2-2 サブリミナル
さすがにおかしい。
そう思ったのは、冷蔵庫の奥に四本目のフェアリーストロングを入れた時だった。
カレーを作った日以降、買い物に行くたびに飲みもしない缶チューハイが一本ずつ増えている。
「メメ……俺、やっぱり何かの病気かもしんない」
「フェアリーストロングね、今日もちゃんとお会計してるよ」
「だけど今日も別に酒なんか買うつもりなかったし、買った記憶もないんだよ」
「ここまで続くと確かに妙だよね」
「どうしよう俺……このままいろんなことを忘れてくんかな。いつかメメのことも思い出せなくなったりしたらどうしよう」
「大丈夫、ボクが何度でも思い出させてあげるよ」
「記憶喪失モノのラブストーリーが始まっちゃうやつじゃん」
軽口を叩き合ってはいるが、割と真剣に不安だった。記憶障害となると、生活のいろんな場面で支障が出てくるはずだ。
「アキトに関するあらゆる記録はボクの中にもある。この不可解現象に関わることを、一つずつ確認してみようか」
頼もしい相棒は力強く頷くように、オレンジ色のボディを揺らす。
「まずは、缶チューハイを買ったタイミング。最初はカレーを作った日だったね。二週間前だ」
「次はその三日後くらいだったかな。確かドラッグストアにシャンプー買いに行った。なんでか酒も買ってたんだよな」
「そうそう。で、さらに四日後、つまり一週間前。スーパーで食料品を買うついでに、缶チューハイを購入。カレーの日と同じパターンだね」
「そんで今日、ついさっきだよ。コンビニでタバコ買うのに、やっぱり知らん間に酒も買ってた。頻繁すぎるし本当に怖いんだけど」
ふーむ、とメメは傾く。
「つまり、お店では一度もフェアリーストロングのことを認識してなかったってことか」
「そうなんだよ。セルフレジで会計した後エコバッグに詰めるのまで自分でやってんのにさ。毎回家に帰ってきてから気付くっていう」
「それを言うとアキトだけじゃなくて、ボクもだね」
「……確かに、言われてみるとそうだな」
どこへ買い物に行くにも、俺はメメを伴っていた。
例えば会計の時点でどちらかが気付いていれば、買わずに済んだだろうに。
俺だけではなくメメも。ということは、俺自身の病気という可能性は薄れてくる。
「他に何か、予定外のものを買ってたりする?」
「ないよ。フェアリーストロングだけ」
「フェアリーストロング限定の記憶障害ってことだね。そうなると、考えられる原因は……」
揃って冷蔵庫に視線を向ける。
俺は四本全ての缶チューハイを取り出して、テーブルに並べた。
メメがその正面に回る。
「この『フェアリーストロング』。ユウヒ飲料から半年前に新発売された、いま売れ筋のチューハイだね。軽い飲み口で、フレーバーも豊富。値段の割にしっかり酔えて飲み応えがある。最近は『#飲もーぜウェイウェイ』のハッシュタグ付きでSNS投稿してる人も多いね」
「ああ、この酒の写真上げてる人よく見るわ」
メメが短文投稿型SNS〈Peketter〉のハッシュタグ検索で、該当のポストを展開する。
——今夜もフェアスト!酔うぞー! #飲もーぜウェイウェイ
——オンライン飲み用に買った酒(*⁰▿⁰*) #飲もーぜウェイウェイ
——動画作ったったー #猫ウェイウェイ #飲もーぜウェイウェイ
「この『飲もーぜウェイウェイ』がやたら耳に残るもんな。もはやウザいくらい」
「CMのパロディで、猫の写真コラージュやそれっぽい生成画像を添えた動画にしてるパターンもあるよね」
「酒のCMから派生して、ミームみたいな感じになってる」
「そう、ミームだ。つまり、この商品に関わるアキトの記憶障害は……」
メメのカメラレンズがきらりと光った。
「変異ミームの影響である可能性がある」
俺もちょうど同じことを考えていたところだった。
「本当に『デジタル怪奇現象』だった? 俺自身が知らないうちにウイルスミーム感染してたってこと? 洒落になんねえな」
「元ネタのCMへの仕込みか、もしくはミームを利用した販売戦略って可能性もあるよね。一連のブームそのものが」
ゾッとする。
俺が下戸で、普段は酒を買わないからこそ異変に気付いたものの、そうでなければ疑問にも思わなかったかもしれない。
