2-5 猫に翼
Olsisのチャットで打ち合わせした翌日。
俺はメメを伴って電車を乗り継ぎ、都内にあるイハラプロモーションを訪れていた。
いくつかの会社が入る新しめのビルのワンフロアをオフィスとしているようだ。
パーテーションで区切られただけの応接スペースには観葉植物が置かれ、オープンでスマートな印象を受ける。
「お世話になっております、イハラプロモーションの井原です。本日はご足労いただき、ありがとうございます」
「オータムAIサービスの安藤です。この度はご依頼ありがとうございます。本日はよろしくお願いします」
対面した男性と、互いのイヤーカフ端末にデジタル名刺を送り合う。『井原イツキ』と書かれた名刺は顔写真入りで、目の前の人物と一致した。
事前に調べた通り、肩書は社長。男性にしては小柄だが、小洒落た丸フレームのメガネに整えた顎ヒゲ、ノーカラーシャツと、垢抜けた雰囲気の人だ。
若い男性スタッフが、使い捨てプラカップに入ったコーヒーを運んできてくれた。
オフィスをざっと見渡した感じ、二十代から四十代のスタッフが十数名と、全体的に若い。みんな割とラフな格好で働いている。
俺はといえば、久々に腕を通したジャケットのせいで既に肩が凝り始めていた。メメのおすすめコーデだが、もう少し適当でも良かったのかもしれない。
挨拶もそこそこに、本題は始まる。
「すぐにご対応いただけて、本当に助かります」
井原社長曰く。
真っ先に不可解現象のポストに気付いたのは、ユウヒ飲料の広報部だったらしい。
ちょうどCMのミームが流行り始めて、商品の認知度が高まっていたころだった。
「最初は全く原因が分からず、ユウヒ飲料社内でいろんな調査をしたようです。製品パッケージや流通経路、実店舗での展開方法など、不審な点がないかどうか、と。これに結構時間を取られたみたいでして。弊社の方に話が降りてきたのが、十日ほど前でした。『CMがおかしいんじゃないか』と」
丸メガネの奥の目に、色濃い疲労が滲む。ユウヒ飲料から結構ゴリゴリやられたんじゃないだろうかと、容易に想像できた。
「ウチはWeb用のCMを作成してお渡ししただけなので……配信先で何かしら問題が起きた可能性もありましたし、そこからの調査も少しかかりまして。でも数日前にうちのスタッフが『ミームじゃないか』と言い出して、やっと『ウイルスミーム感染』の可能性に行き着いたんです」
意外と最近の話だった。確かに、この原因に当たりをつけるのも難しかっただろうとは思う。
「でもウイルスミームの案件をやってくださる情シス業者さんもなかなかいらっしゃらなくて……話が話だけに、不用意に情報を出すわけにもいきませんし」
「ああ、まあ、積極的に受けてるところはあんまりないですね。決まったパターンがないので、面倒に思うエンジニアは多いと思います」
「だから安藤さんの書き込みが、渡りに船のように思えました」
……こういう話を直接聞けただけでも、足を運んだ甲斐はあったかもしれない。
「現在、例のWebCMの配信は各プラットフォームで順次差し止めされてます。CMにしてもミームにしても、いずれブームは収束するんでしょうけどね」
井原社長は心底参ったような苦笑を浮かべる。
「ご覧の通り小さな会社なので、ちゃんと潔白を証明しておかないと、今後なかなか厳しいので……何にせよウチの作ったCMが元になったものなら、きっちり対処したいと考えています」
「承知しました」
こんなことがあったらユウヒ飲料との契約関係も難しい状況なのだろう。下請けは辛い。
「犯人やその目的まで突き止められれば一番いいですが、最低限この現象の原因となるプログラムを正常化して、これ以上問題が拡散しないようにしますね」
「よろしくお願いします」
井原社長と正式に契約を結んでから、俺はさっそく切り出す。
「実は昨夜のうちに少し調査を進めまして。私自身の端末にあったウイルス疑いのミームに加えて、Peketterで誤購入ポストをしたユーザーが触れた可能性のあるミームを抽出し、中身を分析しました。その中で、少数の動画のソースコードの一部に『フェアリーストロング』を示す文字列が組み込まれていることが分かったんです」
「ミームのデータの中に、ですか」
「そうです。商品のCMならともかく、商品名を出していない、一般人の作った動画ミームの中にです。恐らくこれが改変の痕跡かと。該当の動画の制作者はバラバラでした。他にもそうした動画があると思いますので、しらみ潰しに探して、無効化プログラムを組んでいきますね」
井原社長は、ホッとしたように表情を緩める。
「もうそこまで調べていただいてるんですね」
