4章-5
絶望のあまり悪魔の囁きに挫けなかった心が、ついに魔力に屈して体を乗っ取られてしまった。魔力は体を取り戻されぬよう魔王を意識の奥底、その中でも最も深く遠い所で耳と目を覆い隠してしまう。
何も考えなくてもいい、スライムに包まれたかのような空間に永遠の安寧を感じる。このまま全てが終わり、再びいつもの日がやってきて欲しい。そして目覚めた頃にはいつもの、あの、日々が――
「よくも我が魂を封印してくれたな、女神ッ!」
「ついに復活してしまいましたか。あなたが天界から世界を滅ぼそうとするから悪いのです」
女神は知っていた。魔王に声を掛け、封印されていた魔力の意思とは神の精神だということに。その神の会話は耳を塞がれ奥底にいても、微かに聞こえてくる。
だからといって再び立ち直るには心が粉々に砕かれすぎた。
「ほざけ、貴様など塵に変えてくれよう!」
「あの時と同じように、姉として再び封印いたしましょう」
魔王はシンプルな魔法陣を最初は一つ、そこから取り巻くように次々と大小様々な魔法陣が組み合わせていく。完成した魔法陣は幾何学模様を思わせる魔法陣で、見るものを全てを魅了した。
女神は神秘的で心が洗われるような詩を綴り、聞くもの全てを癒やす。まるでセイレーンが恋した船乗りの帰りを舞っている間、海に向けその力強くもか細いその声で歌い続けているかのように。
「原始闇魔法"大重奏"!」
「母ナル海ヨ、守リタマへ」
互いに魔法を放つ。魔王の放った闇は津波となって女神を襲った。それに対し女神の魔法は障壁魔法、五角形のクリスタルが女神を包んで守る。押し寄せた闇はクリスタルを根こそぎ破壊してしまおうとするが、びくともしない。
女神は余裕を持って防いでいる、だがこの魔法はまだ序章である。過ぎ去った津波は天に上り、再び女神へと滝のように怒涛の勢いで降り注ぐ。
その圧倒的な水量に尖ったクリスタルの天板といえど、多膜構造で出来たクリスタルは一枚、二枚と剥がれていき止めどなく剥がしていく。
全て降り注いだ頃には障壁は半分以下の薄さになっていた。降臨してから一度も見せたことのない苦悶の表情を浮かべる女神。だが容赦なく魔王の攻撃は続く。
「弾けろ、爆散」
終章を指揮する魔王は、周囲に流れていった闇の水が蒸発させ、水蒸気へと変える。
クリスタルを包み込むように蒸気を集める。霧のように漂う闇を、原子レベルで崩壊させた。崩壊した原子はエネルギーを際限なく蓄えていき、器が耐えれなくなると爆発して衝撃波を生む。
「っ、不甲斐ありません」
見た目は小さな火薬が弾けてるように見えるが、一つの爆発ですら遅延型連爆魔法を軽く超え、数秒間の間に何億と繰り返される。
止めどなく続く爆発は、教会の周りで踏み鳴らす地鳴りより大きくなっていき、女神の障壁を全て吹き飛ばした。生身で爆発を受ける女神は、空に舞う木枯らしのように吹き晒される。
「勇者よ……。あとは頼みます」
最後の遺言を勇者に言い残すと、女神は身に纏っていた布を僅かに残し、この世界からいなくなってしまった。
その光景を見て満足した魔王は、何度も死に苦労して進んだ道を肩で風を切りながら、王として相応しい雰囲気を纏いマクセンの元へと歩む。
「ひ、――ひぃぃぃ。頼む、来ないでくれ!」
一歩一歩優雅に前へ進む。マクセンが張っていた障壁はどこかに存在していたのだろう。しかし障壁らしい障壁が抵抗せず、全く無くわからなかった。
「最後の遺言を話せ。下らないことでなければ覚えておいてやろう」
「ひ、ひぃぃいいい。だ、誰か助けてくれ!」
すぐ近くまでたどり着くと、腰が抜け、ズボンが濡れてしまうほど恐怖している。最初の威厳はどこにいったのか。
「これ以上恥を晒す前に殺してくれよう」
マクセンは既に大司教としての価値を失っている。価値を失くした者に態々温情を掛ける義理はない。
手に風の断層を漂わせ人たちに切り捨てようと振り上げた。
「……どけ、貴様ごと斬るぞ」
「――さん。お父さんは私が守るの!」
聖女として連れて来られた少女がマクセンを庇い、健気にも身を前に挺して救おうとしている。その足は震え、恐怖で歪んだ顔の淀んでいた目から涙を流していた。
「では貴様も父と共に葬ってくれよう」
腕を振り下ろす。
――ガキィィィィン!
