十ノ怪
「何故そんなに傷ついているんですか?」
「え…………えぇ!?」
叫んで飛び上がると同時に目を上げた。
畳の上で腰を抜かしながら目を見開いて凝視する。
な、なんで、なんでいるの?
膝の上は軽くなり鬼さんもおらず、わたしは白い籠の中にいた。そして、またあの雀が目の前に座っていたのだ。
「皆に冷たくされるのが辛いんですか。でも、そんなの今更じゃないんですか? 以前だってそうだったじゃないですか。今更ですよ」
「は? あ、あの……どうなって……だってあなたはわたしの見た夢じゃ……」
立ち上がって周りを見る。
わたしがいたあの白い籠そのものだ。籠の外にある灯篭も着物も、襖に描かれた雀だってそのままだ。
ということは、これも夢なの?
鬼さんの頭を撫でながら自分も気持ちよくなってそのまま眠ってしまった?
そういえば昔読んだ本で夢の中でこれは夢だと自覚出来ることがあるって聞いとことがある。じゃあ今見ているのは、それにあたるものなのかな。
それにしたって何もこんな夢じゃなくたっていいだろうに。
せめてもっと楽しい夢とか、お姉ちゃん達や春香達と遊ぶ夢でも見ていたい。
まぁそんなことはともかく。とりあえずその事は今は置いておくとして、用心することに越したことはない。
操り人形のようにカクカクとした動きをしながらわたしは後退りをして、行儀良く座る雀を指さした。
「あ、あの、だ、誰なんですか? それにあなたあの時、血を流していたんだし…………だ、大丈夫なんですか?」
「……え? わたしですか?」
キョトンとして小首を傾げる。どこかで見た光景ではあるけれど、思い出せない。
あの茶室であった時に見た光景だったかな。頭がはっきりしない。
「わたしは平気です。平気でなければいけないのです。まったく大丈夫です。なんともないですね」
失礼だけれど変な話し方に眉を寄せる。
一度咳払いをすると、わたしは落ち着いてと自分に言い聞かせて座り直した。
「そ、そうですか。あと、その、幽霊とかじゃ、ないですよね? もしわたしの見た夢の雀だとしたら、籠の中でなぜ泣いていたんですか? あとこれは……あの夢の続き?」
わたしが緊張しながら話せば、雀はしばらくぼんやりとして小さく頷くとわたしをじっと見た。
「えぇ。だから何をそんなに悲しむのか理解できません。理解してはいけないのです」
「え?」
「……泣かないで下さい。冷たく言ったつもりはなかったんですけれど」
「あ、あの、泣いていたのはそっちで、わたしじゃない……」
「えぇ、ごめんなさいね。傷つけてしまって。いけない事です」
まったく話が噛み合ってない。以前紫さんと話した以上に話が合わない。
げんなりしてしまって思わず溜息を吐いた。この雀は何を言っているんだろう。変なことばかり言って。
「けれども、自分の痛みを知らなければ治せないのでは?」
「痛み?」
今度は何を言い出すんだろうと露骨に顔を曇らせて問い返すと、雀は頷いた。
「……そうです。じゃないと治しようがないでしょう? 出来るとは思えませんけれど」
雀の言い方になにか引っかかりを覚えた。最後の方はどこか蔑んだもで、でも引っかかったのはそこじゃない。
「もしどうしても分からないのなら、いっそのこと、痛みそのものを忘れてしまえば良いんじゃないですか。そうすれば辛さも忘れてしまえますから」
「痛みを忘れる? 痛みってどういう意味ですか? それにあなた」
「……大丈夫です。きっと穏やかに過ごせますよ。少なくとも傷つくことは無いです、あなたは。保証します」
どこにも脅し文句は無かったはずなのに。わたしは酷く動揺して身体を震わせた。
遮った雀の口ぶりにゾッと背筋が寒くなった。
言いようの無い悪寒に自然と胸が激しく上下して、吐き気までしてくる。
「え? わたしは? わたしは傷つかないってそれって何ですか? 何を言っているんですか?」
急に湧き上がってきた不安。まるですぐ傍まで危機が迫ってきているような錯覚を覚える。
思わず掴みかかりたい衝動が襲うが、雀はまた小さく鳴くと今度は透明な涙を流した。
「だからどうかどうか。決して目を覚まさないで下さい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目蓋が勢い良く開かれた。
