4章-4
「あぁ、女神様……」
マクセンは一切の攻撃など無かったかのように、尊い者を見つめるような眼差しで天井を見上ている。全く危機を感じていないその様子に釣られ目線を追う。すると天井を貫通し、光のベールを纏った女性の足がゆっくりと降りてきているのが目に入った。
神々しい光に包まれて、徐々に見える魅力的な恵体から眼が離せない。白いシルクのように柔らかそうな布を纏った腰が見え、柔らかそうに実った胸、最後に凛々しく整った彫りの深い顔が見える。
羽が舞い落ちるように降り立った女神が、地面スレスレで静止してようやく我に戻ることが出来た。
「メイドリア、魔王を滅するようにお願いしなさい」
「はい。――女神様、あの人を倒して、ください」
自分より一回り大きい女神は閉じていた瞼を薄く開き、両手で空を仰ぐ。天井から光の筋が差し込み、次第に筋が重なって、両脇に幕のある舞台が出来上がる。まるでオペラを歌う美女のように美しい。
舞台が完成すると広げていた手を静かに下ろし、同時に両脇の幕が薄れる。カーテンの裏側が現れると、そこには以前見た片翼ではなく両肩に、それも女神ほどではないが薄い光のベールを纏った使者が左右二人ずつ降り立っている。
手にはシンプルではあるものの、美を感じさせる両刃の剣と受け流すことを主に行う小さめの盾を携え、ふわりと宙に舞い羽ばたき襲いかかってきた。
「左右は任せる」
「りょーかいっ、スライムとゴーレムちゃんは左の奴らをお願いね」
女神から思考と目線を外せないため手短に命令を下すと、ヴォルディが上手く割振りを決めてくれた。
空を滑空し、交差する瞬間に斬撃を与えてくる敵に、スライムはその柔軟な体と自由に移動出来る核を動かし続け、斬られても斬られてもコアに攻撃があたらないように。
ゴーレムは教会の石材を地面から吸い上げ体に纏い、多少は斬り削られるもののその厚い岩の鎧で、本体にまで刃が通らないように防御し続ける。
今まで二人が不意打ち以外にこれほど苦戦していたことなど今までない。そのせいで使者の熾烈な剣撃に防戦一方で、反撃に移ることが出来ない。
そんな強敵二人を同時に相手するヴォルディも反撃することなど出来ず、片方を受け流してもその隙を攻撃するように攻められ、攻撃に移る糸口が見つからないようだ。
助けに入りたいが、女神がそれを許すはずがない。
「女神、俺のために死んでもらおうか」
「……」
言葉が通じないのか、反応がない。
「動かないのであれば十分に準備させてもらおうではないか」
薄く開いた目で此方を見つめ何を考えているかわからない。ならば何が来ても良いように対応するだけ。
「――身体強化魔法、魔法鎧展開、時空停滞魔法詠唱待機!」
腕と足、それから神経の反応速度を強化。斬撃と弱い衝撃、魔法をある程度防ぐ魔力で創りだした鎧を身に纏う。最後に今朝本を読んで編み出した魔法を完成間際で最後の詠唱手前で止め、いつでも発動できるようにした。
これで最低限どんな攻撃が来ても対応出来る。補助魔法を使ってもまだ攻撃してくる意思を見せない女神に、右手に魔力を込め人差し指の先へと凝縮する。
「走れ、――闇雷撃」
黒く爆ぜる稲妻が空を裂き、女神の体を抱きしめ真っ黒に焦がしてしまおうと迫る。
「……!」
女神の口が何かを唱えたかのように開いた。しかしその声は耳に届かない。
何かする気配を感じさせなくてもジグザクに意表を突くような動きで、最短ではないがそれでも着実に稲妻は近づいていく。
「……」
再び何かを唱えただけで目の前に来ても反応しない女神に、呆気無く命中した。
当たった瞬間駆けていた時の比じゃないほどに轟音を響かせ、あたり一面に黒い電を放電し鳴り止む気配がない。女神といえどこの攻撃が当たれば無事では済まないだろう。
徐々に雷鳴が収まってゆき視界が戻る。ダメージを受けて戦闘不能になっていてくれればいいと期待した。だがダメージを負うどころか焦げ目一つ付いてなかった。
「ならばこれで……!」
次の攻撃魔法を繰りだそうとするが、周りに光が包み始める。
「ッ、再詠唱!」
中断していた詠唱を危険を感じ、再開して時空停滞魔法を発動させた。本の知識を流用して組んだが知識そのものは人間用であり、魔王である自分には効果が分からない。
