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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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然るお方(6)

改稿しました。

 時は少し遡り、ディアヌローズのもとをアルフレデリック達が訪れる日の早朝。


 久しぶりにディアヌローズは二の鐘で目を覚ました。いつものように窓の外を眺めると、空は灰色の雲に覆われていて冬が戻ってきたかのように寒々しい。

 でも、心は晴れやかだ。『()るお方』がみんなの中に居ないと判って気分は上々。身体を(めぐ)る痛みさえ軽くなった気がする。


 ディアヌローズは大きく伸びをした。側仕えが起こしにくるまであと半鐘ある。

 早朝ではあるけれど、できることならマノワとテチュに感謝を伝えたい。呼びかけたらふたりは会ってくれるだろうか。

 すると。


 ──おはよう。ディアヌローズ。


 頭の中に聞き慣れた(しわが)れ声が届くとともに、マノワが現れた。いつもどおりにきっちりと(まと)められたお団子頭には、ディアヌローズの贈ったレースバンドが巻かれている。


 ──おはよう。マノワ。たくさん協力してくれてありがとう。おかげで戻ってこられたわ。


 ──水臭いこと言うんじゃないよ。友だちだろ。


 マノワはパチッと黒茶の片目を瞑った


 そんな気の置けないマノワの仕草はディアヌローズに日常の戻ったことを実感させるには十分で、思わず知らず笑みが零れる。


 ──いくらお友だちでもきちんとお礼は伝えたいの。オジェとプトーにも会ってお礼を言いたいわ。


 ──あんたの顔を見たらきっと喜ぶだろうさ。


 マノワは皺だらけの顔を綻ばせた。


 ──だったら嬉しい。

 ねえ、テチュはどうしているかしら。お礼を言いたいの。森の精霊エリィオンに手助けを頼んでくれたのよ。


 ──あいつにしては気の利いたことをしたもんさ。えらく吃驚(びっくり)したよ。


 ──そんなことない。テチュはいつもさり気なく気遣ってくれるもの。靴飾りを直してくれたり、華やかにしてくれたりね。ちゃんとナディとお揃いにしてくれるんだから。


 声を抑えてディアヌローズはくすくすと笑った。靴を手に側仕えたちが首を傾げていても、テチュは知られたくないだろうからと口を噤んでいる。


 ──そんな風に言われちゃ、今あいつの顔は緩みっぱなしだろうさ。


 ──えっ、近くにいるの? テチュ、姿を見せて!