上体を起こし辺りを見回すと、既に横になっていて布団に寝ていた。
襖は全て閉められていて、障子の外は暗い。部屋の中は真っ暗だった。
わたし、鬼さんに膝枕してうたた寝していたはずじゃ。
あのまま寝てしまって鬼さんが布団に寝かせてくれたのかな。
隣に目を向ければ布団は敷いてあるものの空っぽだった。
お酒を呑んだ後があり、布団も乱れているようだから寝ていた所から起きたのかもしれない。トイレにでも行ったのかな。
まだ胸がドキドキしてる。もうあの夢は何なんだろう。
鬼さんは大した事ないって言っているけど、何度も何度も出て来られたら最早普通の夢とは言い難い。
わたしの目に灰梅はない。だから誰かの視界やら考えがわたしのなかへ入ってくるはずがない。
体だってお風呂に入るときチェックしているけれど、鬼火による痣はなかった。
また鬼さんがほぼ常にいて、朝日のある日中に妖怪が襲って来るのは考えづらい。ましてやわたしが雀の幽霊を見たと騒いだあと、鬼さんがあの後一通り確認をしてくれたそうだ。
これで誰かが入ってきたり呪いを仕向けるとは考えられない。
どうしてこんな夢を見るんだろう。せっかく環境が良くても、こんな疲れの取れない睡眠ばかりしていたら、欝になりそう。
深く息を吐いてぐったりと額に手をやった。
その時だった。微かに悲鳴が、それともなにかの鳴き声が遠くから聞こえてきた。
「なにっ!?」
甲高い……声? のようなものが聞こえた。小さいけれど確かに聞こえた。誰かいるの? 近くで何かあったのかな。
と、とにかく、まずは部屋の明りをつけて確かめないと。
部屋の天上から伸びる紐を思い切り引っ張ると、部屋の中に配置されている灯篭が一斉に点いた。
少し暗めだけれどこれで少し怖さが半減される。
「どこから聞こえたんだっけ」
ぽつりと独り事を言って耳を澄ませる。脈打つ心臓の音をうるさく思いながら耳をそばだてていると、中庭に通じる廊下の方から何か話し声のような音が聞こえて来た。
だ、だ、誰かいるのかな。
襖に近寄って耳を近づけると、何かが鳴いている音がした。時折バサバサと服か布団を叩く様な音がして聞き取りづらい。
「鬼さん?」
小さく声を掛けてみるが返事は無い。気のせいか虫の鳴く音も聞こえない。
わたしは一つ唾を呑み込んで襖を開くと、薄暗い廊下へ出て後ろ手で閉めた。
ヒヤリとする床をそっと音を立てずに進む。
暗い先に中庭に通じる引き戸が見えてくるが、わたしはその模様を見て目を見張った。
隠れ鬼をした、雀の襖。
白い籠のある部屋と同じだ。なんでこれがこんな所に。前はただの木で出来た引き戸だったのにどうして。
中でまた、弱った鳴き声が聞こえて来た。それにずっと羽が羽ばたく音も聞こえてくる。……鳥でも中庭にいるのかな。
わたしは震える手を伸ばし、ほんの少しだけ隙間を開いて中を覗き込んだ。
中はあの時見た庭の景色ではなく、よく見えないが薄暗くて天井は低かった。
目が慣れてくると、上からは大きな羽を広げた色とりどりの蝶が部屋の隅に吊るされており、中央を囲むようにして宙に浮いているのが見えてきた。
そして蝶たちが向かい合う先には、四角い白い和鳥籠が置かれていた。
中庭じゃない。それに、何かいる……?
籠の中で何かが動いている。そっと音をたてないように部屋の中へ入り、慎重にそれを凝視する。
なに、あれ……。
蝶の大きな羽越しに見えたのは大きな鳥。
真っ赤な鶏冠に紅い眼をギラギラとさせた怪鳥だった。黒と赤の羽を時折り羽ばたかせては、一心不乱に何かをついばんでいる。
何を食べているんだろう。
ギュッと胸元を握り締めて怪鳥が覆い被さる足元を見詰める。
大きな赤と黒の羽が動くたびに舞い上がる白い羽。少しだけ見える白い羽と小さな足。周りには茶色い小さな羽根が散らばっていた。
ずっと小さな鳴き声が羽音に混じって微かに聞こえるが、弱っているせいか今にも消えてしまいそうだった。
怪鳥が静かになった。
動くのをやめ、そして一度頭を足元の何かに擦りつけると大きく羽ばたいた。
途端に風が舞い上がり蝶や散っていた羽が大きく揺れて渦を巻いた。 轟音が鳴り響き一瞬視界が真っ赤に光る。
強く目を閉じて息を詰めていると、しばらくして何の音も聞こえなくなり静寂だけが残っていた。
……いなくなった?
