四十ノ怪
「……大変、お見事にございますね」
少し経ってから紫さんの声が背中から聞こえてきた。
それを皮切りに、他の妖怪たちも恐る恐るといった感じで動き出し、互いに目を合わせたり、訝しげにわたしを見る目たりした。
「ドウダ俺の雀は最高ダロウ?」
肩越しに振り返れば、いつの間にか寝そべって片腕で頭を支えながら鬼さんは厭らしく笑っていた。
「退魔潰しの雀を、お前らでドウコウ出来るワケが無い。大体コイツを始末するとか食い殺すだとカ。マッタク見る目の無イ、呆れた馬鹿共カナ」
とことん嘲笑う鬼さんに視線を前へ直せば、妖怪達が体の大きさに関わらず、身を小さくさせていた。みんなそれぞれ居心地悪そうに俯いている。
その様子に何故だか気が一瞬にして抜けてしまってた。今更汗が、どっと溢れ出てきた。
崩れそうになりながらも、両手に持つ退魔の剣だった物を、わたしはまだ握り締めていた。
もう光も、温かみもなかった。
「お前らにはコイツは勿体無いカナ。分かったらとっとと持ち場に戻りナ。あぁマダ文句がアルなら聞いてやるガ? ドウダ?」
少しだけざわめきがあったけれども、皆姿勢を正すと、鬼さんに深々と頭を下げた。そして誰ひとり声を発しなかった。
「ヨシ。なら解散カナ」
大広間にパンパンと鬼さんの鳴らす、乾いた音が響いた。
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あれだけひしめき合った妖怪達が皆いなくなると、とても広い畳の海が現れて、ここが大広間だったことを思い出す。
気配や殺気のせいもあって数えてもいないのに大勢に感じられた。やっぱり相当な数の妖怪たちが集まっていたんだ。
ホッと息を吐いて視線を下げる。
両手にはまだ割れた退魔の剣。まだ骨ばった自分の手の中で握られている。
あの軽く響いた音が耳に残る。
驚くほど簡単に割れてしまった木の刃。わたしを何度も助けてくれた、暖かい日差しを思い起こしてくれた太古の剣。
「ごめんなさい……」
握り締めて、額に擦り付ける。
恩を仇で返して本当にごめんなさい。そして今まで支えてくれてありがとう。
もう元に戻す事は出来ないけれど、これ以上傷つけることなんて絶対にしない。大事にするから。
どうかこれからも、わたしが持ち続ける事を許してください。
『自らの足で立たねば』
不意に頭に飛び込んできた言葉。
感じるような思念とは違って、本当に言葉だけが心にストンと落ちてきた。
今のは退魔の剣の、声……なのかな。
そろりと顔を上げて退魔の剣を見るけれど、変化などは見られず、温かい気配も感じられなかった。
勘違いか、空耳、だったのかな。それにしてはハッキリと浮かんだのに。
「……どっちでも良っか」
思わず口にして笑った。
誰も自分の代わりを生きられないし、歩いてもくれなければ立ってもくれない。確かに、自分の足で立たないと。告げられた言葉の通り、立って生きなければ。
「お姫さん」
背後からくるりと薄い煙が渦を巻いて、畳の上に降りて固まり、わたしの前に鎮座した。そしていつもみたいに神主の輪郭を作ると、それは頷く仕草をして柔らかな気配を漂わせた。
「この紫、お姫さんを見直しました。まさか退魔の剣を自らの手で折るとは。こればかりは流石に恐れ入りました」
嬉しそうな声音が久しぶりで、思わず自分の頬が緩んだ。ずっと険悪な状態が続いていたから、なんていうか尚更だった。
「紫さん安心できました? あの、わたしと仲直りしてくれます?」
「勿論ですとも」
素直に褒めてくれるなんて珍しい。
でもそれだけ退魔の剣が、紫さん妖怪達にとって恐ろしい存在だったんだ。
退魔の剣がこんな姿になるのは悲しいけれど、紫さん達の気持ちを考えれば、止む終え無いとも言える。そんな風には考えたくないえれど、せめてこれ以上酷くならない様にしよう。
「これは……持ってても良いですか?」
「構わンぞ」
ポンと頭に大きな手が被さって、グシャグシャと撫でられた。
