表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖しい瞳  作者: 月猫百歩
9/42

八ノ怪


 わたしが見た雀は幽霊ではなく、鬼さんに言わせればただの夢か幻だそうだ。

 でも実際目の当たりにしてしまうと、そうと分かっていてもどうしても怖くて仕方なかった。

 

 鬼さんのお酌をしながらも、必死に振り払うたびにまた出てくる幽霊雀にわたしは顔を暗くしていた。


「そんなに怖いか?」


 今まで機嫌よく色々と話していた鬼さんが、わたしの様子を見たのか唐突に訊いてきた。

 わたしはさっき言い聞かされたばかりというのもあって、気まずさに押し黙った。

 まだ気にしているのかと怒られると思ったのだ。


「はぁ~……分かった! 雀の幽霊とやらは俺がなんとかしておくから心配するな」


「え? やっぱり幽霊がいるんですか?」


「いやいや。だが、要はお前が幽霊だの気にしないようにすれば良いんだろう?」


「うんまぁ……ちょっと違う気もしますけれど。そんな簡単に出来るもんですか?」


「あぁ」


 自信満々に言う鬼さんに何かを言う事も出来ず、わたしは曖昧にそうですかと一応納得したふりをした。

 でもやっぱり不安が押し寄せてきてしまって、わたしは鬼さんをちらりと見てまた目を伏せた。


「夢……なんですよね。幽霊はいなんですよね」


 鬼さんのことだからこんなことを言ったら良い顔しないと予想できるが、言わずにはいられなかった。

 わたしの言葉に案の定鬼さんは無表情になったが、ふむと唸ると少しだけ頷いた。


「……そうだな。分かった」


「何がですか?」


「ビビリのお前が幽霊なんざ微塵も思い出さずに済むよう、色々考えてやる。可愛いお前の頼みなら仕方ないかな」


 絶句しそうになるがその前に息も止まってしまった。


 こ、これは偽物だ。鬼さんなんかじゃない。こんなにすんなりわたしの言うことを聞いてくれるのは鬼さんじゃない。

 誰か別の妖怪が化けているんだ。こんなに優しくないし「お前の頼みなら仕方ない」だなんて断じて言わない。絶対にだ。


「お前今失礼なこと考えていたろ」


 ギッと睨まれて我に返る。

 あ、この鋭い睨みは鬼さんだ。本物だ。わたしはこっそり安心して苦笑いした。


「失礼だなんて、違いますよ。意外に鬼さんが優しいなって、感激しただけです」


「おい一言多いぞ」


「すいません」


 再度睨む鬼さんに謝りつつ、ふとあることを思い出した。

 そうだった。寝る前にお風呂に入らないと。花火の煙の匂いが体に染みてるみたいだから、このまま布団に入るわけにいかない。

 家の中を歩き回ったとき、脱衣所に着替えとか体を拭く物があるのは確認済みだ。早く済ませてしまおう。 


 一人酒を始めた鬼さんを横目で見つつ、お風呂に入ろうと廊下へ出た。そしてで一歩足を踏み出した瞬間、びくりと顔が引きつった。


 ……そうだ。茶室があるんだった。

 襖を開けると廊下の一番奥にある茶室の襖が見えた。幸いにもトイレとお風呂場は手前にあるので、直ぐに曲がればお風呂場へ入れる。……でも……


「鬼さん」


「ん?」


「まだ部屋に居ます?」


「あぁ」


「ちょっとわたしお風呂に入ってくるので待ってて下さい」


 ひらりと鬼さんが手を振るのを見て、わたしはまたお風呂場へ続く襖に目を向けた。

 怖いから部屋の襖は開けたままにしておこう。一応鬼さんも部屋に居るから何かあったら叫べばいいし。

 いやでも、叫んで駆けつけられても嫌かも……




 幽霊なんていない、幽霊なんていない、幽霊なんていない。


 頭の中で呪文のように繰り返し、ビクビクしながら小走りでお風呂場の襖を開けるとすぐに脱衣所に入り、つっかえ棒をして浴衣を脱いだ。


 すぐに洗ってすぐに出よう。そうしよう。


 わたしは過去最速記録を出す勢いでお湯を浴びで髪や体を洗い、お湯に浸かることなく出て、脱衣所に置いてあった薄いタオルで体を拭き、新しい浴衣に着替えた。 

   