緊張しながらゆっくり目を開いた。
知らないうちに両腕で目を庇っていたようで、顔の前で交差していた腕を下げる。
もうあの怪鳥はいないみたい。とても静かだ。
警戒しながらそっとまだ揺れている大きな蝶の飾りを避けて籠に近づく。良く見れば、中にまだ小さな雀が一羽、仰向けに倒れていて羽を広げて倒れていた。
籠の側に寄って中身を覗き込んだ。
ボサボサになった首のあたりの羽はほぼ毟られて、広げられた茶色い羽も、たくさん辺りに散って見るも無残な状態になっていた。
「酷い。あの妖怪みたいな鳥に傷つけられたんだね。待ってて、手当してあげるから」
まずはこの籠から出してあげないと。部屋に連れて行けば布とか鋏がある。あとは消毒したりして安静にすれば、きっと良くなる。
籠の出口はどこにあるんだろう。
くるくると籠のまわりを回って出口を探す。早くしないと傷のところとか化膿して悪化してしまう。
「鬼……」
出口を探していた指が止まった。
ぎこちなく籠の中の雀に目をやると、小さな嘴が動いた。
「……に、の……すず……め」
焦っていた気持ちが止まり、思考も止まって、わたしは籠の中で今にも息絶えそうな雀を見つめた。
「わた……鬼……雀……な……で」
とても小さな声が雀の嘴から聞こえる。
この雀が話しているのか、わたしの幻聴なのだろうか。食い入るように見つめていると、また雀から声がした。
「鬼……鬼様の……」
今度は耳元で、声が聞こえた。
すると籠が急速に広がり、部屋の壁もぐんぐん奥へと遠ざかって伸びていく。天井も高くなり、それに比例して籠の丈も高くなっていった。
「な……っ」
床が揺れて尻餅をつくと、あたりはしんと静まり返った。
息を弾まして目を素早く周囲に走らせる。
ここは、籠の部屋だ。白い籠の部屋だ。鬼さんのお屋敷での、わたしの部屋だ。
きゅ、急にどうなって……
ガクガク震える足で立ち上がり、また籠の中を見た。
そこにはさっきまでいた小さな一羽の雀ではなく、いつも着ていた梅模様の着物を畳の上に広げ、その上で羽を抜かれ、まだら模様になった茶色の翼を広げた雀が横たわっていた。
「嘘! あ……だ、大丈夫? え、じゃあさっきの雀は……」
突然の光景に 震える手で籠の格子を掴んで中の雀を見れば、首元にはやはり毟られた跡が有り、ピンク色の地肌が見えていた。
やっぱり。
あの雀とわたしと話していた雀は同一人物だ。
どうしてこうなったか気になるけれど、今は手当をしてあげなければ。
「待ってて、今助けるから!」
血は見えていないけれど、あれだけ毟られたのなら相当痛いはずだ。羽だってあんなに散らばっているし、酷い扱いをされたからたくさん羽が抜けてしまったんだろう。
あの変な鳥はどうしてこんなに小さな雀を痛めつけたんだろう。
今は小さくないけど……。
そこまで考えてはたと気づいた。
雀が人の大きさになったということは、あの怪鳥も今戻ってきたらもっと大きくなっているんじゃ……。
さーっと血の気が引いて慌てて格子に飛びついた。早く雀を助けてこの場から出よう。
それとこの事はやっぱり鬼さんに話して、もう一度ちゃんと対策してくれるように伝えないと。
これは夢なんかじゃない。
夢だとしても、きっとわたしに訴えたい誰かのメッセージなんだ。
籠の入口は分かる。
ただ開けられるかどうかが分からない。夢なんだとしたら、こう、都合よく鍵とか開いてたりするんだけれど、どうだろう。
わたしは籠の入口に回り込んで、籠の格子戸に手を伸ばした。




