マンチェスターでの決意 3
斉藤さんがロンドについて一通り持論を述べ終えた後、一段落したところで日本DFの中島さんが手を挙げた。
「斉藤さん……でしたか。心理学がご専門なんですよね? 質問してもいいですか?」
「はい。私にわかることであればお答えします」
斉藤さんが満面の営業スマイルで中島さんへ答える。
言いにくいことなのか、若干言い淀みながら中島さんが話し出す。
「自分はどうにも感情をコントロールするのが苦手で……。えー、その……」
「なるほど。中島さんが私に聞きたいのは『緊張を解く方法』、ですね?」
「なんでわかるんですか!?」
口をあんぐりと開けて固まってしまった中島さん。
もちろん、斉藤さんの言葉に唖然としてしまったのは中島さんだけではない。斉藤さんを取り囲むほとんどの選手が驚いている。比較的まわりと違う反応を見せているのは……静かに斉藤さんを見つめている立木さんくらいか。まるで値踏みしているかのような視線を向けている。
かくいう俺は、斉藤さんのパフォーマンスにもそれほど驚いていない。
この程度で驚いていたら、この人とは付き合っていけないことをよく理解している。隣で澄ましている伊藤さんも俺と同じだろう。
「えー、恥ずかしながらその通りで……。試合中に緊張して体が固くなってしまうことが多々あるんです。大声出したり、頬を張ったり、いろいろやってはいるんですが」
「なにも恥ずかしいことではありませんよ。程度はあるにせよ、人間は必ず緊張や興奮といった感情に支配されます。ご自分がどのような状況に陥りやすいか理解されている分、むしろ対処はしやすいです」
斉藤さんの言葉に、中島さんが若干表情を緩めた。心理面での知識が豊富なのはもちろんだけど、斉藤さんの受けがいい理由はとても聞き上手だということだろう。カウンセリングには必須な技能なんだろうけど、斉藤さんの地の性格が大きく影響しているのかもしれない。
「中島……お前、緊張しいだったんかよ」
海外組で中島さんと同じDFの奥村さんが、笑いをこらえながら中島さんを見やる。
「こいつは小さな頃からそうだぞ。それどころか、でかい図体のくせにカエル――」
「だぁぁ! その話は関係ないだろ!」
意地悪そうな笑顔を浮かべてGKの森さんが補足した。慌てて森さんの口を押さえる中島さんを見て、まわりから笑いが巻き起こる。
「……ふむ。森さんは『負けず嫌い』、奥村さんは『神経質』。いかがですか?」
「俺は負けず嫌いで間違いないですよ」
「あぁ? ……なんで俺が神経質なんだよ」
斉藤さんの言葉に、にっこり笑顔で返答する森さんと違い、奥村さんは目を泳がせながら斉藤さんへ食ってかかる。これは……俺でもわかる。どうやら奥村さんは神経質らしい。
「案外、言動に性格が滲み出てしまう方は多いものですよ。……すいません。話が逸れました。緊張を解く方法、でしたね」
「すぐにでも実践できるようなものはありますか?」
「残念ながら万能薬、特効薬といったものは存在しません。ただ、誰にでもある程度効く方法というのがあります」
中島さんはもちろん、ほとんどのメンバーが前屈みになって話の続きを待つ。
「他人を見ること、です」
「……他人?」
「私のオススメはボールボーイですね」
「……ボールボーイ?」
全く話の流れを掴むことができない。おそらく困惑しているのは中島さんと俺だけではないだろう。
「まず整理しておきましょう。理想的な状態というのは『適度に緊張し、適度に興奮した』状態です。中島さんのように過度に緊張や興奮をしている方は必要以上に自分中心の思考に陥ってしまっている状態、といえます。この状態は良いパフォーマンスが発揮できますが、体力の消耗が激しいです。先程の集中の話に似ていますね」
「なるほど。周りが見えていない状態ってことですか」
「まさにその通りです」
佐野さんの合いの手に満足げな表情で返す斉藤さん。佐野さんも最初のころは胡散臭そうな目で斉藤さんを見ていたけど、今や一番のオーディエンスになってしまっている。いや、いいことなんだけど。
「逆に緊張、興奮が足りない方はいわゆる『集中が足りない』状態です。この緊張と弛緩、興奮と鎮静をバランス良く保つことが必要なわけです」
「その方法が……他人を見ること?」
中島さんがなお困惑の表情を浮かべる。
