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国でも入れる保険があるんです!  作者: ぶれ


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8.深淵の鍵、鉄血の約款

王立禁書庫、その入り口に据えられた巨大な石門は「沈黙」を具現化したかのような威圧感を放っていた。


アルバス・アンガースタインは、その門の前に設置された即席の事務机に、分厚い書類の束を叩きつけた。


「手続きを始める。ノワール監査官、およびギルド調査員三名。これから読み上げるのは、本件『第一禁書庫閲覧権の行使』に伴う追加約款および個別遵守事項だ。一字一句、聞き漏らさぬよう」


アルバスの声が、石造りの廊下に冷たく響く。


ギルドの調査団――リーダーのヴァイオレット

彼女の左右には、ギルドが誇る「現場の専門家」

一人は、常に銀の眼鏡を神経質に拭いている痩身の男、分析官シモン。古文書の真贋判定と魔力波形の照合においてギルド最高の精度を誇る。

もう一人は、小柄で幼さすら残るが、その瞳に異常な知性を宿した少女、記録係リリィ。一度視界に入れたものを文字通り一言一句違わずに脳に刻む「完全記憶」の持ち主だ。

そして立会人のノワール。


彼らの前で、アルバスはまず「既存の保険契約」から話を切り出した。


「まず、アルビオン王国と保険ギルド間で締結済みの『国宝紛失盗難保険』、第十七条四項の再確認だ。……通常、不可抗力の天災や戦争においてのみ保険金は支払われるが、本件においては以下の規定が適用される」


アルバスは眼鏡の奥の鋭い目をノワールに向けた。


「『本契約により得た知識を不正に利用し、ギルド員が国宝の盗難、あるいはその斡旋を行った場合、ギルド側は発生した損害の全額補填、または国家予算一年分に匹敵する補償金を即座に支払うものとする。なお、この条項はギルドを脱退した職員にも適応される』。……監査官、相違ないな?」


ノワールの頬が、微かに引きつった。


「……ええ。確かにそれは、国宝保険において我がギルドが誇る『誠実性の保証』条項ですね。ですが、それを今ここで持ち出すとは」


「貴公らの『誠実性』など、私は一銭も信じていないからだ。そもそも100年前に『国宝紛失盗難保険』の対象目録を横流しして保証の適応と国家機密横領罪で死刑になった記録がある。この条項がある限り、もし貴公らが国宝に登録された金書庫の鍵を使用して利用した禁書庫から情報が漏れ、それが王国の安全保障を脅かした場合――ギルド本部に金貨約百万枚の請求書が飛ぶことになる。忘れるな」


「もし不安なら、そちらのギルドで『自己紛失保険』を掛けるがいい。その掛け金を払うのは、我々ではなく貴公らだがな。……それとも、自分の管理能力が、金貨百万枚を賭けるに値しないと自白するか?」


沈黙とともにシモンとリリィが、顔を見合わせた。自分たちの肩に、今、一国家の国家予算ほどの重圧が乗せられたことを理解したのだ。


結局、ヴァイオレットが代表してペンを執り、流麗な署名を記した。


「……いいわ。次は何?」


「次に、調査員三名の『利用者登録』を行う。入館のたびに魔力検疫を行うのは非効率だ。よって、この鍵に貴公らの固有魔力を登録する。……その短剣で、指先を。血一滴でいい」

 アルバスが差し出したのは、奇妙な意匠の施された真鍮の鍵。

 三人が戸惑いながらも指先を突き立て、血を滴らせる。鍵がそれを吸い込んだ瞬間、淡い光が三人の身体を包み、消えた。


「登録完了だ。……これにより、鍵は貴公らの魔力を認証する。と同時に、鍵が禁書庫の敷地外へ持ち出された瞬間、あるいは登録者が許可なく王都を離脱しようとした瞬間、鍵に刻まれた『追跡術式』が作動し、貴公らの位置を即座に特定する。いわば、目に見えない足枷だと思え」


「……随分な歓迎ね」


 ヴァイオレットが皮肉げに指を拭う。だが、アルバスの「事務」はまだ終わらない。


「最後に、個別契約書の中身だ。これには全員に署名を求める。まず、『精神汚染及び魔導事故に関する免責条項』。禁書庫内の知識に触れ、発狂、呪縛、あるいは人格崩壊を招いたとしても、王国は一切の責任を負わず、労災認定も行わない」


「……禁書庫は、そこまで危険なの?」


 リリィが不安げに尋ねる。


「知は毒だ。そもそも禁書庫だからな。呪われた本の1冊や2冊、何冊も紛れ込んでいる。完全記憶など使って適量を間違えれば脳が焼けるぞ。……それから、『成果物の帰属規定』。調査によって発見されたあらゆる二次的成果――魔導数式の最適化、新種の術式解析などは、すべて王国と共有する義務を負う。ギルドによる独占は認めない」