 はぁ、疲れた。でもまだ部屋に戻るまで気が抜けない。

 なるべく茶室に目を向けないようにして小走りで開けたままの部屋に入ると、素早く後ろ手で襖を閉めた。


「良かった。出なかった……」


 安堵の息を出してふと一人晩酌をしているであろう鬼さんを見ると、鬼さんは畳の上で大の字になって寝ていた。

 

「鬼さん……」


 鬼さんの横に布団はふた組敷いているものの、斜めに敷かれていて掛け布団はそれぞれ別の方向へ投げ出されるような形で放ってあった。枕に至っては何故か壁側に積んである。


 敷いてくれたんだろうけれど、どこをどうしたらこうなるんだろう。酔っ払っていたのかな。


 どっと疲れが出でるも、仕方なくわたしは布団をそれぞれ敷き直した。




 黙々と布団を敷き直し、わたしは壁側に布団を敷き、鬼さんはとりあえず重くて動かせないので、鬼さんの真横に敷き布団を敷いて布団を体にかけた。

 あとは上手く寝返りを打って布団の上に戻ってくれるのを待つしかない。


 鬼さんの近くに転がっている晩酌セットは部屋の隅に片付けた。 

 そして部屋の四隅に置かれている雪洞は、明かりを小さくしてそのままにした。部屋が真っ暗になるのが怖かったから。


 よし、もうすることはないよね。これでやっと眠れる。なんだか疲れちゃった。

 やることを終えたわたしは、ようやく布団に潜り込んで目を閉じた。


 ……あの雀の幽霊、本当にいないのかな。明日にはもう忘れることが出来るかな。

 鬼さんはなんとかしてくれるって言っていたから、大丈夫だと信じたい。


 だいたい今思えば、本当に幽霊がいたとしたら、こちらに来る前に鬼さんが先に対処してくれているはずだ。

 わざわざ幽霊がいるところにわたしを静養させようとはしないだろう。


 鬼さんたまに変な事を言うし相変わらずちょっかいは出してくるけれど、現にわたしに色々気を遣ってくれているんだし、以前と比べてわたしに歩み寄ろうとしてくれているんだなぁ。


 鬼さんが頑張っているのなら、わたしも歩み寄らないと。だから精一杯頑張って――……

 

  

 ……頑張る? 何を? そして、誰が?



 グッと息が詰まった。

 頭がキリキリして胃も痛み出した。はぁっと大きく息を吐き出しては大きく吸い込む。


 なんで? 痛い……苦しい……

 えっとそうだ、いつもこんな時は、どうしていたんだっけ?


 ギュッと布団を掴んで痛みに蹲った。布団の中で体を丸くさせて痛みに耐えた。


 こんな時は……わたしは……




・・・・・・・・・・・・・・




 目の前が暗くて、目蓋を動かすと視界が広がる。

 自分の両手が映って膝も見える。周りは白い格子が取り囲んでいて、籠の中にわたしはいた。


 文机を見るとそこには食事が置かれていた。それを見て不思議と食べなければと思った。

 重い足を引きずって文机に寄ると、わたしは一度湯呑の水を飲んでから箸をとって食べ始めた。


 視界は暗いし、食欲がないなと思いながら黙々と口に食べ物を流し込み、終えれば現れた鬼火に従って籠を出て廊下を歩く。

 

 ざわざわと天井裏から声が聞こえ、バタバタと駆けていく音が遠ざかる。

 慌ただしく、忌々しいとざわめく声や囁きが消えていく。


 わたしは何処へ行くんだろう。

 現実感のないふわふわした、外界を薄い膜越しに見ているような不思議な感じ。



 鬼火についていけばそこはお風呂場だった。

 またお風呂に入るのかとやや辟易しながら気だるげに衣服を脱いでいき、入浴を済ませる。


 お風呂。どうしてはいるんだっけ。

 まぁいいや。何度だって入ってもいいものなんだし。けれども、なんだか面倒に感じてしまう。


 お風呂から上がって水気を払い、用意されたものに着替える。そしてまた足を引きずりながら真っ暗な廊下を歩いて籠へ戻った。



 ……あれ?


