320. 仮定
視聴番組のCM中にでも見れる(読める)程度の時間と内容を想定してます。
いつでもどこからでもどーぞ。
ご注意: 口語的語りとしています “い”抜き、“ら”抜き、その他文章定義はご容赦くださいね。(あ、誤字脱字も……)
【日くらし】
320. 仮定
「もし〇〇だったら」とか「仮に□□があったとして」とか、人はとかく“仮定”の話が大好きです。
それ自体は人間の想像力とか発想力による“可能性の想定と追求”ですから悪い事でも何でもないのですが、仮定を口にする対象が”未来の事”か、”過去の事”かによって少し話は違ってくるように思います。
まだ起こっていない未来の事について「あの場合は」とか「この場合は」とか色々なパターンを考えるのは、進むべき方向性の算段とアクシデントに対するリスクヘッジとして大変有用です。
ところが、これが既に起きてしまった過去のトラブルの話になりますと、
「あの時こうしていれば」とか「もし〇〇であったなら」といった
「今更それ言って何になるの?」って話になりがちです。(「たられば」ってやつ)
それを教訓として次に生かすのであれば意味意義もありますが、大概後悔や言い訳に塗れたセンない愚痴ですから何の生産性もありません。
「そんな事言ってる暇があったらリカバリー案や今後の事を考えません?」ってなります。
私が言わずともそんな理屈や正論は誰しもが重々承知しているけれど、日常や人生とはこれの連続でして、意味が無いと分かっていても、
「つい考えてしまう」というのが人間の性なのでしょうね。悲しいかな。
そんな「夢、欲求」を叶えてくれるのが小説、マンガ、ドラマ・映画などの創作物でして、具体的に言えば昔から良くある「タイムリープ」ものです。
きっかけは多岐にわたりますが、ある瞬間なぜか
「時間軸で過去に戻って、その時と同じシチュエーションに…」
となって、今度は別のアプローチを試みる事が叶うみたいなお話。
誰しもが幾度も憧れ望むところでしょうし、最近の “悪役令嬢の断罪ENDからのやり直し逆ハー展開” なんてのが大流行りなのもそういった心理 (ニーズ)の現れなのでしょうね。(まったく良い(痛い)とこ突いてますよねぇ)
ただ、実際そういう(やり直し)状況が叶ったとして、前回を悔い改めて
「正しい選択・行動が可能か?」
と問われれば、私を含めた大多数の方が結果的に“否”でしょうね。
おそらく同じような過ちを辿って、同じような結末に至るのが関の山でしょう。(たぶんね)
故にその辺りも含めてあの手のお話って”夢物語”として人を惹きつけるのだろうなーって思うのですよね。
いつも思うんです。
「あー、あの日あの時あの場所で、宝くじ100枚くらい買ってたらもしかしたら一等引いてたかもなのになー」って
ではまた(仮定多すぎてもう異世界並のやつ)
あー、だから私異世界物や悪役令嬢モノが大好物なんだなぁ(解せた)




