2人の狭間で
私と智之の不倫関係が終わったのは、こんな肌寒い夜だった。
その夜、仕事を終えて家に帰ると…、1人の女性が部屋の前で待ち構えていた。
「…どなた、ですか…?」
なんとなく予想はついていた。けれど、違ってほしいと本気で願った…。
「田代の妻です」
部屋に上がってもらい、2人分のコーヒーを淹れた。とりあえず正面に座ったけれど、自分の部屋なのになんだかとても居心地が悪かった。
彼女の目線は、しばし部屋の中を巡らせているようだった。万が一に備えて、智之の物は目に触れないところに置くようにしていたから、問題はないことはわかっていたものの、それでもそわそわと不安だった。
「実は、田代もここへ呼んでるの。もうすぐ来るはずよ」
「え…!?」
彼女がそう言うのとほぼ同じぐらいに、チャイムが鳴った。私が戸惑っている間に、彼女はすぐに玄関へ向かった。
「早かったじゃない。若い愛人のもとへなら、家族を放り出してまで行く人だもんね」
「………」
智之は、全くこちらを見ない。玄関に佇み、ただ床の1点を見つめていた。
そんな態度も、奥さんを憤らせるにはじゅうぶんの原因だった。
「ここで今、どうするのか決めて!私と一緒に帰って、ここへは一生来ないか。それともこの子とここにいるのか。今すぐ」
智之は黙って奥さんを抱きしめ、「ごめん」と小さく謝った。それは、どっちの「ごめん」なの…?
私は、2人が帰っていくのを黙って見ていた。智之は結局、一度も私を見なかった…――
智之が私を選ぶとは、当然思っていなかった。だから、予想できた答えだった。いつかは必ず終わりが来る関係だって、わかっていた。もともと、いけない関係だったんだから。後ろめたい秘密がなくなって、かえってよかったじゃない。
…しかしその夜は、身を切られるような痛みを抱きながら、枕をびしょびしょに濡らしてしまった。
*
「よかったー、会えた!携帯つながらないから、不安だったんだ」
後ろを振り向くと、翔が笑顔で立っていた。ウィッグ付きの帽子とメガネで、しっかり変装している。
「…どうしたの、なんでここに……?」
「今日は遅くなるって、メールくれただろ?夜道は危ないから迎えに来たんだ。ちょっと出遅れて店が閉まってたから、慌ててホーム探してたんだよ」
にこにこと話していた翔は、私の背後にいる人影を見て…、すぐに笑みを失った。智之の顔を覚えていたようで、翔はすぐさま掴みかかった!
「お前…!よく亜紀の前に姿を現せたな!お前のせいで、亜紀がどれだけ辛い思いしたかっ」
「っ……」
智之は、殴るなら殴れと言わんばかりに、黙って翔を見ていた。怒りのおさまらない翔は、戦意のない智之になおも手をあげようとする。
「やめて!殴らないでっ」
翔の握り拳を両手で力いっぱい包み込む。翔は驚いた顔で私を見た。
そしてすぐに智之を解放し、今度は私に向き直った。
「なんで!?あの夜、亜紀にしようとしてたことに比べたら…こんなやつ、1発殴ったぐらいじゃ足りないぐらいだよ!」
「翔が私情で事件起こすわけにいかないでしょ!」
翔は悔しそうに眉間に皺を寄せながら、握り拳を解いてすぐ、私の手を強く握った。
智之を一瞬睨み付けたあと、
「帰ろう」
私の手を引いて、ちょうど到着した電車に乗り込んだ…。