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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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夜の森(1)

加筆修正しました。(2024.06.23)

 ディアヌローズはグエンと並んでプトーの作った扉前にしゃがみ込んだ。いやが上にも不安が増していく。扉の開く音を男たちが気づいたら? 開けた途端に魔獣が襲ってきたら? 考え出したらキリがない。

 冷たく震える手を組んで隣のグエンを見れば、張り詰めた表情で取っ手を掴んでいた。自分だけではないと、そう思えた。


 緊張感が漂う中、グエンは扉を見据えていた目を瞑った。一呼吸置いて目を開けると、慎重に取っ手を引いた。


 扉は音もなく、滑らかに()いた。


 僅かに開いた扉を前に、ふたりは示し合わせたように肩の力を抜いた。顔を見て頷き合い、お互いすぐに表情を引き締めなおした。

 その扉を、グエンは顔の幅まで開けた。


「僕が確かめる」


 グエンに耳打ちされて、ディアヌローズは頷きを返した。魔獣の知識は皆無なのだから、ここは彼に任せるべきだろう。



 まずグエンは扉口から外を窺い、それから顔を覗かせた。

 森からは変わらず獣の声が聞こえてくるので、ディアヌローズは気が気ではない。


「大丈夫? 逃げられそう?」

「…………ああ」


 気を取られたようなグエンの返事に、ディアヌローズの不安は一気に高まった。


「何かいるの? まさか魔獣?」

「……いや。──ああ、いた」


 ディアヌローズが引き止める間もなく、グエンは扉を全開にするやいなや外に向かって這い出した。唖然とするディアヌローズの目前から上半身が消えたかと思うと、すぐに後退ってきた。


 起き上がったグエンは手に付いた土汚れを擦るように払い、どうぞと言わんばかりにその手で扉口を示した。


「正面の樹を見て」


 おずおずとディアヌローズは扉から顔を覗かせた。虫の音が一段と大きく聞こえる。青い香りとやわらかな春夜の空気に、堪らず呼吸を深くした。

 視線を草木の刈られた手前から奥の森へと移し、月明かりに照らされた樹々の中から正面の樹を見る。その時──

 いきなり樹上から黒い塊が落ちてきた。同時に、煩いくらいに鳴いていた虫の音がピタリと止んだ。


 咄嗟にディアヌローズは顔を引っ込めた。警戒心もあらわにグエンに向く。

 ところが、グエンに警戒する様子は微塵もない。(むし)ろ楽しんでさえいるようだ。


「よく見て」


 グエンに再び促されて、ディアヌローズは訝しみながらも扉の内側から外を窺った。

 ほどなくして、樹陰から黒い塊が出てきた。月の光にその姿が浮かび上がった。


「っ! ドゥドゥ……」


 こちらへと歩いてくるドゥドゥを、ディアヌローズは呆けたように眺めた。が、しかし。

 ドゥドゥがあと少しで草木の刈られた処、と気づいた途端、我に返った。

 両手を前に突き出して、止まれの合図を矢継ぎ早に送った。


 急に慌てだしたディアヌローズに、グエンが怪訝な顔で訊ねる。


「どうしたの?」

「ここの周りは小枝でいっぱいなの。踏むと音が鳴るのよ。たぶんわざと敷き詰めていて、近づくものを報せてるんだと思う」


 昼間このアジトに入る時、ディアヌローズが踏んでも枝はパキパキと音を立てて折れた。取り越し苦労ならそれでもいい。万全を期すと決めたのだ。


 グエンは少し考え込んで、なるほどと拳を口許に寄せた。何やらぶつぶつ呟いて、その拳を下ろした。


「止まるように伝えたから」


 伝えた? ディアヌローズは首を傾げるばかりだ。

 そんなディアヌローズに、グエンは拳を開いてみせた。掌には石がある。


「秘話石だよ。持ってる者同士だけで話ができて、他の人には聞こえない。僕らはこれで連絡を取り合ってたんだ」


 思い返せばディアヌローズがプトーと交渉していた時、いつの間にか隣にいたはずのグエンはいなくなっていた。おそらくその時に、グエンもドゥドゥと秘話石を介して話し合っていたのだろう。