 ディアヌローズがきょろきょろ見渡すと、マノワは肩を竦めた。


 ──無駄さ。出てきやしないよ。


 ──そう……。仕方ないわね。


 テチュの顔を見られないのは残念だけど、せめてお礼だけは伝えたい。ディアヌローズは胸に手を重ねて目を伏せた。

 精霊には知ってほしい胸の内が伝わるそうなので、テチュに届きますようにと感謝の言葉を心に広げる。


 ……テチュ、ありがとう。テチュのおかげで子ども達が全員助かったの。できれば顔を見てお礼を伝えたかった。気が向いたら顔を見せてね。


 視線を上げてすぐ、ディアヌローズは目前のマノワにハッとする。人前に姿を現したがらないのはマノワも同じ。なのに頭からすっぽりと抜け落ちていた。


 ──マノワ……。ごめんなさい。わたしの所為でみんなに姿を見せたのね。


 ──気にしなさんな。姿を見せなかったのは面倒だっただけさ。

 さてと。そろそろお(いとま)するよ。ちょいと忙しくてね。


 ──朝早くに会ってくれてありがとう。次はゆっくり話しましょう。


 ──ああ。


 マノワは姿を消した。



 まだ側仕えが起こしにくる二と半の鐘は鳴らない。


 再びディアヌローズが窓の外を見遣ると、きのうと同じ枝に目を瞑ったウルラがいた。

 難局で助けられたことを思えば、今のウルラの処遇には申し訳ない気持ちがふつふつと湧いてくる。


 ただ、いくらウルラがディアヌローズの魔力を好ましいと思っているとはいえ、契約解除せずに現状を受け入れている点は不思議でならない。

 隋獣契約に至る経緯を「悪辣」と評したアルフレデリックも、強引に契約解除させようとはしなかった。


 それぞれにどのような思惑があるかはさておき、ディアヌローズが死ねば隋獣契約は解除されるとウルラは言った。


 だからこそ魔力腺損傷に申告漏れがあるディアヌローズとしては、わざわざ疑問を訊ねて藪蛇になるような真似はしない。

 深く傷ついた洗礼前の未発達な魔力腺は、巡る魔力にきっと耐え切れない──。

 でなければこの数日治癒魔術を受けているにも拘らず、痛みが増しているなんてありえないだろう。

 伝えたところで治らないのなら、みんなを困らせるだけだ。


 死が怖くないと言ったら噓になるけれど、どうせなら来るべき日までは愉しく穏やかに過ごしたいと思っている。



 庭に突如として一陣の風が吹き抜け、草木を揺らした。


 ディアヌローズは低木の根元で何かが動いた気がして目を凝らす。


 ……フェブル!


 初めて見たのは転移してきて間もない頃。その時に、フェブルは聖獣であり、目にした者には幸運が訪れると教えてもらった。


 けれどディアヌローズにはそのフェブルが、奏の時にともに過ごしたビオラとしか思えない。うさぎそのものの姿も、オレンジ色の毛並みも記憶のとおり。木陰ではっきりとしない暗色の瞳も、おそらくは同じ黒。

 とうに天寿を全うし、世界も異なるのだからおかしな話ではあるけれど、大切な友を見間違えたりしない。でもどうして?



 すると突然、視界の隅で白い塊が動いた。

 見れば、ウルラがゆっくりと羽搏(はばた)いている。


 思うよりも先にディアヌローズの身体が動く。夜具をはね上げ、寝台を滑り下り、裸足のまま窓に駆け寄る。その勢いのまま、玻璃に包帯の巻かれた両手をついた。


「ウルラ! フェブルを食べないで!」


 聞こえていないのか、ウルラが枝から飛び立つ。


「やめてっ!」


 ディアヌローズは叫び、ぎゅっと目を瞑った。


 永遠とも思える時間のあと、恐る恐る目を開ける。


 茂みにフェブルの姿はない。


 玻璃を通り抜けてきたウルラをディアヌローズは見上げた。


「ウルラ。……た、食べた、の?」


『食さぬ。無礼な。(われ)は契約者である(なれ)の意志を尊重する』


「ごめんなさい……」


 滞空するウルラに半眼で見下ろされて、ディアヌローズはしゅんと肩を落とした。


『吾はしばし森へ行く』


 言うなりウルラは向きを変え、窓を突き抜けて飛び去った。



「何をなさっていますの!?」


 突然かけられた声に、ディアヌローズの肩が跳ねあがった。

 振り返れば予想どおりにフォセットで、しかも手を腰にあてて眉を吊り上げている。


「はしたない。声をおかけするまでは横になっているお約束でしたでしょう」


「でもウルラが……」


「言い訳なさるのですか? 聞こえておりましたから状況は存じておりましてよ。ですが、寝台から出た挙句に裸足でいる理由にはなりません」


 フォセットの厳しい視線が足に向き、ディアヌローズは後退った。艶やかな石床の冷たさが急に足裏からしみてきて、左右の足先を擦り合わせる。咄嗟のこととはいえ、いろいろと失敗してしまったと今更ながらに気づいた。


「ごめんなさい……」


 冷えて赤くなった足を見つめた。



 不意にふわりとディアヌローズの身体が浮いた。後ろから抱え上げられる。


「フォセットは心配なんですよ。今朝は冷え込んでいますからね。おわかりでしょう?」


 レオナールは目線を合わせてそう言うと、暖炉近くの長椅子にディアヌローズを下ろした。


 入れ替わるようにしてフォセットはディアヌローズにガウンを羽織らせ、つま先を両手で包んだ。


「こんなに冷たくなって……」


「やめて。手が汚れるわ」


「あら。掃除は行き届いていましてよ」


「……ありがとう」


 ピリピリする足にフォセットの温もりが伝わって、胸にまでも届く心地がする。


 涙の滲んだ目で暖炉のぼやける炎を見つめ、監禁された地下室の暖炉を思い起こせば、覗き込んだ煙突の空は小さく遠かった。

 あの時は気にする余裕もなかったけれど、湿気た塵塗れの石床はここよりも何倍も冷たかったのだろう。その石床に投げ出され、突き飛ばされ、押しつけられた。まるでモノみたいに……。


