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依頼品:カメオブローチ

本エピソードは、『ミームトラブル解決屋 〜とあるAIトラブルシューターの備忘録〜』のIF設定の番外編です。本編がバッドエンドルートを辿った世界線の、その後の話を描いています。

何でも許せる方のみお読みください。

 駅から伸びた地下通路には人影がない。深夜二時。終電もとうに過ぎた時間帯だ。どれだけ静かに歩こうとも、俺の足音は否応なく反響する。

 もう一つ、俺の肩の近くで飛ぶ、小型ドローンのプロペラ音も。

 俺は耳に装着したイヤーカフ端末を通じて、思念を送る。


『メメ、状況は』

『この通路および目的地までの防犯カメラは全てハッキング済み。今のところ付近に異常なし。ただし、通りを挟んだ公園には個人ID登録のない浮浪者が二名いる。そこだけ気を付けて、マスター』

『今どき登録なしは逆に厄介だな。端末のハックもできない。まあ、さっさと済ますよ。サポートは任せた』

『了解、マスター』


 内緒話の相手は、Mind Expanding Multi-device of Eruditionという俺が独自に組んだプログラムを搭載した、完全自律式のドローン型AIエージェントだ。

 プログラム名の頭文字を取って【M.E.M.E.(メメ)】と呼んでいる。


 以前のメメはオレンジ色のボディをしていた。

 だが今は黒一色。闇に馴染むよう、この色に変えた。


 黒一色なのはメメだけじゃない。俺自身もそうだ。

 全身を覆うタクティカルスーツ。肩や腰、脚部に巡らせたベルトにはさまざまな装備品。

 かつての俺を知る人が見たら、何事かと思うだろう。何せヨレたスウェットで一日じゅう自宅に閉じこもって作業をする、ショボいフリーランスエンジニアだったのだから。


 例の一件で社会的信用をすっかり失った俺は、以来、河岸を変えた。

 表舞台のアカウントは消し去り、拠点をダークウェブ上に移した。匿名掲示板で依頼を募り、決して綺麗とは言えない仕事で糊口を凌いでいる。

 何をしているかと言えば、主にコソ泥みたいなことだ。()()を盗み、依頼人へと渡す。ターゲットが機密情報の時もあれば、宝飾品の類の時もある。

 依頼の中身や背景にある程度の正当性が認められるケースのみ、請け負っている。

 義賊なんてカッコいいものじゃない。報酬と危険性を天秤にかけ、リスクパフォーマンスの良い仕事を選ぶ。

 崇高な大義もなく、言うなればあくまで金のために仕事をしているのである。


 今回の依頼は、市内の美術館にて展示中のとあるブローチを盗み出すこと。

 依頼人が祖母からもらった大切な形見だそうで、悪質な業者に騙されて持って行かれてしまったらしい。


 ——母が悪徳商法の被害に遭って、支払いの不足分を賄うのに相手方へ渡してしまったんです。犯人は捕まらず、ブローチのことも諦めかけていました。


 だが、依頼人はたまたま訪れた美術館の展示イベントにて、祖母の形見を見つけたのだという。


 ——一点ものなので見間違うはずもありません。あれは私のものだと主催者へ連絡を入れましたが、取り合ってもらえませんでした。


 依頼人の手元にはブローチの写真が残るのみ。詐欺被害時の領収書類からは、当該品物が相手方へ渡ったことは読み取れない。

 美術展の主催者側も展示品の入手経路に後ろ暗いところがあるのだろう。他の展示ラインナップを見ても、盗品や密売品と思しきものがいくつか紛れていると、匿名掲示板にタレコミがあった。主催者の素性からして良くない噂も聞こえてくる。


 依頼内容には続きがあった。


 ——3Dプリンタで精巧な偽物を作成しました。私の目から見ても、本物と区別がつきません。これを使ってください。


 要は、本物と偽物を入れ替えろ、というミッションだ。

 


 通路出口の階段を上がり、地上に出る。深夜のオフィス街はやはり閑散としている。多くのビルは消灯しており、辺りは奈落の底みたいに暗い。

 俺はひときわ深い闇を選んで進み、淀みなく目的の建物に到着した。

 裏手の通用口に身を寄せて、首元に溜まっていた闇色のネックゲイターを鼻の上まで引き上げる。

 ドアは電子施錠されており、開錠するためには定期的に変わる十桁の暗証番号を打ち込む必要があった。


『現在の暗証番号を送るよ、マスター』


 指示をせずとも、メメは俺の思い通りに動く。

 視界に浮かぶMR(複合現実)の端末画面に、十桁の番号が表示された。その数字を施錠パネルに入力すれば鍵が開く。

 同時進行で、通用口の開閉記録を書き換えさせる。記録上、今このドアを通った者は存在しないことになる。


 事前に調べた通り、内部は防犯カメラだらけだ。


『建物内の防犯システムは全てハッキング済み。マスターの姿を感知できないようにしてるから、そのまま進んでいいよ』

『了解』


 昔のSF作品に『光学迷彩』という技術が登場した。周囲の景色を撮影し、リアルタイムで衣服や物体に投影することで、背景と同化させて視覚的に『透明化』するというものだ。