「販売戦略だとすると、要はサブリミナル効果みたいなやつなのかな」
「まず定義としてだけど。『サブリミナル効果』っていうのは、知覚できるギリギリ限界のごくわずかな刺激によって潜在意識下に指示などが刷り込まれる効果のことだよ。視覚や聴覚、触覚の三種類があるとされる。『閾下知覚』とも言う」
「なんか有名な実験あったよな。コーラのやつ」
以下、メメによる概要。
一九五七年、経営学者ジェームズ・ヴィカリーが、ある映画の上映中、三千分の一秒というごくごく短い時間で「コーラとポップコーン」の映像を五分に一度挟むという実験を行った。
上映後、多くの観客がコーラとポップコーンを購入したという記録がある。
「実際のところ、この実験の信憑性は疑わしいとされた。だけど、この手法を利用した広告は『人を欺こうとしている』って理由で、アメリカでは一九七四年に法的に禁止されてる。日本でも一九九九年に全面禁止になってるね」
改めてフェアリーストロングのCMを思い出してみる。
「あのウザCM、視覚と聴覚にめちゃくちゃ訴えかけてくる感じがするけどな」
「まあ、単にインパクトあるCMってだけなら、サブリミナル広告には当たらないよ。規制されてるのは、短い映像を挟み込む手法だけだし」
でも、とメメは続ける。
「人間、意識してることよりも意識してないことの方がずっと多いんだよ。何が意識の中にあるものなのか、意識することでしか知覚できないでしょ」
「んー、まだるっこしいけど……例えば、救急車が近づいてきててもサイレンを知覚しなければ、自分の認識の中では救急車が存在していないのと同じ、みたいなこと?」
「そうだよ」
水色のカメラレンズが光る。
「あらゆる情報は、そもそもがサブリミナルだ。自分が意識して初めて存在を認知できる」
我々は潜在意識下で知らず知らずのうちに情報を取捨選択している、ということになる。
「だから、フェアリーストロングのCMや派生ミームの中には、ボクたちが認識できてない情報があるかもしれないってこと」
「それのせいで、飲みもしない酒を無意識に買っちゃう不可解現象が起きてる可能性があるのか。それがユウヒ飲料のマーケティング戦略なら、悪質にも程があるだろ。他にも被害に遭ってる人いそうだけど」
「検索してみよう」
相棒は一瞬ぴたりと動きを止めた。ほんの一秒後には、ふわふわとホバリングを再開する。
「さほど多くはないけど、ちらほらあるね、似たようなケース」
「マジで?」
「マジで」
メメによる端末操作で、Peketterの画面が再び俺の視界に浮かび上がる。
そこに並んだポストは、いずれもフェアリーストロングの誤購入についての呟きだった。
——こないだ買ったばっかのフェアスト、知らずに間違ってまた買ってた。どんだけ好きなのw
——無意識にフェアスト買ってたウケる。
——フェアスト買ったのこれで三回目やで。ワイ酒とかぜんぜん飲めんのに、なんでこれ買ったんや。
「最後の人なんか、俺と同じパターンじゃね?」
「都市伝説っぽい方向性のポストもあるよ」
新たなポストと、それに続くリプライが表示される。
——フェアスト買ったら記憶が消える?みたいな話、ちらほらあるよね。
——飲み過ぎで記憶とんだんじゃw
——ユウヒ飲料の陰謀説、あると思います。
「いずれもここひと月ほどの投稿だよ。純粋な購入者やミーム投稿のポストが圧倒的多数だから、目立ってないけどね」
「うーん……それにしても、この辺のネガティブなポストの表示回数、やたら少なくない? 他のフェアスト関連ポストと比べてもさ」
SNSには推薦アルゴリズムというシステムがあり、ユーザーの行動履歴に基づいて関連性の高い情報が提示されるようになっている。
話題のポストのインプレッションが多いのは分かるとして、ネガティブポストの方は極端に少ない。ほぼ見られていないものもあるくらいだ。
「これは……何かしらの作為を感じるな」
情報がコントロールされている。俺の勘がそう告げている。
「何が起きてるかは分からんが、やられっぱなしは面白くねえじゃん。俺もこのままじゃ困るしさ」
「どうするの? アキト」
俺はにぃっと笑ってみせた。
「ちょっと仕掛けるか」




