【163】閑話-兄妹の会話
弓術大会が終わった。ルキウスの優勝で幕を閉じた事もあり、ブラックオパール伯爵家の人々は、近くの席にいた観客の者たちから、とてつもなく祝福を受けていた。護衛でついてきていた騎士たちが総出で壁にならないと、移動すらままならない程であった。
そうして人込みをなんとか抜け出した直後、ルイトポルトは「ルキウスを迎えに行ってくる!」と走りだし、トビアスとオットマーの二人がそれを追いかけていってしまった。
残されたインゴ一家は、ブラックオパールの騎士たちに囲まれながら、早めに移動する事にした。また人にもまれるような状態になったら大変だからだ。
そうして移動し、インゴとマヌエラとノイバーが同じ馬車に乗り込む。レヒタールとジビラはルイトポルトが到着するまでの間、馬車の中で待つ事となった。
お互いに、反対側の窓から外の様子を眺めながら、ルイトポルトが帰ってくるのを待っていた時、おもむろに口を開いたのはレヒタールの方だった。
「機嫌は直ったか、少しは」
レヒタールの言葉に、ジビラは窓の外から視線を外さないまま答える。
「別に、不機嫌になどなっていないわ」
「嘘をつけ。今日は来たくなかったのだろう」
「そんな事……」
「言っておくが態度で分かってるんだよこっちは。敢えて誰も突っ込まなかっただけだ」
黙るジビラに、レヒタールは追撃するように口を開く。
「来たくなければ来たくないと言えばよかっただろう。わざわざついてきておいて、それで不機嫌をまき散らすな。子供であるまいし。疲れても必死に自分を律していたノイバーの方が年上だったぞ」
「ノイバーが偉かったのは認めるけど……」
「じゃあ母様に叱られるまでの不機嫌はなんだったんだ?」
「……耳が痛かったの」
「それはとってつけた理由だろう。まあいい。じゃあ話を変えるが、ジビラ、お前、何がどうして、そこまでルキウスが気に入らないんだ?」
ジビラは眉根を寄せた。
「何の話よ」
「お前がルキウスを嫌って距離取ってる事、気づかないとでも」
「そんな事ッ」
「……誤魔化しはやめろ。私しかいないぞ、ここは。ここで聞いたことは聞かなかった事にしてやるから、本音でしゃべれ」
レヒタールの言葉に、ジビラは拳を握った。
「……なんでもよいでしょう。ただ好きではないの。どんな人間も好きでなくてはならないの?」
「いいや? 好き嫌いなんてあって当然だ。だがそれを表に出すな、いい加減にしてくれ」
「別に出してないわ」
「お前なぁ。今日の不機嫌が回りにバレている時点で分かれ。お前がルキウスを好きじゃない事なんて、殆どの人は知ってる。ルイトポルト様だって気が付いてるぞ」
弾かれたように顔を上げ、ジビラは黄緑の瞳を丸くした。
「嘘」
「嘘なものか。……あの方は確かに王都には来た事がなかったし、同年代のお知り合いも少ない。だけどそれは対人関係の能力が低いという意味にはならないぞ。むしろ、年配とばかり過ごしていた分、周りの空気を乱さないようにと、気を遣う能力はご年齢よりずっと高い。気を遣い過ぎな場面も多いが……。お前とルキウスがあまり顔を合わせないようにと、ルキウスが自分に付く時間の調整もされてるんだぞ」
ジビラは俯いた。ルイトポルトからは特に何も指摘されていない。だからてっきり、気づかれていないと思っていた。
レヒタールやジビラは、ルイトポルトが来る前、ブラックオパール伯爵と夫人から直々に、お言葉を賜っていた。「同年代とあまり関わった事がない子だから、気を付けてやってほしい」と。
それは祖父ヘーゲン越しの言葉であったけれど、貴族学院にいる期間の被る、レヒタールとジビラにしか出来ない仕事だと思っていた。
だから、気に掛けてあげなければとずっと考えていた。
その相手から……一つとはいえ、年下の相手から、気を使われていた。それは、十五歳のジビラにとって、とてつもなく恥ずかしい事であった。
「ついでに言えば、ルキウスも気が付いてるだろうな」
「は? あの侍従見習いも気が付いている? 嘘よ。あんな芯のなさそうな、弱そうな男」
レヒタールは、残念な子を見るような目で妹を見た。
