4.灰の町 前編 2
その町は、ひどく静かだった。
灰色の石造りの町。
きれいに敷き詰められた石畳と、同じく石材を丁寧に積み上げて建てられた家々。ずっしりとした印象の町は、どこか閑散としている。
「ここは……?」
呟くようなレネの問いかけに、エリアスは擦り切れてぼろぼろになった地図を開いた。
「ノルネヴァ。わりと活気のある町だって聞いたんだけどな」
辿り着いた町に人影はなく、物音一つしない。まるで、町全体が静かに眠りについているような感覚。
エリアスが手近な家の扉を叩く音が、重く響いた。けれど、誰かが出てくる気配はない。
厚みのある木製の扉をゆっくりと押すと、鍵のかかっていない戸は耳障りな音で軋みながら開いた。
今にも雨粒が零れ落ちそうな曇天の空。その薄明りに照らされた部屋は、人が住んでいるとは思えないほど荒れていた。
「空き家?」
エリアスの背中越しに室内を覗き込んだレネが、呟く。
「いや。それにしちゃ、家具が揃いすぎてる」
エリアスの言葉通り、部屋の中には質素なダイニングテーブルと木の椅子が四脚、無造作に置かれている。キッチンの壁には使い込まれた鍋やフライパンがかけられ、小さな食器棚には木製の食器がきちんと収められている。
しかし、そのどれもがびっしりと埃を被っていた。
狭い室内には足跡一つなく、まるで住人だけが突然消えてしまったかのように、部屋はしんと静まり返っている。
「どなたか、いませんか?」
エリアスはよく通る声で語り掛けた。が、答える声は、ない。
諦めて扉を閉めたエリアスは、静かに町の奥へと歩き出す。
レネは不安そうに拳を握りしめたまま、その後を追いかけようとした。その時だった。
「あれ、もしかして旅の方です?」
突然、背後から明るい声がした。
振り返ると、先ほど中を覗いた家の扉が空き、ひとりの青年が顔を出している。
二十代の半ばほど。丸っこい琥珀色の目が、親しみやすい雰囲気を感じさせる。明るい金色の髪が、柔らかい日差しに輝いた。
「あれ?」
レネは、はっとして空を見上げる。
先ほどまで、蓋をするように重い雲がのしかかっていたのに、空はどこまでも晴れ渡っている。すっと透き通る青空の高い場所に、うっすらとすじ雲が浮かんでいるばかりだ。
不思議そうに首を傾げるレネの前まで歩いてきた青年は、にこりと人当たりの良い笑みを浮かべた。
「どうも、ノアといいます」
差し出された手を、エリアスが少しためらいがちに握る。その様子が少しだけ気にかかったレネは、そっと彼の表情を盗み見る。
「旅人の、エリアスといいます。こっちはレネ。この町の方ですか?」
「ええ。ようこそ、ノルネヴァへ」
どことなく難しい顔をしたエリアスが、ノアと名乗った青年に普段より硬い口調で言葉を投げかける。
「ずいぶん閑散とした町ですね。住民の方々は、どちらに?」
その言葉に、ノアは不思議そうに首を傾げた。
「閑散……ですか? 活気がある町だと思うんですが」
青年の言葉に続いて、ざわめきが耳に届いた気がした。慌てて振り返ったレネの目に、石畳の道を行き交う人の姿が映る。
「あれ? でも、さっきまで……」
目をこするレネに、青年が笑いかける。
「町には、観光にいらっしゃったんですか?」
「いや。当て所ない旅だ」
そう答えるエリアスに、青年は小さく頷いた。
「そうでしたか。ちょうど祭りの時期だったので、良いタイミングでしたね」
「祭り?」
「ええ。光降祭と言います」
「光降祭? 聞いたことないな」
首を傾げるエリアスの言葉に、町の青年は苦笑を浮かべた。
「あまり、有名な祭りではありませんからね。草木が長い冬を越えて再び芽吹くよう、再生を願う祭りなんです。ほら、あれ」
青年が、レネとエリアスの背後を指差す。
その指先に誘われるように視線を向けると、道端に小さな子供が集まっているのが見えた。年齢もまちまちな町の子供たちが囲んでいるのは、小さな灯籠だ。細く切り出した木材を組んで作られた枠に、草木の柄が描かれた薄布が張られている。
どうやら大人の膝くらいの高さがある灯籠を、集まった子供たちが町中に運んでいるところらしい。楽しそうな笑い声が辺りに響いている。
「再生の証である炎を、町のあちこちに灯すんです。中央の広場では、大きなかがり火も焚かれますよ」
子供たちの輪から、一人の少女が灯籠を両手に抱えてやってくる。
「ノア。はいこれ、どうぞ」
「ありがとう、エマ。今年もいい出来だね」
青年は少女の手から受け取った灯籠を足元の石畳に下ろし、ぐらつかないことを確認する。少女はにこにこしながら子供たちの中に戻っていった。その様子を見ながら、ノアは言葉を続ける。
「今年起こったつらい出来事や悲しかったことを紙に書いてかがり火で燃やすと、新たな幸せが舞い込んでくるという言い伝えがあるんですよ。そうだ!」
そう言ったノアは、ふといい事を思いついたとでも言いたげに両手を合わせた。乾いた小気味いい音が、耳に届く。
「お二人、もし時間があるようでしたら準備を手伝ってもらえませんか?」
「準備、ですか?」
反射的に体を引いたレネに、青年は両手を合わせてにこにこと笑顔を向けてくる。
「そんなに大変なことはないです。ちょっとだけ。ね」
ぐいぐいと迫って来る青年に、レネはため息を吐いた。
「じゃあ、ちょっとだけ」
「おい、レネ」
何か言いたげな口調で、エリアスがレネの名前を呼ぶ。
「えっ、ダメだった?」
普段なら、エリアスのほうから率先して手伝うと言いそうなのに。
どこか違和感のある連れを見つめて、レネは戸惑った表情を浮かべる。しかし、エリアスは小さく首を振ると青年に向き直った。
「いや。俺も、手伝います」
少しばかり歯切れの悪いエリアスの言葉遣いに、レネの不安が膨らむ。けれど、彼に声を掛ける前にノアがエリアスの背中を押した。
「嬉しいなぁ、そう言ってくれて。広場まで、ご案内しますね」
ノアはエリアスの背負った旅荷物に気付くと、自宅の扉を大きく開いてみせた。
「荷物、良かったらここに置いて行ってください。預かります」
先ほど見たときと変わらない内装が目に飛び込む。
しかし、質素な四人掛けテーブルには野の花が飾られ、古びたキッチンでは大きな鍋がスープの匂いを漂わせている。キッチンに佇んだ若い女性が、肩越しに振り向いてエリアスとレネに笑顔を向ける。その足元にはまだ幼い子供が二人、寄り添うようにして立っている。
室内は明るく、埃ひとつ積もっていない。
少し前に見た光景が嘘のように、穏やかで温かい家庭の風景がそこにあった。
「……」
何かを考え込んだエリアスが、ゆっくりと荷物をきれいに磨かれた床に下ろした。
「すみません。荷物、ここに置かせていただきます」
「ええ。気を付けて行ってらっしゃい」
エリアスの声に、ノアの家族らしき女性はにっこりとほほ笑んだ。