「……何をしている貴様、自分が何をしているか分かっているのか」
「やだねぇ。おっさんは良いとして大の大人が寄ってたかって少女まで殺そうだなんて、それは見過ごせないな」
振り降ろした腕は、一瞬にして詰めてきた勇者ヴォルディの剣によって止められていた。
「だからね。ちょーっと僕が魔王、君にお仕置きしようと思って、ね!」
受け止めていた剣に勢いを付け跳ね返し、返す刀で袈裟懸けに斬りかかる。女神と戦う前であれば避けることもかなわず斬り伏せられていただろう。
だが、復活を繰り返すことによりとてつもない力を手に入れていた。お陰で、半歩下がることで避けられる。
「ほぉ、我とやろうというのか」
「配下になってもいいと言ったけど、勇者をやめるとは言ってなかったでしょ」
「魔王と勇者、やはり水と油の関係らしい」
「僕はシリンのために頑張ってくれる魔王となら、仲良く出来ると思うけどね」
隙を見せないように小さく後ろに飛び、少しだけ間合いを開ける。
「あいつは折れたのだ、根性なしに代わり我が世界征服してくれよう」
「なら僕は君をここで滅ぼそう」
ヴォルディは剣を構える。大きく距離を取ることは困難だと思った魔王は、闇の剣を召喚し片手に持ちもう片手で近接魔法の構えを取る。
お互いに手を読み合い対峙して動かない。スライムとゴーレムが機転を効かせ聖女とマクセンを保護し、教会の隅へと退避した。だがまだ動かない。
「ええい、焦れったいッ!」
先に動いたのは魔王だった。右手で保持する闇の剣で、体を上下に斬り裂いてしまおうと左から右へと横になぎ払う。二の手として左手には黒い風が炸裂し、鎌鼬を無尽蔵に振りまく魔法。
防ごうものなら体を二つに分ける、前後左右どこに避けても魔法が体を切り刻む、必勝の構え。
「青二才がッ!」
闇の剣は腰へと吸い込まれる。受ける様子がない。となれば、前後左右どこに避けようとも魔法が斬り刻む。相手の行動を完全に詰め切り、勝利を確信した。
閃光の如く薙ぎ払った剣は、勇者の体に達する前に距離を詰められ避けられる。その結果、剣の柄に勇者の体が当たる。魔王はほくそ笑んだ。
薙ぎ払った剣は右手から投げ捨て、その勢いで体を捻り左手を加速させる。ゼロ距離にいた勇者目がけ左手の魔法が今にも当たろうとしている。
「貰ったッ!」
「甘いね」
詰めた距離を離す勇者、それを追う必殺の左手。次の瞬間、すべてが決まる。
「グッ……、がはっ」
赤い血に濡れた剣先が、胸から飛び出ている。手でへし折ろうとするが、その冷たい剣に触ると込めた力が全て抜け落ちてゆく。
「な、なぜだ」
必ず当たるはずの魔法は、当たる寸前飛んで魔王の頭上を飛び越えられるという予想外の行動で避けられる。直後、背後に回った勇者は心の臓に向け剣を一突きにされた。
「これは、あの時と同じ、――忌まわしき、剣、か……」
「暫く君には寝ていてもらうよ」
一〇〇魔王目
「魔王さま! 魔王さま!」
突如暗く、居心地の良かった空間から揺り起こされる。ゆっくりと目を開く。縋り付き体を揺するスライムの姿が見えた。
「ここは……」
声を出すと、スライムの目からは青く透き通った一筋の涙が流れ出した。丁度顔の上にスライムの顔があり、流れ落ちた涙が口に入る。やっぱりしょっぱかった。
「揺らすな、剣が触れて痛い」
体には剣が刺さっている。そのお陰で神の意思を抑え、意識の奥底で眠っていた魔王の意思が強制的に覚醒しているようだ。
「すまない魔王。これしか僕が抑える方法が無くて」
「気にするな、これが最善だったんだろう」
ヴォルディが済まなそうな顔をして体を支えてくれている。おそらく自分の意思が保っていられるのは剣が刺さっており、魔力が常に殺されいる間のみ。
