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月蝕の庭に哭く理と激情の狂瀾2

二つの月がじわじわと重なり始める夜、離宮の広い廊下に冷え冷えとした風が通り抜ける。まだ完全な満月ではないというのに、不穏な魔力のざわめきが空気を震わせていた。先刻、地下書庫へ向かうと大見えを切った一行だったが、回廊を出るや否や、フィリスを案じる消息が飛び込んできて足止めを食らっていた。


 


「なんだって? フィリスがまた熱を?」

 

 ミオは思わず青ざめる。王女フィリスの容態が相変わらず悪いらしい。このままでは“浮遊庭園”に潜む何かを探りに行くどころか、肝心のフィリス本人が力を制御する前に倒れてしまうかもしれない。

 

 とはいえ、今さら退くはずもない。フィリスの焦りは、月蝕の接近に呼応するように高まっているという。そこへ王宮魔術師ゼオンの声が低く響いた。

 

「この魔力の乱れは結界全体に影響を与えている。離宮だけでなく、“浮遊庭園”にまで歪みが広がっている。もし手をこまぬいていれば、王家の力が暴走を始める可能性は高い」

 

 彼の顔には夜な夜なの悪夢で疲労が刻まれている。それでも瞳の奥には使命感の火が灯っていた。ミオは唇を噛んで頷く。フィリスは熱でふらつく一方、どうしても浮遊庭園に行くと言って聞かないらしい。彼女自身が衣装を纏う際に結界を維持する手だてを探す必要があるのだ。

 

 だが、いちばん危ういのはエランの状況だ。満月に近づくにつれ腕輪の呪印がじくじく疼き、苛立ちが募っている。彼は壁にもたれかかりながら苦しげに吐息をつき、

 

「このままじゃ俺が先にのたうち回りそうだ。…ざまぁな展開はごめんだな」

 

 と皮肉まじりに笑う。その肩をぽんと叩いたのは、王宮騎士団長のグレゴリーだった。

 

「いやいや、まだお前には働いてもらわないと困る。スペイラの闇組織ども、どうやら本格的に動き始めたらしい。連中は王女の血なら何でも使いそうだろう?」

 

 スペイラ――闇組織と通じる女官の名を聞くと、ミオは思わず目を細める。王宮の内部をかき乱し、王家の力を奪おうと暗躍する下手人。前に痛い目を見せてやったつもりだったが、しつこく狙いを定めているようだ。おそらく“月蝕の儀”を発動させ、徳も何もかも吸い尽くそうと息まいているに違いない。

 

 グレゴリーは険しい表情で続ける。

 

「周辺国でも怪しい噂が立ちはじめてる。『闇の儀式が王家で行われる』とか、何やら物騒でな。下手すりゃ外からの介入もあり得る。全軍体制にしたいところだが、兵の士気まで揺らいでいるんだ。あまり大っぴらに兵を動かすと、余計相手を刺激しかねない」

 

「つまりは少数で迅速に、だね。面倒くさ」

 

 ミオはため息をつく。だがここらでぐずぐずしていれば、スペイラのほうが先に“浮遊庭園”を押さえてしまうかもしれない。逃げ場など、とうにない。彼女は視線を隣に移し、セシリアをじっと見やった。

 

「セシリア、何か妙案はある?」

 

 唐突に振られて、セシリアは慌てた表情を浮かべる。すぐには答えられない様子だが、周囲が知りたがる視線を送り続けると、おずおずと口を開いた。

 

「その…浮遊庭園へ行くには、まず離宮の裏手を抜ける必要があります。あそこの古い階段は崩落の危険がありますが…少し補強すれば、通れなくはないかも。資材庫を探せば急場しのぎの板や鉄材くらいは…」

 

 彼女が言葉を濁しながらも指し示すアプローチは、実に的確だった。グレゴリーが「おお、そうか」と目をみはり、エランまで「本当に何でもやるな、お前は」と皮肉交じりに苦笑する。セシリアだけは得意げな様子など一切なく、

 

「いえ、皆さんが思いつくことを先取りして言っただけです、たぶん…」

 

 と自信なさげに俯いた。どうやら彼女は自分が有能であることを心底わかっていないらしい。ミオはくつくつ笑いながら、肩をすくめる。

 

「助かるわ。今すぐ調達に動いて」

 

「は、はいっ!」

 

 セシリアが走り去る姿を見送りながら、エランは鼻で笑った。

 

「ほんと助けられてばっかだな。…まあ、頑丈そうだし、いざってときは俺の腕輪の呪印も背負ってくれりゃ助かるが」

 

「彼女、あなたの荷物持ちじゃありません。ざまぁなこと言ってると、スペイラじゃなくセシリアの拳が飛んでくるわよ」

 

 ミオがニヤリと返すと、エランは「そいつは怖い」と軽く笑う。その様子にさすがの騎士団長も吹き出しそうになったようだ。

 

 やがて準備が整い、月光を背に庭を横切る。揺れる松明の炎が人影を長く伸ばした。遠くからフィリスの部屋を見上げると、淡い光の中で誰かが立ち尽くしているのが見える。だが声をかければ動揺を与えるだけかもしれない。今は彼女に任せ、こちらができることを全力で果たすしかない。

 

 崩れかけた裏手の階段には、セシリアがすでに手を入れていた。短時間で資材を引っ張ってきたらしく、手際よく基盤を組んでいる。周囲の兵士たちが「いやあ、もう慣れたもんだな…」と感心する声を漏らす。

 

「セシリア、すごいな」

 

 何気なくグレゴリーが声をかけると、彼女は「えっ、わたし?」と動揺しきりだ。

 

