九ノ怪
遠くの方でわたしを呼ぶ声が聞こえる。
鳥が羽ばたく音が聞こえて、小さなさえずりが耳に届いてくる。そっと目を開けると、綺麗な絵が施された天井が見えた。
「起きたか?」
声のする方へ目を向けると、あぐらをかいた鬼さんが傍らでわたしを見下ろしていた。
「こぉ~んなに明るいのに、よくお前は起きないな」
呆れた顔をしながら立ち上がると、わたしの方へ手を伸ばして頭を撫でた。
「気分良く眠れたか?」
優しく笑う鬼さんを何度か瞬きして見つめ返す。
眠ってた、んだ。そうだ……わたし寝ていたんだ。鬼さんが中途半端に布団を出してそのまま爆睡して、仕方なくわたしが布団を敷き直して眠ったんだ。
「鬼さん、わたし変な夢見ました」
呆然と呟けば、鬼さんが片眉を上げて訝しんだ。
「夢? また雀のか?」
「ちょっと違いますけれど、変な夢でした」
後味の悪い夢だった。モヤモヤしてはっきりしないんだけど、不安が残る夢だった。
妙に現実味があって、今まで見てきた夢とは少し違ってみえた。
泣いていた雀に見下ろす自分。次に白い籠の中で紫さんと話した。本当に、変な夢。
「夢なんつーもんは総じてそんなもんだろ」
「……そうですよね」
ばっさり言い捨てた鬼さんにわたしも頷いた。
あまり思い出したくない。あの夢は異様で関わらないほうが良いものだ。
……でもどこか、ひっかかりのある夢だ。ただの悪夢で片付けるにしては、危ない気がする。
気にするのも良くないのだけれど、放っておくのも危険なような。どちらにしても、何か気になる。
「さて、俺は行くぞ」
眉間に皺を寄せていたら鬼さんが立ち上がり、またわたしの頭を撫でた。
わたしは考えていたものを止めて体を起こすと、立ち上がった鬼さんを見上げて「はい」と返事をした。
「あぁそうだ」
おもむろに鬼さんが振り返ると、わたしに装飾のついた小箱のようなものを渡した。
「こいつをやる」
手渡されたそれを手に取ってよく見ると、半月型のガラス板の中に指針があり、その下に四つの摘みと、スピーカーと思われる網目が箱の左右につけられていた。
「これはラジオ?」
「俺はなんだかよく分からんが、歌やら話やら聞けるようだ。気分転換に良いんじゃないか?」
「これも化け猫さんからもらったんですか?」
「こいつぁ狐からだ」
「狐もラジオを聞くんですね」
古くて変わった作りだけれど、動くのかな。
試しに一番右端の摘みをひねると、ブツっと音が鳴った。……今ので電源が入ったのかな。
また隣の摘みをひねるとこれは選局だったみたいで、回すたびに流れてくる音が変わった。
そしたら隣は音量調整かな。
「鬼さん、良くしてくれてありがとうございます」
一度ラジオを動かしていた手を止めて、改めて鬼さんにお礼を言うと鬼さんは少し目を伏せ、それからわたしの頭をポンポンと優しく叩いた。
この頃鬼さんわたしの頭をよくこんなふうにして叩いた。痛くはないし、むしろ昔お祖父ちゃんによくされていたのを思い出して懐かしくなった。
思わず口元が綻ぶと、鬼さんがわたしの前髪を掻き上げてきた。
「お前はやはり、憎たらしいくらい陽が似合うな」
細めた目の奥が少し紅く光った。
それはとても僅かな間で、光ったのもとても小さく見落としてしまいそうな煌きだった。
久しぶりに見た鬼さんの紅い瞳を見てわたしは胸が高鳴った。
背筋にスッと冷たいものが一瞬走り、顔が少しだけ強張る。
「鬼さん?」
「生き生きしたお前は愛らしい」
不安に目が泳ぐと、そっと頬を撫でられた。
まるで薄い氷のような、触れば壊れてしまうと思っているような触れ方に、わたしはこのままなにかされるんじゃないかと身動きできずに固まっていた。
「鈴音……」
心臓がまた強く胸の内側を打ったのを感じて、息が止まった。
ジッと身構えて石のようにしていると、頭に大きな手が被さった。
「じゃあ、な」
一言口元だけ笑って鬼さんは名残惜しそうにわたしの頬から手を引いて、部屋から出ていった。
「…………は、ぁ」
