表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第四粒 ルイトポルト、貴族学院へ ~春季(はる)~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

158/168

【155】弓術大会-中断中のⅡ

 水を再び口に含んでいると、プロェルスから、「軽食もあるぞ」と言われる。


「食べ物は……」

「食える時に食わねば力が出ないぞ。腹が減ってはどうにもならん!」

「!」


 つい、目を丸くしてしまった。

 プロェルスから差し出された、侍女たちが持っていた軽食と、プロェルスの顔を数度見比べる。


 今の言葉で、ルキウスは、最初に感じた「何か思い出せないもの」の正体に気が付いた。


(……ああ、そうだ。どうしてこんなに、気が抜けるのかと思ったけれど。……この人は、どこか、父さんに似ている)


 ――「こらゲッツ。疲れてるなら食べるんだ。腹が減ってはどうにもならんぞ」


 疲れ果ててもう動きたくないと文句を言う息子(ゲッツ)に、父はいつもそう言っていた。何かある時はいつも、ゲッツに沢山食べ物をくれた。「食べないと元気も出ない」と言いながら。


 勿論、ゲッツの父親はプロェルスのように、鍛え上げた肉体などない。燃えるような赤い髪も瞳も持っていない。

 それでもなんだか、父を彷彿とさせる。プロェルスとルキウスの間に、親子でもおかしくないぐらいの年齢差があるからかもしれない。


 プロェルスに差し出された軽食を食む。


「……美味()い」

「だろう。ピジョンブラットルビー伯爵はあれで美食家でな、合理的な食事には、味も含まれているべきだと、ビーフブラットルビー伯とはいつも言い争いをしている。ビーフブラットルビー伯は、食えれば良いという御仁でな。今日食べれるものは旨いものばかりでありがたい!」

「ブラックオパール伯爵家も、いつもご飯が美味しいです」


 言ってから(何言い返してるんだ俺)と、ルキウスは慌てた。

 父を思い起こすからといって、父相手のような会話をしてよい訳がない。


 しかしプロェルスは、年下で、地位も下である相手からの言葉を気にした風もなかった。


「うむ。良い舌を持つ料理人がいるというのは、良い事だ。ワシは野外飯が多いから、確りとした食事を食べる事は中々少ないものでな」

「携帯食ですか? 乾きものとか」

「それも多いな。干し肉はもよく食す。喉が渇くが、腹は満ちた気になれる」

「分かります。旅の途中、よく、勝手に盗んで勝手に食べて、喉が渇いて、勝手に水を飲んで父に叱られました」

「ワハハ、場が悪くなければ可愛らしい子の悪戯だ。……旅か。意外と野外活動の経験があるな?」

「父が、荷運びの仕事をしていたので。父について回って、色々な街に行きました」

「良い経験だ。生まれ育った土地から一歩も外に出ないという者は、この国の大半を占めている」

「そう、ですね。俺にとってはそれが普通の生活でしたけど……今にして思えば、とても恵まれていました」


 昔を思い出し、目を細める。そんなルキウスを見ながら、プロェルスが言った。


「良い父君なのだな」

「はい。素晴らしい人でした」


 ルキウスは即答した。


「俺に、いろんなことを教えてくれたのは、いつも父でした。文字の書き方も読み方も、地図の見方も、星の読み方も、空気の匂いも……」


 旅をするにあたり、必要な事は、全て父から仕込まれていた。

 騙されないようにと、文字を読んだり書いたりできるように。

 迷わないようにと、地図や、星を見て場所が分かるように。

 天気が悪い事に気づかず大変な目に合わないようにと、雨が近づいた時の匂いとかも、教えてくれた。


(でもそんな父に、酷い扱いを受けさせてしまった)


