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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第三章 事件編

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掌(2)

サブタイトルを【掌(中編)】から【掌(2)】に変更しました。

表現の修正をしました。

 腕に囲われていた。



「こうすれば、落ち着くのだろう?」


 アルフレデリックはそう言って、ディアヌローズの白金の頭を撫で始めた。その大きな()は、ぎこちなく遠慮がちだ。


 イストワールに転移して子どもに戻ってからというもの、ディアヌローズは抱き上げられて運ばれたことも、馬車の中で膝の上に乗せられたこともあった。それらは奏が子どもの頃に憧れたことで、気恥ずかしさはあっても思い出の穴を埋めるようで嬉しかった。


 でも、これは違う。いくらアルフレデリックにとって、ディアヌローズが五歳児と思ってのことだとしても。これは大人の奏が憧れた展開。恋すら未経験の身としては、落ち着くどころか内心が忙しくて仕方ない。頬に熱が集まるのが分かった。



 ディアヌローズが固まっている間に、アルフレデリックはディアヌローズの背を不器用にトントンと叩き始めた。その掌は次第にリズミカルになっていく。伝わる温もりも相まって、ディアヌローズの強張りは解けていった。


 落ち着いてきた頭でディアヌローズは思う。これまでは心細くなると祖母を思い浮かべて、自分の腕に縋るように自らを抱きしめてきた。でも祖母を否定された今、心の拠りどころを何に求めればいいのかわからない。


 だから尚のこと、この腕の中で子どものように守られていたいと思ってしまう。それはディアヌローズ自身でも時折り感じることのある、幼くなってしまった心の部分なのかもしれない。


 今だけ──。決して寄りかかり過ぎたり、縋りついたりしない。ディアヌローズは胸の内で繰り返す。

 それでも抱えるには重すぎる胸の内から、つい言葉が零れてしまう。


「酷い……。お祖母(ばあ)さまに会いたいだけなのに……。お祖母さまとの思い出がたくさんあるのに……」


 アルフレデリックは背を叩く掌を止めずに、「──ああ」と言った。


「シェリールの記憶を消されたら、せっかく思い出した(かあ)さまも忘れるのでしょう?」

「そうだな」


 ディアヌローズが瞬く度に、雨垂れのように雫が落ちてゆく。


「酷い、ひどい……ヒドイ……」

「……」


「……母さまを失ったのは、わたくしの所為(せい)