 籠には誰かが居て震えていた。こんなところで何をしているんだろう。

 ぼんやりとしてゆっくり籠の中へ入る。体がだるい。


 震えている影に近寄れば、背中がやや肌蹴て茶色い背が見えた。

 回り込んでしゃがむと、わたしはその震える人物の顔を覗き込んだ。


 茶色い羽で顔を覆っていたのは雀だった。悲しそう悲しそうに、さめざめと泣いていた。

 

 何をそんなに悲しんでいるんだろう。

 わたしが不思議に思って雀の姿を改めて見てみれば、どこかで見た梅模様の着物を身につけていた。



 あぁ、あの雀の幽霊……

 こんな夢にまで出てきてしまったんだ。

 もう見ないようにしないといけないのに。どうしてまた夢に現れてしまうんだろう。

 

 ぼんやりとそんなことを思いながらまだ泣き続ける雀を、わたしはどこか冷めた感情で見つめ続けていた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・




 不意に目を開いた感じがした。

 自分の両手が見え、その手は湿って濡れていた。


「あ……なに、これ……」


 呟いて出たのは掠れた声だった。目元も熱く、触れば手と同じように濡れていて、それが涙なんだと分かった。


「御姫さん?」


 背後から急に声をかけられ心臓が跳ねたが、いつものようにすぐ体は反応しなかった。

 とにかくだるくて鈍かった。


「お加減はどうです?」


「え……?」


 宙に浮かぶ煙の塊にシパシパする目を何度もこすって凝視する。

 ……ここ、白い籠の中?

 息をするのが苦しくて胸を大きく上下させながら周りを見渡した。どう見ても、鬼さんのお屋敷にある自分がいた籠の中だった。


 戻ってきた? それともこれも夢?

 でも、いきなりどうして?



「大丈夫ですか?」


 再度かけられた声にわたしは呆然として、何度か目を瞬かせる事しか出来なかった。


「鬼さんは?」


 問いかけると紫さんは黙り込んで畳の上に一度降りると、すっと煙を立ち上らせて神主の形に姿を作った。


「今は席を外されてますよ」


「わたしは、どうしてここに?」


「どうして?」


「わたし、どうしてここに、いるんですか?」


 呼吸が苦しいせいで言葉が途切れがちになるが、わたしはボヤける頭をなんとか動かして紫さんに訊ねた。


「どうしてとは……何故?」  


「え?」


 なんだか話が噛み合ってない。

 苦しくて渋い顔になってしまうが、その様子に紫さんは気分を悪くするような気配もなく、ただただ困惑している空気を漂わせていた。

 

 あれ、でもさっき雀が籠の中で泣いていたから、いつもならこの場合わたしが雀に乗り移っている状態のはずだ。

 過去何度か幽霊みたいになのに接触したら、その幽霊本人に成り代わっていたことがあったし。


 だけど紫さんはわたしのことを「御姫さん」って呼んだ。手だって翼じゃなくて人間の手。そして今のわたしには灰梅はない。

 ということは……どういうことなんだろう……。


「御姫さんここがどこかお分かりで?」


「いつもの、白い籠の部屋です、よね?」


「そうです」 


「あのそれで、わたしはなんで、ここに? いつから?」


「……何故そのようなことを訊くのです?」


「え、だって分からない、から…………あ、それにもしかして、わたしは、いま雀? わたしは、いま、誰なんですか?」


 次から次へと湧き出る疑問をぶつけてみるが、紫さんは珍しくギョッとしたような息を呑む様子を見せて固まってしまった。


 おかしいなぁ。なんでそんな反応をするんだろう。

 もしかしたら紫さんの目にはわたしが雀の子に見えているのかもしれないから、それを確認したくて訊いたのに。


 再度訊ねようと口を開きかけるが、わたしは体中を走る痛みに顔を歪めせて呻いた。


 背中、痛い。頭も割れそうに痛い。

 息も苦しいし体もだるくて痛い。意識もなんだか、ハッキリしない。 


「御姫さん……」


 緊張した声音に疑問に思うが、わたしはもうとにかく息が苦しくて、紫さんを前にしているにも関わらずその場に体を横たえた。


「ごめんなさい……なんだか、疲れてしまって……ちょっと、眠り、ます……」


 起きてからまた聞こう。今はもう動けない。頭もどうもはっきりしてこない。

 こんな状態で会話をしても覚えられないだろうし、答えることもままならない。まずは回復しないと。

 

 ただどうしてわたしは籠の中へ戻ってきているんだろう。

 

 あの明るい家とは、そう遠くない距離なのかな。それともこっそり鬼さんはわたしを連れて、鬼の門を通って現世へ帰っているのかもしれない。

 


 夢が覚めたら聞かないと。鬼さんでも紫さんでも構わないから、どうしてこんな事になっているのか、なんでそんな事をしたのかと。


 そしてここはどこで…… わ た し は誰なんだろうと。



  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