294. 感覚と認識について
視聴番組のCM中にでも見れる(読める)程度の時間と内容を想定してます。
いつでもどこからでもどーぞ。
ご注意: 口語的語りとしています “い”抜き、“ら”抜き、その他文章定義はご容赦くださいね。(あ、誤字脱字も……)
【日くらし】
294. 感覚と認識について
定期健診で視力・聴力検査などがありまして、幸いにもいまだNG(引っ掛かる)になる事も無いのですが、毎度
『物理的な“視”や“音”と、人の認識としての“視覚・聴覚”』は全く別の話と思ったりします。
“視覚”などは良く異世界物の『チート』スキルとしてテーマアップされがちですが、社会生活に於いてはやや趣を異なるように思うのですよね。
視認性の「その瞬間の映像」とか、聴覚性の「周波数としての音」って、人の脳による処理を介する為にかなりなところ“意識、知識、感覚”が影響する場合があって、そこが誤解や認識違いの元凶だったりする気がします。
現象として同じ“映像”や、“音”なのに、人によって「“理解”が異なっている」という話。
「クジマ歌えば家ほろろ」(新君の意外なダークさが好き)のOP、私の耳ではいつも
「♪なーりたーいスカートにー、なれーないー僕ーらはー…」
って聞こえまして、
「スカートになりたいってどんなだよ??」
と思っておりましたが、正解は“なりたい姿”でした。
思えば今時の曲の歌詞はほとんど聞き取れませんで、気になって検索してみると
「あーこういう歌詞なのかー」
となる事が多くて驚きなのですが、若い皆さんはすんなり理解していたりするのでしょうかね?
先入観など一切無いはずなのに全く別のものに聞こえてしまうこの現象は何なのだろうか?と考えると、恐らく歌詞(言葉)の理解が曖昧であった時に脳が勝手に適当なフレーズで補完するという実に有難た迷惑な事になっているのだろうなと思います。
そしてこれは“視覚”にも適用されるようで、昨日コンビニのATMでお金を降ろしている同僚を見かけまして、『へへ、チャーンス』とそいつの耳元で
「ほう?景気良さそうだなぁ(笑)」
と囁きましたら、振り向いた顔は全くの別人でした。
もちろん驚いたのは私の方ですよ。
ではまた(危うく警察沙汰)
あービックリした
(見ず知らずのお姉さん、ホントごめんなさい)