「いいや。母君は其方を守ったのだ」


「違う……。わたくしの行為(おこない)が悪いから、母さまが代わりに罰を受けたの……」

「其方は、……君は、悪くない」


「どうして、わたくしなの? わたくしでなくてもいいのに! どうして……どうして、どうして!」


 囲われた腕の中で、ディアヌローズはアルフレデリックの胸を叩いた。何度も、何度も、繰り返し。

 アルフレデリックはされるがまま、その腕を解かなかった。


 やがてディアヌローズはアルフレデリックの胸に顔を押し付けて、むせび泣いた。

 その背をアルフレデリックは宥めるように叩き続ける。



 腕の中から漏れる押し殺した泣き声が少しずつ小さくなっていき、整った呼吸音になって暫くすると、ディアヌローズは顔を上げた。


「わたくしは命を懸けて護ってくれた母を忘れません。この記憶はわたくしのもの。誰にも奪わせたりしない」


 決意の籠ったディアヌローズの眼差しに、アルフレデリックは目を瞠る。それから眩しいものを見るようにその目を細めた。


「ならば奪われないように振る舞いなさい」

「泣いているのは、雷が怖いからです」


 手の甲で両の目をグイと拭ったディアヌローズに、アルフレデリックは薄く笑んで片眉を上げた。


「ああ、分かってる。嘆かわしいほど酷い顔だ」

「酷いです!」


 プイとディアヌローズは横を向いた。

 ディアヌローズの涙に濡れた頬を、アルフレデリックは隠しから取り出したハンカチで拭った。そのハンカチにディアヌローズは目を留める。


「使ってくださっているのですね」

「用意したの側仕えだ」

「今なら、もう少し出来のよい物をお渡しできました」

「将来渡す相手への練習台なのだろう?」

「意地悪ですね。お世話になったお返しでしたのに」

「そうか」


 アルフレデリックは微かに笑むと、ディアヌローズの額に掌をあてる。

「やはり熱が出ている。額をここにつけているときから、熱──」

 と自身の胸許を指さした途端、眉を吊り上げた。

「酷いのは其方だ。どうしてくれる!?」


 アルフレデリックの胸許は、涙に濡れてシワだらけだ。もしかしたら洟もついているかもしれない。

 しゅんと肩を落として、ディアヌローズはアルフレデリックを見上げた。


「も、申し訳ございません……」

「このままでは、フォセットに何を言われるか分からぬ」


 アルフレデリックは眉間にしわを刻んで、

「ラヴァージュ」と、口にした。


 その瞬間、小さな水流がアルフレデリックの胸許で渦巻いた。あっという間に水流は消えて、涙と、おそらく洟で汚れた衣装はすっかり乾いている。アイロンをかけたようにシワ一つない。



 ディアヌローズが目を瞬かせていると、アルフレデリックは『しまった』という顔をした。こんな表情をディアヌローズは初めて見る。


「私の失態だ。いま聞いた呪文は忘れなさい。洗礼前の子どもが知ってはならぬのだ。もちろん試すのも禁止だ。まあ、呪文だけでは試せはしないが、加減を知らぬ者がやれば大惨事となる。自分の魔術で溺れたくはないだろう?」


 ディアヌローズは奏だった時に溺れたことがある。その恐怖を思い出して身震いした。きっと今だって泳げない。


「決して試しません」


 きっぱりと返答したディアヌローズを見て、アルフレデリックは安堵したように頷いた。


「さて、フォセットが心配している。もうよいか?」

「はい」


 アルフレデリックは遮音の魔術を解除して(とばり)を開けた。

 途端に稲光が暗い庭を青白く照らす。雷鳴が轟いた。


「ひゃう」

 短い悲鳴を上げて、ディアヌローズは上掛けに潜り込んだ。


「まだ止んでいなかったか」

「酷いです!」



 そこにフォセットがやって来た。


「お話は終わられまして?」

「ああ。遮音を解除したら上掛けに潜り込んだが」


 アルフレデリックは上掛けの小山に向いて嘆息する。


「ディアヌローズ、遮音の魔術を使ってばかりいては私がフォセットに叱られる。いい加減、慣れなさい」

「無理です!」


 すっぽり潜った上掛けから出る気などディアヌローズには毛頭ない。

 困ったようにフォセットは頬に手をあてた。ディアヌローズは昼食を摂っておらず、もう夕食の頃合いである。


「食事を召し上がっていただかないと」


 遅れてミゼリコルドがやって来た。

「どれ、私がフォセットに叱られよう」


 遮音の魔術をミゼリコルドが展開すると、フォセットは眉を(ひそ)めた。


「殿方はお嬢さまに甘くて困りますわ」

「食事を摂らせたいのだろう? 早く用意した方がよい」

「……そ、そうですわね」


 フォセットが寝台を離れると、ディアヌローズはのそりと上掛けから頭を出した。

 ミゼリコルドとアルフレデリックは顔を見合わせ、肩を竦めた。




 ◆*・・・・・*◇*・・・・・*◆




 アルフレデリックとミゼリコルドは帰り、遮音の魔術は展開されたままだ。帳は閉められているので、稲光に怯える心配もない。


 一口だけでもと勧められた食事を終えて、ディアヌローズはひとり物思いに沈む。

 あまりにも目まぐるしく、辛く耐え難い一日だった。

 だからといってアルフレデリックに八つ当たりするなんて──。最低の行為。愚の骨頂。しかも、今までどおりに振る舞うと大見えを切ってしまった。



 知らされた幾つもの事実。

 心の底が苦しくて堪らない。

 どれ一つとっても自分にとっては重要で、どれが自分を苦しくさせているのかがわからない。


 本当はシェリールで、イストワールが本当の世界と分かった事実?

 あの女性が母で、家族はいないと明かされた現実?


 違う。それらは辛くとも受け入れられる。

 でも──。祖母と過ごした年月(としつき)を否定されたくはない。

 奏の思い出を踏み躙られたようで嫌だったんだ。


 奏の世界とイストワール。

 奏の思い出とシェリールの記憶。

 今はまだ奏の思い出も時間も多い。

 けれど、やがてシェリールとしての思い出や時間は、奏を超えていく。

 その時、自分はどうなるだろう。どう思うのだろう。

 この引きちぎられるような胸の痛みは無くなっているだろうか……。


 堪らず、ディアヌローズは上掛けを引き寄せた。きつく目を閉じる。


 すると────

 誰かの掌が頬に触れた。






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