八
いくら神話生物の形をとっていたとしても、『怪異』という存在はそれそのものではない。神話、伝承、噂などなど_____そうした元となるものがあって初めて、その怪物として形作られる存在だ。通常の怪異は異能がなければ倒せないが、こうした神話に記される怪物には大抵、弱点が存在する。
神話の中の存在故に、神話通りの弱点を持たせなければ、さすがのミクラサラもこの三つ首の獣を『冥府の番犬』として存在させられないのだ。
絶望の縁で機を得られたなら、死にものぐるいで活用しなければならない。諦めてそのまま絶望に呑まれるなんてこと、もうごめんだ。
「……あの、これで本当に……」
「大丈夫だよ。平里も言ってたでしょう、弱点だって。……それに、ダメだったとしても死ぬだけだから。」
「あの、カンバラさん……?全く大丈夫じゃないのでは……?」
「あはは」
空元気の笑い声を上げながら、僕は珍しく不安が表情に出ている高梨の右手を握り直す。こうも高等級相手ばかりが続くとさすがに申し訳なくなるけれど、そこは不相応にもサヤに惚れた罰ということで納得してもらうしかない。
実際、ミクラサラとサヤが起点みたいなものだろうし。……にしても、どうしてミクラサラはわざわざサヤを?
八雷神関連だとしても、八雷神がそのまま伊邪那美命の力になるわけではないだろうし。黄泉醜女と同一視されているから、配下として欲しかったとかだろうか。
……サヤの意識もあちらにくっ付いているとしたら厄介なことになる。性質が違うとはいえ、雷を見分けられる人が、いったいどれほどいるというのだろうか。
「……大丈夫。もし駄目だったとしても僕が何とかするから。……サヤみたいに優しくはできないけれどね。」
いざとなったら、僕が霊力を流し込んで高梨の権能を発動させてやればいい。幸い僕は『雨』の権能の霊力だから、大抵の相手に流し込んでも後遺症が残るようなことはない。
……とはいえ、僕の霊力循環は他人には速すぎるらしいし……割と丈夫なはずの平里にも「殺す気か」って怒られたくらいだし……果たして、高梨が耐え切れるだろうか。そこだけ心配だ。
「神原。こっちは準備できたぞ。」
「あ、うん。わかった。行こう、高梨。
……高梨?」
引いた手に抵抗を感じて振り向くと、高梨は俯いていた。青ざめた顔と極度の緊張で冷えた指先に事情は察したけれど、だからといって猶予してあげることはできない。
今、あの獣が大人しくしている時間は、望月穂稀の苦痛と引き換えだ。僕らが例外だっただけで、二十歳にも満たない子どもが勝算の見えない怪異と相対して怯えることは当たり前だ。
……それでも。やるしかないんだ。他の方法なんて、ここにはないんだから。
「……高梨。」
静かな呼びかけにぴくりと肩を揺らしたけれど、それでも高梨は顔を上げない。
……可哀想だとは思う。仕方のないことだとは思う。
だけど、無性に苛立ってしまう。
この状況を打破するために1番重要なのは高梨だ。ここで責めて余計に萎縮されてはいけない。けれど_____
「……あのさ。何の覚悟もなくサヤに『好き』だなんて言おうとしたの?」
「……え?」
「おい、神原_____」
「平里は黙ってて!
サヤに並び立てとまでは言わないけど!……言えないけど、サヤに何か隠し事があることくらい、高梨だって分かってたんじゃないの。」
分かっている。これじゃただの八つ当たりだって。なんの意味もないんだって。
けれど、サヤの強さを、明るさを、弱さを、『久山楓』という人間を、その全てを作り上げるものを知らないくせに、と思ってしまう。サヤがもし好き合うなら過去の苦しみごと受け入れる相手とじゃないと絶対に嫌だ。認めない。
……できればサヤの相手が平里だと嬉しいんだけどなー。駄目だろうな、僕らのこと「ガキ」って言ってたし。1つしか違わなかったんだけどな。
「サヤは強いよ。だからこそ、それと同等以上の死地を越えてきたんだって分かるでしょ!?守れとは言わないけど、それでもせめて追いつく気概くらいはあってよ!」
僕はもう、サヤと一緒にはいられない。
同じ身体を共有している以上、こればかりは仕方のないことだ。
だから、だけれど。
だからこそ、僕はサヤが幸せになれるように。なんの憂いもなく『青春』とやらを送れるようにしなければならないんだ。
そのためには、ここにいる人たちも、外にいる人たちも、誰一人だって欠けさせる訳にはいかないんだ。
「お前が、お前がそんなんだと、誰か死ぬかもしれない。ただでさえ針の穴に糸を通すような作戦なんだ。だけど、お前がここで踏ん張れば誰も死なないで帰れるかもしれない。
……サヤのことが好きだって言うんなら!『愛してる』って言うんなら!為すべきことから目を背けんな!」
……あ、これ、僕だ。僕があのころ、僕に言いたかったことだ。
僕を見てるみたいで、だからあんなに苛立ってたんだ。ひどい大人でごめん、高梨。
僕はサヤが大事だ。平里も同じくらい大切だ。
だけど、だからって、本当は、他のみんなが「どうでもいい」なんて思ってなかった。そう思わないとやっていられないだけだった。
だって、弱いから。すぐに死んでしまうから。
取りこぼしたもののことをずっと想っていられるほど、僕は強くなんてなかったから。「好きなくせに守り抜けなかった」事実は、僕には重すぎたんだ。
……そんな苦痛、ことちゃんの子孫には味わわせたくない。「自分のせいで」も「こうしていれば」も、知らなくていい。
だから、ビビってないで進んで欲しかった。ことちゃんに似た高梨には、きちんと大切なものを守り抜いて欲しいから。
「……カンバラさん?」
「何。」
「泣いてるんですか?」
「泣いてないけど!?」
「え、ですが……」
「僕が泣いてないって言ったら泣いてないんだよ……」
情けない。本当に情けない。
絆されすぎだ……あーあ。大切な人なんて、もう増やしたくなかったのに。
乱暴に目元を拭って鼻を啜ると、大人しくしてくれていた平里もさすがにハンカチを差し出してきた。白くて綺麗で、しかもやわらかい。
「……汚れるよ。」
「そのためのハンカチだろ。……高梨、神原が落ち着いたら行けるか?」
「はい。もう大丈夫です。……古賀のためにも、成功させないと。」
恥ずかしい。あれだけ言っといて僕が足引っ張ってる……本当に、情けないな。
濡れた顔を拭って、鼻をかむ。綺麗なものを汚すのは気が引けたけれど、持ち主が良いって言うなら甘えよう。帰れたら洗って返したいけれど、その頃に僕は……どうなっているんだろう。サヤは、この身体にいてくれているんだろうか。
……いや、今考えることじゃないよね。今はただ、作戦を成功させることだけ考えていればいいんだ。
サヤの夕焼け色の瞳を思い出して、暗い感情が霧散した。僕は頬を何度か叩いて気合いを入れ直すと、ハンカチを畳んでポケットにしまい込んだ。高梨の顔の青さも、指先の冷たさも、すっかり消え去っていた。




