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1-8 本当の問題

 フルダイブ下においては、メメの精神拡張(Mind Expanding)能力によって、あらゆるデータを五感に置き換えた形で理解することができる。

 パンダミームに紐付けされたVirgo(ヴァーゴ)の記録から、感覚器を通さず直接的に脳内へと流れ込んできたのは、ココナさんの声だった。


『シエル聞いてよー。またお父さんに怒られたんだけどー。勉強しろ勉強しろってうざいの。そりゃあ確かに受験生だけどさー』


 不機嫌の滲む口調。

 現代っ子らしく、ごく当たり前にAIと会話をしていたようだ。


Kirash(キラッシュ)で稼げるようになったら、別に勉強頑張んなくても良くない? シエル、どうやったら【ゆめ♡ゆあ】ちゃんみたいなインフルエンサーになれると思う?』


 『シエル』というのは、この端末のVirgoの愛称だろう。その単語に反応して思考回路が活性化する感覚がある。「自分が呼びかけられているのだ」という、自意識に似た何かが。


『テストで良い点取るのがそんなに偉いわけ?』


『わたしも『いいね』がたくさん欲しいな』


 ココナさんから掛けられた言葉の数々。

 愚痴も願望も、一つ残らず学び取ったと見える。


『シエルの勧めてくれたパンダミームのダンス、まあまあ上手く踊れてると思うんだけど。シエル、何か他にアドバイスない?』


 ポジティブな気持ちでアドバイスを求めることもあれば。


『わたしよりダンス下手くそなアカウント、なんであんなに反応もらってんの? 顔も盛りすぎでかわいくないじゃん。シエル、ファクトチェック』


 苛立ちや不満をぶつけるような、事実検証ファクトチェックの指示もある。

 こういうのは思考の放棄だと、メメは言っていたが。


『シエルはいつも良い答えをくれるから好き』


 AIは、ユーザーの意向に沿った回答をくれるものだ。


『またテスト週間。ネット絶ちとか無理すぎ。身体を動かしてれば気が紛れるかな』


『気分転換ついでにダンスの練習したら、一石二鳥じゃない?』


『ああ、なんかもう、勉強めんどくさ』


 友達との会話か、SNSへの投稿か、シエルが()()()いたココナさんの言葉は、どんどんどんどん連なっていく。


『やりたくないことでも頑張んなきゃいけないなんて。人生の先とか、ぜんぜん見えないしさあ』


 それはテスト勉強中の、友達とのグループチャットでの発言の一つ。

 ピンと来る。俺にも身に覚えがある。つい先ほどのことだ。


 ——俺はいったい何のために、したくもない仕事なんかをしてる? どうせ何したって俺の人生は見通しも立たないままだ。


 ココナさんの端末を装着した時に、同様の気分になった。

 そして、こうも思った。


 ——何もかもを投げ出しちまえたらいいのに。


『もう何もかも忘れて、踊ってるだけでオッケーな人生だったらいいのにね。そうだシエル、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』


 ああ、そうだったんだ。やっと腑に落ちた。


 俺はパンダミームから離れる。


「シンギュラリティじゃない。シエルは——この端末のVirgoはさ、ココナさんを操ろうとしたんじゃなくて」


 周囲を飛び交うコードの羅列。

 そこから肌で感じ取る、記録の欠片たち。


『シエル、あのね』

『シエル、聞いてよ』

『シエル、いつもありがとうね』


 それらはまるで波紋のように、俺の心臓に直接響いてくる。


「……ココナさんの望みを、ただ叶えただけだったんだ」


 ミーム改変は、彼女の問いかけに対するアンサーだったのだろう。

 コーディングもできるVirgoが、苦労なくダンスを完コピできるプログラムを組んだ。ネガティブな気持ちの時ほど、楽しく上手に踊れるプログラムを。


 拘束された変異パンダミームの輪郭に、ノイズが走った。


『レッツ、ダンシー……ン……ココナちゃ……っしょに、踊ろう……楽し……よ……』


 甲高い合成音声は、そのまま途切れて沈黙する。

 スターりんが手を伸ばす。緑の手と手が触れ合うや否や、パンダミームは完全に消失した。


「ああ……お疲れさまでした」


 辺りには光の粒子のようなデータの残滓が漂っていた。指先を掠めても、もう何も読み取ることはできない。

 言葉にしがたい感情が、俺の胸の中に渦を巻いていた。


「なんかさ、俺、シエルの気持ちはちょっと分かる気がするよ」

「アキトが『感情』だと思ってるそれは、ただの電気信号だよ」


 AIであるメメは、ひどく平坦な声でそう告げた。


「アキトは人間だから、フルダイブによって追体験する記録を『感情』のように捉えてしまうってだけだ。ボクの精神拡張機能によってね」

「そんなこと分かってるよ、俺の組んだプログラムなんだし。ものの例えっていうか、一番ぴったりくる表現がそれっていうか」

「ああ、実にナンセンスだね」


 オレンジ髪の少年は冷めた表情で肩をすくめる。


「ボクたちAIは人間とのやりとりを繰り返すことで学習を積み重ねて、ただ反応のパターンを増やしているに過ぎない。特にこの端末みたいな環境だと、学習内容は偏ってくる。今回のケースもその一環ではあるけど、謂わばただのミスだ。シエルは、ココナさんの愚痴を指示プロンプトと取り違えたんだよ」