 だがその実用化を待つよりも、目的地付近の管理システムを丸ごと乗っ取る方が早い。

 こうして俺はいつでも容易く透明人間になれる。


 小さな保安灯のみの薄暗い通路を進む。

 端末画面には館内マップ。カーナビよろしく、リアルタイムで俺の位置と経路が表示されている。

 館内に一名だけ配備されている警備員の現在地も、マップ上で確認できる。今のところ管理室にいるようだ。その部屋で見られるカメラモニターでは、俺の侵入を知ることはできまい。


 上階への移動は階段を使う。目標は四階の特別展示室だ。

 以前はこの程度の移動で息が切れていたものだが、今は自ら動く機会が多いため、ちゃんと身体を作った。栄養バランスを考えた食事を摂り、トレーニングを欠かさず、質の良い睡眠のため毎日決まった時間に寝起きしている。

 マトモに働いていた時より、表に出せない仕事をしている現在の方が圧倒的に健全な生活を送っているというわけだ。


 四階へ着く。特別展示室は目の前だ。電子制御のロックを突破し、扉を開ける。

 暗視スコープを通せば、壁沿いに展示品のショーケースが並んでいるのが分かる。

 先行したのはメメだ。部屋の中を周回し、目標物の位置を特定して、俺の隣に戻ってくる。


『赤外線レーザーは問題なくオフになってるね。問題は床面だ。ここに何かが触れたり乗ったりすると、管理室へ通知が行く設定だよ。何度か試したけど、完璧な解除は難しい』

『つまり、宙に浮いた状態でタスクを行う必要がある、と』

『その通りだよ、マスター。どうする?』

『想定内だな』


 天井を確認する。つるりとした表面。目標物の真上に障害物なし。

 俺は腰に吊るしたワイヤーガンを手に取り、天井へ向けて発射する。狙った通りの位置に貼り付いた電動吸盤は、滑車付きだ。

 強化ワイヤーのフックを、ハーネスの二ヶ所へ引っ掛ける。


『じゃあサポートよろしく、メメ』

『了解、マスター。気を付けて』


 一つ、息をつく。

 部屋の外から中へ、軽く助走をつけて地を蹴る。浮き上がった身体が瞬時にワイヤーに巻き取られ、俺は天井付近に宙吊りとなる。


『大事なのはこっからだな』

『ゆっくり慎重にね』


 ハーネスのボタンを操作して、少しずつ下降していく。ちょうど大人の胸辺りの高さにある、()()の入ったショーケースは、一辺が俺の肩幅くらいの立方体だ。

 ケースは持ち上げれば簡単に動く。アクリル製らしい。ガラスじゃなくて良かった。


『ケースは床には置けないよ』

『浮かせて隙間から交換するか』


 俺はポケットから模造品のブローチを取り出した。女性の横顔があしらわれた、いわゆるカメオブローチである。材質や細工など、展示中の本物と遜色ない。ただし暗闇の中で暗視スコープ越しに見た素人意見だが。

 ケースを前面のみ持ち上げて、片手で支える。隙間から偽物を差し込み。本物と入れ替える。

 ケースを元に戻し、獲物をポケットに入れようとしたところで——

 手が、滑った。


「あっ……」


 落下するブローチ。迫る床面。

 瞬時に体勢を上下反転させ、腕を伸ばす。

 残り一ミリ、カメオの女性が床にキスする寸前で、どうにか掴む。

 俺は真っ逆さまの体勢で盛大にため息をついた。


「……っぶねー……」


 思わず声が出てしまった。


『タロットの大アルカナ十二番『吊るされた男』みたいだね。試練や我慢の象徴だよ。今のマスターによく似合う』

『えっ、うん』


 記憶を掠めるような軽口だった。

 心臓がざわめく。ひとまず姿勢を立て直して、大事な依頼品をポケットに収める。

 脱出のため、ワイヤーガンに二基目の電動吸盤を装填したところで、アラート通知があった。


『マスター、警備員が接近中だよ』

『なぜ』

『定期巡回の時刻なのかも』


 端末画面上の館内マップの表示では、警備員を示すマークがエレベーターで四階まで上がってきたところだった。

 まずい。これはまずい。

 エレベーターの扉の正面がこの部屋なのだ。そして、この部屋に出口は一つ。

 脱出できない。

 心拍が高まり、嫌な汗が滲む。

 ポン、とエレベーターの到着音が鳴り、重い扉の開く音が響いてくる。懐中電灯の細い光が闇に差し込まれる。「え?」という男性の驚いた声が耳に入る。恐らく、この部屋の扉が開いていることを不審に思ったのだ。

