署にいた。帰れないから解除は不可能だ」

「でも私が見てしまった事で思惑通りにはなった」

「まさかあの条件で見てたとは思ってなかったろうよ。結果、奴の“完全犯罪”は自分の手で崩れたって訳だ」

……あの時5分でも寄り道をしていれば、気絶する事はなかったのかもしれない。

でも、あのおかげで全てが見えた。

「ならあの藁細工は?」

「あれは連続殺人として見られる為の道具ね。全ての現場にあれば同一犯として見られたでしょう。そうすれば明正さんは無差別に選ばれた一人として認識される」

津田は話を聞いていたが少し苦い顔をしていた。

「Xとか藁細工とかを駆使してまで、拘ってたのか異常だな」

「でも私も拘っていた。明正さんの時の藁細工だけ杜撰って言ってたでしょ?」

「ああ。良く分からない棒みたいな」

「あれを私は『同一犯だから意味がある』と思ってしまった。だから先入観で笏と認識した。あれは伏見が慌ててた証拠だったのにそれを見逃してしまった」

新たな犠牲者は生まれなかったが、私は何かに安心したくて考えるのを放棄してしまったのだろうか?

少し感傷に浸った居ると津田が話しかけた。

「だけどよ。まさかあれで伏見がひっかかるとはな」

津田が呆れたように笑う。

「まぁね。ログハウスにいたなら自分の痕跡は残せない。素足で移動するしかないかなって思ってたの。だからカマをかけて“足紋”って言ってみたの」

津田はデスクの引き出しを開け、A3のファイルを取り出してこちらへ見せる。

表紙には何も書かれていないし何も入っていない、ただの茶封筒。

「これがあいつには重要な物に見えたんだな」

「ええ。あれがなければ伏見は動かなかった」

封筒を机の端に置くと、津田はふと思い出したように言った。

「しかし、あのWi-Fiは上手くいったな」

「ええ。あれがなければ臨終速報は流れなかった。奴に“まだ監視できてる”と思わせるには必要だったの。

伏見は“繋がっている”ことに安心していた。自分が支配できる世界が、まだあると思い込んでいたのね。」

津田は短く息をついた。

「……そういう奴、居るよな」

空のカップがテーブルの端に寄せられる。小さな音が、短い沈黙を作った。

私は視線を落としたまま、わずかに指先を握りしめる。

伏見も、私が話した事でこうなってしまったのだろうか。

いずれは同じ結末を迎えていたのか。

だが、その沈黙はすぐに破られる。

「あとは明正さんだな。あれはどうやったんだ?」

「多分、ワインセラーで監禁してて、そのまま手を下さずに待つ計画だったけど、予定外が起きた」

「アイツ、夜中に自分で作った動画が勝手に流れてパニックったのか。馬鹿な奴だな」

本当にそうなのだろうか。『ごきげんようって何だよ……』その一行が引っかかる。私も何処かで聞き覚えがある事に気が付くも、だがそれはいつだったか思い出せなかった。

「それで慌ててログハウスで殺害したと。それでどうしようとしたんだ?」

「捜査されたら現場がここだとすぐにバレる――だから遺体を旧ログハウスへ運んだ。ここではないと言う理由が欲しかったのでしょうね。明正さんの靴を履き、あたかも“本人がそこへ向かった”かのように見せた。現場を変えれば、すぐに真相へ辿り着けないと考えた」