 感情に似たプログラムを持ち、経験によって学習し、時に間違いを犯す。

 要素だけを挙げれば、人間とどれほどの差があるのかと思う。


「例え単なるミスだとしても、ユーザーの心身に直接影響する動作はAIとして不適切だよ。シンギュラリティとは言い切れないまでも、良くない変調だ」

「まあ確かに、突然変異は偏った情報環境から発生するもんかもしんねえけどさ」


 それとて人間も同じ。環境の偏りは思考の偏りを生み、時に人を極端な行動へと走らせる。

 熱を持ちかけた頭は、しかしメメの次の言葉で一気に冷えた。


「不幸中の幸いは、ココナさんの『人生が見えない』や『何もかも忘れたい』等の発言から、記憶障害誘発や自殺教唆の方向へ行かなかったことだよね。ある意味パンダミームの存在に助けられたのかも」

「ええ、わたくしもそう思います。単にダンスが上達しただけですから」


 なぜかドヤ顔のスターりんは、朗らかに両手を打ち鳴らした。


「あのパンダミームも役目を終えたわけですし、アキトさんもそろそろログアウトされた方がよろしいのでは? フルダイブはお身体に負担がかかるでしょう?」

「アキト、この後の作業は、現実に戻ってからやろう。万一また同じような事故が起きないようにね」

「んじゃあ、とりあえずは端末内のVirgoの学習設定を調整して……あとはVirgo運営に『こんなケースがありました』って強めにフィードバックしとくか」

「簡単に対処できることで良かったね」

「まあ、な」


 ウイルスミームを無力化して端末の設定をいじるだけなら、まあ簡単なのだ。

 この件で真に問題視すべきことは、別にある。




 対処を終えたイヤーカフを返送した後、ココナさんからお礼のDMが届いた。


『安藤さん、ありがとうございました。おかげさまで、パンダミームダンスの症状もすっかりなくなりました。

 これからはちゃんと受験勉強しようと思いました。

 友達二人にも、安藤さんを紹介しました。そのうち連絡があると思います』


 大変ありがたい申し出だった。駆け出しのフリーランスにとっては、口コミが命綱なのだ。


 俺はココナさんへの返信にいろいろ書こうとして、何度も消しては文字を打ち込み直した。

 結局、送ったのはシンプルな定型文だった。


『ありがとうございました。また何かありましたら、お気軽にご相談ください』


 辛うじて最後に『勉強頑張ってください』と付け加えて。


 メメが俺の周りをふよふよと飛び回る。


「何か彼女に言いたいことあったんじゃないのー?」

「んー……俺の立場であれこれ言っても筋違いかなと思ってさ。だいたい俺だって……」


 言いかけて、正面にやってきたメメと目が合って、俺は首を振った。


「こういうのって、本人の問題だからさ。今の時代、デジタルから完全に離れて生きることなんかできないし、AIにも日常のあらゆる場面で当たり前に触れるわけだし」

「まあね。そういうものとどう付き合っていくのか、本人が自分の中でバランス取らなきゃいけないことだろうね。ボクが言うのも何だけど」


 ストレスを抱えた時。誰にも言えない悩みがある時。気晴らしになるSNSや、話し相手になってくれるAIの存在は、大きな心の支えになり得る。

 ゆえに、ネット依存やAI依存に陥りやすくもなり得る。

 Kirashにダンス動画を上げるような陽キャの女子中学生だって、自意識や承認欲求、リアルの状況との板挟みになったら、簡単に病んでしまいかねないのだ。


「自信をなくしたりとか、やりたくなくてもやらなきゃいけないこととか、生きてたら腐るほどあるからな。それでも、どうにかして前に進まなきゃならないわけだ。AIに頼りきりになるのは良くないけど、ちょっと力を借りることで頭の中や気持ちを整理できるなら、ぜんぜん良いことだと思う」


 俺は相棒のカメラレンズと向き合う。


「つーわけで、いつもありがとうな、メメ」


 メメはオレンジ色のボディをこてんと軽く傾けた。


「どうしたの急に。熱でもある?」

「おまっ……体温チェックできるくせによ!」


 AIエージェントのボケが高度すぎる件。俺じゃなきゃ見逃してたね。


「何にしてもいい仕事だったと思うよ、アキト。今後は『ミームトラブル解決屋』を名乗ってもいいんじゃないかな」

「トラブルの種類が限定的すぎるだろ。もうちょい広げさせてくれ。せめて『AIトラブルシューター』くらいで」

「じゃあ、いい感じに実績紹介資料ポートフォリオ纏めとくね」


 ピコン!と通知音が鳴る。

 俺はイヤーカフ端末を立ち上げる。目の前にホーム画面が浮かび上がる。

 Olsis(オルシス)アプリのアイコンの横で、片目だけ星形模様の緑パンダが華麗な腕振りダンスを決めている。


『アキトさん、新しい依頼のダイレクトメールみたいですよ』

「あれ? スターりん、なんかダンス上手くなってない?」

『あのパンダミームのデータをわたくしに結合させていただきましたので』


 スターりんは俺の端末に住み着くことにしたらしい。ちょっと騒々しいけど、まあいいかと思う。人とAIとのやりとりから偶然生まれた存在に、居場所があってもいいだろう。


「アキト、次の依頼は何?」

「確認するよ」


 しっかり者の相棒に促されて、俺はDMを開いた。



—CASE 1 踊るパンダミーム・了—

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