 俺はせめてもの悪足掻きで浮上しようとしてワイヤー操作を誤り、再びぐるんと逆さになった。

 ドアの隙間から、警備員が恐る恐る顔を覗かせる。


「メメ、」


 俺がそう呼びかけた次の瞬間には、既に展開が完了していた。

 ()()()()()()()()()の。


 電脳世界に肉体ごと飛び込んだような視界。周囲にはアプリのアイコンに現在地のマップなど、デジタルオブジェクトが浮かんでいる。

 それが現実の風景にまで拡張され、重なり、合成されている。美術館の展示室にいながら、サイバー空間の中にいる。

 警備員は、部屋の入り口で動きを止めていた。

 否、止まって見えるほどに、極めて動きが鈍くなっていた。

 俺自身の感覚機能を最大限に引き延ばしているからだ。


 すぐ隣に少年が立っている。黒髪に、煌々とした赤い瞳の。

 逆さ吊りの俺とほぼ同じ目線の高さ。互い違いに顔を向かい合わせる。


「マスター、指示を」

「ああ……」


 これはメメだ。今の仕事のためにカスタマイズした仕様の、フルダイブ空間での姿。

 ゾッとするほどの美貌の少年は、一つも表情を変えることなく、首だけを小さく傾げた。


「あの警備員、ハッキングしようか」

「……必要最低限でいい。俺が脱出するまでの時間稼ぎと、今この瞬間の記憶消去を頼む」

「了解、マスター」


 形の良い唇の両端がわずかに上がる。

 一つ瞬きする間に、メメは警備員の真横へと移動していた。

 白魚の指先が、男のイヤーカフ端末にそっと触れる。

 空間内を、無数のプログラムコードが高速で走っていく。

 メメが顔半分だけで振り返った。


「マスター、十分じゅっぷん作ったよ」

「ああ、ありがとう」


 俺は二基目の電動吸盤を出入り口付近の天井に打ち込み、ハーネスのワイヤーを付け替えてそちらへと移る。一基目は速やかに回収。体重移動で振り子のごとく反動を付け、エレベーターホールへ脱出した。

 間近ですれ違った警備員は、二重写しの空間の中で未だ動きを止めている。

 階段を降りかけたところで拡張フルダイブを解除すれば、視界はあっさり元へと戻る。

 今、俺の隣を飛ぶのは、真っ黒な小型ドローンだ。


『残り七分二十八秒。通用口までの経路、異常なし(オールグリーン)。残り三分五十二秒時点で脱出の見込み』

『了解』


 来た道を逆になぞっていく。メメの予測通り制限時間を四分弱残して、俺たちは外へ出た。

 相変わらず人影のない深夜の街を抜け、地下通路へと潜る。

 今ごろあの警備員は、一見すると何の変哲もない展示室を、首を傾げつつ見回りしていることだろう。室内に誰かいたような気がしたのは見間違いだったか、などと思いながら。


 俺はコインロッカーに預けた荷物を取り出し、トイレの個室で着替えをした。タクティカルスーツから私服へ。

 中肉中背、平凡な容姿、特筆すべきことのない服装。我ながらどこにでもいるような男だ。

 わざわざ変装しなくとも、誰に注目されることもない、名前を持たないただの通行人A。

 透明人間でいるべきだ。それが俺自身を守る防壁となる。


 メメが俺の肩に乗ってくる。


「ボクのバッテリー残量が十パーセントを切りそうだよ」

「たくさん働いたもんな、お疲れさん。始発が動き出すまでネカフェで時間潰すから、そこで充電できる」


 ミッションコンプリート。

 不意に、全身に伸し掛かるような疲労を感じた。

 嫌に足が重かった。一人分の足音だけが鳴っている。それが通路のあちこちに反響して、元の輪郭も分からなくなる。誰の。誰の。誰の足音か。


 甲高い少年の声が混ざった。


()()()も、お疲れさま」


 遠のいていた自我が引き戻される。


「……え?」


 オレンジ色の髪の少年を幻視する。すまし顔した、生意気な。


「心拍数が平常時より上がってるよ。自己管理は何より大事だ。なるべく早急な休息を推奨するよ、()()()()

「あ、ああ……」


 幻は消え去り、黒い小型ドローンが残る。

 ()()なのは、肩の上の重みだけだ。


 両足に纏わり付く泥のような気だるさを振り切って、通路出口の階段を昇る。

 まだ白むことのない闇へ、俺は匿名の顔で紛れていった。



—透明人間のレゾンデートル 了—

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