13. 濁った聖冠と神殿結界の前夜
◇ ◇ ◇ ◇
ダイアナが追放されてから大神殿では、様々な怪奇現象が起こっていた。
新たな大聖女としてカミラの任命式が行われたのだが、大聖女が被る聖冠をアレックス王太子の手から、カミラの頭上に被らせんとしたその時──。
純銀で煌めいていた聖冠が、メッキの剥れた汚い土器色に変色してしまう。
「「「まあ、聖冠の色が……」」」
聖冠が汚く濁った有り様を見て、巫女や聖女たちはヒソヒソと小声で囁いた。
カミラも水杯に映った濁った聖冠を被る自分の姿を見て、とてもショックを受けた。
またダイアナが去った日から、神殿の大広間の四隅にある、水晶の円柱も清廉な透明色だったのが、黒い斑色に濁ってしまう。
この怪奇現象は新しく大聖女となったカミラを、大神殿全体が大聖女を拒否するかのようだった。
また、大神殿に入室した際に人々が常に感じていた、荘厳なる清浄な神殿内の空気も淀み、白亜の壁まで黒ずんでいくのが毎日通う聖職者たちには一目瞭然だった。
さらに恐ろしかったのは、真夜中の大天井に蝙蝠が十数匹、止まって不気味な奇声を上げていた。
「嫌だわ、なんだかとても薄気味悪い。神殿でなく闇の魔王の棲家みたいだわ!」
巫女や聖女たちが不気味がって、最近ではチラホラと辞める者すら出てきた。
◇ ◇
それでもカミラは大聖女と王太子妃を兼任し続ける。
その理由は、神殿の朽ちていく状態に気付かない王族や臣下たちは、依然としてカミラの治癒に称賛したからだった。
「カミラ様のヒールは誠に凄い。私の腕の火傷が一瞬で消えました。やはり大聖女のことだけありますな」
と神官長はカミラを褒め称えた。
「そうだろう、カミラのヒールは誰にも叶わないさ、俺の捻挫もあっという間に治したからな」
アレックスは自慢気に神官長に伝えた。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
カミラはそんなの当たり前よと云わんばかりに鼻を高くした。
ただ唯一カミラでも治癒できない王族が一人だけいた。
それはアレックスの父、ジョージ国王だった。
大聖女となって王の治療を担当するカミラだったが、国王に治癒のヒールを何度かけても、一向に症状は改善しなかった。
逆にカミラがヒールをかけ続けると、国王の顔色は蒼白となり容体も悪化の一途をたどった。
まだそんな年でもないのに、寝たきり状態で意識もほとんどなかった。
「アレックス殿下、王様を回復できず本当に申し訳ありませんわ」
珍しく神妙な顔をするカミラ。
眼にはうるうると涙ぐんでるが、アレックスに媚びるように腕を回してきた。
「気にするなカミラ、万が一父王に何かあっても俺がいる。今までは父上に甘えて、公務も疎かにしていたが、俺が父の玉座を引き継げば何の問題はあるまいよ」
「さようでございますよ。王太子殿下、ジェダイト王国はいよいよ、アレックス様の時代がやって来ます!」
と日和見主義の神官長はアレックスに胡麻をすった。
「そうですわね、いよいよ私も王妃になる日が真近に来るのですね、殿下!」
カミラはバラ色の頬を染めて意気高揚となった。
まるでこの三人の会話を聞いていると、すでに国王が崩御したような口ぶりである。
◇ ◇
そして、神殿結界の期限が明日の午前零時と迫った夜。
大神殿では前夜の一時間前から、新たな結界をかける、神殿結界の議式が始まった。
真夜中の荘厳な大神殿内──。
春の結界が無効になる時が、刻一刻と迫っていた。
遅くても春の結界が消える迄に、新たな夏の結界をカミラは張らなければならない。
◇ ◇
参加者は大聖女カミラ、そして国王代理のアレックス。
他にも神官長含め神官、聖女と巫女、ほぼ全員集まっていた。
巫女の先頭にはマリーもいた。
彼女の黒い瞳は幾分、不安と緊張で目が充血していた。
壇上には翡翠の女神像の石碑と対極にカミラが登壇し始める。
今宵、カミラは黒く濁った聖冠はつけていなかった。
そしていよいよ神殿の結界を張る時間が迫ってきた。
カミラは両手を掲げ結界をかける発動を大声で命令した。
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
おかしい、神殿を覆う結界が発動しない。
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
カミラは何度も何度も、続けざまに結界命令をかけた。
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
「翡翠の女神のご加護を、神殿結界よ、いざ放て──!」
だがカミラが何度も命じても、神殿にかかるはずの巨大な金色の球体は発しない。
カミラの声がかすれて、息もゼーゼーハーハーと荒くなっていく。
「どうしたんだ?」
「何故結界がかからないの!」
集った人々の不安の中、アレックスも神官長も表情がどんどん青ざめていった。
この時、王太子や神官長には事の重大さがよくわかっていなかった。
ただ、新たな結界が張れないという、前代未聞の状況だけは、得体の知れない恐怖を感じていた。
こんな事は今まで一度もなかった。
集った人々は改めてダイアナはじめ、歴代の大聖女が唱える結界が当たり前だと思っていたが、それは当たり前ではないと気付かされた。
だが、本当は初めから分かり切っていたはずなのだ。
カミラの頭上に乗せた聖冠が汚く濁った時点で、翡翠の女神は、カミラを大聖女とみなさなかったのだから。
王宮の人々はその時気付くべきだった。
たとえカミラが普段、強い魔力持ちであっても、神殿の主は何処までも翡翠の女神である。
「誰がふしだらな女人なんかと遊ぶものか!」と女神が大聖女にそっぽを向けば神殿内の『碧き力』を発動する事は絶対にない。
ここからカミラは最悪な状態に陥るのであった。