「ゴーレムも泣くな、俺は死にやしない。魔王は不滅だからな」
「ヤだよ、夜になったらお肉一緒に食べようよ」
「こんな時でもゴーレムはゴーレムだな、安心した。復活したら一緒に食べよう」
「嫌だ! 見てたよ! マオーいっぱい死んでるのにすぐに復活してるの」
相変わらず空気の読めないゴーレムだったが、この魔法、時空停滞魔法の核心を突いているようだ。
バレずに済ませようと思っていた。だが、大魔導師に付き添っていた時に得た知識のせいでバレた。そういえば、この魔法を思いついたのもゴーレムを通じて得た大魔導師からの知識か、盲点だった。
「いっぱい死んだ代償として長い間一緒に居ないんでしょ! おじいちゃんの時もそうだった! 大丈夫だって言っていなくなった! もうヤだよ!」
大粒の涙を流し顔を皺くちゃにしている。出来れば復活時間など無くして夜になったら肉を一緒に食べて、一緒に寝て、大魔導師の墓にもいって、ゴーレムの思い出の場所に案内してもらって、そして海にいって、スライムに嫉妬されて、そんでもって、
「マオーも泣いてるじゃん! なんで皆いなくなる時はそんな顔するの、なんで、笑うの、なんで……」
悲痛な声を上げ悲しみのあまり声が出なくなったゴーレム。せめてもの思い、頭を撫でてやる。ポロポロと流れていた涙がダムが決壊下かのように流れだし、腹付近に顔を埋めてしまった。
「……頼みがある。復活するまで待っていてくれ。何とかして元の俺に戻ってくる。ヴォルディは城に向かい身分制度撤廃の進言を頼む」
「君の手柄だというのにそれでいいのかい」
「いずれ世界征服するんだ、配下の手柄になっても些細な事だ」
「復活したらいつも通りの優しい魔王さまに戻って下さいますか」
「あぁ、約束しよう。そろそろ止めをさしてくれ、剣が痛い」
ゴーレムの肩に手を乗せ別れるために体を起こさせる。分かってくれたのか最後に涙を流しながら笑顔を作ってくれた。心が痛い、だが感じることのない長い時間もこれで安心して過ごせそうだ。
「魔王さま、お待ちしております」
「ああ、復活したら今度こそ泥棒と間違えないでくれよ」
「分かっております」
スライムとゴーレムの悲しそうな顔を見ながら死にたくはない。離れて後ろを向いていてもらうようお願いした。あの二人の顔を見ながら死ぬなんて事は、出来そうにない。
「最後に一つ、聞いてくれるか」
「なんだい」
「実はな、心が挫けて俺の中に眠っていた神に体を乗っ取られたんだ」
「知ってる。だから魔王を恨んじゃいないさ、僕もあの二人も」
「俺って情けない魔王だよな」
「君は魔王、魔と付く者の頂点。完璧である必要はないんだよ。スラムの人たちやあの二人を導いた。それで十分じゃないか」
「そうか。そうか」
心残りはない。時空停滞魔法を停止し、天井を見上げる。
魔王と戦う勇者、その後ろで祈りを捧げる女神。今回の戦いも絵と同じになったが、その続きは描かれていない。
あの絵がいつ、どのように描かれたかはもう自分には知る由もない。
だけど、思う。あの戦いの後もこのようになったのだろうか。続きが書かれていないということは、誰も知らない。あの登場人物たちだけが知っているのだろう。
俺たちの戦いも数少ない人しか真実を知らない。勇者が魔王を倒した。そうだけが伝えられるに違いないだろう。それでも良い。
途中折れたことも有ったけど、仲間のお陰で自分の道、魔王をやり遂げられた。それだけで満足だ。
「何年後になるか分からない。だがまた必ず会おう勇者」
「ああ、また会おう魔王」
魔王は勇者の手によって死んだ。