「まだ言うか。あれがただ弱そうな、芯のない男に見えているなら、お前は人を見る目を学んだ方がいいぞ。冷静に考えろ。情けをかけるつもりがない父様に四六時中扱かれながら、普通に自分の仕事もこなしたうえで、トビアス叔父様にも武術的に扱かれていて、逃げ出すどころか、体調も崩さず毎日仕事をこなしているんだぞ。文句も一つも零さず。元々の教養がある貴族生まれならまだしも、ただの平民がだ」
教育面で、二人の父親であるインゴは容赦ない。これは、母親のマヌエラにも言える事だが、教育以外の部分では優しいのだが、こと、躾や教育に関わった途端、とてつもなく厳しい教官のようになる。
それを、子である二人は良く知っている。
「ともかく、ルキウスはお前が思っているより根性もあるし、そもそも弱さについては今日の大会で否定出来ると思うが?」
「それは。……そうね。凄かったわよ。あの人の弓の腕。玄関の肉食ペリカンみたいなの、あんな男が仕留めたなんて大げさに盛った話と思っていたけれど……本当に、彼が射殺したのでしょうね」
ジビラの物言いに、レヒタールは疲れ気味にため息をつく。
「何で上からなんだ。途中からルイトポルト様とノイバーと一緒に、声を出して応援していたくせに」
ジビラの頬が一気に紅潮する。
「なっ!! あ、あれは! なんとなく会場の雰囲気にのまれただけで! いつもなら、あんな、淑女として恥ずかしい真似なんてしないわよっ!」
必死に言いつのってくる妹に対して、レヒタールは雑に手を振って話を流した。
「はいはい。……というか、いい加減言って欲しいんだが。いつルイトポルト様が戻ってくるか分からないし。ジビラ、何でルキウスにそんなに厳しいんだ。お前、学院では別に平民出身の学生とも親しくしているよな? ルキウスの気に食わない所は、そこじゃないだろ?」
黙り込んだ妹を、レヒタールはジッと見つめ続けた。追い詰められていったジビラは、観念したように、小さな声で答えた。
「……だって。あんな覇気のない男がルイトポルト様の傍にいたら、ルイトポルト様の格が落ちると思ったのよ……」
「…………くっだらない……」
レヒタールは妹を青い目で見て、もう一度言った。
「本当にくだらないんだが」
「分かってるわ。くだらないって。でも一度思ったら、ずっと、そんな気持ちになっていて」
「勘弁してくれ。十五だろお前。社交界デビューも終わってるよな。家庭教師付け直すのとお婆様にしつけ直してもらった方がいい」
「もうお母様がその気よ」
「妥当」
「そうね。…………本当に、恥ずかしいわ、私」
先ほどまで食って掛かっていた妹から出たとは思えない声色だった。レヒタールは急に勢いが落ち着いた妹を、不思議そうに見る。
ジビラは膝の上で握っている自分の手を見ながら、呟いた。
「今、レヒタールに言われるまで、自分がそんなに不機嫌をまき散らしていた事も、周りの人に知られて気を使われていた事も、気づいていなかったわ」
「……」
「ルキウスの事も。……直接、彼に嫌な事をされた訳でも、言われた訳でもないのに、ずっと嫌っていたわ。よくよく考えれば、ルイトポルト様の傍仕えは、ルイトポルト様個人の意思だけでは決められないのに」
いくらルイトポルトが望もうと、父たるブラックオパール伯爵が許さなければ、ルイトポルト専属の者として働き続ける事は出来ないだろう。
つまり、ルキウスの存在は伯爵にも認められているのだ。
その事まで思い至らず、第一印象が自分にとってあまりよくなかった――ただそれだけの理由でルキウスを遠ざけていた事に遅ればせながら気が付き、ジビラは目尻が熱くなった。涙を流す権利などないけれど、情けなくて、苦しかった。
「そもそも、分家の子女たちが暴走した事も、ルイトポルト様が気に病む前に、私が治めなくてはいけなかったのに、それも出来ず、王都に出てきたばかりのルイトポルト様に事を収めさせたわ」
「それは……、私も抑えられなかったから、お前だけの責任ではない」
「しっかりしなくては」
顔を上げたジビラの表情には、まだ、情けなさが残っている。けれど同時に、兄の欲目が入っていたかもしれないが、決意のようなものが見えた。
「私は伯爵家本家の血を濃く引くブラックオパール子爵家の娘なのだから。どこでどんな仕事を任せられても出来るような、立派な淑女になるわ」
ジビラの言葉に、レヒタールは「そうか」と相槌を打つ。この決意表明は彼女が彼女自身に向けて言っている事なのだからいらないかもしれないが、聞き届けたと言ってやりたい気分になっていた。