「僕とドゥドゥで小枝をどけるから、ナディは見張りをお願い」


 グエンとドゥドゥはアジトと森の両端から小枝を除け始め、ディアヌローズは男たちのいる隣室との扉口で耳を(そばだ)てた。

 男たちは酒を飲んでいるらしい。「さっさと()げ」とか「これじゃあ足りねぇ。もっと持ってこい」とか言っている。


 グエンとドゥドゥが地道な作業を続ける中、ディアヌローズは二つの扉口の間を行き来して、男たちの様子を窺いながらふたりの作業を見守った。



 次第にふたりの距離が縮まって、とうとう残り僅かになった。

 ふたりの様子を見にきたディアヌローズは、突然、頭の中で問われる。


 ──汝の名はディアヌローズか?


 ──そうよ。あなたはどなた?


 ──我はエリィオン。森の精霊。

 テチュより、汝への助力を依頼された。


 本日三度目の新たな精霊の登場と、思いがけない依頼主の名に、ディアヌローズは理解が追いつかない。テチュは滅多に姿を見せてくれないので、避けられている気がしなくもなかったのだ。


 ──テチュが? わたしのために?


 ──如何(いか)にも。

 我の助力は森での(しるべ)のみ。

 獣に対する守護はせぬ。獣の行いは森の摂理。故に、排除もできぬ。

 汝、尚以(なおもっ)て我が手を求むるか?


 ──お願いします。このまでは夜明けには殺されてしまう。みんなを助けたいの。


 迷いなくディアヌローズが即答すると、扉の外に葉冠を戴く精霊が姿を現した。踝丈の貫頭衣を纏い、腰にはベルトを巻いている。


 ──よかろう。聞け。

 汝、ひかり茸の示す道を進み、最後の場に留まれ。

 我が砦を築く。その間、動いてはならぬ。


 ──ありがとう。できれば飲める水場の近くをお願いできませんか。


 ──構わぬ。清き沼のほど近くだ。


 ──助かります。重ねがさねありがとう。


 ──我は、一徹なる友、テチュの信を得た汝に興味が湧いたのみ。

 礼は友にせよ。


 ──はい。テチュにも感謝を伝えます。

 けれど今はエリィオン、あなたに感謝を伝えさせてください。ありがとう。


 ──……そうか。


 終始無表情のまま、エリィオンは姿を消した。

 いかにもテチュの友らしくて、思わず口許が緩んだ。



 アルフレデリックをはじめ、屋敷精霊たちやテチュまでもが手を尽くしてくれていた。それが堪らなく嬉しい。

 あの地下室で絶望に浸っていたきのうが、まるで嘘のように思える。バンの告げた『然るお方』が身近にいるとは信じられなくて、何より信じたくなくて苦しかったことも。仮に逃げおおせたとしても、戻る場所など無いとさえ考えていたことも。全部。

