13. 濁った聖冠と神殿結界の前夜
※ 2026/3/3 加筆修正済み
◇ ◇ ◇ ◇
ダイアナが追放されてから大神殿では、様々な怪奇現象が起こっていた。
新たな大聖女としてカミラの任命式が行われたのだが、大聖女が被る聖冠をアレックス王太子の手から、カミラの頭上に被らせんとしたその時──。
純銀で煌めいていた聖冠がたちまち、メッキの剥れた汚い土器色に変色してしまう。
「「「まあ、聖冠の色が……」」」
聖冠が汚く濁った有り様を見て、巫女や聖女たちはヒソヒソと小声で囁いた。
カミラも水杯に映った、濁った聖冠を被る自らの姿を見て、ショックを受けた。
またダイアナが立ち去った後から、神殿の大広間の四隅にある水晶の円柱も清廉な透明色だったのが、黒い斑色に濁ってしまった。
この怪奇現象は新しく大聖女となったカミラを、大神殿全体で大聖女を拒否するかのようだった。
また大神殿に入室した際に、人々が常に感じていた荘厳なる清浄な神殿内の空気もいつしか淀み、白亜の壁まで黒ずんでいった。さらに恐ろしかったのは、真夜中の大天井に蝙蝠が時々だが、十数匹、止まって不気味な奇声を上げていた。
「嫌だわ、なんだかとても薄気味悪い。神殿でなく闇の魔王の棲家みたいじゃないの!」
巫女や聖女たちが不気味がって、最近ではチラホラと辞職する者すらいた。
それでもカミラは大聖女と王太子妃を兼任し続ける。
その理由は、王族や臣下たちは、依然としてカミラの治癒に絶大なる信頼と称賛をしていたからだ。
◇
「カミラ様のヒールは誠に凄い。私の腕の火傷が一瞬で消えた。やはり大聖女のことだけありますな」
と神官長はカミラを褒め称えた。
「そうだろう、カミラのヒールは誰にも叶わないさ、俺の捻挫もあっという間に治したからな」
アレックス王太子は自慢気に神官長に伝えた。
「お二方からお褒めに預かり光栄ですわ」
カミラはそんなの当たり前よ、と云わんばかりに鼻を高くした。
だが、そんなカミラの魔力をもってしても、唯一治癒できない王族が一人だけいた。
アレックスの父、ジョージ国王その人だった。
大聖女となって国王の治療を担当するようになったカミラだったが、いくら国王に治癒のヒールをかけても、一向に症状は改善しなかった。
逆にカミラがヒールをかけ続ければ続けるほどに、国王の顔色はさらに青褪めて容体も悪化の一途をたどった。
「アレックス殿下、王様を回復できず本当に申し訳ありませんわ」
珍しく神妙な顔をするカミラだ。
眼にはうるうると涙ぐんでしおらしくしている。
アレックスに媚びるように腕を回してきたので、アレックスはカミラを抱き寄せた。
「気にするなカミラ、万が一父王に何かあっても俺がいる。今までは父上に甘えて公務も疎かにしていたが反省せんとな。父の玉座を引き継げば何の問題もあるまいよ」
「さようでございますよ。王太子殿下、ジェダイト王国はアレックス様の時代となりましょうや!」
と日和見主義の神官長はアレックスに胡麻をすった。
「そうですわね、いよいよ私も王妃になる日が真近に来るのね殿下!」
「はは、そうだな。お前も心してかかれよ」
「はい、殿下」
カミラはバラ色の頬を染めて意気高揚となった。
まるでこの三人の会話を聞いていると、すでに国王が崩御したような口ぶりである。
◇ ◇
そして神殿結界の期限が明日の午前零時と迫った夜。
大神殿では前夜の一時間前から、新たな結界をかける神殿結界の議式が厳かに開始された。
真夜中の荘厳な大神殿内──。
春の結界が無効になる時が、刻一刻と迫っていたのだ。
遅くても結界が消える迄に、新たな夏の結界をカミラは張らなければならない。
参加者は大聖女カミラ、そして国王代理のアレックス。
他にも神官長含め神官、聖女と巫女、ほぼ全員集まっていた。
巫女の先頭にはダイアナの一番弟子のマリーもいた。
彼女の黒い瞳は幾分、不安と緊張で目が充血していた。
壇上には翡翠の女神像の石碑と対極にカミラが登壇し始める。
今宵、カミラは黒く濁った聖冠はつけていなかった。
カミラ自身が憎々しげにそ汚い冠だといって捨ててしまったのだ。
そしていよいよ神殿の結界を張る時間が迫ってきた。
聖衣を纏ったカミラは両手を掲げ、結界をかける祈りを捧げた。
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
シーンと大神殿内は静まり返っていた。神殿内は何も変化がなかった。
──おかしいわね、神殿を覆う結界が発動しない。
カミラは焦りだす、もう一度祈りを捧げた。
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
カミラは何度も何度も、続けざまに結界命令を捧げた。
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
だが駄目だった。
カミラが何度も祈りを捧げても、神殿にかかるはずの巨大な金色の球体は発動しない。
「ぜえぜえ、はあはあ……」
さすがにカミラの声がかすれて、息も荒くなっていく。
「どうしたんだ?」
「カミラさまの祈りが効かない」
「変だ、何故結界がかからないのか?」
神殿内に集った人々の不安の中、アレックスも神官長も表情が青ざめてゆく。
だが、まだ王太子や神官長にはこの時点でも、結界が張れない事の重大さがよく理解していなかった。
ただ、新たな結界が張れないという前代未聞の状況と、大神殿の不気味な静けさの中、得体の知れない恐怖だけは感じていた。
それもそのはず──。
こんな事は今まで一度たりともなかったからだ。
集った人々は、改めてダイアナを始めとした歴代の大聖女が唱える結界は、ごく自然だと思っていたが、けっして自然ではない物凄い大聖女の力なのだと気付かされた。
だが本来こうなる事は、初めから分かり切っていたはずだった。
神官たちは、聖冠式の際、カミラの頭上に乗せた聖冠が汚く濁った時点で、翡翠の女神はカミラを大聖女とみなさなかったと気付くべきだった。
たとえカミラが普段、王族や貴族たちの体を瞬時に治癒できたとしても、大神殿の主は何処までも翡翠の女神である。
その時、誰ひとり気付かなかったが、翡翠の女神の石像から碧い瞳がギラリと光った。
「は~ん、誰がふしだらな非処女なんかと遊ぶもんか!」
と女神が独り言をいったのだ。
そうである。
翡翠の女神が大聖女にそっぽを向けば、神殿内の『碧き力』を発動する事は不可能だった。
するとここからカミラはもっと最悪な状態に陥るのであった。




