第51話:ダンスレッスン
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翌日。
昨晩のうちに書いておいた商業ギルドのベルンハルトとイースト商会のロベルトに宛てた手紙を、朝一番で出してもらった。アーサーもレイノルド殿下への手紙を書いていたようで、同じように手配していた。
午前中の座学では、地理の先生に「他国の岩塩窟の地理的特徴について、文献があれば読んでみたい」と伝え、専門家がいれば紹介してほしいと頼むことも忘れなかった。
使える伝手は何でも使う。やれることは全部やる——そう意気込んで廊下を歩いていると、隣のアーサーに少し苦笑した様子で肩を叩かれ、思わずビクっとしてしまった。
「ハルカ、力みすぎ」
アーサーの指が私の眉間を突く。
「眉間に皺が寄ってるよ」
慌てて眉間を押さえ、軽く揉みほぐした。
「本当だ。つい力が入ってた」
「あんまり今から力んでると、午後のダンスレッスンでバテちゃうよ」
「そうだった!今日は二人で一緒に踊るんだよね?足を踏まないように気をつけなくっちゃ」
——そう、今年になって追加された教育の一つ。ダンス。
今までは別々に指導の先生がついて、それぞれのパートを練習していたのだけれど、そろそろパートナーと合わせることも覚えた方がいいだろうということになり、午後から初めての合同レッスンが行われる予定だった。
◇◇◇
昼食を終えると、私はルナによって衣装部屋に引っ張り込まれた。
用意されていたのは、淡いクリーム色のドレス。デビュタント用の練習も兼ねているとのことで、普段着より少し丈が長く、スカートに軽やかな広がりがある。足元はいつものダンス用シューズより、少しだけ踵が高めの靴。
「これで、踊れるの?」
「踊れるように練習するのが今日の目的ですから」
ルナに淡々と返され、ぐうの音も出なかった。
髪はいつものポニーテールではなく、後ろでゆるやかにまとめて少し巻いてある。仕上げにルナが「少しだけ」と言いながら薄く化粧を施した。口紅というよりは色つきの軟膏のようなものを唇に乗せ、頬にも淡い色を足す。
「……なんか、別人みたい」
鏡の前でそう呟くと、ルナが「予想通りの美しさです」と微笑んだ。照れくさくてむずむずしたが、悪い気はしない。やはり女の子たるもの、おしゃれをするのも、それを褒められるのも嬉しいのだ。
ドレスの裾を少し持ち上げ、視線を少し先に向け、背筋を伸ばして廊下を歩く。ヒールが石畳に当たるたびにコツコツと音が立った。普段とまったく違うその音に、なんだかくすぐったい気持ちになる。少しだけ高くなった視線に、見慣れているはずの廊下も違って見えた。
ダンスホールの扉を開けると、燕尾服に身を包んだアーサーがいた。
「お待たせ、アーサー。今日は燕尾服なんだね。すごく似合ってる、かっこいいよ」
にこやかに語りかけながら、できるだけ優雅に見えるようにゆっくりとアーサーに近づいた。一歩ずつ進むたびに、コツコツとした靴音がリズミカルに響く。だんだんと楽しくなってきた。
「アーサー?」
「……」
アーサーが、固まっていた。
入り口近くに立って待っていたアーサーが、私を見た瞬間、何か言おうとして口を開いたまま動きを止める。
「どうしたの?」
「いや……」
アーサーの視線が私から外れる。その耳が、わずかに赤い。
「ちゃんとしたドレス姿、初めて見たから」
「そう?変?」
「変じゃない。……似合ってる」
もじもじとした様子で、ぼそっとそう呟くと、またすぐに視線を逸らすアーサー。照れているのが丸わかりで、とてもかわいい。
「ありがとう。じゃあ早速始めようか」
「ああ」
ダンスホールには、すでにお母様と講師の先生、それからルナが並んで待っていた。お母様が私を見て「まあ、素敵ね」と目を細める。先生も「よくお似合いです」と頷いてくれる。
褒められると、またウキウキしてくる。動くたびにドレスの裾がふわっと揺れる感じも楽しかった。
「では、始めましょう」
先生の声で、私とアーサーは向かい合った。基本の構え。お互いに手を取り、適切な距離を保って立つ。この一年ですっかり追い抜かれてしまった身長も、ヒールのおかげで同じくらいの目線になった。至近距離で視線がぶつかる。再び耳を赤くしてそっと視線を外したアーサーの手が、少しだけ震えているのが伝わってきた。
「アーサー、そんなに緊張しないで」
「わかってる」
ぶっきらぼうにそう答えるアーサーだが、やっぱり体はカチコチだった。表情もどこかぎこちない。
大丈夫かな——一瞬で不安が募る。それを言えば、このヒールも不安なんだが。
音楽が始まった。
——最初の二歩は、うまくいった。
三歩目に、私はアーサーの足を踏んだ。
「ごめん!」
「大丈夫」
五歩目に、また踏んだ。
「ごめん!」
「大丈夫」
七歩目に踏んで、アーサーが小さく「っ」と声を漏らした。