詰まったような変な息を吐きながら、わたしは肩を大きく下げて胸に手を当てた。
やっぱりここ最近の鬼さんは変だ。おかしい。でもどこか悲しい表情するのは何故だろう。
明るいところが嫌いだから、そう見えただけなのかな。
鬼さんの触れた頬に余韻が残る。
不安や気分が曇るが、それとは別に鬼さんに対して心配になってくる感情が湧きでた。
「鬼さん……」
どうしたんだろう。具合が悪いのか、何かあったのか。とにかく普通じゃない。
鬼さんはわたしをここで静養するとか仲を深めたいだとか言っていたけれど、他にもなにか理由があるように思える。
わたしには知られたくないことなのか、隠しておきたいことなのか。それともわたしの考えすぎで、本当に鬼さんが言ったことだけが目的なのか。
深く息を吐いて、答えがでないままわたしは日差しの降り注ぐ外を見た。
・・・・・・・・・・・・・
つけっぱなしにしていたラジオからはジャズが流れた。もっと流行りの音楽が流れるのかと思ったのだが、今はこれでも楽しめた。
部屋の隅に積まれている雑誌をめくりながらラジオに耳を傾ける。
せっかく日が昇っているのだから、縁側へ移動してそこでまた雑誌を読み耽った。
懐かしい音楽や、聞いたことがない新曲、カラオケでよく歌った曲。現代の音楽を聴いていると自分の内側から光が出てくるようで、自然と体の体温もあがってくる。気分も清々しくなり、高揚してくる。
雑誌には可愛いスカートやトップスが載っていて、柄物のショール等の温かな服装を取り入れた着こなし方法が書かれている。
秋を先取りと書かれているのだから、あちらはもう夏も終わりなのだろう。
そういえば常闇は四季が無いのか、いつも不気味な草木が生い茂っているか、枯れ木しかない荒野ばかりだった。
春の暖かい風や花も無ければ夏の日差しも喧騒も無く、ただ暗闇がずっと続いているだけ。
何も変わらない。移り変わる物がない。妖怪達はそんな環境で退屈したりしないのだろうか。
それとも変化していくのが嫌なのかな。
でも狐や猫なんかは人の世界に近いせいか、現世のアクセサリーを身につけているのを見た事がある。ああいった妖怪はおしゃれも四季も人間にまぎれて楽しんでそう。
雑誌だって化け猫たちが持っていた物を鬼さんが貰ったと言っていたんだし、案外その筋の妖怪たちからなら現世の物を調達出来るのかもしれない。
前にあった庄屋の若い狐の青年は、髪も現代風にしてピアスもしていた。あぁいうのを見ると、狐も人に化けてあちらの世界で現代を楽しんでいるのかも。
……良いなあ。
鬼さんに現代服をねだった時はあったけれど、即却下されてしまった。昭和の頑固親父みたいな事を言ってダメだって言われたのだ。
鬼さんだって最近は現代服着てるんだから、わたしにも着させてくれれば良いのに。
鬼さんがまた夜来たらお願いしてみようかな。
あー……でも、鬼さんにお願いするとなにかしら返さないといけないのよね。過去の経験上、タダではやってはくれない。
雑誌をもう一度見て、気になったページの角っこを折る。
頭の中だけで自分に着せ替えるのは自由だよね。ちょっと悲しい気もするけれど、想像するだけで楽しくなる。
ここに載っている一番人気のお店でお茶して、自分好みの洋服を選んで、靴を履いておしゃれなお店の通りを歩く。
写真のイメージだけだけれど、常闇と違ってどのページも鮮やかで眩しくて、明るく煌めいた現代に飢えている自分には次から次へと出てくる欲求が止まらなかった。
ふと、ページの端に少年たちに囲まれたモデルさんが風船を分けている画が載っていた。
鬼さんのいた村の少年たちも、きっと今の時代だったらこういう風に過ごしていたのかも。少なくとも、こんな風に過ごしたかっただろうな……。
縁側に出て両手を合わせる。少し冷えた風が通り抜けてさわさわと草木が囁いた。
どうか、心安らかに眠ってください。大丈夫。わたしが紅い鬼の傍で見ているから。
悪さをしようとしていたら、必ず止めるから。
