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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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救出(2)

修正しました。

「──許可する。

 但し、危機に瀕しない限り、待機の指示は変えられぬ。努々(ゆめゆめ)忘れるな」


「心得ております」


 コンスタンティンの念押しを、アルフレデリックは不本意ながらも受け入れた。


 庭から森を目指すべく歩き出すと、足早にアントナンがやって来た。


「お連れください」


「其方は文官だろう」


「連絡係がおれば、便利ではございませんか?」


 歩みを止めないまま、アルフレデリックは食い下がるアントナンと寸の間目を合わせて前を向く。


「──参れ」


「ありがたく」


 アントナンは胸に手をあてて簡易な礼執り、アルフレデリックに付き従った。その後ろには、ベルナールとジェラルド、アンベールにクロティルドが続いた。



 庭に出ると、清々しい(エアリューリス)の夜気がアルフレデリックを包んだ。


 空には芽月特有の青緑色の月が皓々と照り、これから荒事が待ち受けているとは思えないほどに穏やかだ。


 その月を見上げて、アルフレデリックは風の精霊に命じる。


「ブラスク。上昇せよ」


 風が、アルフレデリックの周りで巻き起こった。


 ゆるく束ねられた髪が靡き、風を孕んだマントの裾がばさりとめくり上がると同時に、アルフレデリックの身体は足元に舞う風によって、ふわりと地面から離れた。


 そのまま垂直に上昇し、身体が木立よりも高くなると、アルフレデリックはブラスクに滞空を命じた。


 虚空に向かって「アズル」と呼びかけ、直後に、腕環の魔石から光が迸った。


 光は螺旋を描きながら大きな繭となってすぐに解け、中から隋獣の青竜が現れた。硬質な鱗を光の残滓で鈍く光らせるその姿は、とても勇美である。


 アルフレデリックは空中から青竜の背に飛び乗り、アントナン達は翼馬で地から空へと次々に翔け上がっていく。



 月の下、列をなして森へと向かうアルフレデリック達を、ヴァランタンとコンスタンティンは窓辺で見送った。


「では、父上。私もそろそろ」


「ああ。頼む」


 ヴァランタンも自身の役割を果たすために、部下を従えて扉から退室していった。



 残ったコンスタンティンは「領地からミゼリコルドを呼び寄せるように」と秘話石を介して側近に指示を出し、暖炉前の椅子に腰掛けた。膝に肘をつき、暖炉の炎を見るともなしに眺める。


 薪の爆ぜる音だけが室内に響き、やがて炎の中の薪が音を立てて崩れると、コンスタンティンは我に返ったように目頭を揉んだ。薪が足され、炎が勢いを取り戻す様を見つめて、ひっそりと息を吐き、頭の中で呼びかける。


 ──マノワ殿。近くに居られるのだろう?


 かなりの()を置いて、応えるマノワの声がコンスタンティンの頭の中に響いた。


 ──なんだい?


 姿を見せないマノワの代わりに、コンスタンティンは燃える薪を見つめた。


 ──嫌な予感が拭えんのですよ。私の予感はよく当たる。嫌な予感ほど特に。いつもそれに助けられてきた。けれど、今回ばかりは当たってほしくない。

 ……もう二度と、あの時のような思いはしたくないのです。


 たった今傷を負ったかのように、コンスタンティンは顔を歪めた。緑柱石の瞳には、映る炎が揺らいでいる。


 ──あたしも同じだ。今すぐにでも、あの子の許に行ってやりたい。ここを離れられない我が身が恨めしい。……そう思うのだって、二度目さ。


 それから少し間があいて、またマノワの声が届く。


 ──……あの時と同じ後悔をしたくないんだ。だから、あの子には加護を与えた。だが、所詮あたしの加護は内なるものを護るためにある。外的な、物理的なものからは護ってやれやしない。……できることには限りがあると、嫌というほど味わってるよ。


 コンスタンティンは深く頷いた。


 ──(しかり)り。洗礼前のこの試練、なんとしても乗り切らねばならない。

 女神より賜った加護は、洗礼のためにこそある。ここで発動させるわけにはいかぬのです。まずは此度を無事に乗り切って、これから(のち)の洗礼までの道程が、穏やかであれと願うばかりです。


 ──ああ。


 ──マノワ殿。つき合っていただき感謝する。


 ──気にしなくたっていいさ。お互い、弱音を吐けない立場だ。ミゼリコルドが来るまでの、場つなぎくらいにはなったかい?


