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マンチェスターでの決意 2

「おらぁぁ!」


 パサー役のスタッフから返されたボールに、南さんが走り込む。

 ペナルティエリア直前。ゴールに対してやや鋭角に転がるボールの左横へ、南さんのオレンジに光るスパイクが、勢い良く踏み込まれた――


 と、気付いた時には、南さんの右足が奇麗に振り切られていた。


 足の甲。通称インステップで捉えられたボールは、直線軌道でゴール右隅へ飛んで行く。左ひざをバネにして溜めたエネルギーはボールに余すところなく伝えられ、あまりに強烈なシュートの余韻は音になって俺のもとへ届けられた。


 GKの森さんが懸命にジャンプするが――数瞬早くゴールネットに刺さった。


「っしゃああおらぁ!」


 大きくジャンプをして、右拳を突き出し、ゴール横で見ていた俺の前で南さんが豪快なガッツポーズを決める。ギラギラ照りつける太陽が南さんの大きな影を俺のもとへと落としていた。淡々とシュートをする他の選手とは違い、南さんはシュートが決まるたびにガッツポーズをしている。


「……くそっ。南に決められるとムカつく……いや、これは練習練習……」


 立ち上がった森さんがツルツルのスキンヘッドを抱えてひとり葛藤をしていた。……まぁ、このシチュエーションならシュートを撃つ方がどう見ても有利なわけで……。森さんも意外と負けず嫌いだったりするのかな。


 午後一に行われたミーティングが先程終了し、オリンピック日本代表のメンバーはホテル併設のグラウンドを使用して練習を行っていた。連戦の疲れを残さないようにと軽めのメニューが組まれていて、簡単なミニゲームやロンド、シュート練習が中心になっている。

 オリンピックは基本的に中二日の感覚で試合を行っており、当然Jリーグでの試合間隔とは異なる。とは言っても、他の選手達も基本的には立木さんのようにA代表へ招集されていたり、天皇杯や欧州チャンピオンズリーグなどの試合に駆り出されている。このくらいの連戦なら特に問題はないように思う。当然俺も問題はない。


「うっしゃぁぁ!」


 続けてシュートを放った立木さんがゴールを決め、南さんの前で咆哮している。南さんが真正面から立木さんを睨む。……この人たち、気がついたらいつも張り合ってるような気が。「同族嫌悪ってやつだね」と、俺の後ろで興味なさそうに伊藤さんがつぶやいていた。


 ピッチ上では立木さんの後に、沢田さん、植田さん、桑原さんとシュート練習が続いていく。

 こうしてシンプルなシュート練習を端から見ていると、改めてこのメンバーのスゴさを実感することができる。

 助走、踏み込み、体のバランス、ボールの勢い、コース、球種。

 もしこんなシチュエーションでこの人にパスを渡したら……と、楽しい妄想が俺の頭の中に広がって……おっと、妄想の中でパスミスをしてしまった……。


 実際、シュートに関しては俺も遅れをとっていないと自信を持って言えるが、その他のボール捌きに関しては……まだまだこの人たちに及んでいない。

 つい先程も6人でのロンド(鳥かご)を行ったが、全くの子供扱いされるという屈辱を味わったばかり。輪になった5人の中心で懸命に走る俺を、みんながリラックスした表情でひょいひょい躱していた。見事なやられっぷりに軽いトラウマになっている。


「よし、一旦給水休憩しよう」


 小野田コーチの声に全員が反応した。ぞろぞろとサイドライン際まで引き上げ、三々五々にスタッフからペットボトルを受け取る。


「お二人とも。体調に変化はありませんか?」


 斉藤さんが手で顔を扇ぎながら話しかけてきた。

 筋骨隆々の選手たちに負けずとも劣らない、がっちりした体格がYシャツ越しにも伝わってくる。

 いつもは着崩したりしない斉藤さんも、流石に日中の日差しには敵わなかったらしい。右手に上着を引っ掛け、ネクタイをさも邪魔そうに緩めている。


「いまのところ大丈夫です」


 俺の隣に来ていた伊藤さんへ視線を流すが、ふるふると首を振っている。


「よかった。素人目で見ても決勝トーナメントは過酷な戦いになりそうですから。お二人は紛れもない日本のキーマンですね」

「いや……さすがにそこまでは……」


 ここまでストレートに言われると、正直照れくさい。

 

