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イストワール国~その花の名を私は知らない~  作者: 天音蓮
第二章 転移編

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アルフレデリックの追及(後編)

表現の修正をしました。

 アルフレデリックに射竦められて、ディアヌローズは息すら詰めた。目を逸らすことも許されず、身動(みじろ)ぎ一つできないまま立ちつくした。


 一方アルフレデリックはといえば、いつもは淡い金瞳(きんどう)も今は底冷えするような銀が目立ち、薄く整った唇は酷薄にすら見える。緩く三つ編みされた蒼銀の髪を肩に流し、足を組んで椅子に掛ける姿は彫像のようだ。ただ呼吸のための僅かな揺らぎが、アルフレデリックを生身の人間だと証明していた。



 だがそんなアルフレデリックからどんなに鋭い目を向けられようとも、ディアヌローズには質問の意味がわからない。

 そもそも、聖堂で倒れた時に受けたものは加護ではなくて祝福だ。それはアルフレデリックも知っているはず。なぜ改めてこんなにも厳しく問うのか、まったく訳がわからない。昼前にしていた光の玉の話とどう関係があるというのだろう。


 だがおそらく何かしらの答えを得るまで、アルフレデリックに引く気はない。とことん付き合うしかなさそうだ。ディアヌローズは胸の内で嘆息する。まずは知らないことを知ってもらう。そこから始めようと覚悟を決め、顎を引いた。



「聖堂で受けたものは祝福と伺いました。祝福と加護は違うのですか? 『加護』とはどのようなものでしょう」


 アルフレデリックは視線を外さないまま、ほんの僅かだけ片眉を上げた。


「『祝福』とは、恵みを授けられること。『加護』とは、害悪から己を守護するための力を授かること。どちらも授かる際には光が降り注ぐ」


 ──加護も光が降り注ぐ……。


 なんてこと……どうしてすぐに気付かなかったのだろう──。聖堂へ行く前夜に見た、あの光。あれは加護だ。よくよく思い返せば、詠唱の時に加護と口にしていた。なのに最後に(はなむけ)と言われて、それがより心に残った。

 アルフレデリックがこれほど拘るからには、きっと大きな理由がある。


「『加護』を授かると何かあるのですか?」

「既に其方には伝えてある。命があるか、ぎりぎりだったと。本来であれば助からなかったはずだ。だが其方は命を繋ぎとめた」



 ──ああ……マノワ。ありがとう。


 意識を取り戻す前に見た光、あれはマノワの光だ。ディアヌローズは確信する。

 あの時は漆黒の闇にいて、身体は朽木(くちき)のような感覚だった。(うろ)の中に辛うじて心が残っていて、いつ離れていってもおかしくなかった。マノワの加護がその闇を祓い、現世(うつしよ)に繋ぎ留めてくれた。


 マノワは『大したもんじゃない』と言ったけれど、闇を祓い、命を引き留めるほどの加護が容易いだろうか。大きな負担を掛けたのではないか。アルフレデリックに訊いて、確かめなければと強く思った。

 但し、気は逸っても細心の注意を払わなければならない。アルフレデリックは精霊使いだ。マノワの存在を知られでもしたら、マノワがどんな目に遭わされるか分からない。



「加護を授かることはよくあるのですか?」

「──ほぼ無い。加護を授けるというのは力を分け与えること。守護したいと強く思う相手でなければありえない」


 アルフレデリックはディアヌローズの問いを訝しむように、探る気配を纏わせた。


 ディアヌローズにとって、マノワは真実を打ち明けた唯一の存在。聖堂に行った本当の目的も知っている。たぶんマノワは《奏の世界》に還れないことがわかっていて、だからこそ加護を授けてくれたのではないだろうか。

 慈悲深いマノワの心にどう報いればいいのだろう──。恩を仇で返すわけにはいかない。絶対にマノワの存在を悟らせない。それこそが、いま自分のできる唯一のこと。

 ディアヌローズは固い意志を持ってアルフレデリックに対峙する。


「わたくしが見た光はすでにお話したもので、全てです」


 アルフレデリックの視線をディアヌローズは真っ向から受け止め、その視線を押し返す。負けるものか、と胸の内で繰り返した。



 先に視線を外したのはアルフレデリックだった。軽く目を伏せ、親指で頤を摩りながら何やら考えている。


 納得はしていないようだが、追及を諦めてくれたのだろうか。ディアヌローズがそんなことを考えている時だった────


 再びアルフレデリックの目がディアヌローズを捉えた。感情が微塵も感じられない無機質な視線に、ディアヌローズはぞくりとする。


「──『黒い光』を見たことはあるか?」



 瞬間、ディアヌローズの心臓がどくりと跳ねた。

 忘れようもない。《奏の世界》で修了試験までのひと月余り、毎晩見ては魘された夢。禍々しさを湛えた、ねっとりと粘つくような黒い光。


 その『黒い光』の正体をアルフレデリックは知っている──。

 知りたい、とディアヌローズは強く思った。夢の中で『黒い光』に覆われ、奏の目前で頽れた女性。その女性の手掛かりを得られるかもしれない。


 けれど《奏》のことは話せない。だからアルフレデリックに『黒い光』を知っていることを知られてはならない。でもせめて、少しなりとも『黒い光』についての情報が欲しい。アルフレデリックに知っていると悟られずに、情報を引き出したい。