「本当にごめん!」
「……大丈夫」
大丈夫ではなさそうな顔だった。
問題はやっぱりこの靴だった。ヒールがついているというだけで、重心の取り方がまるで変わる。いつもの感覚で踏み出すと、足が思ったより前に出なかったり、反対に出すぎたりする。スカートの広がりも、足の動きの感覚を狂わせた。
加えて、アーサーが緊張しているせいでリードのタイミングが読みにくい。
踏む。謝る。踏む。謝る。
数分もしないうちに、私のテンションとやる気は急下降していった。
◇◇◇
休憩に入ると、お母様が先生と何かを話し合っていた。その様子を視界の端に入れつつ、私はアーサーの足の様子を窺う。再び「ごめんね」と「大丈夫」を繰り返していると、お母様から声がかかった。
「ハルカ、靴を脱ぎましょう」
「え、でも」
「今日のレッスンの目的は、二人で息を合わせて楽しく踊ることよ。お互いの動きや音楽に合わせることができれば十分。ヒールの高い靴は徐々に慣れていけばいいわ」
先生も頷いてくれた。
「ミランダ様のおっしゃる通りです。まず楽しむことが先決ですから」
私はおずおずと履いていた靴を脱いだ。するとルナが、どこからともなくいつものダンスシューズをすっと差し出してくれる。履き慣れた感触に、途端に足が軽くなった気がした。
「アーサー、もう一度やってみよう」
「わかった」
向かい合い、手を取り直す。先ほどより僅かに低くなった私の目線に、アーサーの緊張も少しだけほぐれたようだった。
「……これくらいが、ちょうどいいな」
そんなアーサーの小さな呟きは、再び流れ出した音楽にかき消され、ハルカの耳には届かない。
息を合わせて一歩、二歩とステップを踏む。
踊りやすい!
足の重心がちゃんと感じられる。スカートの裾が邪魔なのは変わらなかったが、踏み出す感覚は格段に掴みやすくなった。アーサーのリードも、前より受け取りやすくなった気がする。
一周。
ステップを間違えることも、足を踏むこともない。
もう一周。また踏まなかった。
だんだんと、ステップを考えることより音楽を聞くことに意識が向き始める。アーサーのリードに自然と体が動き、だんだんと楽しくなってきた。
どれほど踊り続けていただろう。
アーサーの淡い空色の瞳が、キラキラと輝いていた。
気がつけば、自然に口角も上がり、二人して夢中になって踊り続けていた。
「踏まないようにしなければ」という緊張はいつの間にかほどけ、音楽の速さに合わせて足を動かすことがただ心地いい。くるくると回るたびスカートの裾がふわりと広がり、アーサーが手を引いて軽やかに向きを変える。呼吸を合わせることに慣れてくると、まるで二人で一つになったかのような感覚が生まれた。その一体感に、『紅蓮』が成功した時のような確かな達成感が、胸に満ちた。
先生が何か言っているのが遠くから聞こえたけれど、あまり頭に入ってこなかった。
「ハルカ、そっちじゃない」
「こっちでしょ」
「逆だって」
「えっ」
くるりと反転したその瞬間、アーサーと正面から目が合った。至近距離で。
一瞬、時が止まったかのように、周囲の音がすっと遠のく。次の瞬間、どくん、と心臓が大きく跳ねた。
アーサーが少しだけ目を細め、何かを言いかけて、やめる。
「……合ってたのはハルカの方だった」
「やっぱり!」
笑いながらまた動き出す。
さっきの一瞬のことが、なんとなく頭の片隅に残っていて落ち着かない。
それでも、考える間もなく音楽が続いて、足が動いて、また笑って。
それは、「そろそろ終わりにしましょう」という先生の声が響くまで続いた。
◇◇◇
終わった後、ソファに二人で並んで座り込んだ。
息が上がっている。足も少し痺れている。でも、気持ちはすっきりしていた。
「楽しかった」
アーサーの呟きが聞こえた。
「うん」と私も答えた。「最初は全然うまくできなくて、凹んでたけど」
「俺も緊張してた」
「知ってる。体がガチガチだったもん」
「……言わないでくれ」
アーサーが恥ずかしそうにそっぽを向いた。私は笑った。
先生が「また来週も練習しましょう」と言って部屋を出ていく。お母様も「二人ともよく頑張ったわね」と笑顔で続いた。
「次はヒールの高い靴でやらないといけないんだよな」
「そうだね」
「練習だな」
「うん、練習だね」
窓から茜色の光が差し込んでいた。
なんでもない会話なのに、今日は少しだけ、アーサーの横顔を見るのが照れくさかった。
なぜだろう、と思いながら、私はそっと視線を窓の方へ逸らしたのだった。
いつも隣りで訓練していたハルカとアーサー。今日は至近距離、向かい合ってのレッスンです。
初々しくも甘酸っぱい現在の二人の距離感を感じてもらえたら嬉しいです(*´∇`*)
*『紅蓮』はグランフェルト前公爵より教わったハルカとアーサーの二人で作る、炎と風の複合技です(第45話参照)




