第六十六区画「実家は崩壊寸前のようです」
三月一日、出発の朝。南門の前に、遠征の一行が並んだ。俺。テオ。ガグ。ガリム。
……四人である。
「少ないのう」
バルガスが、腕を組んで言った。
「多いと、目立つ」
俺は、荷を確かめながら答えた。
「今から行くのは、王国の街道だ。除籍された伯爵家の三男が、魔物とドワーフを引き連れて南下する。……大所帯でやったら、三日で噂になる」
「じゃが、四人は」
「四人でも多いくらいだ」
編成の理由は、こうだった。
テオは、案内役である。この男の顔と人脈が、南では一番役に立つ。荷馬車も彼のものだ。行商の荷に紛れて動くのが、一番目立たない。
ガグは、記録係と偵察。ゴブリンだが、外套を深く被れば小柄な子供に見える。夜目が利き、耳がいい。
ガリムは、護衛と、笛。
……そして俺は、紙を持っていく係だ。
「留守は、頼む」
「任された」
バルガスは、当然という顔で頷いた。
「一つ、決めておく。……俺がいない間、判は誰が捺す」
「ワシじゃろうな」
「そうだな。ただし、範囲を決めておく」
俺は、一枚の紙を渡した。
◆◆◆◆
『領主不在中の代行について』
一、日々の運営に関する判断は、代行者が行う。
二、次のものは、代行者であっても行わない。
一、新たな契約の締結
二、手形の追加の発行
三、規程及び規約の改定
四、森還りの積立の取り崩し
三、判断に迷うときは、しないことを選ぶ。
四、本紙は、領主の帰還をもって失効する。
王国暦一〇五一年 三月一日 領主 タクミ
◆◆◆◆
「……ずいぶん、縛るのう」
「代行ってのは、縛られてる方が楽なんだ」
俺は、正直に言った。
「後で『なぜあれをやった』と言われる余地を、全部潰しておく。……あんたが困らないように書いてある」
バルガスは、その紙を、しばらく見ていた。
「……第三条じゃな」
「ん?」
「迷うときは、しないことを選ぶ。……これは、ワシのためじゃな」
「そうだ」
棟梁は、紙を丁寧に畳んで、懐に入れた。
「行ってこい。……街は、ここにある」
◆◆◆◆
見送りは、百十二人だった。
ゴブリンの子供らが門の外まで走ってきて、ノグが飛び跳ねながら叫んだ。
「りょうしゅ! アネゴ、つれてかえって!」
「ああ」
「やくそく!」
「……いや」
俺は、そこで首を振った。全員が、こっちを見た。
「約束はしない」
ノグの耳が、垂れた。
「うちの領は、口約束をしない街だろう。……できるかどうか分からないことを、約束するのはやめておく」
俺は、そこで一度、間を置いた。
「だから、代わりに言う。——全力でやる」
◆◆◆◆
リーフェが、最後に薬の包みを渡してきた。
「日付の通りに、お願いいたします」
「ああ」
「それと」
彼女は、少しだけ声を低くした。
「セリア様に、お会いになりましたら」
「なんだ」
「……いえ」
彼女は、首を振った。
「私が言うことでは、ありませんでした」
◆◆◆◆
南門を出て、境界石まで、半刻。俺は、そこで一度、足を止めた。
……確かめておくことがある。
「テオ。少し待ってくれ」
「はい」
俺は、境界石の手前で、手を上げた。
「【神域の用途指定】——区画、この一歩の先。用途、【休憩所】」
札が、灯った。
『休憩所——お疲れさまです』
これは、領内である。当たり前に、光っている。
俺は、一歩、前に出た。境界石を、越える。
そして、もう一度やった。
「用途、【休憩所】」
……灯った。だが、光が薄い。
『休憩所——』
そして、文字が消えかけている。
一。二。三。……四十を数えたところで、札が、ふつりと消えた。
『自領外設置——残り四枚/効力、数分』
「……そうか」
俺は、境界石を振り返った。石一つ、跨いだだけである。だが、こちら側では、俺の力はほとんど無い。
札は五枚。効き目は数分。しかも、貼れる用途も限られる。この一年、俺が当たり前に使ってきたもののほとんどが、この線の外では使えない。
……まあ、最初の旅路の時と同じだな。
「タクミ様?」
「……確認しただけだ」
俺は、荷馬車に乗り込んだ。
「テオ。一つ言っておく」
「はい」
「ここから先は、俺はちょっと役立つものを提供できるだけの普通の人間だ」
俺は、境界石が遠ざかるのを見ていた。
「竜も、規約も、あの街の中にしかない。……ここから先で、俺が持ってるのは」
俺は、懐に手を当てた。書類の束が入っている。和解書の写し。委任状。損害賠償の算定書。証文の写し十九枚。そして、第三条まで書いた契約書の草案。
「紙だけだ」
テオが、糸目を細めた。
「タクミ様」
「なんだ」
「それで、充分でございましょう」
彼は、手綱を鳴らした。