「そういえば伊藤さん。よかったんですか? その……あそこまで言ってしまって」


 聞いてよいものか迷い、少し抽象的な質問をしてしまった。


 昼食後のミーティングでの出来事。

 グループリーグを全試合前半だけで抜ける伊藤さんに疑問を持った奥村さんが、率直にその理由を問いただす場面があった。

 奥村さんが疑問に思うのは……まあ、無理はない。前半のプレーだけ見れば怪我をしているわけでも、調子が悪いわけではないことは誰にでもわかる。


 問題は、その中身。


 理由を明らかにする為には、ゾーンについて話さないといけない。


 これに対する伊藤さんの対応にはかなり驚かされた。


 余すところなく、全てを打ち明けた。

 奥村さんだけではなく、日本メンバー、スタッフの全員に。


 頭痛のこと。

 頭痛の発生原因。


 思考型ゾーンのこと。

 思考型ゾーンの性質、特徴。


 ひとつも隠すことなく、全てをさらけ出した。


「うん。よかった。よかったと思ってる」


 シンプルにこう返す伊藤さんの顔は、どこかスッキリとしていた。


「でも……あ、いや代表の人たちやスタッフを疑うわけじゃないんすけど……」

「大峰君の言いたいことはわかるよ。ただ、これからのことを考えたら……これがベストなんじゃないかな、と思ってたんだ」

「これからのこと?」


 伊藤さんの意図が掴めず、小首を傾げた俺へ斉藤さんが補足をする。


「この先の戦いにチームワークの向上は絶対必要です。それは大峰君も感じているでしょう?」

「そうですね」


 チーム内での、連携。

 特にDF陣との連携は喫緊の課題として、俺だけでなく全員が共通して持つ認識だと思う。


「そのために、伊藤君はリスクを取ったんですよ」


 言わんとしていることは何となくわかった。

 ただ……もう少し濁してもよかったんじゃないか、と思っているのも俺の正直な気持ち。


 俺と伊藤さんのゾーンは、間違いなく異質。


 この話が広まってしまえば、この先オリンピックが終わった後にも影響が出そうな気がしている。


「確かに心配はある。でも、もしこれで僕のゾーンについての話が一般に出回ってしまったとしても、後悔はしない」


 まっすぐに俺を捉える伊藤さんの瞳が俺に語りかける。

 それほどこのオリンピックにかけている、と。


「腹を割って話す、なんて表現がありますが、中途半端に腹を割いたとすれば……それは逆効果です。人は隠れるスペースを見つけると、その中に何が入っているかを想像してしまいますから。話すなら全てを話す。私はあれでよかったと思いますよ」


 ……そっか。

 伊藤さんが決心して打ち明けたなら、俺が首を突っ込む道理はない。日本のメンバーたちを信じよう。

 ただ、こうなると新たな葛藤が沸き上がる。


 俺も打ち明けるべきなんだろうか……?


 頭を回転させてどうしようか悩んでいる俺に声をかけてきたのは、少々意外な人物だった。


「ゾーンなら俺も入ることあるぜ」


 俺の真後ろから南さんが話しかける。近くのスタッフからぶんどったと思われるペットボトルを3つ抱え、頭から水をかぶっていた。


「え?」

「ゾーンってあれやろーもん。なんて言うとかいな……あの、めっちゃ調子いいやつ」


 とても曖昧な返事をしている南さんの気持ちはよくわかる。定義が曖昧なものを説明するのはとても難しい。それこそ視界にゾーン中とでも表示が出れば分かりやすいもんだけど。


「伊藤のゾーンは確かに特殊やろうけど……案外世界中を探したらいっぱいおるかもしれんぜ?」

「確かに……そうかもしれませんね」


 もし伊藤さんの思考型ゾーンや俺のゾーンと似たものに入る人間がいるとしたら。

 間違いなく、その事実を隠すだろう。なら俺たちが知る余地は無い。そう考えると、少し気が楽になった。

 

「そういえば……」


 伊藤さんがアゴに手を置き、目を閉じる。


「イギリスのイーサン・オースティン。試合中に少し話したんですが、彼は僕がゾーンへ入ることを見抜いていました。もしかしたら彼も僕と似たようなゾーンに入るのかもしれません」

「ふむ……。その試合、伊藤君は行動型ゾーンへ入りましたか?」

「いえ。思考型ゾーンだけですね」

「なるほど。これは興味深い話ですね。イーサン・オースティンはイングランドリーグのプレイヤーですよね? ちょっと探りを入れてみましょう」


 さすが斉藤さん。ちゃっかりイングランドリーグにつてがあるのか。


「大峰。思考型とか行動型とかってなんね?」


 南さんが俺のトレーニングウェアの裾をグイグイ引っ張る。


「えーっと、巷で言うゾーンを行動型、伊藤さんのようなゾーンを思考型って呼んでいるんです」

「んー、じゃあ俺は何型?」

「いや知らないですよ……。ゾーン中はどんな感じなんですか?」


 南さんが雲ひとつない青空を仰ぎ見る。


「どんなって言われてもなぁ。……めっちゃ調子いい状態」

「……判別不能です」


 多分行動型だとは思うけど、「めっちゃ調子がいい」だけじゃなんとも言えない。


「ロンドで15分大峰を走り回らせることができるくらい、調子いい状態」

「その話はもうやめましょう」


 ついさっきできたトラウマを早くもえぐられてしまった。


「楽しそうな話してますね。斉藤さん、俺も聞かせてもらっていいですか?」

「はい。もちろんです。他にも興味がある方は遠慮なくどうぞ」


 沢田さんの問いかけに間髪入れず答える斉藤さん。気付けば遠巻きに俺たちを眺めていたほとんどの選手たちがこちらへ集まり、斉藤さんを中心に大きな円を組んでいた。

 斉藤さんはグループリーグ直前から日本代表へ合流している。代表メンバーとはまだ日が浅い関係だけど、心理面での理論的で分かりやすい説明が好評で、少しずつ選手たちに溶け込んでいた。