 戻ってこられた喜びに、きゅっと唇を結んだ。




 ◆◇◆




 朝食後しばらくして、エレオノールから昼過ぎに来訪するとの先触れがディアヌローズに届いた。


 当分は寝台で過ごすように言われていたけれど、面会の間だけという約束で部屋着に着替えさせてもらう。

 長椅子で待つ間に、エレオノールは拉致されたことを知らないと聞いて安堵した。



 待ちに待った来訪の小鐘(ベル)が鳴った。


 エレオノールはいつものようにディアヌローズの隣に腰掛けると、包帯の巻かれた手を見て柳眉を寄せた。


「やっぱり巻き込まれたのね。馬車の暴走を耳にして気が気でなかったの。具合は?」


「大したことはありません。でも、血で爛れてしまって……。それに巻き込まれたのではなくて、パレードに見惚れて転んじゃったんです」


 嘘は少しだけ。

 車上から空を覆い尽くさんばかりに撒かれた、色とりどりの花びら。それらが視界いっぱいに舞う光景を首が痛くなるほど仰ぎ、瞬きを惜しんで見つめたのは本当のこと。


「大きな怪我ではないのね。……よかった」


 エレオノールはディアヌローズの頭を優しく撫でると、そのまま自身の胸許へと抱き寄せた。


 領地で花まつりを過ごしたエレオノールは中立領に戻って暴走馬車の話を知り、すぐに面会の先触れを出したという。


 エレオノールの早い心臓の鼓動がディアヌローズの耳朶を打つ。とても心配をかけてしまったのだと痛感した。


 一際ぎゅっと強く抱きしめた腕が離れ、ディアヌローズはエレオノールを見上げた。

 愉しい思い出もあるのだと知ってほしい。それを皆にも聞いていてもらいたい。


「降るように舞う花びらがとても綺麗でした」


「上ばかり見ていたのね。でも、次からは気をつけなくてはダメよ」


「はい」


 ふたりは目を合わせてくすくすと笑った。

 それからエレオノールが領地での花まつりについて、ディアヌローズはビジュが歌った話を披露した。


 途中、ミエルたっぷりのお茶を飲むたびにエレオノールから世話をやかれて、ディアヌローズは恥ずかしくて堪らなかった。いくらエレオノールが楽しそうでも、もう二度と両手とも使えないような怪我はしない。固く心に誓った。



 ふたりがおしゃべりに夢中になっていると、また来訪を告げる小鐘が鳴った。


 姿を見せたのはコンスタンティンはじめ、ヴァランタンとアルフレデリックの三人だ。


 立ち上がったディアヌローズ達に、コンスタンティンは微笑ましそうな目を向ける。


「急におしかけて迷惑だったかな」


「いいえ。お会いできて嬉しいですわ。お久しぶりです、コンスタンティン様。ヴァランタン様、アルフレデリック様も」


「こんにちは」


 淑やかにエレオノールが膝折礼(カーツィー)し、ディアヌローズも準じた。


 ヴァランタンが「やあ」と片手を軽く上げ、アルフレデリックが頷くように挨拶すると、みんな席についた。



 ひとしきりお茶を飲んだところでヴァランタンが口を開く。


「領地へ戻るので挨拶に来たんだ」


「えっ!?」


「──花まつりは終わったのに遊んでばかりいるな、と叱られてね」


 驚くディアヌローズにヴァランタンが隣をちらりと見て悪びれもせずにそう言ってのけると、当のコンスタンティンもちらと見返して大仰に息を吐いた。


「何を言うか。領地で仕事が山積みになっているだろう」


 もともとヴァランタンが中立領にやって来たのは、アルフレデリックがディアヌローズを花まつり見物に連れていく間の仕事を肩代わりするためだった。ところがディアヌローズが拉致されたため、滞在が延びた。

