彼のぬくもり
「どうしたの、亜紀。食欲ない?」
はっとして目線を上げると、翔が心配そうに私の顔を覗きこんでいた。翔のお皿はほとんど空なのに、私のお皿にはまだカレーライスが8割ぐらい残っている。普段、女性にしては大食いで、男性の翔と同じぐらい食べるから、不審に思われるのも無理はない。
「…ううん、そんなことないよ。ちょっと考え事してただけ」
「考え事って、仕事のこととか?俺、何でも聞くよ。あんまりいいアドバイスとかできないけど」
まさに、あなた本人のことなんだけどね。なーんて言えるはずもなく、言葉と共にお茶を一口飲んだ。
「最近、お店行っても元気なさそうだし…。もしかして、先輩に嫌味でも言われてる?なんなら俺、代わりに怒ってやろうか」
私は大きなため息を吐きながら、ごちそうさまをぽつりと呟いた。
自分の分のお皿を片付けてからソファに逃げると、すぐに翔が追いかけてくる。真ん中に座ったのに、私の体を強引に左に寄せて潜り込んできた。
「もう、なによ」
「ううん。なんでもない」
翔は、いつもこう。私に何か辛いことがあったり、悩んでいたりすると、こうやってくっついてソファに座って、何も言わずに慰めてくれる。まるで実家で飼ってる犬みたいだ。
あまり人に明かさない私にとって、ただ黙って体温を感じさせてくれる翔は、何物にも代えがたい存在。
「…あれ。今日、ほんとにどうしたの?」
「……べつに、なんでもないよ」
翔を、離したくない。そんな想いから、私は柄にもなく翔の背中に抱きついていた。
そんな時だった。――再び、あの人が現れたのは。
11月のある夜のこと。事故の影響で電車が止まり、多くのビジネスマンや学生が駅で足止めをくらった。
ホームで待つには寒く、駅構内のお店に入って待つ人が多いようで、うちの店にもお客さんが溢れかえっている。
今日は特別に営業時間を2時間延ばすことが決定し、お客さんの中には、普段あまり見かけない顔ぶれも混ざっていた。
「…亜紀?」
店内を歩いていたとき、ふいに私の名前が聞こえた。誰か知り合いでも来ていたのだろうかと思い、振り向くと、そこには
「………智、之…」
かつての交際相手・田代智之が座っていた…。