「手前は、この一年、あなたが紙でなさったことを、全部見ております。……岩山の商人も、王家の密偵も、竜も、誰も、あなたの紙には勝てておりません」
「買いかぶりだ」
「いいえ」
彼は、笑った。
「買いかぶってはおりません。値付けをしております。……手前は、商人でございますので」
◆◆◆◆
王国街道を、南へ。三日目に、ローゼンベルク伯爵領に入った。
……一年ぶりである。
俺は、幌の内側から、外を見ていた。
麦畑。用水路。村。……全部、見覚えがある。子供の頃、馬で走り回った土地だ。
そして、その景色は——去年より、明らかに良くなっていた。
「テオ。この辺りの作は」
「ええ。良いようでございますな」
彼は、御者台から答えた。
「実は、道々で聞いております。北部の西の端から、地味が戻っている、と。……水の味が変わった、とも」
……ああ。俺が抜いた栓は、この土地まで届いていたのだ。
女神は「工事の影響範囲は、いつだって敷地の外まで届く」と言った。……前世で、俺が住民説明会のたびに頭を下げて言っていた文言である。
あの頃は、大抵、悪い影響の話だった。でも、今回は違っているようだ。
◆◆◆◆
村の外れで、荷馬車が止まった。道端に、人だかりができている。
……何か、揉めているらしい。
「なんだ」
「税の取り立てのようでございますな」
テオが、幌の隙間から覗いて言った。
「今年から、増えたそうで。西の戦の費えでございましょう」
俺は、その光景を見ていた。村の女が、役人の前で、袋を差し出している。役人が、中の銭を数えている。
そして——役人が、首を振った。
「足りん。もう二割だ」
「……そんな。去年と同じだけ入れました!」
「去年と同じ額では、足りんのだ」
役人は、面倒くさそうに言った。
「銭が、痩せておる。同じ枚数では、同じだけにならん」
◆◆◆◆
……俺は、幌の内側で、拳を握った。役人は、嘘を言っていない。
むしろ、正確である。金貨も、銀貨も、銅貨も、薄まった。そして、その価値は、紙によって流布されてしまっている。もう同じ枚数では、同じ値打ちにならない。
だから、税を二割増やす。役人の理屈は、通っている。
……だが、あの村の女は、なぜ自分が二割多く払わされているのかを、知らない。
薄めたのは、彼女ではない。
「……テオ」
「はい」
「うちの品位表は、この辺りまで回ってるか」
「いいえ」
彼は、静かに答えた。
「王都の手前までは、回っております。ですが、ここは、王都の北。……刷り物が回るのは、街道の宿場と、市の立つ町だけでございます。村までは、届きません」
「……そうか」
俺は、幌を降ろした。
……回っていない。
うちの検量所に来られる者は、まだ恵まれている。旅ができて、荷を持っていて、値を確かめる余裕がある者だ。
あの村の女は、うちの市場に来ることは、多分、一生ない。
「タクミ様」
「なんだ」
「お顔が、怖うございます」
「……そうか」
俺は、しばらく黙っていた。それから、こう言った。
「テオ。帰ったら、一つ仕事を頼む」
「はい」
「品位表を、村に配る道を作りたい」
彼は、少し驚いた顔をした。
「村は、商いになりませんが」
「ならないな」
「では、なぜ」
「……なんでだろうな」
俺は、正直に言った。
「あの役人の理屈は正しい。だけど、その理屈を知らない人に通そうとするのが、気に入らないんだと思う」
◆◆◆◆
五日目の夜、宿場町の安宿に泊まった。部屋は一つ。四人で雑魚寝である。ガグは外套を被ったまま隅で丸まり、ガリムは荷の見張りに立った。
俺は、蝋燭の下で、契約書の草案を出した。
『第三条(対価)』——ここまでは、書いた。
『第四条(休み)』
……ここは、書ける。
ドワーフの契約にも、エルフの契約にもある条文だ。週の労働は五日、休みは二日。だが、この人に「週に五日働け」と書くのは、あまりに嘘だ。
セリアは、休まない。俺が休まないのを咎めながら、自分は誰にも咎められずに働いている。
……そうか。俺は、ペンを取った。
◆◆◆◆
『第四条(休み) 週の労働は五日、休みは二日とする。
二 乙が前項の休みを取らないときは、甲は、乙にこれを命じることができる。
三 甲が前項の命令を怠ったときは、乙は、甲に対し、同じ日数の休みを取ることを求めることができる。』
◆◆◆◆
……我ながら、面倒くさい条文である。
だが、俺たちには、これしか無い。互いに、相手を休ませることしかできない人間が、二人いる。
なら、互いに命令できる形にしておくのが、一番早いだろう。
◆◆◆◆
「タクミ様」
テオが、隣で寝返りを打った。
「まだ起きておられますか」
「ああ」
「……何を、書いておられます」
「契約書だ」
「どなたとの」
「うちの補佐との」