 でも今は。みんなの助力を無駄にしないためにも生きて戻り、自らの口でみんなに感謝を伝えたい。


 その実現に向けて、あとは避難場所と経路をいかに上手くグエンとドゥドゥに知らせるか。おそらくエリィオンも、プトー同様に存在を明かされたくはないだろう。

 かといってこの森について何も知らないのに、いきなり「いい避難場所を知っている」では説得力ゼロどころか、いかにも怪しい。



 いい案が浮かばないまま、とりあえず男たちの様子を探りに向かう。プトーの扉口から入る月明かりのおかげで格段に歩きやすく、少し近寄れば誰であるかも見わけられる。


 男たちはいまだに酒を飲んでいた。


 帰りは行きとは反対側を歩いていく。先に監禁されていた二人の脇を通ったちょうどその時、男の子が急に身動(みじろ)いだ。

 起こしてしまっただろうか……。謝らなければと膝をついた。

 男の子と目が合った瞬間、閃いた。


「ごめんなさい。起こしてしまったかしら」


 潜めた声でディアヌローズが話しかけると、男の子は身を起こした。


「いえ、起きていましたから」

「わたし、あなたを憶えているわ」

「……」

「ベールを被っていた、と言ったら思い出せる?」

「──はい。ですが、誰にも話してはいけないと言われています」

「そうなの?」

「契約を交わしているから気を付けるように、とマーテルが」


 契約、とは神の家に行ったあの日にアルフレデリックと責任者の女性とで交わしていた書類のことだろうか。閃いた内容が契約に触れないことを祈った。


「実は、あなたにお願いがあるの。契約に触れるならもちろん断ってくれて構わない。でも触れないのなら、引き受けてほしい。みんなの命にかかわることなの」

「ひとまず、お聞きしてもいいですか」

「もちろんよ。──わたしたちは夜明け前に殺される。男たちが話しているのを聞いたの」


 絶句した男の子に、ディアヌローズはグエンとドゥドゥと三人で脱出の準備を進めていることを話した。

 そして。


「あなたには『この森に詳しいから、みんなを案内できる』と言って欲しいの。向かう先は沼の近くよ。道順は、ひかり茸を辿ればいいだけ。契約に触れるかしら?」

「──触れません。……ご自分ではできないのですね?」

「ええ。わたしが言ったところで誰も信じてくれないでしょ?」


 必要なのは説得力だ。彼なら申し分ない。

 そうですね、と男の子は苦笑して、表情を改めた。


「ですが……。森をご存じないあなたが、道はおわかかりになると?」

「理由を知らなければ引き受けられないというのなら、あなたにだけお話しします。でも、決して誰にも話さないと約束して」


 無茶なお願いなのは百も承知。ひかり茸が道順だなんて、頭がおかしいと思われる案件だろう。けれど信じてもらわなければならない。男の子をまっすぐ見つめた。


 男の子もディアヌローズを見つめること暫し。彼は(かぶり)を振った。


「いえ。必要ありません。あなたを信じます」

「ありがとう。わたしは今、ナディと名乗っているわ」

「……私は、レミです」

「ありがとう。レミ」

「助けてくださるのですから、お礼を述べるのは私の方です。ナディ様」

「ナディ、よ。敬称なんてやめてね」

「はい。ナディ」



 手伝いを申し出てくれたレミに男たちの見張りを頼んで、ディアヌローズはドゥドゥとグエンの処に戻った。

 口許に拳をあてて話し合っていたふたりがディアヌローズに向いた。


「やあ、ナディ。ちゃんと城下門に届けたよ」

「ありがとう。ドゥドゥ。無理させてごめんなさい」

「僕も用事を済ませてきたから気にしないで」


 申し訳なく眉を下げるディアヌローズに、ドゥドゥは朗らかな口調で事も無げに言った。それから、グエンと相談したんだと今後の話を切り出した。


「まず、みんなを安全なところへ移す。そのあと僕とグエンとで戻ってきて、奴らを捕まえる」

「グエンから聞いてないの? 男たちは二人増えて全部で五人よ。捕まえるなんて無理だわ。お願いだからみんなで逃げましょう」

「心配しなくても大丈夫。奴らなんてただの破落戸(チンピラ)だ。僕らは魔力もあるし鍛えてる。それに、これは洗礼前の通過儀礼なんだ。成功しないと認めてもらえない」


 おろおろするディアヌローズとは対照的に、ふたりは肩を組んで自信たっぷりに笑んだ。


 ディアヌローズの心配は増すばかりだ。治癒とラヴァージュくらいしか魔術を知らないディアヌローズにとって、魔力があることは安心材料にはならない。

 ましてや、鍛えていると言っても所詮は洗礼前の子ども。大の男五人に太刀打ちできるなんて思えるはずもない。



「さあ、みんなを起こそう」

 グエンが急き立てるように言った。


 確かに脱出が先決だ。ディアヌローズは気持を切り替えて、レミをふたりに紹介した。

 それから脱出時の役割を四人で話し合った。

 まずドゥドゥが外に出て魔獣の警戒にあたる。ディアヌローズは男たちを監視して、動きがあれば扉口のグエンに合図を送る。グエンはドゥドゥとも連絡を取りながら、扉口で魔獣を警戒。レミは子ども達の脱出補助とまとめ役だ。