 ──滅相もない。あなたのお力添えに、今一度、感謝を伝えたかったのですよ。シェリール……あの子に、加護と小鐘(ベル)を与えてくださったこと。探索と見守りに協力くださったこと。そして何より、あの子を支えてくださっている。


 コンスタンティンは姿勢を正して、片手を胸にあてる。


 ──深く、心より感謝申し上げる。ありがとう。


 ──止めとくれ。言っただろう。あたしも後悔したくないんだよ。あの時のように。だから、あたしの為でもあるんだ。


 これでお(いとま)するよ、との言葉を最後に、マノワの声はしなくなった。


 コンスタンティンが背もたれに身を委ねて目を瞑ると、再び薪の爆ぜる音だけが室内に響いた。




 ◆◇◆




 広大な森の入口上空に、アルフレデリックは着いた。

 情勢が動くまでは、ここで待機となる。


 渋々ながらもそれを受け入れた訳だが、アルフレデリックは改めて、大いなる懸念に苦々しく顔を顰めた。


 ()の領地の子らと行動を共にしているうちは、ディアヌローズもその子らの守役によって護られているだろう。だが、その子らがアジトに行ってしまえば、ディアヌローズを護る者はいなくなる。


 斯くなる上は、件の子らがさっさと一仕事終えるのを期待するしかない。

 それまでは、ディアヌローズの身に危機が迫らないことを願うばかりだ。ただでさえ、魔力腺が傷ついているに違いないのだから。


 アルフレデリックは嘆息し、青竜の背から森に目を向けた。

 眼下では、夜に沈む樹海を青緑色の月明かりが(しずか)に照らしている。


 一見平穏そうだが、時折り響く遠吠えやけたたましい鳴き声によって、ここが獣の跋扈する森であることは明白だ。しかも、夜は狩りをする獣の動きが活発で、襲われる確率は高い。


 考えたくはないが、彼の領地の子らが捕縛し損ねた場合、逃れた拉致犯に発見される可能性さえある。


 そんな森に、ディアヌローズはいるのだ。


 加えて、ディアヌローズがまた魔力を動かすようなことがあれば、その時点で命にかかわりかねない。



 一縷の望みは、マノワの話だ。

 ディアヌローズは森の精霊エリィオンと会っていた──

 そして、ひかり茸。


 おそらく、森の精霊エリィオンは避難経路を用意してくれたのだろう。だがはたして、安全が保障されているのか。



 あれこれ考えている間も、森からは獣の鳴き声が上がっている。


 不測の事態に即時対応できるよう、アルフレデリックはディアヌローズの居所を把握すべく、腰の物入れから測位石を取り出した。


ルシェルシュ(捜索)


 アルフレデリックの掌上で、測位石が光り輝いた。

 しかしまたしても、測位石は揺らめく輝きを内包したまま、光を伸ばさなかった。


 再度唱えても結果は変わらず、アルフレデリックは舌打ちして測位石を解除(アニュリィ)した。

 この新たな測位石は、地下にも対応している。残る可能性は──


 結界、か。


 アルフレデリックはブラスクを呼んだ。


「ディアヌローズを探索せよ。結界を探索範囲に入れるように。森の精霊エリィオンの可能性が高い」



 ブラスクが探索に向かうと、アルフレデリックは広大な夜の森を見下ろした。


 鬱蒼とした樹木が、満月から一日過ぎただけの月明かりでさえ遮って、ここからでは地上は全くと言っていいほど見えない。


 アルフレデリックは束の間考えて杖を出し、「マクリア(望遠視)」と、杖の先を目前でくるりと動かした。杖の軌跡をなぞるように光が線を描き、繋がって円になると光は消えて、その内側は望遠レンズのようにアルフレデリックの視る先を映し出した。


