2人の日常
私が家から持ってきたタオルで、彼は濡れた髪を気持ちよさそうに拭いている。
「あの…。一体、川に何を落とされたんですか?携帯とか…?」
私の問いかけに、彼はくしゃみを1つしてから答えた。
「実は、指輪なんです。……女性物の」
「へえ…」
彼の放つ低い声に、何か事情がありそうだと悟った私は、それ以上踏み込むことをやめた。
今日は何かと指輪がよく絡んでくる日だなーなんて思いながら、石のブロックから腰を上げる。
「じゃあ、私はそろそろ行きますね。探すなら、雨がやんでからの方がいいですよ」
彼に一礼して、その場をあとにしようとしたら、
「あのっ…!よかったら、家まで送らせてもらえませんか」
今度は彼から声をかけられた。後ろを振り向くと、彼も立ち上がっている。
「え…?」
「もう遅いし、このあたりは街灯も少ないから…」
見知らぬ男性に、1人暮らしの部屋まで送ってもらうなんて……本当なら、断ったほうが良かったんだと思う。けれど、不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、この人ともっと話したい。そう思った。
*
朝、目を覚ますと、亜紀が俺の腕の中で眠っていることを確認。うん、今日も可愛い。
起きてるときは照れ隠しか、彼女からの愛情表現なんて皆無だけど、眠ってるときはしっかりと俺のそばにいてくれる。俺には、それだけで充分だ。
ずっと寝顔を見ていたいけど、そうも言ってられない。亜紀は早番の日だと6時には出勤しなくてはいけないし、俺も今日は7時にマネージャーが迎えに来る。そう、俺たちの朝は早い。
「起きて、亜紀。もう5時だよー」
朝に弱い亜紀を起こしてあげるのが俺の役目だ。家に帰れなかったときは、わざわざモーニングコールをするという徹底ぶり。
「う…ん、あとちょっと…」
「だめだよ、よけい起きられなくなる。はい、起きて!1、2の3!」
彼女の肩に手を回し、ぐいっと起き上がらせる。ちょっと荒療治だけど、これが1番効くんだ。
恨めしそうに俺を見る亜紀に、満面の笑みをプレゼント。
「おはよう♡」
「………いま、何時?」
「5時ちょっと過ぎたとこ」
「!?」
亜紀が真っ青な顔をして、ベッドから飛び降りた。そしてすぐさま着替え始める。
いつも、彼女は俺の前であっても何のためらいもなく着替える。最初の頃の初々しさはないけど、俺にはむしろこっちのほうがいい。何も遠慮してないってことだと思うから。
まあ、あんまり見てると怒られちゃうんだけどね。
「もう少し早く起こしてよー!」
「亜紀が自分で目覚まし止めちゃったんだからしょうがないじゃん。俺もさっき起きたし。朝ごはん用意してあげるから、早く用意しちゃいなよ」
「うん…」
たいてい、朝ごはんは亜紀が作ってくれる。日本人らしく、ご飯とみそ汁に、大根おろしを添えた卵焼き。時間があるときはもう1品。
でも、今朝みたいな日は俺が代わりに作る。亜紀ほど上手ではないけど、ほどほどに料理はできる(と、自分では思っている)。
昨夜、下ごしらえをしておいてくれた具材入りの鍋を沸かし、味噌を溶かしていく。手を動かしながら、キッチンカウンターに広げておいた台本を見ておさらいをする。
今日は朝から、ドラマの8話の撮影。けっこうシリアスな回だから、実はちょっと緊張してる。
上司との不倫をやめられないまま、主人公への思いも消せずに苦しむ月子。そんな彼女を見ていられない主人公は、不倫相手に直接訴えに行く。
「『……あなたは、月子さんのことをどう思っているんですか。愛してもいないのに、彼女を縛り付けるのはやめてください。彼女は、あなたの玩具じゃない…!』」
「噴いてる、噴いてる!!」
「え!?…ぅわっ!」
亜紀の声に反応して、ぱっと鍋を見ると、味噌汁がぼこぼこと沸騰して今にも溢れそうになっていた。
パニックになって、どうしよう!とあたふたしてたら、亜紀が飛んできて火を弱めてくれた。
「もう!火を使ってるときによそ見しちゃだめだって」
「ごめんなさい…」
味噌汁と同じく、しゅん…となった俺を見て、亜紀は少しだけ笑みをこぼした。