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妖しい瞳  作者: 月猫百歩
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三十八ノ怪


 鬼さんとこうして対峙するのは何回目だろう。

 そうだとしても、こんなに心が静かになっている状態で、目を合わせるのはきっと初めてだ。


 もう言うべきことは言った。

 わたしのほうから話すことは何もない。

 

 鬼さんの瞳が細まった。そうすれば視線の鋭さも増した。

 他の妖怪達がわたしに向けていたものよりも、はるかに重くて、暗い。


 怖くはないけれど、意識が遠のいてしまいそう。


 実際頭がグラグラしてきて、視界が霞んでくる。睡魔に似た感覚が襲ってきて意識が朦朧としてきた。

 鬼さんが意図的にしているのかどうか。それとも怒りのあまり、無意識に殺気を放って、わたしがそれに当てられてしまっているのか。


 元々ゼロに近い体力が、更にガリガリと削られていっていく。ずっと開けたままの目元が、窪んでいく様に重くなる。 

 あぁ……だけど。


 鬼さんがしたいように任せよう。


 それだけを頼りに、切れてしまいそうになる意識を繋ぎ続ける。ここで気を失えば、また以前の自分に逆戻りしそうな予感がするから。


 眠っていた分、目を逸らしていた分、きちんと目を覚まして見届けなければ。鬼さんが向けるものを、今度こそ受け止めなければ。


 急に鬼さんの目元にやっていた手が、重なっていた大きな手に強く握り潰される。

 骨が軋むほどの鈍い痛みがしたら、同時に胸元が解放されて、代わりに頭を強く抱え込まれた。


 あまりにも早くて頭がついていかなかった。

 分かった時にはわたしの首筋に、鋭い牙が当てられていた。それからぬめりとした熱い舌が這って、生暖かい息が掛かった。


 何もかも熱い。それに焦げるように痛い。

 体も勿論だけれど、心も一緒に噛み付かれて、どちらも今から八つ裂きにされそうだ。


 手と頭の骨が軋む。

 首は牙が食い込んで痛みが次第に強くなっていく。

 

 今まで手を煩わされた苛立ちからくる憎悪なのか。伝わって来る熱は全て責め立てるものがあって、ジリジリと灼けついてくる。

 今までのように、そこに艶っぽいものはほとんど感じられない。


 恨んでいるの。


 何が起こったのだとしても、鬼さんはわたしが裏切ったと。その事実は変わらないんだと。恨んで怨んで、堪らないんだ。

 

 深く鬼さんが大きく口を開けて首筋を噛んだ。

 顎が喉に当たれば必然的にわたしの顎が上がって、天井を見上げる形になった。


 白い格子が見える。天井は物静かだ。

 暗い部屋には重い熱気が充満して強い気配が間近にあるからか、他の妖怪たちの気配はない。


 拳に置いていた手は今は厚い胸板にあった。

 自分の冷えた手が鬼の肌によって温まることなく灼け始める。

 

 ……虚しい……


 触れた手に暗い想いが伝わる。

 言葉ではなかった。でもその想いに触れた時に、真っ先にその言葉が頭に浮かんだ。


 ……空しい……


 まただ。漠然とした想い。形もなく霞のように掴みづらい思念。

 でも確かにわたしに訴えかけてくる。わたしの意識と同様に、途切れ途切れではあるけれど、灼熱の中を弱々しく掠めてくる。


 大丈夫。


 胸に触れていた手を大きな背中へ回す。鬼さんはわたしが抵抗しようとしているんだと思ったのか、体が強ばった。

 牙がまた深く突き刺さりそうになるけれども、わたしは再度手を腕を動かし、それからゆっくりゆっくり大きな背を撫でた。  


「……なぜなぜ小鳥、歌が好き」 


 宥めるように歌い出せば、引き裂かんばかりの鬼さんの動きが止まった。わたしは背中になんとか回している手を、歌に合わせて軽く叩いた。


「歌えば声が葉に届く。葉に届くなら、空にも届く」


 固まってしまった熱い手から握られていた手を引けば、咎められることもなくスルリと抜け出せた。

 強く握られたせいで広げられなくなった手。変に握っているような形になったそれも、わたしはぎこちなく背中へ回した。


「空に届けば陽もまた届く」


 歌うたびに牙が喉に触れる。声自体はそんなに大きく出ない。きっと普段会話するくらいなら聞き取れないぐらいだ。

 それでも、もし鬼さんがわたしの歌に気づいたのなら、きっと喉に食らいついているせいだろう。


「陽に届いたなら、明日にも届く」


 握り潰されていた手でさすり、もう片方の手で小さな子を寝かしつけるように、歌のリズムに合わせてポンポンと軽く叩き続ける。


 家族のいる家へ帰りたいけれど、鬼さんと一緒に居たくないわけじゃない。怖いけれど、わたしは恨んでなんかいない。


 だから、だから。


 鬼さんがわたしに憎悪を向けるのなら、わたしは今まで二人の間に期待していた親愛で応えよう。

 