「ええ、どうしても地道な作業になるので、ちょっとお時間いただくかと思いますが」
もう一つ、確認すべきことがある。
「ところで、CMの配信開始以降、セキュリティ関係で何か問題があったりとかはなかったですか?」
「ええ、特には」
「例えばCMに絡んだクレームとか嫌がらせとか」
「そういったことも、ウチには特にないんですよ。あるとすれば名前が表に出てるユウヒ飲料さんの方に行くかなと思うんですが」
確かに。
「念のため社員の方のPCを確認させていただいても良いですか? 良ければCMの元データのチェックも。ユウヒ飲料さんの調査でも確認されているものとは思いますが」
「もちろんです」
井原社長から快諾をもらい、制作チームの担当者を紹介してもらった。三十代後半くらいの、快活そうな女性だ。受け取った名刺には『梶浦カナエ』とある。
「どうも、梶浦と申します。フェアリーストロングのCMの制作チーフです。何でもご協力しますので」
チームの島には男女六名のスタッフがおり、それぞれ作業中。スタッフ同士のコミュニケーションも朗らかな雰囲気で、風通しの良さそうな空気感だ。
許可を得て、PCを覗かせてもらう。各端末のログを、メメを通して確認する。
井原社長の申告通り、セキュリティソフトの記録は全社異常なし。
また、CMの元データをメメ本体へとコピーさせてもらった。実際にネット上で配信されているCMと比較するためだ。可能性を一つ一つ潰していかねばならない。
「すごい、ドローン型AIをこんなに使いこなしてる方、初めて見ました」
「本当に完全自律式なんだ」
「ちょっとかわいいかもー」
女性陣からの称賛にも動じず淡々とデータを移し終えたメメが、PCから離れてふわりと浮き上がる。
俺も姿勢を変えようしたところで、梶浦さんのデスクに飾ってあったアクスタを手で倒してしまった。
「あっ、すみません!」
「いえ、ただのアクスタなんで、ぜんぜん大丈夫ですよ」
そして俺は気付く。
「あれ? このアクスタ、あのCMの猫ですね」
「そうなんですよ。愛着湧いちゃって、個人的に作りました」
ある違和感を覚えたのは、この時だった。
「……かわいい黒猫ですよね。これは人気出るのも分かる」
「ありがとうございます。これ、ケットシーのイメージなんです。猫の妖精の」
「ああ、『フェアリー』ストロングだから」
「そうですそうです。猫って広告のモチーフとして優秀で、猫をあしらったバナー広告なんかは、そうでないものよりもクリック率が二倍以上高いって統計もあるんですよ。だから本件でも猫を使えないかと考えて、『フェアリー』のイメージからケットシーに」
「なるほど」
ミームに関しても、猫の画像を使ったものは流行りやすい。宇宙のやつとか、工事現場のやつとか。
「これ、CM作成時のデータです」
梶浦さんのPCのモニター上で、さまざまなポーズをした黒猫のカットが次々切り替わっていく。リアル寄りで、絶妙にふてぶてしい表情で、愛嬌がある。
だけど、ここでまた先ほどと同じ違和感を抱く。
「猫に、翼」
「ええ、ユウヒ飲料さんにもお褒めいただけたんですよ。ちょっと変わっててかわいいでしょう?」
そう、この黒猫の背中には、一対の白い翼が生えているのである。
CM動画が再生される。お馴染みのフレーズ、お馴染みの音楽。
お馴染みの……と思っていた猫の背中には、今まで認識していなかった白い翼。
もちろんアクスタの黒猫の背中にも翼がある。
説明しがたい感覚だった。
まるで、知らずに買ってきた缶チューハイを、後になって初めて認識した時のような。
「翼がある方が、分かりやすく妖精っぽいイメージかなと思ったんです。ケットシーの資料を元に、胸元に白い毛のある黒猫のモデルを作ってから、白い翼を生やしました。生成AIを使って」
「へえ、生成AIを使われてるんですね」
「はい、本物の猫の画像を使うのって、法的にいろいろハードルがあって。生成AIなら、唯一無二の猫を作り出せますから」
なるほど、そういう考え方もあるのか。
確かに、やりようによっては完全にオリジナルのキャラクターを生み出せるかもしれない。
生成AIを活用したCM制作は、二〇二〇年代半ば頃から一般的な手法となっているらしい。
動画や音楽を全て生成AIで作成するケースもあれば、生成AIで作った人物モデルを起用するケースもある。
今やWebで流れるCMの多くに生成AIが使われているらしく、イハラプロモーションはその波に上手く乗って業積を上げた会社なのだそうだ。
……というのが、メメがリアルタイムで調べてこっそり脳内でシェアしてくれた情報である。
梶浦さんはどこか寂しげに笑んだ。
「メインのキャラクターはCMの魂ですからね」




