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RETURNER ―帰還者たちは戻れない―  作者: れのん
第1章
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第1話「七人が消えた夜」

『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』


第1話「七人が消えた夜」


【18:42 朝倉《あさくら》朔《さく》】


「朝倉さん、すみません……明日の見積り、数字がどうしても合わなくて」


定時を四十分過ぎたフロアで、後輩が泣きそうな顔をしていた。コートに通しかけた腕を止め、朔は何も言わずに自分のデスクへ戻る。


「どこが合わない?」


「ぜ、全部です」


「全部か。……俺がやる」


十五分で直した。後輩に「ありがとうございます!」を三回言われ、手を振って会社を出る。


夜九時から、七人同時のコラボ配信。通話をつないで、それぞれが自分のチャンネルで流す。七人全員が揃うのは、今夜が初めてだ。朔にとってはもうひとつの顔、「ノイズ」の出番だった。


美咲の部屋に泊まる夜が増えて、そろそろ同じ家に住もうか、という話も出ている。今夜は配信を終えたら、そっちへ行くつもりだった。


【19:05 水城《みずき》澪《みお》】


「今夜の配信、俺も見るよ。無理しないでね」


隣の席から、彼が声をかけてくる。付き合って一年になる同僚だ。


「ありがとう。でも仕事で疲れてるでしょ? 先に寝てていいからね」


「澪のほうが疲れてない?」


「大丈夫」


笑顔で答えた直後、スマホが震えた。親友の真帆からだ。


『その「大丈夫」、今日で何回目?』


澪は返信せず、笑顔のスタンプだけを送った。


【19:20 神崎伊織(いおり)】


「は? 今の絶対ラグでしょ!」


自室で一人、伊織はランクマッチに負けて叫んだ。そこへ通知が降ってくる。黒田蓮。


『今夜の配信、見る』


既読だけつけた。返事はしない。別れた相手に返す言葉なんて、ないはずだった。なのに、指が画面の上で三秒止まる。


「……別に、見なくていいのに」


誰にでもなく言い訳をして、伊織は配信用のヘッドセットを手に取った。


【19:30 白川玲奈】


「この数値、原因は不明ですね」


モニターを覗き込んで、雅人が言った。


「不明じゃない。まだ私が分かってないだけ」


「同じことでは?」


「全然違う」


玲奈は白衣を脱ぎながら言い切る。分からないことが、何より嫌いだった。


【19:48 小鳥遊《たかなし》莉子《りこ》】


閉店後のカフェで、莉子は唐揚げを小さな容器に詰めていた。


「配信で作る分じゃなくて?」と、戸口にもたれた幼馴染の航が訊く。


「配信用は別。これは航くんの分。どうせちゃんと食べてないでしょ」


「……たまたま通りかかっただけなんだけど」


「二時間も、たまたま?」


航は何も言い返せず、容器を受け取った。莉子は笑いながら、少しだけ、胸のあたりが温かくなるのを感じた。


【20:10 黒瀬琴音(ことね)】


音楽スタジオの練習室で、琴音は譜面の端に走り書きをしていた。まだ曲にもなっていない、旋律のかけら。


「また新曲?」と、機材の片付けに来ていた神谷が覗き込む。


「まだ曲じゃない。……忘れたくないだけ」


「今夜、配信のあと少し話せない?」


琴音はペンを止め、返事を探してから答えた。


「終わったら、連絡する」


【20:35 佐伯恒一】


山のキャンプ場で、恒一はテントを張り終えていた。焚き火の前に配信用のカメラを据え、電波が一本立つ場所を探す。


スマホが震えた。朔からだった。


『会社帰りか? また誰かの仕事を背負ってきただろ』


『放っておけないだけだ』


『だから、背負うなって』


恒一は笑って、返信を打った。朔とは十年来の友人で、考え方はいつも正反対だった。


『先に始めてていいぞ。俺は焚き火係だ』


【20:50 通話ロビー】


七人が、初めて同じ通話に揃った。


「かんぱーい!」と莉子がマグカップを掲げ、画面の向こうで六つのマグカップが揺れる。そのなかで、伊織がふと首をかしげた。


「そういえば、七人でやろうって言い出したの、結局誰だったの?」


静かになった。


「俺じゃない」


「俺でもない」


「私は……DMで誘われたはず。『七人で同時に配信をしませんか』って」


「え、私もDM」


「私も」


「私も」


七人全員が、同じ文面のメッセージを受け取っていた。差出人を覚えている者は、ひとりもいない。玲奈が送信元を開く。


「……アカウント、もうない」


空気が止まりかけたところで、朔が笑った。


「いたずらにしては豪華だな。まあ、集まれたんだ。いい企画だろ」


誰かが「そうだね」と言い、笑い声がそれを追いかけた。


「ちょっと席外す。三分」


朔はマイクをミュートにして、美咲に電話をかけた。


『もしもし。もう始まる?』


「あと八分。無理して見なくていいよ」


『見るよ。……ねえ、ざーって音、しない?』


「通信かな。ルーターかも。……配信終わったら、そっち帰るよ」


『うん。待ってる』


通話を切ったあとも、耳の奥でノイズが、ほんの少しだけ続いていた。


【21:00 配信】


「はいどーもー! ノイズです!」


七つの画面が、それぞれ別の部屋を映していた。朔の自室。澪の白い壁。伊織のゲーム機の山。玲奈の本の山。莉子のキッチン。琴音の練習室の扉。恒一の焚き火。


『七人揃った!』『初コラボ!』『ラムとピノ、並んでるの尊い』


「ちょっとラム、距離近い!」


「画面越しだよ?」


「ゼロ、さっきから何食べてるの?」


「分析中」


「食べてるだけだよ!」


コメント欄が笑いで流れていく。ありふれた、楽しい夜だった。


【21:47 消失】


「じゃあ最後に、七人で『お疲れ様』、せーの——」


朔が言いかけた瞬間、七つの画面が同時に乱れた。映像が一瞬だけ砕け、音が消える。そしてコメント欄が、同じ記号で埋まった。


◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇


『なんだこれ』『バグった?』『バグがバグったw』


「俺じゃない!」と恒一が笑いかけたとき、別々の部屋にいるはずの七人のあいだで、何かが静かにつながった。見えない糸が一本、また一本と、同じ場所へ集まっていく。


全員が、同時に思った。これは、偶然じゃない。


画面が白くなった。


数秒後、映像が戻る。


点いたままのモニターと、揺れる椅子。コンロの火にかかった鍋。焚き火のそばの、空っぽの折りたたみ椅子。七つの部屋に、誰もいなかった。


配信は、止まらなかった。


【22:03 高橋美咲】


自分の部屋のノートPCの前で、美咲はスプーンを握ったまま動けなかった。画面の中の朔の部屋は、椅子だけが小さく回っている。


「……朔?」


電話をかける。呼び出し音のかわりに、無機質な声が流れた。


『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が——』


七つの画面の同時接続数だけが、増え続けている。無人の部屋を映したまま。


「そっち帰るよ」と、彼は言った。「待ってる」と、私は答えた。

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