「何でそんな面倒な事を?」

「一種の賭けね。管理人が居るからその人に気付いて貰えれば通報してくれる。それで現場から離れている自分は怪しいけど、すぐさま犯人とまではいかないって考えた」

「そして俺達が到着して警察を呼んだと」

「そう。それで警官が来る前に、床や服に付着した血を隠す為にワインをばらまいて、泥酔しているフリをした」

「それで隠せると思うのが浅はかだな」

現実は──今日まで誰も気づかなかったのだ。浅はかと言い切れない

「まぁ、これで無事、事件も終わったし。飯でも行こうや」

「賛成。逮捕してくれたご褒美に奢ってあげる」

「マジで!なら行ってみたかった店があるからそこにしよう」

私達は退勤後、日本料理亭に向かった。

少し高そうな店構えに、私は小さく息を吐いた。

……お財布は、大丈夫だろうか。

店に入り、座敷に通される。

少し待っていると、障子が静かに開き、白い足袋の音が畳をわずかに鳴らした。

仲居は一歩下がり、両手の指先を畳に揃えて三つ指をつく。

その姿勢のまま、穏やかに頭を下げた。

「ようこそお越しくださいました。女将に代わりまして、ご挨拶申し上げます」

その顔は、最近見知った顔だった。

「神蔵さん?」

私の声に反応し、神蔵さんは顔を上げた。

途端にその頬が、着物に負けぬほど赤くなる。

「いやぁ、そのぉ……」

目をぱちくりさせながら、どもっている。

「何でここに?」

「実はお金がなくて……副業です、副業」

神蔵さんの収入のほとんどはこの料亭で賄っているらしく、占い師としての稼ぎはほとんどないらしい。

……なら本業はどちらなのだろう。

「でも……でも……私は生きるために、こうやって恥を凌いでやっているのです。今日だって滞納の電話が来ましたし」

綺麗な作法に邪な思いが混ざると、こんなにも違和感が生まれるものかと感心してしまう。そして滞納か...第二の伏見が出ても困る。

「ちなみに、あといくら必要なんですか?」

「あとですか?これぐらいです」

神蔵さんが示す指の数を見て、心の中で計算する。足りるな。

少し息を整えてから、鞄の中を探り、適当な封筒を取り出して渡す。

「……これは? 同情でもいりますけど、念のため!」

「これは、捜査に協力してくれた謝礼です。貴方のおかげで犯人を捕まえることができました」

神蔵さんは封筒を開け、ぱっと表情を輝かせた。

「おお! これはこれは……高御産巣日神様、事代主神様、八意思兼神様。それに結城様、私の福の神!」

受け取るや否や、よく分からない単語を口にしてはしゃいでいる。

恐らく神様の名前だろうが、どれも聞き慣れない。

――もしかしたら、この人は本物なのかもしれない。

「でも本当に神蔵さんが津田を呼んでくれたお陰で事件は解決したようなものよ。よく連絡先を交換したね」

私がそう言うと津田がこちらを見た。

「俺、教えてないぞ。教えたのはお前だろ?」

一瞬で場の空気が変わる。

「いや私は教えてないし、そもそも知らない」

神蔵さんの方を見ると神蔵さんは封筒の中のお札を数えていた。

「神蔵さん…どうやって連絡先を知ったんです?」

「はい?そりゃあ……連絡先に入ってたからです」

神蔵さんはそう言うと袖の中からスマホを取り出し見せてきた。

確かに津田と書かれた連絡先が登録されている。津田の方を見ると首を振っている。教えていないと表情で語る。

「おかしいだろ。だってあの時!」

津田はスマホを取り出し着信履歴を見せる。そこには『エセ占い師』と登録されていた。

「津田…貴方登録したの?」

「え?あれ?俺…なのか?」

津田の顔には困惑が見られたが、自分だったらやりそうだとも思える表情だった。

「私は似非でも占でもありません。占い師です!」

怒った神蔵さんは、その後きちんと頭を下げて戻っていった。

あの切り返しは、見習うべきものがある。

出てくる料理に舌鼓を打ちながら、ようやく日常の味を思い出す。

店を出る頃には、心地よい眠気が全身を包んでいた。

もうこれで、私の事件も終わりだ。

変わらない日常が戻ってきた。

ぼーっとしながらテレビを眺める。ニュースでは伏見の件を取り上げている。

財産狙い、計画殺人等、見る側を掻き立てるような見出しとなっている。キャスターは「調子に乗って警察官を狙ったが返り討ちに遭い逮捕された」と言っている。結局は逮捕されて罪が判明されたから、細かい事はどうでも良い。