しばらく、沈黙があった。それから、テオは、静かに言った。
「タクミ様。……手前は、商人でございます」
「知ってる」
「商人として、一つだけ申し上げます」
彼は、天井を見たまま続けた。
「契約書というのは、相手がいなければ、ただの紙でございます」
「……ああ」
「ですが」
彼は、そこで少しだけ声を落とした。
「書き上げた者は、必ず、相手を探しに行きます」
「……」
「判をいただかねば、紙が完成いたしませんので。……商人は、そういう生き物でございます」
俺は、しばらく天井を見ていた。
「テオ」
「はい」
「……上手いこと言うな」
「商いの口上でございます」
彼は、寝返りを打った。
「明日は、王都でございます。……お休みください」
◆◆◆◆
三月七日。王都が見えた。城壁。尖塔。市場の煙。……一年ぶりの、生まれ育った街である。
だが、俺が最初に感じたのは、懐かしさではなかった。
「……テオ」
「はい」
「人が、少なくないか」
「……お気づきになりましたか」
彼は、御者台で頷いた。
「街道の宿場も、そうでございました。荷が減っております。……戦が長引いておりますので」
俺は、幌の隙間から、城門の列を見た。
……確かに、少ない。
一年前、この門には、朝から荷馬車が列を作っていた。それが、今は、まばらである。
「テオ。この街に、いくら金が回ってると思う」
「……減っております」
「そうだな」
俺は、幌を降ろした。
「金が回らない街では、貸し借りが力を持つ」
……女神が、そう言っていた。紙が、剣より強くなる季節。それがこの街にはやってきているのだ。
◆◆◆◆
その日の夕方、俺たちは王都に入った。そして、宿を取る前に、一つだけ確かめた。
「テオ。ローゼンベルク家の様子を、聞けるか」
「既に、聞いております」
彼は、糸目を細めた。その顔が、いつもより硬い。
「タクミ様。……率直に申し上げます」
「ああ」
「あの家は、おそらく、もう、保ちません」
「差し押さえの通告が、先月出ております」
「誰から」
「ゴルドー商会」
俺は、荷馬車の縁を握った。
「理由は」
「返済の不履行、ではございません」
テオは、静かに言った。
「契約の第七条——貸主が商いの便宜を求めたときは、これに応じるよう努める、という条項でございます」
「……その便宜ってのは」
「北の市場に、ご当主のお名前で一言」
……ああ。やっぱり、そう来たか。
「そして、伯爵様は」
「拒まれました」
テオは、頷いた。
「『武門が、商人の使いになれるか』と。……その翌日に、通告が」
◆◆◆◆
俺は、しばらく黙っていた。
……あの人らしい。
あの人は、多分、一度も俺のことを考えていない。北の市場に手を出すのが息子への攻撃になるとか、そんなことは考えていない。
ただ、商人に顎で使われるのが我慢ならなかっただけだ。
……結果として、俺を守ったことになるが。
「テオ。あの家の借金は、いくらだ」
「表に出ている分だけで、金貨五千八百枚」
「……戦費か」
「ええ。そして、その大半が、この半年で膨らんでおります」
彼は、そこで少しだけ声を潜めた。
「タクミ様。……この額は、あの家では、絶対に返せません」
「知っているさ」
「ですので、ゴルドーの狙いは、返済ではございません」
「……分かってる」
俺は、王都の城壁を見上げた。
「あの家そのものだ」
◆◆◆◆
その夜、宿の部屋で、俺は考えていた。
……向こうの絵が、見えてきた。
ローゼンベルク家を潰す。あるいは、握る。武門の名家を手に入れれば、王国の中で商会の立場が変わる。
そして、その過程で、俺の実家が俺の敵になる。除籍された三男が、実家を助けるはずがない。助けなければ、実家は潰れ、後ろ盾も消える。
……そういう絵だ。
◆◆◆◆
俺は、懐から書類を出した。
和解書の写し。委任状。損害賠償の算定書。証文の写し。
……足りない。
この手札では、まだ足りない。四千二百枚の請求権はある。だが、それは商会に対する札だ。実家の五千八百枚をどうにかする札ではない。
……なにか、要る。
なにか、向こうが欲しがるものが。
◆◆◆◆
その時、扉が叩かれた。三度。間を置いて、二度。
……テオが決めた合図ではない。
ガリムが、槌に手をかけた。ガグが、影に沈んだ。俺は、扉の向こうに声をかけた。
「どちらさまで」
しばらく、返事が無かった。
それから、聞き覚えのある声が、低く言った。
「……開けてくれ」
俺は、動きを止めた。その声を、俺は知っている。子供の頃から、聞いていた声だ。
「……兄上?」
◆◆◆◆
扉の向こうで、深い息の音がした。そして。
「タクミ」
ルイス・フォン・ローゼンベルクの声が、そう言った。
「話がある。……取引の話だ」