 けれど拡大された映像は、樹々の切れ間から洩れる月明かりによって、地面がかろうじて仄見える程度である。もともと、望遠視は暗視できないのだから当然だ。


 それでもアルフレデリックは、獣の声が上がる度にその周辺を望遠視で見続けた。常であれば、無駄と断じる行為だった。



 かなりの(とき)が経って、漸くブラスクが戻ってきた。


「ディアヌローズを発見できず。されど、結界あり。魔力は、森の精霊エリィオン。内は探索不能。在否を問うも、知らぬと返答。 以上」


 結界の中を探索できないということは、エリィオンはブラスクと同等、もしくはそれ以上の力を持っているのだろう。少なくとも結界の中にいるのなら、ディアヌローズは安全だ。


「ブラスク、結界はどこだ?」


「結界は大樹。──今、火の手が上がっている処」


「何っ!?」


 方向はすぐにわかった。


 現在地(ここ)からかなり奥まった処で、燃え上がる炎が夜の森を紅に染めている。いきなり大きな火の手が上がるなど、故意でしかありえない。


 介入の可能性がある旨の報告をアントナンに任せて、アルフレデリックは望遠視を稼働したまま、大樹に急いだ。



 近くなるほどに望遠視の中の炎は高く、赤く、立ち昇る煙の中に舞う火の粉が増えていく。


 ところが、突然。

 燃え盛る炎が、消えた。


 嫌な予感に、アルフレデリックはすかさず測位石を起動した。

 光が、燃え盛る大樹へと一直線に伸びていく。


 ディアヌローズが水を呼んだ(ラヴァージュ)────


 アルフレデリックは確信し、莫迦者……、と言葉を落とした。無論、彼の領地の子ら、もしくは、守役の可能性もあるだろう。だが、確信は揺らがなかった。


 青竜の速度を上げるべく、手綱を緩めようとした矢先、アルフレデリックめがけて光の燕が飛んできた。


 指に留まらせ、「メサージュ」と唱えると、燕は嘴を開いた。


『マノワ殿より連絡。拉致犯がアジトより一人逃走』


 淡々と話すコンスタンティンの声が再生されると、アルフレデリックの眉間にはみるみるうちに深いしわが刻まれた。


 燕を解除(アニュリィ)し、元に戻った伝達石を忌々し気に握りしめる。


 無能ども! ── 


 取り逃がしたばかりか、報せてもこない彼の領地に、胸の内で悪態をついた。


 大樹に向けて青竜の速度を上げ、考えを巡らせる。


 火を付けたのは、おそらく逃走犯だ。ディアヌローズが納品予定であり、結界である大樹に避難していたことを踏まえれば、十中八九間違いない。


 大方、大樹に出入りするところを拉致犯に見つかったのだろうが、まったくもって危機感がないと言うほかない。


 到着時における最善は、彼の領地の者が逃走犯を捕まえていること。最悪は、ディアヌローズが逃走犯に囚われていることだ。客観的に判断すれば、前者はありえない。


「捕縛しておれよ……」


 アルフレデリックの口から零れ出たのは、希いだった。



 望遠視でぎりぎり大樹が臨める位置に一旦滞空し、彼の領地の守役が待機していないかを確認する。

 空中や樹上に、それらしい騎影や人影は見あたらなかった。


 続けて、大樹へと目を向けた。


 大樹の周りは草ばかりのちょっとした空き地になっていて、月明かりを遮るものはなく、夜目でも様子がよくわかる。ざっと見た限り、人の姿は見あたらない。


 結界である大樹は、樹齢千年はあろうかという巨木で、十人もの子どもを匿っているのも納得の大きさである。幹周りは張り出した大枝に隠れて見えないが、火事で焼け落ちた部分は縦に抉れており、そこだけは薄暗いながらも幹や地面が見えている。