鬼さんの中で渦巻くあの子達の無念。
普通の子として接して欲しかった思いが鬼さんに残っている。それらを解消してあげれば、あの子達も鬼さんも、少しは心の曇りが和らぐかもしれない。
ここ最近鬼さんの様子がおかしいのも気になるし、わたしが出来る範囲でやってみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・
「鈴音」
「明るい時に来るだなんて珍しいですね」
ラジオを聴きながら雑誌を読んでいると、まだ日が沈んでいない内に鬼さんが戻ってきた。
「ちょいと渡したい物があってな」
「なんですか?」
鬼さんは手に持っていた紫色の風呂敷を畳の上に下ろすと、するすると結び目を解いていった。
中には綺麗に包装された四角い箱が出てきて、それをわたしの方へ押すと開けてみなと目配せされた。
「開けていいんですか?」
鬼さんに聞けば頷かれたので渡された包みを開けると、ふわりと良い香りがした。
中には赤いリボンとビニール袋で包装されたクッキーと、小さな星型の宝石がついたネックレス、そして控えめな花柄に縁どられた朱色の手帳が、仕切りにそれぞれ丁寧に入っていた。
「えっと……どうしたんですか、これ」
「お前にやる」
一言言われ、思わず押し黙ってしまった。
嬉しいんだけれど、逆に怖い。ここまでされると背中がぞくぞくする。もちろん悪い意味で。
でも鬼さんの顔を見るとぶっきらぼうな感じで、少し自信なさげな、らしくない顔をしていた。
珍しい。そんな表情をされると、どうも疑う気も小さくなってしまう。
とにかく、お礼はしておこう。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「そりゃあ良かった……」
まただ。またどこか寂しげな表情をする。
そういえばあの少年達もそんな顔をしていた気がする。顔と言わなくとも、そんな感情が感じられた。
不意にわたしは思いついて、箱を畳の上に置き鬼さんに手招きした。
「なんだ?」
「まぁちょっとこっちに来て横になって下さい」
「なんなんだ?」
良いからとわたしは傍らに座った鬼さんの肩をひいて、自分の膝の上に鬼さんの頭を乗せた。
「たまにはこういうのも良いんじゃないですか?」
強引に膝枕に乗っけた鬼さんの黒い髪を撫でる。あの子達がお母さんにして欲しかった事の一つだと思いやってみけれど、どうだろう。
「そうだな」
呟いて鬼さんが少し頭を動かした。腕を組んでふぅーと煙草みたいに息を吐いた。
ちょっと、いや結構重いけれどしてみた甲斐はあったみたい。
少なくとも鬼さんは目を閉じてリラックスしている。……と、思う。
「わたしはこっちのほうが良いです」
「俺は眩しいがな」
「今度アイマスクでも買います?」
「そりゃなんだ」
「目隠しみたいな物ですよ。旅行とか長旅をする時にしたりするんです」
頭を撫でていた手を取られ、鬼さんの目に移される。
「この方が良い」
穏やかな声音にわたしもほんの少し嬉しくなった。
鬼さんとこうしてやりとりすれば、うまくやっていけそう。これなら紫さんの言っていた不安や心配も杞憂に終わる。
そういえば紫さんにずっと会っていないな。紫さん、これで機嫌直ればいいけど。
他の妖怪や子鬼達も、いつかわたしが無害だって分かって貰えたら良いのに……でもそれはさすがに、都合が良すぎるか。
日差しが気持ちいい。暖かくて眠くなってくる。
こんな陽気だと常闇にいることなんて忘れてしまえそうだなぁ……悩んでいたことだって……
うとうとして自分の頭が揺れる。
耳にまた鳥の羽ばたきと、鳴き声が聞こえてくる。そして、あの雀の鳴き声も。
悲しい、恨めしいのに、そのつぶらな瞳は可愛らしくて、流した赤い涙も怖さとともに哀しみも感じた。
わたしには灰梅なんてないのに、どうしてこんな変な夢を見たんだろう。どうしてこんなに、胸を抉られるような感覚を覚えるんだろう……。
いま……わたしは悲しいのかな……。