思わぬところから声を掛けられて、びっくりしたわたしを他所に、いつの間にか傍らでしゃがみこんだ鬼さんが、ニカッと牙を見せて笑った。
「もうソイツに退魔の力は感じられ無イ。逆にそんな棒きれにビビっているなら、ソリャ妖の名折れカナ」
「そ、そうなんですか?」
「えぇそうですとも。ただの供え物程度で騒ぐようでは、この常闇ではどの道、生き恥を晒すことでしょうね」
やっぱりもうこの剣は形だけになってしまったんだ。
痛々しい姿に胸が苦しくなって、割った張本人だというのに悲しくなってくる。
わたしはそっと退魔の破片を黒い箱に閉まって、また布で幾重にも包んだ。
「それじゃあ、これはわたしが大事に持っておきますね」
力がなくたって大事な形見で、お守りだもの。
今度はそっと静かに保管しよう。大事に大事に、今度はわたしが守ってあげよう。
「あ、そうだ紫さん」
急にあることを思い出して、わたしは絶え間なく輪郭を揺らす煙の塊に声をかけた。
「はい、なんでしょうか」
「紫さんはまたわたしのお話し相手になってくれますか?」
わたしが錯乱状態になっていたりと、今回は特に色々迷惑をかけてしまった。仲直りしたといってもまた話し相手となれば、断られてしまうんじゃないかな。
「心配にはお呼びません。この紫、鬼様に命じられております故、これからもお姫さんのお話相手をさせて頂きます」
「わぁ良かった。それならこれからも、宜しくお願いします」
「お姫さんにはこれからも色々肝に銘じて下さらねばならない事が多いですからね。……特に、今後は」
最後の言い方にちょっと苦いものがあって、わたしの顔も苦笑いになる。これからビシバシ鍛え上げられる気がしてちょっと不安だ。
「そ、それは、なんというか。お手柔らかにお願いします。……あ、あと紫さん」
「はい?」
そうだ。確かあの時錯乱してたからあんまりハッキリはしていないんだけれど、きっとやってしまったのは確かなんだから、謝らないと。
「えっとその紫さんには、その、嫌な思いというか、嫌なこともしてしまったし」
「嫌なこと?」
はて? と言いたげな声にわたしは恥ずかしくなって、年甲斐もなくモジモジとしながら、なんとか声を絞り出す。
「あの……あまり覚えていないんですけれど、謝りたくて」
「謝るとは?」
「その、確か間違いじゃなければ、わたし……わたしあの時に、嫌がらせで紫さんに口を」
「さて鬼様」
わたしの謝罪をザックリ遮って、紫さんは早々に煙の塊へと姿を変えると鬼さんの方へ流れていった。
「私はこれから屋敷の者達を見て回りますので、これにて失礼」
「え、あの」
「あぁそうカ。任せたカナ」
風のように素早く襖の隙間に消えていった紫さんを、口を開けたままわたしは見送る形になってしまった。
わたしの謝罪なんて聞きたくなかったのかな。
それともそんなもの聞いてる暇があったら、仕事を早くしたかったとか。
紫さんには、その、ぼんやりとだけど、無理やり嫌がらせまがいのキスみたいなことしちゃったから、ちゃんと謝りたかったんだけれどな。あれってどうみてもセクハラだよね。
あ、でも。嫌な事だから思い出したくなかったのかも。だとしたら余計なことしちゃった。
謝るって難しいな……
悶々としているとグイっと引き寄せられた。
鬼さんがわたしを抱き抱えながらゴリゴリと頭に顎を摺り寄せて、髪を更に乱れさせてくる。
「お前は本当に面白い奴ダナァ~」
「そうですか?」
「半信半疑だったガ、まさか本当に退魔の剣を壊すとはナァ」
鬼さんに提案した時も、今の鬼さんが言った通りの顔をしていた。
壊す以外の、他にも道があったのかもしれなけれど。わたしが彼らと同じ世界を生きる者として認めてもらうには、ここまで思い切らなければならないと思ったんだ。
「鬼さんの傍で生きていくのも、常闇で暮らしていくのも。どちらも頑張ろうと思いました」
初めて退魔の剣を手にした時は本当に嬉しかった。
それさえあれば無事にこの常闇を生きているんだと、確信できたんだから。
しかも鬼さんが持つことを許してくれたとなれば、鬼さんの傍で居ることも難しくないと自信が持てた。