 緊張で指先が冷たく痺れていくのを感じながら、ディアヌローズは努めて平静を装って小首を傾げる。片手を頬にあてた。


「黒いのに『光』なのですか?」

「──そうだ」


 ディアヌローズを凝視したまま、アルフレデリックはディアヌローズの期待をたった一言で片付けた。



 頬にあてた手をディアヌローズはそっと下ろした。これ以上訊ねたら怪しまれる──。

 でもこの機会を逃したら、『黒い光』について知る機会はもう巡ってこないかもしれない。とはいえ、やはり《奏》のことは話せない。胸の内で葛藤を繰り返し、最終的に訊ねたい心をねじ伏せた。


 決めたからには知らないと(しら)を切る。また嘘をつくのかと訴える良心には念入りに膜を被せ、蓋をして目を背けた。

 とにかく覚られないよう平静を保つ。なのにそう思うほどに緊張は高まり、我知らず握り込んだ手には汗が滲んだ。


「見たことはありません」



 アルフレデリックとディアヌローズ、双方が沈黙を貫き対峙した。


 (とき)だけが流れた。



 沈黙を破ったのはエレオノールだ。


「もういいのではなくて。全てをはっきりさせたがるのはあなたの悪い癖よ、アルフレデリック。また、わたくしにアリーと呼ばれたいのかしら?」


「重要なことだ」


「本人が分からないと言っているの。『黒い光』なんてあり得ないし、そもそも聖堂での光は『祝福』だけではないわよね。稀に『加護』もあるわ。その可能性も捨てきれないでしょう。もうお終いにして。わたくし、喉が渇いたのよ。お茶にしましょう」



 気を利かせたベアトリスがアルフレデリックの好むお茶を淹れ、爽やかなハーブの香りが周囲に広がった。

 ディアヌローズがまず一口飲み、ふたりに勧めた。アルフレデリックは不満を隠しもせずに茶器を手にした。それを見たエレオノールは失笑を漏らし、優雅な所作でお茶に口を付けた。



「ところでディアヌローズ、聖堂はどうだった? 大きくて驚いたでしょう」

「はい。領事門から続く道沿いの建物がぜんぶ聖堂と教えていただいて、とても驚きました」


「少し違うわ。聖堂は山の麓を一周しているの。だからあなたが見たのは聖堂のほんの一部だけよ」

「そうなのですか!?」



 あれが一部──。《奏の世界》の聖堂とはあまりにも違いすぎる。その事実はディアヌローズを打ちのめした。

 還るための希望はたった一つ、大オルガンしかない。なのに違いばかりが浮き彫りになっていく。還れる可能性なんてあるのか。心の裡に閉じ込めた失意が膨らんで、被せた蓋を押し上げていくのを感じた。



「平民の祈りの日は、わたくし達の祈りの日と違いはあるのかしら」

「わたくしは平民の祈りの日しか知りませんので……」


「そうだったわね。──アントナン、あなたは付き添ったのでしょう。何か変わったことはあって?」


 アントナンが進み出る。


「……おおよそ同じであったかと。ですが一点だけ、興味深い出来事がございました」

「ぜひ聞かせて」


 ちらりとディアヌローズを見たアントナンは、垂れ目気味な黒い目を細めると口端を上げた。


「聖堂広場でのことです。平民の親子連れが子を真ん中にして手を繋ぎ、私たちの前を歩いておりました。そこで私たちも平民になりきるため、お嬢様を真ん中にフォセットと三人で親子の真似事をいたしました」



 聞くうち、ディアヌローズは気恥ずかしさに耐えられなくなって俯いた。頬が熱くて仕方ない。

 アントナンは本当のことを言っていない。

 それがかえって『貴族はそんなことをしない』と言われていると、そんな気にさせられた。と同時に、こうも思う。もしかしたらアントナンは、気遣ってあのように言ってくれたのかもしれないと。

 けれど、ディアヌローズとしてはあの時の気持ちを大切にしたいのだ。偽りたくなくて、本当のことを自身の口で話そうと決め、顔を上げた。



「あら、顔が真っ赤よ。ディアヌローズ」


 ディアヌローズは気恥ずかしさを誤魔化すように、手遊びしながら話し出す。


「あの時は、わたくしが羨ましそうに親子を見ていたので、アントナンさんが手を繋ぐように言ってくださったのです」

「そう。──よかったわね」


 ディアヌローズの頬を柔らかく撫でて、愛おしそうにエレオノールは微笑んだ。


「……わたくしに両親の記憶はありません。……手を繋いだらどんな気持ちになるのか、知りたかったのです。アントナンさんとフォセットさんにはとても感謝しております」


 ディアヌローズは、はにかんだ笑みを浮かべた。



「両親の記憶が無いのは、幼いうちに亡くした故か? それとも、其方を聖堂で保護するに至った騒動によるものか?」



 アルフレデリックの声は相変わらず厳しさをはらんでいる。


 ディアヌローズが記憶を失ったと嘘をついたのは、《奏》のことを話せないから。両親についてまで嘘をつく必要は無い。


「……騒動は関係ありません。──わたくしは両親の顔を知りません。わたくしを育てたのは祖母です」

「あの日、其方の祖母は共にいなかったのか?」


 アルフレデリックの重ねた問いと、猜疑の光を含んだ瞳。

 疑われている──。ディアヌローズは思った。もう潮時。願い出るいい機会かもしれない。ここでの『やらなければならない事』の最後のひとつを実行する、と決めた。


 ディアヌローズは居ずまいを正し、瞼を閉じて細く長く息をはき出した。ゆっくり瞼を開くと、貝紫の瞳でアルフレデリックをまっすぐ見つめた。


 ──どうか震えないで、わたしの声。


「祖母は共にはおりませんでした。──アルフレデリック様、お願いがございます。……どうか、わたくしを神の家に入れてくださいませ」






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