「そうですね。緊張が過度な場合、自分の中に入り込んでしまっていますから。他人から『緊張するな』と言われても解消するのは難しいでしょう?」
「確かに……そうですね」
「なので他人を見て客観的な視点を意識するんです。緊張しているならリラックスしている人、興奮しているなら冷静な人。こうして自分が今置かれている状態を分析することが効果的です」
中島さんが腕を組んで短く声を漏らす。
「ボールボーイなのはなぜですか?」
「必ずしもボールボーイである必要はないです。ある程度フラットな態度を取っている人を選んで下さい」
フラットな態度……試合中はみんな緊迫した雰囲気を出しているから……後はレフェリーとか? いや、結構険しい顔してる人多いか。
「味方チームメイトで落ち着いている人を見るってのはどうですか? うちの場合だとそうだな……伊藤とか三宅とか」
「「面倒なのでヤメて下さい」」
沢田さんの提案に伊藤さんと三宅さんがシンクロして拒否をした。確かに緊張している人とか興奮している人に見つめられるほど面倒なことはない。
「それでももちろんいいです。ただ、伊藤君と三宅さんが嫌がったように、される側はあまりいい気持ちがしません。味方同士で足を引っ張り合う結果は避けて下さい」
少しだけ苦笑した斉藤さんが説明を続ける。
「念頭に置いて欲しいのは、緊張や興奮といった感情をコントロールすることが大事、ということです。例えば、普段はフラットな状態に置いておいて、ここぞというときに感情を爆発させるのもひとつの方法です。立木さんはその点が非常に上手いようにお見受けしましたが……いかがですか?」
言われてみれば……確かに。
立木さんは試合中もおちゃらけた、リラックスした雰囲気を出すことが多いが、重要な場面ですぐに気持ちを切り替えている。狙っているのか、自然としているのかは判断できないけど。
今まで沈黙を保っていた立木さんが、少しだけ意味深な笑いを含めて斉藤さんへ答える。なんだか楽しそうだ。
「さぁー? どうだろーな」
* * *
夕食を終えた関係者がぞろぞろとホテルのレストランを出て行く。比較的食べるのが遅い俺はぼんやりとその光景を眺める。……福井さんの足が重たいのは、あれかな。今日のご飯も口に合わなかったんだろうか。
「伊藤さんもイギリスの料理は口に合わないですか?」
なんとなく対面に座っている伊藤さんに聞いてみた。
「いや、そんなことはないよ。十分美味しいと思うけど」
「伊藤はぼっちゃんだろうが。こんな飯じゃ満足しないんじゃねーのか?」
「前島さん」
おや珍しい。前島さんが話しかけてきた。
前島さんは佐野さんと同様、オーストラリアとの親善試合に参加した国内組。植田さんと同じ鹿島コルノーズに所属しているスピードが売りの選手だけど……どうも俺と伊藤さんのことを嫌っている節があった。こちらから話すことも少なかったけど、前島さんから声をかけてくることもなかった。どういう風の吹き回しだろう。
「そんなことはないですよ。日本で食べているものも普通のものばかりです」
「……あっそ」
早くも会話が止まってしまった。
どうやら伊藤さんも少々困惑しているようで、「どうしよう?」という視線を俺に向けている。伊藤さん、俺にどうすればいいかなんてわかるはずないじゃないですか……。
ほんの少し気まずい空気が流れたところで、近寄ってきた佐野さんが俺の隣に腰を下ろす。
「私はやっぱり嫁さんの飯が恋しいなぁ」
「佐野さん結婚されていたんでしたね。子供もいるんすか?」
「いるよ。4歳の女の子。これがまた可愛いんだよ」
親バカ丸出しの佐野さんが宙に視線を漂わせる。
結婚、子供か。
今の俺にはどんなものなのか全く想像もできない。手に持つスプーンをしばし見つめていると、レストランの入口から元気な声が響いてきた。
「あー! パパ!」
「そうそう。こんな感じの可愛い声で……えぇぇ!?」
佐野さんが仰天の表情で入口に目を向ける。
「ま……真理? なんでここに?」
「パパにあいにきたの!」
真理と呼ばれた女の子が勢い良く屈んだ佐野さんへ抱きつく。トテトテ駆ける姿がとても可愛い。佐野さんの腕に飛び込んだ真理ちゃんが頭を撫でられ、気持ち良さそうに顔を綻ばせている。
「かわいいな」
「そうですね」
前島さんの感想へ伊藤さんが静かに同意していた。
