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妖しい瞳  作者: 月猫百歩
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二十九ノ怪


 項垂れて首をゆっくり左右に振る。

 彼女とわたしでは考えが違う。やっぱり鬼の雀は、常闇のわたしの化身なのだ。

 思考がもう常闇の、そのものなんだ。


「ごめんなさい。わたしやっぱり……」


『どうしても分かってくれないの?』


 わたしは静かに頷いた。

 彼女には悪いけれど、碌な解決策も浮かばないんだけれど。彼女の、結局わたしの体を鬼さんに差し出し続けて生き延びるという方法には、わたしにとっては到底受け入れ難いものだ。


「本当に……ごめんなさい」 


『それならズット眠ッテイテヨ』


 部屋が白黒に染まる。

 驚いて立ち上がり籠の中を凝視する。


 中から黒い霧のような塊が溢れて、部屋の畳を覆い尽くしていく。白い籠は軋んで、嫌な音を立て始めた。


『私ハ終ワリタク無イ』


 唸るような低い声。よく聞けば自分の声とよく似ている。

 当然といえば当然か。だって自分と同じ姿をしているのだから、例え重いものだとしても声質が一緒でおかしくない。


 だって彼女はわたしなんだから。


 嫌な汗が背中からじわりと感じる。

 さっきまでのものとは別の緊張感が急激に襲ってきて、知らずに膝が震えてくる。


 恐怖を感じるのは単純に怖いというだけではなかった。

 目の前の姿が、未来の自分の姿だとハッキリとした形で突きつけたれているというこの状況が、なによりも堪えるのだ。

 

『消エタクナイ』 


 え? なに?

 眉を寄せると同時に、肩から背中にかけて何かに圧迫され始めた。


 体が重い……?

  

 辺りが暗くなり、籠も部屋の壁も分からなくなる。

 暗闇というよりは何か真っ黒なものが空気中に広がって、視界を悪くしている。 


 体が重い。とても怠い。


 一際耳障りな軋む音が響いた。

 多分、籠の出入り口が開いた音だ。……ということは、彼女が出てくる?


 ザッと血の気が引いた。

 ますます後ろへと退いて、わたしは前にある気配より遠ざかった。


鈴音アナタガ眠ラナイトワタシガ表ヘ出ラレナイ。モウ良イ。陽ノアル所デモ、ソウデナクテモ。アナタハ眠ッテイテ。ニ度ト目ヲ醒マサ無イデ』


 今まで聞いてきた蔑んだ声なんて比べ物にならない。 

 怒気を含んだというよりも、必死というか、執念のようなものを感じる。


『鬼様ハ私ヲ愛シテクレル。ダッテ私ハ鈴音アナタダモノ。ダッテ私ハ……私ハ……私ハ……死ニタクナイ!』


 唸り声と叫び声が、同時に発声したような咆哮だった。

 わたしは振り向いて一目散に駆け出した。


 襖を開けて廊下に飛び出し、まっすぐに駆け出す。  

 背後からドドドという濁流でも迫ってきているような轟音と揺れが追いかけてくる。


『死ニタクナイ! マダ死ニタクナイ!』


 叫び声が背中に投げつけられる。

 わたしだって別に死にたいわけじゃない。好きであんなことをしたんじゃない。


「わたしだって死にたくないよ!」


 呼吸が乱れるからあまり叫びたくないけれど、思わず返してしまう。

 視界の悪い廊下の曲がり角を曲がると、つんのめりそうになりながらまた駆け出す。


 体が重い。うまく走れない。

 焦りが余計に体の動きを鈍くする。でも走らないと。なんとか、なんとか逃げ切らないと。


『鬼ニ好キにサレルクライ良イジャナイ! 生キテサエイレバ、イツカ家族ニマタ会エル!』


 お母さんたちに?


 一瞬思考を持って行かれようとしたところで、目の前に壁が迫っているのに気がついて慌てて両手を壁についた。

 横を見れば先が続いている。わたしは振り返らずにすぐにまたそこを走り出した。


 お母さんたちに、お姉ちゃんたちに。お父さんやお兄ちゃんたちにも、また会える。……生きてさえいれば。いつかは……会える?