アルバスは、三人の前にペンを並べた。


それは単なる筆記用具ではない。署名した瞬間に、彼らはアルビオン王国の法と数字、そしてアルバスという事務屋が作り上げた「約款の鉄檻」の中に閉じ込められることになる。


「……事務屋さんは、本当に隙がないわね」


 ヴァイオレットが諦めたように笑い、ペンを手に取った。

 

「隙を作るコストを支払う余裕は、我が国にはない」


 次々と署名がなされていく。


十万枚の魔石という「幸運」を警戒し、百万枚の賠償金で「裏切り」を封じ、血の一滴で「逃亡」を禁じる。


アルバスは、完成した契約書を丁寧に揃え、満足げに頷いた。


「契約第一段階、完了だ。……さて、次は貴公らの『滞在費用』と、その支払い方法についてだ。アズール、金利計算書を」


アルバスの背後で、アズールが待機していたかのように新たな書類を広げた。


契約の重圧に疲弊した調査員たちに、さらなる「数字の攻防」が襲いかかろうとしていた。


署名を終え、一息つこうとした調査団の前に、アルバスは容赦なく次なる羊皮紙を滑らせた。それは、先ほどの物々しい契約書とは打って変わって、非常に「世俗的」で、かつエグみのある数字が並んだ請求明細だった。


「さて、法的な縛りが済んだところで、実務的な経理処理に移る。アズール、読み上げろ」


「はい」


 補佐官のアズールが、事務的な声で淡々と告げる。


「まず、入館に伴う事務手数料、各員の身元保証費用、およびロストテクノロジー維持費の分担金。これに加えて、今後二年にわたる滞在期間中の宿泊費概算が一日一人銀貨五十枚。合算しまして三名で二年間……。合計で、金貨二千百九十枚相当となります」


「にっ、二千百九十枚……!?」


 シモンが眼鏡をずり上げ、絶句した。火竜の魔石(一万枚)の衝撃があった直後とはいえ、滞在費だけで中規模の商会が立ち行かなくなるような金額だ。


「安心しろ。今すぐ払えとは言わない。……ギルドには資金繰りというものがあるだろうからな。そこで、この総額を王国からの『短期貸付金』として処理する。年利は十五パーセントだ」


「十五パーセント!? 監理官、それは闇金ヤミきんの類と変わりませんよ!」


ノワールが珍しく声を荒らげたが、アルバスは表情一つ変えずに続けた。


「王国の貴重なリソースを、貴公らのような不確定要素のために割いているのだ。妥当なリスクプレミアムだろう。……なお、この貸付金の元本および利息については、来年度の『国家防衛保険料』の支払い分と相殺する形で精算を行う。つまり、ギルド側は保険料を受け取る際、この滞在費を差し引いた額のみを手にするということだ」


ヴァイオレットが小さく溜息をついた。


「……つまり私たちは、自分たちの給料から天引きされる形で、この国の騎士団宿舎に泊まらされるわけね」


「その通りだ。さらに、宿泊に含まれる食事についても通達しておく。提供されるのは、王国の標準兵食――すなわち、麦飯と塩スープ、それに少量の干し肉のみだ」


「……それだけ? 二年間も?」


 リリィが信じられないといった様子でアルバスを見上げる。


「最低限の栄養基準カロリーは満たしている。もし、それ以上の贅沢――例えば新鮮な野菜、酒、あるいはギルド直送の高級嗜好品を望む場合は、その都度、別途の追加供給契約オプションを結んでもらう。もちろん、その際のレートは『戦時調達価格』を適用させてもらうがな」


アルバスは、三人の前に最後の署名欄を指し示した。


金貨百万枚の賠償金で「裏切り」を封じ、年利十五パーセントの借金で「逃亡」を阻む。ギルドが禁書庫の知識を得ようとすればするほど、彼らは経済的にも肉体的にもアルビオン王国というシステムの「歯車」として組み込まれていく。