出来る限り回避しようと動く。だが光は完全に追尾し逃げることが出来ない。急激に目の前が真っ白になり、光は魔法鎧を貫通し、溶けるように力が抜けていく。
自分の体がどうなっているか見たくても、白くて見えない。一心不乱に逃げまわっていたはずが、気がつけば頬を焼けつくような地面が触っていた。
一二魔王目
何度も死んできた感覚から分かる、ついさっき死んだ。今までは死んでもいいように立ちまわることにしていた。しかし、今回はどうやっても事が起これば体制を整えることが出来ない。
なので、未だに全て理解していない大魔導師の知恵を終結させた本を参考に対策を練り、3つ目の補助魔法を発動させたのだった。
足元が熱い。目を開けると手で覆っても真っ白で何も見えなかった視界が、ほんの少しだけモヤ掛かっている。
「フハハ、どうした。その程度か女神よ」
使用者の時間軸だけを世界から乖離し、復活時間だけを未来へと吹き飛ばす魔法。時空停滞魔法の発動に成功した。
「……」
「攻撃しないのであれば此方からいかせて貰うッ」
復活と共に疲労と傷は完全に癒え、魔力は回復している。更に魔力は強化される。死に至るまでの痛みが伴うが、魔王だけに許された最強戦術。死んでしまえば完全復活することを逆手に取れる。
「抱け、遅延型連爆魔法"炎・闇"!」
重力球魔法より一点に対して強い闇雷撃を放ってもやられた。ならば、とありったけの魔力を込め一度きりの大魔法を解き放つ。
唱えると女神の前で空間が急速に圧縮され煌々と光る球体が現れる。際限なく押し込められた空間は抵抗し、熱エネルギーと変わって太陽より熱くなって、臨界を迎えた球は爆音と共に弾け飛ぶ。
暴れまわる爆炎は教会の天井にまで届いた。炎が空を焦がすと再び凝縮され、光の届かない宇宙が詰まった球体となって女神を包み込む。宇宙は辺りの音を吸い込み、闇が周りを徐々に侵食した。
「これなら無事で済むまい」
渾身の魔法を放ったのだから、少しは効いただろうと思った。空間が闇に侵され始め3倍程膨れ上がり、今もなお広がり続けている。
次の攻撃魔法を繰り出すような魔力はない。出来れば終わってくれ。そのような願いを込めた。しかし、そんな願いも虚しく突如四方へ閃光が飛び出す。
閃光は高速回転し闇を斬り裂く。光の刃にその場に留まることを許されない闇は消え去り、女神が闇から現れる。
女神の表情は今までずっと微笑ましいといった表情だった。だが闇が消え去ると哀れみへと変わっている。眉間にしわを寄せ怒気を発してなくても分かる。もしかしなくても逆鱗に触れたらしい。
「……」
女神が口を動かした。すると闇をも切り裂いた十字の刃は4つに別れ一つは放たれたレーザーのように、一つは剣豪が持つ刀の構えのように、一つは滅茶苦茶に回転しながら、一つは騎士のように女神の前で佇む。
「――特化強化魔法"反応"」
光の剣がたどり着くまでに魔力を振り絞り神経伝達速度だけを強化する。目で負うのがやっとなほど早い光に、魔力が空っ穴状態の自分が対抗する方法などない。
最短距離でレーザーが飛んでくる。スライムから流れこむ今まで避けてきた経験を活用し、肉体を突き抜けようとする光を寸前まで引きつける。右足で地面を蹴り一歩身を引いて、胸スレスレを掠め肉を微かに焦がし突き抜けた。
一先ずレーザーを躱したが安心している暇はない。刀のように高く振りかぶった光剣がもう目の前にある。間合いはおそらく後一歩といった距離。
ゴーレムが朝やっていた武術の経験を活かし、蹴った右足で踏みとどまらず体を蝶のように捻<<ひね>>り飛び上がる。体が半回転すると耳元に空気を切り裂く音が聞こえた。
「……ッ!」
回転して前を向いた瞬間眼前に高速回転する光の棒が目の前にある。
一三魔王目
光の棒は目に当たると激痛を発し、次の瞬間他の痛みを感じる前に復活する。1回死んだが一連の攻撃を切り抜け、魔力も復活した今、光の剣は女神の前に1本しかない。
チャンスだ。女神の前にある盾をなんとかすれば攻撃を加えれるかもしれない。至近距離で特大の魔法をぶち込めば勝機はきっとはある。少しでも近づいてしまおうと力を込め一歩踏み出す。
「ぐ――あ、あああぁぁッ!」
左足を地面から浮かせたと同時に、背中に焼けた鋼鉄のコテを押し当てられたかのような激痛が走る。力が抜け膝が崩れ落ちた。体を見る、心臓がある部分がポッカリと穴が開いていた。