「明日に届いたのなら」


 拒絶はしない。でも今度は逃げるばかりでなく、わたしも想いをぶつける。

 鬼さんがわたしへ隠しもせずに、真っ直ぐにぶつけ続けたように。


「あなたにも届く」


 掠れた声で歌い終わったあと、掴まれていた頭を動かせば髪を引いて鬼の手から外れた。わたしはそのまま鬼さんの胸元へ顔を埋め、ギュッと鬼さんを抱きしめた。

 

 熱い。逞しい胸が燃えるように熱い。それに着物から懐かしいタバコの臭いがする。

 あとはっきりとした鼓動と、呼吸の音も。


 いつもならわたしの心臓と吐息がうるさいけれど、今は鬼さんの心音の方がよく聞こえる。


「鬼さん」


 呼びかけても返事はなく、動きは止まったけれどまだ憎悪の熱は冷めない。重くて暗い気持ちだけが熱の間を縫って、冷たく僅かに届く。


「鬼さんごめんなさい」


 それでも、それでも良い。

 憎悪も暗い思いも、わたしと鬼さんの間に確かにあるものなら、それも受け止めよう。


「それと、いつもありがとうございます」


 でも鬼さんにもわたしの想いを受け止めて欲しい。わたしが言うのもおかしな話だけれど、どうか拒絶しないで。


「わたし」


 そっと顔を上げて鬼さんを見上げる。


「わたしは鬼さんが好きですよ」


 見上げた先には珍しく見開かれた二つの紅。いつもの鋭利な三日月とは違い、満月みたいに丸く煌めいている。


「本当に、好きです」 


 目を閉じておでこを胸に預ける。

 それからまた顔を上げ、鋭さの消えた顔へ笑いかけた。  


「わたしの鬼さんとして」 


 自分の口からふふっと小さく笑いが零れた。

 鬼さんを見ればまだ固まったまま、腕も下ろさずにして目も瞬きすらしなかった。


 あれだけ射殺さんばかりだった視線も鳴りを潜め、纏っていた殺気もいつの間にか消え去っている。

 部屋は静まり返り、動くものはわたし以外なくなった。

 時間がぴたりと止まってしまったようだった。


 



「…………あの」


 いくら待っても動かないから、流石に不安になって声を掛ける。

 回していた手を戻して体を離しても、鬼さんは動かない。


「鬼さん?」


 固まったまま動かない。目も焦点が合っているのかどうか分からない。試しに手を少し振ってみるけれど、反応がない。

   

 え……まさか気絶している?

 発作か何か起きたの? このタイミングで?

  