「……事務屋さんは、私たちを研究員ではなく、歩く金蔓かねづるだと思っているのかしら」


ヴァイオレットが苦笑しながら、貸付契約書にペンを走らせた。


「誤解しないでいただきたい。私は、国家の資産を管理しているだけだ。……では、すべての契約が完了した」


すべての署名を終え、アルバスは重厚な「真鍮の目」を、門の鍵穴へと差し込んだ。


カチリ、と精緻な音が響き、巨大な石門がゆっくりと開いていく。溢れ出す古書の匂いと濃密な魔力の冷気に、ヴァイオレットたちが期待に満ちた表情で足を踏み入れた。


「……ここが、アルビオン王国の禁忌の集積地」


「素晴らしい。この魔力波形、どれだけの古文書が眠っているんだ……」


シモンとリリィが興奮を隠せずに中へ消えていく。


石門が閉まり、ヴァイオレットたちの足音が書庫の奥へと消えていく。濃密な魔力の残滓が漂う門前で、アルバスは手に持った真鍮の鍵を静かに懐へと収めた。


「……監理官。本当に良かったのですか? 彼女の『完全記憶』をもってすれば、禁書庫の資料など、瞬く間に読み取られてしまうのでは」


アズールが不安げに門を見つめる。アルバスは無表情に、手元の手帳に「入館時刻」を分単位で記録しながら答えた。


「不可能だ。ここの資料は、精神を保護する特殊な術式下でしか視認できない。一日の許容閲覧時間は、熟練の魔導師でも三時間が限界だ。それを越えれば脳が焼ける。リリィ殿がどれほど天才でも、物理的な『解析速度』には抗えん」


 さらに、とアルバスは言葉を継いだ。


「あそこにあるのは、今回の契約条件に該当する『第一禁書庫』の資料のみだ。過去の交渉で見せた区画と同様、あそこは物理的に孤立した区画に過ぎない。第二、第三禁書庫へ続く隠し扉は、既に司書の手によって完全に封印されている。本来この事実を知るのは、国王、禁書庫の司書、そして実務を執り行う私のみ。(まさに事務屋による、情報「操作」であった。)アズール、君も知ったからには漏らすなよ?……彼女たちが費やす二年間は、我々が『見せても良い』と判断した情報の精査だけで終わる」


この「情報の階層化」こそ、アルバスが構築した王国の防衛システムだ。ギルドは「全知」を求めて巨額の対価を払うが、実際に手にするのは、アルバスが事前に検閲し、整理した「カタログ」の範囲を出ない。


「――実に見事な『在庫管理』だ」


影の中からノワールが歩み出た。彼は思わせぶりな笑みを浮かべることもなく、淡々と一通の領収書をアルバスに突き出した。


「監理官。貴方の言う通り、私も王都の指定宿舎に滞在します。流石に仕事があるので外出はしますがね。これは先ほど、貴方の部下から請求された『滞在管理費』の全額、金貨二千百九十枚分だ。一括で、ギルドの預託金口座から引き落としておけ」


ノワールは、アルバスの仕掛けた高額な宿泊費を、交渉の余地なしと見て即座に受け入れた。


「私は彼女たちが契約を逸脱しないか監視する義務がある。……それと、これは事務的な報告だ。例の火竜の素材売却益だが、最終的な市場価格の変動により、当初の査定より五パーセントの上振れが確定した。差額は来月の国庫入金分に乗せておく」


「……了解した。アズール、監査官殿を宿舎へ案内しろ。彼は『金銭を払った顧客』だ。規約の範囲内で最大限、失礼のないように扱え」


「承知いたしました。……監理官、一つだけ。ガストン隊長が、団員のお礼の酒を断ったことを根に持っているようですよ」


「酒で胃を壊すより、数字で喉を潤す方が私の性に合っている。」


「ふふ。あなたらしい。……監査官殿、ではこちらへ」


ノワールは事務的な一礼をして、アズールと共に立ち去った。感情を交えない、純粋な利害関係者としての立ち振る舞いだった。


地下通路に、再び静寂が戻る。アルバスは一人、巨大な石門を見つめた。


表面的には、全てが計算通りに進んでいる。だが、アルバスの懐には、まだ「帳簿」に乗せられない不純物が残っていた。


「火竜の胃袋から出た、あの火性極魔石……」


王宮へ戻る道すがら、アルバスは王家直属の魔導解析局から届いたばかりの秘密書簡を思い返していた。


そこには、魔石の核に残留していた微細な術式組成があったという解析結果が記されていた。


災害を人為的に招き、保険金や予算を動かそうとした黒幕が、この世界のどこかにいる。


「……事務屋は、棚ぼたを信じない」


アルバスは無機質な廊下を歩き始めた。


「議会への報告書には、火竜の討伐成功だけでなく、オステアの破綻を教訓とした『防衛予算増額の必要性』を、これでもかと盛り込んでおくか。恐怖は、予算を通すための最高のスパイスだ」


アルバスは冷徹に言い捨て、王宮へと続く階段を上り始めた。


事務屋の戦場は、地下の静寂から、欲望と陰謀が渦巻く地上へと移ろうとしていた。


といっても、議会のシーンを書いてしまうとただの内政パートで全然次に行かないのでスルーしまーすw

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