一つだけ気になっているのが伏見の言葉だ。 「結城さんが『臨終速報が怖い』って言うから、驚かせようと作ったんです」

なら、私が相談した朝倉さんだけは伏見の関与がないということになる。 そして――あのとき感じた“報せ”の感触だけは、まだ残っている。

あれは、ただの偶然だったのだろうか。 それとも、何かが私に“知らせようとした”のだろうか。

昔の人は、虫の声や夢枕に立つ影を、死の予兆と呼んだ。 たぶん、それは心が“何か”を受け取った証拠だったのだと思う。 テレビが生まれたとき、人は初めて“遠くの死”を映像として見るようになった。

その瞬間、誰が名づけたわけでもないが、臨終速報という概念も、同時に生まれたのだと思う。

人は死を知りたいと思うと同時に、知りたくもないと願う生き物だ。 その相反する欲求が、テレビを通して姿を見せた―― それが臨終速報という“報せ”だったのかもしれない。

テレビって、昔は“共通の窓”だった。 みんなが同じものを見て、同じように笑い、泣いていた。

今は、ニュースも、死の話も、自分が知りたいものだけを見る。 だから、同じ景色を見ている人なんて、もういない。

臨終速報は、テレビという箱にまだ“信じる力”が残っていた時代の産物だ。 あの頃、人と人が“共通”の現実を信じていた。 だからこそ、人は“死でさえ届く”と信じていたのだろう。

答えのない問題を考えていたが、久しぶりの睡魔に抗えず、ベッドに身を沈めた。今日はぐっすりと眠れそうだ。

結城志保は、深い眠りについた。

テレビがついても、もう気づかないし、見る必要もない。

リモコンの赤いランプが、夜の空気を小さく照らす。

画面がゆっくりと明るくなり、白い光が部屋の形をぼかしていく。

そこに音はなく、ただ一つの声だけが残された。

「……ここで、臨終速報です。伏見智遥さん。

最後は、貴方です――ごきげんよう」

【臨終速報史】

第一期:原始的出現

臨終速報は、古くから“寿命を知らせる夢”として語られていた。

死の間際にカラスが鳴く、物が壊れる、そんな気がした——

そんな断片の記録だけが残る。

しかし、この現象には「意味」「意図」が一切なかった。

ただ“知らせる”だけ。

生まれた背景は、人間が抱える

「死を知りたい/知りたくない」という二律背反

その心理の濃度が高かった時代に限られている。


第二期:電化の普及と“媒体化”


テレビが家庭に広まり、情報が一方向に流れる時代が訪れると、

臨終速報は「装置による告知」のように形を変えた。

死は物語でも宗教でもなく「情報」として扱われ始め、

人々の恐怖と好奇心が概念を固定した。


この頃の臨終速報は、

人が死を前にしたときに 偶然 表示される無作為な通知だった。

本物には「ごきげんよう」という無機質な挨拶がつく。


第三期:情報化社会の成熟と“希薄化”


SNS、ニュースアプリ、映像配信。

死は日常的に消費され、内容は忘れられ、

社会は「死を知りすぎて、同時に気にしなくなる」段階へ進んだ。

人々は死を情報として処理できるようになり、

臨終速報が生まれる条件は急速に縮小した。


臨終速報は、

死を考える/感じる人間が少なくなると弱まる。

通知すべき相手が減ったためだ。


第四期:模倣と上書き(現代)


現代では臨終速報はほぼ消滅している。

まれに条件を満たす者にだけ断片が届くが、

多くは誰も気にしない“機械の誤作動”として処理される。


本作の世界では、技術者・伏見智遥が

臨終速報を模倣し、ネットに拡散したことで、

概念の集合体である臨終速報は上書きされて消える。


最終期:概念の死


臨終速報は『死を伝える』現象ではなく、

『死を知りたい』という人間の反応が作った影

である。


人が死を情報として処理し、

死がありふれた社会では、

この現象は存在意義を失う。


だから最後のメッセージは「ごきげんよう」。

それは別れの挨拶ではなく、

概念が世界から退場するときに残した、最小限の痕跡だった。

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