 さっきの言葉がまた巡って、この緊急事態だというのに、何故だか家族たちに会えるという希望が妙にわたしの動きをより鈍くする。


『身代ワリガ居ルノニ何デ? 何ガ不満ナノ?! 私ハ消エタクナイ! 死ニタクナイ!』


 それでも走っているうちにいくつか襖を見つけた。

 この際選んでられない。どうにか逃げ切れるところに出られる事を祈って、わたしは一番自分に近い襖を開けて中に飛び込んだ。


 中は狭い部屋だった。

 すぐに目を走らせて別の襖に飛びつく。そしてまた近くの引き戸を開けて転がるように入った。


『モウ死ンデイテモ……オカシク無イノニ。アノ鬼ノ傍ニ居ルカラ……生キテイルノニ……』


 呼吸が苦しい息を殺したくても上手くいかない。

 それでも壁に張り付いて、静かになった今のこの状況に耳を澄ませた。


 多分、今わたしを見失っているみたい。

 追いかけてくる様子はなくて、探しているようだ。


『アナタジャ常闇デハ生キテイケナイ……弱クテ耐エラレナイ』


 少しだけ呼吸が楽になってきた。

 ただその分考えられる余裕も出てきてしまったせいで、わたしは聞こえてくる恨み言に胸がざわついていた。


 彼女の言うことは尤もだ。

 わたしは鬼さんでなければとっくに食べられるか酷い目に遭って、死んでいたかもしれない。

 それこそ鬼さんの気紛れとはいえ――


『ワタシハ鬼ノ雀。愛デテ貰ッテ生キテイク……例エソレガ紅イ鬼様サエ利用シタトシテモ……』


 え?


 思いもよらない言葉に一瞬声が出そうになった。

 この鬼の雀はてっきり鬼さんのことを好きか、もしくは畏怖の念というような(実際は畏怖とはどんなものなのかは不明としても)そんな物を持っているのだと思っていたけれど。違ったのかな。


 話を聞きたくてもこんな状態じゃ会った瞬間、捕まって何らかの形で一生起きれなくされそうだ。


『鬼ノ雀……鬼ノ雀デスモノ……愛デテ貰ウガ幸セ……ソウシテ生キテイク』


 声が次第に大きくなってくる。

 こちらに近づいてきているのかも。


『コノ限リノ無イ常闇ヲ……死ヌ事モ無ク、老イル事モ無ク生キテイク』


 改めて周りを見渡す。

 ここは納戸か収納庫か。いやどっちも同じか。とにかく物がたくさん積まれている。

 奥へ行って隠れるところがないか進まないと。


 ガクガクになっている足を叱咤して木箱を跨いで、段々になっている戸棚をよじ登る。上の方はまだスペースがあるみたいで、なんとか上がっていく。


 というか、これ夢なんだっけ? わたし寝ているんだよね。

 汗だくになっていると、唐突にそんなことが浮かんだ。


 夢ってどうやって覚めるの? 頬をつねると起きるとか?

 試しにつねってみたが覚めない。そりゃつねる以上の事が起きているのに、覚めるわけがないか。


『妖怪サエモ……手出シ出来ナイ程ノ籠デ……私ハ鳴キ続ケル』


 ビクッと肩が跳ねた。すぐ下の方から声がした。

 もしかして真下にいるの?

 

 まだ体が重いせいか疲れからか、緩み始めていた緊張感がまた限界にまで張り詰めた。

 すぐに息を殺しながら上へまた進み始める。


『他ノ鬼デハ駄目……紅イ鬼……貪欲ノ鬼様デナケレバ駄目ナノ』


 戸棚を登りきると、そこもまた物置になっていた。

 箱やら棚やら様々な物が置かれていて、ただでさえ暗くて悪い視界を遮る。


 ぐずぐず言ってられない!