 死後、墓を掘り起こされ、無様にさらされる。死人に対する最大級の侮辱と言える行為だ。


 ルキウスが、変に貶められなければ、父も、母も、そんな目に合う事はなかったのに。


 表情が暗くなるルキウスに気が付いたのか無視をしたのか、プロェルスは頷きながら言った。


「そうかそうか。そこまで思われる父君は幸福者だ」

「……そんな事ないですよ」


 今でこそ、ブラックオパール伯爵家の領地に眠る事が出来たけれど、一度受けた屈辱は簡単には消えない。


「俺が息子だったせいで、ひどい目に合わせてしまったのですから」

「お主は今、不幸か?」

「え?」


 突然の話題転換に振り落とされそうになりつつ、応える。


「……いえ。身に余る、幸運を、与えられています」

「では父君も満足だろう」

「は?」

「すべてがそうとは言わんが、大抵の親は、子の幸福が、一番の幸福だ。お主の親は、そういう人間だっただろうな。何せ、お主が、そういう親に育てられた子だと分かる」


 目を開く。片方しかない目を。

 きゅ、と唇をかみしめた。そうしないと、変な事を口走ってしまいそうだった。


 半ば、記憶の奥に沈ませていた、ゲッツだった頃の記憶が、蘇ってくる。

 思い出すと、辛い事も思い出してしまうからと、ずっと、目を反らしていた過去が。


(……いいのかな)


 名を名乗る、ただそれだけの気力が起きなくて答えなかった。

 名乗って、また、迫害されるのも怖かった。


 そうして逃げた一人の男に、ルキウスという新しい名が与えられた。


 そしてその名前だけを名乗って、ここ数年は生きて来た。


今の俺(ルキウス)でも、父さんや母さんの事を、自分の親だって、堂々と言ってもいいんだろうか。父さんたちは、名前すら捨てたように生きている俺を、認めてくれるんだろうか)


 ゲッツだった頃には想像もしていなかった生活。


 まるで別人のような生き方。


 ただの平民だった、父と母(エッボとズージ)の子供の生活とは思えないような、生き方。


「……幸福、だと、そう、思いますか」

「ワシはな。お主はどう思う? お主の父君は、今のお主の悩みに、どう助言する?」

「……小さい事でしょげてんな、って、叱られると思います」


 ()()()()()()()()()()、なんて仮定すら、久しぶりにしたと気が付く。

 それだけ、ずっと、父の事も母の事も、考えないようにしてきた。


「なら小さい事だと笑い飛ばせばいい」

「そっか。小さい事かぁ」


 壁に後頭部を凭れさせる。

 実際に父親にそう言われた訳でもないのに、なんだか勝手に、納得してしまった。

 随分と自分が単純な人間で、苦笑が漏れる。


「悩まず矢を撃てるか、ルキウス」

「ええ。なんだか、とても、軽くなりました」

「ならばよい。最後の試合は、互いに全力を尽くさねば、面白くない」


 ぱちくりと、瞬きを一つして、プロェルスを見る。


 先ほどまでの親しみやすさすら感じる雰囲気から変わり、そこにいたのは誇り高き騎士であった。


「……さて。そろそろ休憩は終わりのようだな」


 プロェルスの言葉の通りだった。視線をずらせば、ピジョンブラットルビー伯爵家の席が、どうやら話が纏まりつつあるようであった。


 プロェルスが先に立ち上がり、歩き出す。

 彼が手に持つ弓は、ルキウスでは運ぶのがやっとなのではないかというほど、見るからに頑強な赤い弓だった。

 とはいえ、自分の手の中にあるルイトポルトから賜った弓も、劣ってはいない。いや、ルキウスにとってはこの弓が一番だった。


「優勝はワシがする」

「!」


 突然の宣言に、ルキウスは一瞬目を丸くし、プロェルスの背中を見る。彼は振り返ってはいなかった。ルキウスより先に、日陰から、日向に出て、立っている。


「……ふぅー……」


 一度目を閉じて、それから、弓を握っていない方の手で、膝を打ち、立ち上がる。


(この方は、騎士だ。俺より遥か高みにいる。貴族で、実力も功績も伴っている、到底横に並べないような相手だ。でも出来るなら)


 ルキウスは前に足を踏み出した。そうして自身も、日向に立つ。先に立っている、プロェルスの横に。


(勝ちたい)


 顔を合わせて話をして、少ししか経っていない。なのに、強くそう思った。

 ルキウスは前を真っすぐ見つめたまま、強い声で言った。


「俺が勝ちます。勝って、ルイトポルト様に勝利を捧げます」


 プロェルスはそれを茶化す事も否定する事もしなかった。横を見なかったルキウスには見えなかったが、静かに笑っていた。


「――両者、前へ!」


 審判の声に、二人の男が前に進み出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なんと誇り高い! その素晴らしさが伝播すること、確かにあるのかもしれない。
久方ぶりの良い話だった。
全てを捨てる羽目になり別人のように生きることになってずっとモヤモヤしていた所に何て良い出会いなんだ 父親超えはなるのか!?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