 再度役割を確認し、四人で手分けして子ども達を起こしていく。一人ひとりに声も音も出さないように言い聞かせては脱出用の扉口に集めていった。



 いよいよ脱出だ。


「じゃあ」

 ドゥドゥは敬礼さながらに人差し指と中指を額にあてると、素早く森へと出ていった。


 ディアヌローズも男たちの監視についた。相変わらず酒盛りをしている男たちに安堵する。腕で大きな丸を作って『大丈夫』の合図をグエンに送った。


 ドゥドゥとグエンが魔獣の警戒をする中、レミは子ども達を次々に脱出させていった。

 残り半分になったところで、予定通りにレミが出ていった。ドゥドゥ一人では魔獣の警戒と子ども達の面倒をみきれないからだ。


 子ども達が全員脱出すると、ディアヌローズは男たちの様子を確認してグエンだけになった扉口に戻った。


「ナディ、先に出て」

「ううん。わたしに扉を閉めさせて」

「……わかった」


 グエンが出ていくと、ディアヌローズは部屋を見渡して、見えないプトーに頭の中で呼び掛ける。


 ──プトー、ありがとう。扉を消してね。


 ──ああ。


 プトーの返事を聞いて、ディアヌローズは扉を這い出た。

 夜気が全身を包み、扉を閉めて空を仰いだ。満月を一日だけ過ぎた月が皓々と照っている。

 イストワールでは月の色が日々季節の色へと移ろうそうで、今は青を帯びた緑色の月も、次の満月には春の色である緑一色になると聞いている。


 月明かりの下、ディアヌローズは待っていてくれたグエンの後から小枝の除けられた細道を歩いていく。

 みんなに合流すると、アジトを振り返った。扉が跡形なく消え失せていたことに、我知らず安堵の息が漏れる。もう一度胸の内でプトーに感謝した。



 次は案内役を引き受けてくれたレミの口から「避難場所がある」と言ってもらわなくてはならない。

 そのきっかけを作ろうとした矢先、今しがた通ってきた細道を見て心臓がドキリと跳ねた。


「この道をどうしよう……。足跡だって、ほら」


 ディアヌローズは深刻な声でグエンとドゥドゥに言った。視線を向けた先には、小枝を除けた道とたくさんの足跡が月明かりではっきりと見えている。


「枝を戻している最中に気づかれる方が危ないよ」

「足跡を消すのも大変だしね」

「でもこれに気づいたら、きっと足跡を追ってくるわ」


 ドゥドゥの意見にグエンも賛成するが、ディアヌローズの不安は消えない。せめて月が雲にでも隠れていたら……。くまなく照らす月明かりが恨めしく思えた。


「一刻も早くここから逃げるべきだ。森の中に入ってしまえば簡単には見つからない」

「ナディ、森の中を見てきたドゥドゥが言うんだから間違いないよ」

「でも……」

「必ずグエンと僕が奴らを捕まえる。だから安心して」

「……そうね」


 ディアヌローズは同意した。決してドゥドゥの言葉に安心したわけではない。ここに留まることが危険であると十二分に分かっているし、命が懸かっていることで慎重になり過ぎている自覚だってある。迷ったのは、ひどく胸がざわついて嫌な予感が拭えなかったから。けれど予感は予感でしかなく、不確実なものにこれ以上不安になっても仕方ないと自分に言い聞かせたのだ。


 これから向かう森に目を向けると、樹々の間から出てくるレミを見つけた。



 レミは真っ直ぐディアヌローズの処にやって来た。遠慮がちに口を開く。


「あの……。私はこの森をよく知っています。沼の近くへ逃げませんか」


 グエンとドゥドゥは顔を見合わせた。ドゥドゥが訊ねる。


「夜道でも案内できるのか?」

「はい。ですが、あなたが詳しいのでしたらついていきます」


 レミは胸に片手をあてて軽い礼を執った。


 そんなこと言わないで! 計画が台無しになっちゃう……。ディアヌローズは息を呑む。


「……いや。君が案内してくれ」

「はい。では、こちらです」


 レミが穏やかに笑む横で、ディアヌローズは胸を撫で下ろした。


 二列になって森に向かう。ドゥドゥとレミが先頭で、最後尾はグエンとディアヌローズ。間に子ども達を挟んでいる。


 先頭から順に森に入っていき、ディアヌローズも足を踏み入れた。

 森の中は月の光がさほど届いておらず、見上げれば繁る葉が幾重にも重なり合っている。


 薄暗闇の中、茸が緑色の光を放っていた。






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