「ほら、そこもっと釘を多めに…」

「了解っ!」

 

 彼女はがしゃがしゃと道を整えはじめ、途端にアーチのような安全通路が形になっていく。まるで昔から工事に馴染んでいたかのごとく、指示も完璧だ。

 

「君はいったい、どれだけ多才なんだ」

 

 グレゴリーが思わず素直に感嘆の声を上げる。けれど当のセシリアは「なんとなく、こうしたら上手くいくかなって思っただけです」と恥ずかしそうに笑った。

 

 その後ろで、ミオはしっかりその一部始終を見届けながらにやりとする。彼女がいると現場がめちゃくちゃ円滑に進むのだ。助かることこの上ないが、本人がこんな調子だから評価されてもピンとこないらしい。

 

「ありがたいわね」

 

 小声で褒めると、セシリアは首を傾げた。自分のことより、早く先へ進めという気持ちが勝るようで、何もなかったように木材を片づけ、さっと道を譲る。まったくもって、周囲が何役分も依存するのも道理だ。

 

 ようやく階段を抜けた先は、夜闇に沈む離宮の裏庭だった。枯れかけた鶏頭草がしんなり立ち、古い祠のある小道が見える。そこをずんずん進んでいけば、“浮遊庭園”への門があるらしい。月蝕が近いせいか、配置された石像の目に当たる水晶が怪しい光を反射している。息を呑むほど不気味だ。

 

「さて、ここからが本番よ」

 

 ミオが低い声で言う。スペイラの手下がどこで奇襲してくるかわかったものではない。闇に潜む敵の気配をうかがいつつ、歩を進める面々。エランは腕輪を握りしめて、

 

「痛いが、戦う気は失せちゃいない。その女官ごと、俺が惨めに泣かせてやりたいくらいだ」

 

 と毒づく。彼が憎まれ口を叩くあたり、まだ余力はあるらしい。

 

 何歩か進むうちに、風が急に冷たくなった。遠くで荒れた木々が揺れる音がする。月が雲に隠れて、庭が一層暗くなる。そのとき、砂を踏みしめる足音が響き、ミオは察知して皆に手で合図を送った。

 

 ──来る。やはりスペイラの手の者だろう。あちこちから複数の影が動く気配。一行は無言のまま警戒を強める。すると次の瞬間、がしゃりと金属が擦れ合う音が闇の奥から響いた。

 

「ここまで来たか。でも、もう遅いわよ」

 

 低い声が届く。スペイラ本人か。予感に反応するように、エランが腕輪を握り締めて魔力を放出しようとするが、痛みで体が強張っていてスムーズにいかない。代わりにミオが先手を取った。

 

「残念だけど、あんたの好きにはさせない」

 

 彼女がスカートの裾をからげ、足首に仕込んだ魔術結晶をすばやくつまむ。瞬時に光が走り、結界の鋭い衝撃波が闇へ放たれた。隠れていた刺客たちが声を上げ、ごろんと地面に転がる。

 

「ざまぁ。一瞬で吹っ飛ぶなんて、もうちょっと捻りを見せてよ」

 

 ミオが勝ち誇ったように笑みを浮かべる。だがまだ決着は早い。スペイラ自身の姿が見えない以上、これはほんの囮かもしれない。刹那、霧のような黒い瘴気が足元からじわりと広がった。

 

「悪趣味ね」

 

 ピリピリと電流が走るような緊張が場を包む。すると、さっとセシリアが前に出ようとした。無茶を止めようとグレゴリーが声をかけるが、彼女はすでに何かの薬液を取り出して地面に注ぎ込み、周囲を浄化するかのように霧を消し去る。

 

「ほんと器用な子だな…」

 

 騎士たちが感嘆する前で、セシリアは「素材室にあった消毒液みたいなものです。効くかと思って…」などと控えめに呟いた。結果はご覧の通り、霧は瞬く間に消滅した。

 

「ナイスね。助かるわ」

 

 ミオがうなずく。そしてエランはぼそりと、

 

「確かにこの人がいりゃ、俺たちいつでも回復できそうだな…悔しいが、頼りになる」

 

 皮肉を隠せない口振りでも、その視線にはセシリアへの畏敬が滲んでいる。本人はまるで気づいていないが。

 

 かくして、スペイラに妨害されながらも、一行は少しずつ浮遊庭園へ至る扉に近づいていく。満月まで、猶予はわずか。視線の先に月の輝きが差し込んで、二重に重なった光輪が不気味にゆらめいていた。

 

 暗い夜風が吹き荒れるなか、ミオは胸に熱いものを感じる。危険は山積みだが、今こそ自分たちが一丸となって闇を蹴散らすときだ。そして、その力の一端を支えてくれるセシリアの存在を、個々がひしひしと再認識する。

 

 ざわつく感情と不穏な気配が交錯しながら、誰もが高揚と不安を覚える。けれど後戻りはできない。きっと次なる一手こそが、スペイラの暗躍を真正面から砕く鍵になるのだから。

 

「行くわよ。こんなところで足踏みしてるわけにはいかない」

 

 ミオの言葉で、エランが笑みを見せた。グレゴリーは剣を構え直し、ゼオンは目を伏せて魔術の糸を探る。セシリアは不安そうでも、皆のペースを支える準備が万端である。


 月蝕が近づく夜の離宮。浮遊庭園に潜む今まで見ぬ危険と、スペイラの猛威が激突する――。


 次の瞬間には、さらに大きな波乱が待ち受けているだろう。けれども、このメンバーならば突破できる。そんな確信が、ぞくりとした興奮とともに胸を満たしていた。

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