 木箱や低い棚の上を登っては降りて、狭い隙間を無理やり体を押し込みながら奥へと進む。


 後ろを振り返る。

 まだ何も見えないけれど確実に、いる。

 わたしは隙間を通りきって、目に入った衣紋掛の着物の裏へと素早く隠れた。


 また息が上がっている。呼吸が苦しい、

 夢だというのにこういうところは妙に現実感がしっかりあって、体のあちこちの筋肉は辛さを訴えている。


 ギシと床が軋む音が鳴る。

 瞬時に息を殺して身構えた。


『ドコニ……イルノ……』


 上に上ってきたのか。声が近い。わたしはスっと着物の裏から移動して、近くに掛けてあった屏風の裏へ周り、戸棚の裏へと移った。

 そっと向こうを覗き見ると、わたしがさっきまでいた衣紋掛けの裏を暗い影が覗き込んでいる。


 ドッと冷や汗が出た。

 あのまま動かなかったら確実に見つかっていた。


 どうしたらこの夢から覚めることが出来るんだろう。

 思い当たるとしたらいつもの砂利道に出ることぐらいしか、案が浮かばない。


 今いるところはどこも鬼さんのお屋敷っぽい構造だ。

 部屋と部屋のつながりはバラバラだけれど、見る場所それぞれは鬼さんのお屋敷で間違いはなさそう。


 鬼さんのお屋敷から出れば、あるいはこの悪夢から逃げ切れるかも知れない。


『オ願イ……出テ来テ……死ニタクナイノ』 


 涙に滲んだ声に我に返る。

 さっきからずっと死にたくないと言っている。彼女は死にたくないがために、鬼さんの傍にいようとしている、という事なのかな。

 鬼さんの傍にずっと一緒にいて、無事とは言い難いと思うけれど。


 ……でも。鬼さんと一緒にいるうちは、確かに他の妖怪から襲われる可能性は低い。

 大人しくしていれば鬼さんはわたしを可愛がり続けるのかもしれない。それこそ大事に……


 そう思った瞬間、全身に悪寒が走った。

 生理的嫌悪とでもいえばいいのか、わたしは物凄い拒絶反応が体に起こって一気に髪の毛が逆立った。


『ソコニイルノ?』


 ハッとして目を上げると、妖しく光るものと目が合った。

 梅の花が浮かぶその妖しい瞳は、どこか寂しげに浮かんでいたのだけれども、逃がさないという執念のほうが強く感じられた。


 後ろへ転がるように後退すれば、目の前を細い腕が掠った。

 掛け軸を押しのけ着物を払い除けて、苦労して通った戸棚や籠を強引に進んで戸棚を駆け下りていく。


 途中わたしが強くぶつかったせいか、背後から大きな音がして、ものが崩れる音がした。

 顔だけ振り返ると積まれていた箱等はやはり崩れていて、その隙間から黒い霧のようなものが滲み出ていた。


 我武者羅に納戸の中を横切って、目に入った引き戸を開けた。

 そこは大広間のようで、いつも使っているところとは違い、外の景色が広く見渡せる場所だった。


 急いで柵に飛びついて外を見上げる。

 見事に真っ暗で月も星も見えない。まさに常闇の空だった。


『イツマデ逃ゲルノ?』


 ギクリとして恐る恐る振り返る。

 髪を取り乱し、着物履き崩れて、痣だらけで痩せこけた体が見え隠れしている状態のわたしが、静かに佇んでいた。


『私ハアナタ。影ノ様ニ離レラレナイ』


 ゆっくり彼女が顔を上げた。

 その瞳は妖しく穏やかで、悲しげだった。


『鬼ゴッコハモウ終ワリ。耐エラレナイアナタニ代ワッテ、私ガ引キ受ケルカラ』


 ぎこちなく笑う顔。疲れ果てているのにどこか幸せそうで。

 さっきまでの危機感は薄れたわけではないのに、どうしてだかわたしは逃げ出したいという気持ちよりも、確かめたい気持ちが出てきた。


 わたしは息を弾ませて、ジッと彼女を見つけた。


「あなたは鬼の雀だっていったよね。でも、同時にわたしでもある……。わたしは鬼さんが好きになれないけれど、あなたはどうなの?」

 

 恨んではない。

 それはもう変な言い方だけれど、諦めている。


 でも彼女はどうなのだろう。

 この子はわたしの鬼さんに対する拒絶が切っ掛けで生まれた常闇の部分。本来わたしが抱き続けるはずだった闇の部分だ。


 それはきっと今まであってきた怨念とか無念とか、そういった類と同じで、負の感情なのだと思っていたのだけれど。


「あなたは鬼さんを恨んでいるの? 家族に会えなくなったから、わたしが恨む気持ちに目を背け続けたから、鬼さんを嫌がり続けたから。あなたが代わりに痛みだけでなく、そういった感情を請け負ってくれているの?」


 わたしを追いかけてきた時の言葉がずっと心に引っかかっていた。

 紅い鬼でなければダメだと。利用しても構わないと。


 未だに震える体を自分で抱きしめているわたしの問いかけに、彼女は静かに見つめ返してきた。

 そして少しだけ目を細めると、そっと灰梅を隠した。


『ヤッパリ……気ヅイテ……いないのね』


「気づいていない?」


 意味が分からなくて顔をしかめると、彼女は寂しげに、でもどこか優しげに笑った。


『私はあなた。あなたから離れた常闇の部分。恐れているものは何も、恨み辛みや恐怖ばかりではない……』


 とてもゆったりとしだ動作で顔を上げると、相変わらず痩せこけているのにその表情は驚くほど穏やかだ。


『僅かな苦悩や葛藤も、私は知っているの……あなたが知らない感情でさえも……私は知っているの』


 突然訪れた緩やかな空気に、わたしはただただ呆然とするしかなかった。





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