「そうだ。さっきのロンドの話で思い出したんすけど……なんで日本代表の試合前練習ではロンドしないんすかね? 今でもJリーグのチームで試合前のロンドは定番だと思うんですけど。パスヴィアでもやってますし」


 ロンドに限らず、オリンピック日本代表の試合前練習はかなりシンプル。単純で基礎的なパスやシュート練習しかしないのはずっと疑問に思っていた。


「……そういやそうだな。ただ、うちのチームも試合前にロンドはしないぞ」

「え? そうなんすか?」


 沢田さんの返答に少し驚いた。全世界共通でやってるものだと思った。海外の試合前練習をテレビで見ていても、ロンドやってるチーム多かったような気がするけど。


「沢田さんはヴィンシェスター・ユナイテッドでしたね。他の方はいかがですか? 試合前にロンドをするチームの方はいらっしゃいますか?」


 この場にはおそらくほとんどのメンバーが集まっていると思うけど……あっ、倉田さんと奥村さんだけは少し離れたところに座っていた。ただ興味はあるようで、ふたりとも耳だけこちらに向けている気がする。

 斉藤さんのロンドをするか、という問いかけに手を挙げたのは……およそ半数。ほとんどが国内組だ。


「へぇ。海外のチームはあんまり試合前にロンドしないんですね」

「実はですね、私が黒田監督と小野田コーチに提案したんですよ。『試合前はなるべくシンプルな練習にしませんか?』と」


 斉藤さんが提案するということは、間違いなく心理面を考えてのことなんだろう。周りを取り囲んで座っている選手たちを見渡して斉藤さんが言葉を繋ぐ。


「その代表例がロンド、ですね。みなさんは日本を代表する選手たちなので、あまり意識はしていないと思いますが……ロンドはかなり高度な練習と言えます」


 ロンドにも様々な種類があるが、通常パスヴィアで行っているものは4人でボールを回し、その円の中に2人の選手が入ってボールを追い回すというもの。ボールをカットされた選手が交代でチェイスする側にまわる。

 オリンピック代表では相手がスゴすぎて歯が立たないが、俺はロンドが高度な練習と思ったことはない。小学生のころからやっている定番の練習だし。


「瞬間的な判断、正確なボール扱い、パス回し。一方、チェイスする側は常に全員の動きに注目して緊張をとぎらせることができません。普段の練習では効果的な練習のひとつですが、試合前にやるには少々リスクが高い」

「リスク……か。考えたこともなかったな」


 斉藤さんの説明に、沢田さんの隣に座っていた中島さんがつぶやく。


「リスクは大きく2つあります。ひとつは過度な集中を要すること。もうひとつは優劣が必ず発生することです」


 斉藤さんが左手の指をふたつ折る。

 それぞれが斉藤さんの言葉の意味を考えていたが、真っ先に口火を切ったのは佐野さんだった。


「集中を高める、という意味で効果的なのでは?」

「おっしゃる通りですが、その集中は得てして『ロンドを上手くやろう』という集中になりがちです。ロンドを終えた時点でその集中は切れてしまいます。加えて、人間の集中は意外と体力を消耗するものです。特にサッカーのような複雑なチームスポーツは消耗が激しい。なので、私はあえて試合前に極度の集中をする必要はないと思っています」


 すこしの間を置いて、佐野さんが斉藤さんへもう一度質問をぶつける。


「なら流す程度に行う、というのは?」

「これはふたつ目のリスクに繋がるものですが、全員が全く同じ力量なら問題ありません。しかし、『流す程度』は人によって必ず異なります。つまり……流して行ったとしても、必ず上手くいく人といかない人が出ます」


 上手くいかない人の典型がさっきの俺、ってわけか。確かにこれが試合前だったらちょっと引きずってもおかしくない。


「たかがロンドでそこまで……と思うかもしれませんが、深層心理というのは非常に厄介なもので、表層の感情とは全く別個のイメージを蓄えます。例えば、ロンドでボールを取られたときと同じような場面が試合中に来たらどうなると思いますか? これは多くの説が出ていますが、高確率で『体が硬直』します。このイメージは時間が経つにつれて薄れていきますが、試合直前のイメージはさすがに消えません」


 毎日の反復練習は体に良いイメージを植え付けるため、というのはよく言われること。これはそれの反対の現象、ということだろうか。


「ロンドに関してはこのような理由で試合前にする必要はない、と考えています。おそらくロンドをしないチームが考えることもこれと似たような理由だと思います」

 

 話が始まったときは少々胡散臭そうな目を向けていたメンバーも、話が進むに連れて斉藤さんの言葉に引き込まれていた。

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