 むろん領地での仕事も山積してはいるが、真の帰領の目的は拉致関係者の現地調査である。


 それをおくびにも出さず、ヴァランタンは同情を誘うように眉を下げた。


「帰れば地獄をみるのです。その前に、ここでひとときの平穏を過ごすくらいは構わないでしょう?」


「其方には尻を叩いてくれる者が必要だな。エレオノールもそう思わないかい?」


 いきなりコンスタンティンに同意を求められて、エレオノールは困ったように微笑んだ。


「……わたくしではわかりかねますわ。けれどもせっかくお目にかかれた機会ですので、わたくしもみなさんと楽しく過ごしたく存じます」


「ときに、お父上はまだ君を手放す気はないのかな」


 一瞬真顔になったエレオノールは、口に手を添えるとまた困ったように笑みを浮かべた。


「嫌ですわ。揶揄わないでくださいませ」


「揶揄ってなどないさ。愚息三人は揃いも揃って伴侶を見つけられないんだ。美しく聡明な君を望むのは父親として当然だよ」


「ご存じないだけで、ご令息様方にはきっと意中の方がいらっしゃいますわ」


 興味津々の目でコンスタンティンが両隣りの息子を順に見ると、どちらも関心なさそうにティーカップに手を伸ばしている。

 コンスタンティンはやれやれと首を振った。


「そんな甲斐性があれば私も老けこまないのだがね」


「いつまでもお若くていらっしゃいますわ」


「そうかな」


 まんざらでもない顔でコンスタンティンは頬を摩った。


「エレオノール嬢。会うたびに父の話に付き合わせちゃって悪いね」


 そう言ってヴァランタンは父に呆れた目を向け、アルフレデリックは父を気にすることなくお茶に口をつけた。



 アルフレデリックがお茶を一口飲んだところで、エレオノールがディアヌローズの包帯に触れて訊ねる。


「ディアヌローズはパレードで馬車から撒かれた花に見惚れたそうよ。アルフレデリック様も見惚れていらしたみたいね」


 暗に目を離したと非難されて、アルフレデリックはディアヌローズへと視線をついと移した。


 ……まずい……。


 ディアヌローズは冷や汗をかいた。睨まれてはいないが、いたたまれない。自分の間抜けな失敗で怪我したことにすればただの笑い話になると考えたが、アルフレデリックに火の粉が降りかかるとまでは思い至らなかった。固唾を呑んで話を合わせてくれることを願った。


「……気づいたら勝手にそうなっていた。不可抗力だ」


「手を繋いでくださればよかったのに」


「は?」


 アルフレデリックは目を丸くした。


 すると、にやにや顔のコンスタンティンが口をはさむ。


「次からは手を繋ぐそうだ。もう怪我する心配はないよ」


「ああ。私も確かに聞いた」


「!」


 ヴァランタンが請け合うと、アルフレデリックは絶句した。


 そんなアルフレデリックを無視して、エレオノールはディアヌローズの手にそっと自身の手を置く。


「決して、繋いだ手を離してはダメよ」


 アルフレデリックの冷気を感じながら、ディアヌローズはこくりと頷いた。あとが怖い……。



 エレオノールが帰ってすぐ、ディアヌローズは身を縮こまらせて口を開く。


「……申し訳ありません。転んで怪我をしたと嘘をつきました」


「とんだ巻き添えだ」


「いや。いい判断だ。知られない方がいいからね」


「忘れずに手を繋げよ」


 アルフレデリックは不満を漏らしたが、コンスタンティンはディアヌローズの肩をもち、父の話に乗ったヴァランタンはわざわざ席を立って茶化すように弟の肩をぱしんと叩いた。


「兄上が付き添ってください」


「お前の役目だよ」


 眉間に深くしわを刻むアルフレデリックを見て、ディアヌローズはますますいたたまれなくなって俯いた。



「ヴァランタン、席に戻れ。アルフレデリックは仏頂面をやめよ。ディアヌローズは顔を上げなさい。君に大切な話がある」


 真面目な顔でコンスタンティンが呼びかけると、場の空気が一変した。

 三人の視線を集め、コンスタンティンは話し始める。


「さて、ディアヌローズ。事件の話だ。君を(さら)った首謀者を捕らえた。

 君が言っていた『然るお方』なる者だ」


 ディアヌローズは目を大きく見開いて息を呑む。冷たい痺れが背骨を駆けおりた。



 パンッ、と暖炉の薪が大きく爆ぜ、崩れた。






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