「皆さん初めまして。主人がお世話になっています」
真理ちゃんの後ろを歩いてきていた奇麗な女性が俺たちに頭を下げる。慌てて席を立ち、俺も頭を下げる。奥を見ればかっちりした格好の男性と女性も頭を下げていた。真理ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんかな。
「茜。どうしたんだ? ホテルまで来て」
「あら、聞いてないの? 日本のスタッフの方に誘われたのよ。『もしお時間があればホテルで激励してあげて下さい』って」
「そうなのか? お前ら聞いてるか?」
俺、伊藤さん、前島さんの3人が首を振る。
「そんなことより……真理ちゃん、奥さんに似てよかったな」
「そうですね」
「おいそこ聞こえてるぞ」
前島さんと伊藤さんのやり取りに突っ込む佐野さん。それを見て楽しそうに笑う奥さん。そういえば先程までの少々ぎこちない空気はどこへやら、という感じ。真理ちゃんのおかげだな。
「あー! おおみねだ!」
俺を見て声をあげる真理ちゃん。俺はなぜか子供に呼び捨てされることが多い。
「すいません。真理、大峰さんの大ファンなんです」
「そうなんすか。えっと……真理ちゃん? ありがとう」
目線を合わせて屈み、右手を差し出す。
佐野パパの腕から離れた真理ちゃんは、俺の右手を奇麗に無視し、そのまま勢いよく俺に飛びついてきた。
「おおおみねぇぇ! 貴様に娘はやらんぞぉ!」
「はいはいパパさん落ち着いて」
半狂乱した佐野さんを前島さんが羽交い締めにして抑える。奥さんは俺たちのやり取りを見て相変わらず笑っていた。
「大峰君はスゴいね。上は27歳から下は4歳まで」
「ちょっと伊藤さん……マジでヤメて下さいよ……」
羽交い締めにされた佐野さんが「なにぃ! きさま遊びで娘と」と叫びながら少々興奮していたが、奥さんにたしなめられてようやく静かになった。
「真理ちゃんは大峰君のどんなとこが好きなの?」
伊藤さんが優しい声で真理ちゃんに話しかける。相変わらず俺から離れようとしない真理ちゃんが伊藤さんに向き直る。
「んーっとね、かっこいいとこ! あとはサッカーじょうずなとこ!」
「そっか。真理ちゃんは面食いだね」
「おい伊藤、変な言葉教えんなよ」
前島さんが苦笑していた。こんな顔の前島さんを初めて見たせいか、なんか印象が変わったな。
「でもね! パパがいちばんサッカーじょうずなの! おおみねは2ばん!」
「そうだね。俺もそう思うよ」
一度真理ちゃんの頭を撫で、奥さんのもとへ連れていった。気付けば佐野さんは真理ちゃんの言葉に目を潤ませていた。
真理ちゃんが大きく手を振って入口にいるおじいちゃんのもとへ走って行った。
「……佐野さん、ほんっと親バカですよね」
「……うるさいな」
前島さんの言葉を受け、恥ずかしそうに目を背ける佐野さん。
ただ、俺も気持ちはよくわかる。
応援してくれる人の存在というのは……大きくて、かけがえの無いものだ。
「いいもん見れたし、俺は先に休みますわ」
前島さんがこちらを振り返らずに入口へと歩いて行く。
「すまんな。こんなことになるとは思っていなかったもので」
佐野さんが右手で頭をカリカリと掻きながら、俺と伊藤さんのほうに向き直る。
「前島もあれでプライドが高いやつだから。どうか前島の気持ちも汲んでやってくれ」
「はい。わかっています」
伊藤さんが笑顔で佐野さんに答える。
「伊藤があそこまでリスクを背負ってくれたんだ。前島だけじゃない。みんなお前の力になりたいと思っている。ここにいる全員、お前の味方だ」
伊藤さんがしばし考え込む。
顔を上げた伊藤さんが見せたのは、最近よく見せるようになったシニカルな笑顔。
「ということは……真理ちゃんも、ですね?」
「娘はやらんぞボケ」
伊藤さんと佐野さんが笑い合う。
今日のミーティングでゾーンについての全てを暴露した伊藤さん。
これから決勝トーナメントは苛烈な争いになることは間違いない。
ディフェンスの要である伊藤さんとDF陣。この連携をみんなが危惧していた。一時はどうなることやらと心配していたけど、どうやら良い方向へ事が進み始めたようだ。
伊藤さんが身を呈したリスクを取る事によって。いつもひとりで問題を解決していたであろう伊藤さんが、自らチームメイトへ歩み寄ることによって。