「でも結局自分を騙して殺し続ければ、いつか違う形で返ってくるのだと分かったんです。……今回のことは特に、分かったんです。思い知らされたんです」
着物に広がる模様には梅と雀。籠の中で着ていたものと同じ。
今にも香りが広がり、動きそうな梅と雀に目を落とすと、抱き寄せられて崩れた裾に、白い痩せこけた自分の足が見えた。
「自分が傷つくのは平気だと思っていたんです。でもそれではダメなのだと、わたしは分かったんです」
自分を見失わないという事は、自分を殺してはいけないのだ。
我慢と自分を押し殺すのは違う。間違えれば結局最後にツケとして大きな代償が回ってくる。
「鬼さん」
顎を頭に乗っけている鬼さんから身じろいで体を離すと、顔を上げて鬼さんの顔を見つめた。
「鬼さんはやっぱりわたしを、まだ最後には食べてしまいたいと思っていますか?」
真面目に見つめて訊けば、鬼さんもまた無表情とは言えないけれど、普段通りとはまた違う顔をして、瞬きもせずわたしを見ていた。
「食べて貪って、満足するまで嬲りたいですか?」
縋るわけでもなく、ただ抱いた疑問を口にした。
紅い眼差しは妖しさを含んだまま、月の灯みたいな静けさでわたしを見下ろしている。
それからニィッと口端をつり上げて八重歯を覗かせた。
「そりゃ~、ナ。喰いたいさ。喰って喰って、喰い尽くしたいカナ」
おどけたように肩を竦めて言ったあと、優しい手つきでわたしの前髪を梳いた。
「だが……今回みたいなのはもう御免カナ」
ふぅと溜息を吐くと、その場でごろりと寝そべった。
その体勢のままわたしを足で挟んだ格好になると、頭の後ろを腕で組んで天井を仰いだ。
「マッタク。厄介な雛を捕まえちまったナ」
どこか諦めたような口振り。
それでも目は笑っているようで、面白がっているようにも見えた。
「それなら今すぐ放してくれても良いんですよ?」
「あぁ?」
途端に鬼さんが首を持ち上げてこちらを睨むと、ギュッとわたしを挟んでいる足に力が入った。
「冗談ですよ」
ふふっと笑って返せば、鬼さんが片方の眉を吊り上げて舌打ちする。
鬼さんも変なところで素直なんだから。まるで子供みたい。
生意気にもそう思ったあと、ふと大広間の天井を見上げた。
並ぶ四角い天井にはそれぞれ細かな柄が施されている。
見たこともない花や鳥、蝶。活き活きとした動物。きっとこれらも常闇の生き物なんだろう。
もしわたしの世界にもあるのだとしても、ここで存在しているのなら、やっぱり常闇で生きる者になるんだ。わたしだってそうだ。
「ねぇ鬼さん」
「ン?」
「今日のお月様はどんなですか?」
「変わらず紅いカナ」
ここのお屋敷から見える月はいつだって紅い。
鬼さんと同じ妖しい瞳と一緒で、いつもわたしを不安と魅了で照らしてくる。
「じゃあ今日はどんな形か、見てみません?」
「んあ? 形ィ? ……ンなもん見てドウするンダ?」
「お月見酒といきませんか? お酌しますよ」
にこりと笑えば鬼さんは少し間があってから、片方の口端をつり上げて笑った。
「俺は月よりも花見酒と行きたいがナ」
「じゃあ両方にしましょうよ」
鬼さんが合図して子鬼たちに指示すれば、お屋敷の庭に出た時には既にお酒の席が用意されていた。
すれ違う妖怪たちや、近くで畏まる妖怪たちも、わたしをちらりと盗み見たりすることはあるけれど、憎悪や嫌悪をもう向けては来なかった。
特に何かを感じることなく、わたしは彼らの前を鬼に連れられながら歩いて、いつものようにお酌をする場所へと座る。
鬼さんはどかりと胡座をかいていつもの様に盃を差し出してきた。
「……お前は俺の雀か?」
「鬼の雀じゃなくて、わたしは鬼さんの鈴音ですよ」
内心しつこいなと思って言い返せば、鬼はさんトンとわたしの額を小突いた。でもその顔はどこか満足気だった。
「鬼さんだって、わたしの鬼さんだってこと、忘れないでくださいね」
そう言って酒瓶を傾けて盃にお酒を流れ入れる。
満ちた盃には紅い月がキラリと光って、水面に浮かんでいた。