 その抉れた部分に、望遠視を合わせた。すると。


 こちらに背を向けて立つ、成人の男が映し出された。


 拉致犯、か……!? ──


 守役との判別がつかず、緩速で近寄っていく。


 いきなり、男が体勢を崩した。


 その拍子に、男の陰から、男の片足にしがみつく子どもの姿が見えた。

 男は子どもを滅多矢鱈に引きずり回して、その腕を振り解こうと足掻いている。


 はたして、その子どもは彼の領地の子なのか。仮にそうであるなら、お粗末としか言いようがない。


 アルフレデリックが判断しかねていると、望遠視の中にもう一人、子どもの姿が映り込んだ。


「結界に入れ! 莫迦者」


 ディアヌローズとわかるや否や、アルフレデリックは唸るように言った。



 足にしがみついている子どもが、男に蹴り上げられた。

 あろうことか、ディアヌローズがその子どもに走り寄っていく。


 もう十分に、不測の事態である。


 アルフレデリックは一気に青竜の速度を上げる。部下たちを置き去りにした。


 大樹を目指し、風を切って飛ぶ青竜の背で、髪とマントを激しく風に靡かせながら、距離を詰める間を惜しんで杖を出した。


 狙うは、拉致犯と思しき男だ。もはや、彼の領地のことなどどうでもいい。


 望遠視の映し出す状況が、瞬く間に悪化していく。男がディアヌローズにナイフを振り上げたのだ。

 アルフレデリックが男めがけて拘束魔術を行使しようとした、まさにその時だった。


 男が尻から転倒した。


 男の周りには、花火の残滓のように魔術の光が散っている。ディアヌローズの守護石が発動したのだ。もはや、一刻の猶予もない。


 アルフレデリックは改めて男に狙いを定め、拘束呪文を口にしようとした、その寸前。


 男が、ディアヌローズの目前に立った。


 ! っ……。舌の先まで出かかった呪文をアルフレデリックは呑み込んだ。このまま拘束魔術を行使すれば、ディアヌローズまで一括りにしてしまう。


「ブラスク、男を吹き飛ばせ」


 疾風となったブラスクが男を目指し、アルフレデリックは間髪入れず、拘束呪文を唱える。


フェルーラ(拘束)!」


 ぶん、と杖を振った。

 光の帯が杖の先から伸びて千切れ、まっすぐ男へと飛んでいく。

 続けざまに拘束呪文を唱えて、勢いよく杖を振った。



 先に到達したブラスクが、男を疾風で巻き上げた。


 宙を舞う男の、上半身をアルフレデリックの最初に放った光の帯が巻きつき、下半身を後から放った光の帯が巻きついた。


 拘束された男は、為す術なく全身を地面に打ちつけて、芋虫のように転がった。



 望遠視を通してアルフレデリックは男を一瞥し、ディアヌローズへと視線を移してすぐ、目を瞑って力なく大樹に凭れている姿に違和感を覚えて眉を寄せた。


 不意に、ディアヌローズの身体が、ふらりと揺れた。


 そのまま幹を滑るようにゆっくりと身体は傾いで、三つ編みの髪が少し遅れてついていく。


 とうとう、ディアヌローズは人形のように地面に倒れた。身動ぎひとつしない。



 青緑色の月の下、青竜の背で、アルフレデリックは淡い金瞳を見開き、息を呑んだ。


 望遠視が映し出すその様を、手を伸ばせば受けとめられるような距離感で、けれど決して届きはしないその距離で、アルフレデリックは見ているしかできなかったのだった。






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