急に眠気が襲い、ゆっくりと意識が消えていく。
一四魔王目
意識が覚醒し、地面に付いていた膝を離し立ち上がる。光の剣は消えてなどいなかった。後ろに抜けて再び攻撃してきていたのが、見えていなかっただけなのだ。
次は剣豪か、回転した刃か、分からない。とにかく前へ進めないと、
「ぐぅぁッ!」
膝を立て、立ち上がった瞬間右足が斜めに切り取られる。切られた足が重力によって滑り地面と衝突した結果、悶絶するような激痛が走る。
痛みが走った瞬間はあまりの激痛に早く殺してくれと願った。
だが殺されて復活した後、同じことをされないとは限らない。全てを終わらせるため一歩だけでも先へ、少しでも前へと進むことだけを考え、左足を軸に踏ん張って切られた足を前へ伸ばす。
一五魔王目
切られた足の先が復活し、決死の覚悟で踏み出した右足が前にある。地面を踏みしめている。女神までまだまだ遠い、だが確実に近づいた。右足を踏みしめ左足を前に進める。
一六魔王目
小さな一歩、だが大きな一歩。
一七魔王目
痛みを感じ、
一八魔王目
激痛に耐え、
一九魔王目
一歩進む。
まだ五歩。遠い。痛い。それでも、進む。
なぜ? 分からない。やめる? やめない。なぜ? 分からない。
誰も責めないよ。それでも、だ。
三三魔王目
一歩進むごとに激痛が体を襲う。一歩進めれなくても激痛は走る。バランスを崩し一歩戻っても激痛がやってくる。
――もう諦めて時空停滞魔法を止めようよ。辛いだけだよ。皆頑張ったって褒めてくれるよ――
――また傷を負ったじゃないか。周りのスライムとゴーレム、ヴォルディを見てご覧よ。両翼を倒したというのに助けに来ないよ。きっと皆は君の事嫌いなんだよ。死んで欲しいんだよ――
――そろそろ辛くなってきたんじゃない? 僕に意思を委ねてくれれば、君は目覚めるとスライムの枕元で目を覚まし、ゴーレムがベッドに飛び込んでくる日が来るよ――
――ほら、早く変わりなよ。ほら、ほら、ほらほらほらほら――
六八魔王目
「黙れッッ!」
闇の魔力が心に話しかけてくるようになった。その声は死ぬごとに大きくなっていき、そして長く話すようになっていた。甘い囁きに挫けそうになる。だが、女神まで半分というところまで来た。
教会の外から人々が応援する声が聞こえる。魔王、魔王、魔王と叫んでいるのが聞こえる。地鳴りも地面を伝い響いてくる。
よくがんばったね。もう僕に代わってもいいんじゃないかな。――最後まで俺がやり通す。
別に変わったって皆分かりやしないさ。――黙ってろ。
八七魔王目
ナイトの前まで来れた。あともう少し。
八八魔王目
復活してもナイトの剣が胸に突き刺さっていて常に痛い、だが歩けないほどではない。
九七魔王目
「ついに、来たぞ。女神ッ!」
長い、長い、時間にしたら短い。声援の背にここまで進んできた。
魔力の声が段々と大きくなってきても距離が縮まるにつれ気にならなくなった。あとはこいつをぶち込むだけだ。
「――闇創造魔法!」
あとはこの手が女神の体に触れるだけ、そうすればすべてが終わる。頼む、届け。
伸ばす、渾身の力を込め女神に触れるこの手を。
「……」
九八魔王目
女神が遠くにいる。最初の距離よりはるかに遠い距離に。手が体に触れようとしたはずだった。触れて全てが終わっているはずだった。
女神は口を動かすと体が粉々に崩壊し吹き飛ばされたような感覚があった。
今まで歩いてきた意味は一体……。
「ハ、ハは、ハはハハはははハはハハはハはは」
九九魔王目
もう一度進む?――もう嫌だ。
教会の外で応援されてるよ。――もう嫌なんだ。
皆を見捨てるのかい。――もう痛いのも苦しいのも辛いのも全部全部、全部全部全部嫌なんだ!
――僕が代わってあげるよ。
もう、俺は、考えたくない――。
吹き飛ばされ地面に伏していた魔王から体の10倍はあろうかという純粋な闇のオーラが吹き上がった。尚も切り刻もうと押し寄せる閃光の刃が、突然のオーラに3本同時に襲いかかっていく。
魔王は立ち上がり女神を狙いを定めるかのように見つめる。
「ヌルイわ!」
オーラが剣に向け拡散し飲まれ、光を失いどこか違う空間へと霧に包まれるように消滅した。
「ク、クフフ、クハハハハハハ。ついに、ついにこの時が来たぞ!」