 どうしようかと、今度はわたしまで固まろうとしたその時。突然鬼さんが立ち上がった。

 そのせいでわたしは強制的に後ろに仰け反り、頭と背中をかばって肘を打つ羽目になった。


「お、鬼さん!」


 つい抗議の声が出てしまったけれど、幸い……かどうかはともかく、掠れているせいで殆ど声にならなかった。

 鬼さんはというと、立ったと思ったら直ぐに背中を向いて何かブツブツと呟いた。


「……クソッ」


 他は何を言っているのか分からなかったけれど、毒づいた声だけはハッキリ聞こえた。そしてイライラした様子で頭を掻き、その場にどかりと座り込んで深く息を吐いた。


「お前は喰えン奴ダナ」


 唸っているけれど剣呑な空気もなく、鋭い気配も無い。

 そこに居たのは、憎まれ口をたたいたり皮肉を言っていた、いつもの素直じゃない意地悪な鬼さんだった。


「本っっっ当に、喰えン! 喰えナイ奴カナ」


「喰えない、ですか」


 どんな意味でも危害が加えられないなら、嬉しい他ない。

 でもあんまりにも鬼さんが悔しそうに言うものだから、また思わず盗み笑いしてしまった。


 わたしが笑うのを隠そうと俯いたのをどう思ったのか、鬼さんは少しそわそわした感じで腕組を何度か忙しなく組み替えるとボソッとなにか言った。


「え? なんですか?」


 聞こえたなかったから訊ねると、しばらく鬼さんはそっぽを向いて、ようやく一言、


「俺は喰ってナイ。触れただけダ」


 そう、ぶっきらぼうに答えた。

 一瞬何の話か分からなくて首を傾げたあと、なんとなく察しておずおずと鬼さんを見た。


「えっと、あの、それは……どうしてです?」


「アノ時のお前は味がしなかッタ」


 その返答になんだか複雑になり顔を顰めてしまう。

 あのが鬼さんから受け続けていた苦痛な時間。わたしであれば直ぐ様逃げ惑い、発狂していたであろう事実だ。


「俺は人形や亡霊を抱く趣味は無いンでナ」


 ムスっとした不本意ではない事を全面で気に態度に出して、鬼さんは鼻を鳴らした。


「…………そうですか」


「あぁ」


 鬼さんは自分の勝手を押し付けては来たけれど、最後の一線だけは超えずに堪えてくれたんだ。


 前に雀は言っていた。

 わたしは常闇で生きる人間だけれど、鬼さんは妖怪である鬼だ。欲に真っ直ぐで、そこに純粋すら垣間見えるほどに欲が深い。

 そんな鬼さんが、目の前に獲物があるにも関わらず、堪えてくれたのだ。


「本当に、ありがとうございます」 


 頭を下げてお礼を言った。

 他の妖怪たちならわたしを躊躇なく食べただろう。相手を想うことなく、それこそ娯楽や嗜好の類で殺された。

 でも鬼さんはそうはしなかった。



 頭を下げ続けていると、顎に手が触れてきて上を向かされた。

 灰梅で見返せば紅い瞳が訝しげに揺れると、鬼さんは静かに口を開いた。


「俺は何もしていないハズなんダガ……ナゼお前の瞳に梅が咲いたンダ?」


 そっか。鬼さんはわたしがどうして灰梅を取り戻したのか知らないんだった。

 何から話せばいいんだろう。

 色々と複雑だけれど、確かなことはいくつかあるから、それだけは簡単に話してみれば良いかな。 


「鬼さんがわたしが代わりに寄越したと思っていたあの子は、紛れもなくわたしでした」


 鬼さんの眉間に皺ができるが、話を続けてもいいかと目で訴えれば、鬼さんは手で払うようにして先を促した。


「あの子、鬼様の雀と言っていたあの子は、常闇のわたしでした。わたしが嫌だと、知らずに切り捨てたのが彼女だったんです」


 少しだけ視線を下げると、膝の上にいつの間にか置いた自分の両手が見える。とてもやせ細って乾燥している。


「あの子は捨てたわたしを助けようと、そして自身を守ろうと、鬼さんの前に何度か現れては、一心に鬼さんの要望に応えようとしていました」


 こんなボロボロの体ではきっと辛かっただろうに。

 それでもわたしの代わりに、この体で鬼さんの前に現れ続けたんだ。


「彼女はわたしの常闇であり、灰梅の化身だったんです。……色々話して戻ってきて欲しいとお願いしました。そしてまた一つに、本来のわたしの姿へと戻れたんです」


「ナルホド。それでお前に灰梅が返り咲いたのカ」


 顎に手をやって納得と鬼さんは軽く頷いた。

 わたしもそれを見て頷き返した。


「そうです。わたしは戻れたんです。常闇の人間に」


 目を閉じなくても思い浮かべれば、あの闇の中で狂い咲く枝垂れ梅の花が鮮明に頭を占める。

 わたしの霞んだ瞳の梅さえも紅に染まるような、見事な紅さだった。


「ナニ惚けた顔をしているンダ」


 聞こえた瞬間目の前が真っ暗になった。

 慌てて頭に被さったものをどけて見ると、鬼さんが羽織っていた着物だった。


「ソノ気が無いナラそれでも羽織っておけ。風邪でもひかれたら面倒カナ」


 素っ気なく言われて手にした着物を両手で持ち直す。

 鬼さんが着ていたからか、温かいというよりは若干熱い。お礼を言っていから羽織ってみると、自分の体がスッポリ包まれた。


「……温かい」


 じんわりと染みてくる熱は、灼けるものではなく寄り添うようなものだった。

 襟元を寄せて鬼さんを見るとまるで不思議そうに顔を顰めさせていて、さっきと同じはずの紅い瞳は訝しさとともに、僅かに穏やかさも湛えていた。



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