42:一番大切な人(4)
突然の求婚。
クローディアは目を見開き、息を呑んだ。
(……ランドルフが、私のことを好き? そんなことって)
ありえない、と呆然とする。
だって、ランドルフは「救いの天使」が一番大切だから、クローディアの想いには応えられないと言っていた。クローディアのことを一番大切に想ってくれる人と一緒になれと、そう言っていた。
ランドルフが、クローディアのことを好きなはずがない。
クローディアはランドルフの胸を押しやって、彼から距離をとった。
「……あなたは、だあれ?」
彼から目を離さないようにしながら、後ずさる。
「ランドルフは『救いの天使』っていう女の子のことが一番大切なの。だから本物のランドルフは、私のことが好きなんて、そんなこと絶対に言わない。あなたは誰? どうしてランドルフのふりなんてするの? 魔法で姿を変えているの?」
だんだん声が震えてきて涙声になってしまう。堪えきれなくて、とうとう涙がぽろりと零れ落ちた。絶対に泣くもんかと思っていたのに、次から次へと涙の雫が頬を伝っていく。
こんなの、ひどい。
よりにもよって、クローディアが一番大好きな人の姿をして、その上求婚の言葉まで口にするなんて。まだ失恋の傷は癒えてなんかいないのに。
痛い。心が痛い。
「今すぐここから出て行って。もう二度と、こんな真似しないで」
ぽろぽろと零れる涙を拭うこともせず、クローディアは彼に拒絶の言葉を投げつけた。そうすれば、彼のふりをした何者かも諦めるだろうと思って。
なのに――彼は諦める様子を見せなかった。
「……そうだよな。今までの俺は確かに『救いの天使』が一番大切だったし、そう言ってお前の気持ちも受け入れなかった。今頃になっていきなり好きだって言ったって、信じてもらえるわけねえよな。疑うのも当然だ。うん、分かってる。分かってるんだ……でも」
彼は切なげな表情を浮かべ、クローディアを見つめてくる。
「お前と離れて初めて気付いた。今の俺が必要としているのは、『救いの天使』じゃなくてお前なんだってことに。まあ、ジルやシンシアには『遅い』だの『鈍感すぎる』だの、さんざん言われたけど……」
がしがしと困ったように彼は頭を掻くと、はあと短く息を吐いた。それから決まり悪そうな顔をして、クローディアに問うてくる。
「なあ、俺が本物だって、どうやったら信じてくれる? 俺にできることなら何だってするから教えてくれないか。……もうあまり時間がないんだ」
彼はそう言うと、クローディアの自室の壁にかけてある時計に目を遣った。時計の針は二十三時五十分――もうすぐ日が変わるという時刻を示している。
クローディアは恐る恐る聞いた。
「時間がないって、どういうこと? 魔法で姿を変えているから、その魔法が切れて大変なことになるとか……?」
「だから俺は本物だって。魔法なんか使ってねえって」
彼は困り顔でそう言った後、ふと表情を改めた。そして、本物の彼――ランドルフにしか言えないセリフを口にする。
「……もうすぐ俺とお前の『ひみつ婚』の期限が来る」
「えっ?」
「俺とお前が『ひみつ婚』をしたのは、九月十九日。今日はその半年後、三月十九日だ。俺たちの『ひみつ婚』は、あと十分で終わりが来る」
ランドルフはまた時計に視線を向けながら、続ける。
「俺たちが『ひみつ婚』をした神殿で、今、ジルが通信の魔導具を持って待機してくれてる。日が変わるまでにクローディアが俺の求婚を受け入れてくれないようなら、その時は『ひみつ婚』の書類を処分するように頼んであるんだ。でも、もし求婚を受け入れてもらえたら、すぐにジルに連絡して、書類をそのままにしてもらう。……俺たちは正式な夫婦になる」
正式な夫婦になる、と聞いた途端、クローディアの心臓がどきんと大きく鳴った。それと同時に、壁にかけてある時計の秒針の音がやけに耳につくようになる。
(『ひみつ婚』の書類、まだ処分してなかったの……? それに『ひみつ婚』が正式なものになる日がいつだったかなんて、私、すっかり忘れてたのに……)
クローディアはこの城に戻ってきてから「ひみつ婚」のことは誰にも話していない。だから、この「ひみつ婚」についてここまで詳しく語れるのは、辺境騎士団の人だけのはずだ。
ということは、この人は本物のランドルフなのか。夢でも、幻でも、魔法でもなく、本物の――。
「あなたは、本当に本物のランドルフなの?」
「ああ、本当に本物だ」
クローディアはぐいっと涙を拭うと、改めてランドルフの顔を見つめた。
ランドルフもじっとクローディアを見つめ返してくる。窓から差し込む月の光がランドルフの真剣な表情を静かに照らしていた。
「クローディア。お前がいなくなってからずっと、俺はお前のことばかり考えてた。あれだけ大切だったはずの『救いの天使』を思い出せなくなるくらい、ただひたすらに、お前のことだけを想ってた。お前がいないとダメなんだって、やっと分かったんだよ」
ランドルフは何かが吹っ切れたような、そんな顔をしている。
「お前のことが、本気で好きだ。これ以上お前が傍にいないのは耐えられない。だから、頼む。……俺と、結婚してください」
懇願するようにランドルフが頭を下げた。
カチ、コチ、と時計の音が部屋に響いている。
クローディアはまたも零れ落ちそうになる涙をぐっと堪えつつ、ゆっくりとランドルフの方へと足を踏み出した。そうしてランドルフの目の前に立つと、クローディアは震える声で尋ねた。
「あなたは、私を一番大切に想ってくれますか?」
ランドルフはその質問にはっと目を見開いた。それから、ふっと笑みを零す。その顔は今までクローディアが目にした中で、最も優しい笑顔だった。
「もちろん。……俺の、一番大切なお姫様」
クローディアは目の前にいるランドルフに抱き着いた。ふわりと寝衣の裾が舞い、柔らかい風に桃色の毛先が小さく揺れる。
「私ね、私を一番大切に想ってくれる人と結婚するって決めてたの。だから、私、あなたと……ランドルフと結婚する」
クローディアはそう言って、ランドルフの胸元に頬をすり寄せた。するとランドルフが今度こそクローディアを離すまいと、強く抱き締めてくる。少し苦しいくらいのその抱擁が彼の必死さを表しているような気がして、クローディアはつい笑みを零してしまった。
けれど、その抱擁を邪魔するかのように小さなもふもふ竜が割り込んでくる。
「ランドルフ、クローディア! 結婚するって決めたなら、早くジルに連絡するんだぞ! 急がないと日が変わっちゃう!」
ヴァルターはクローディアの机の上に置いてあった通信の魔導具を持ってきて、二人の間でジタバタする。そして、魔導具をランドルフの顔にむぎゅむぎゅと思いきり押しつけ始めた。
「ほら、早く早くなんだぞ! 早くしないと書類が処分されちゃう! 間に合わなくなっちゃう!」
「分かってるって! こら、魔導具を人の顔に押し付けるな! ヴァルター、ちょっと落ち着け……っていうか、え、これ、どうやって使うんだ?」
ランドルフがヴァルターの手から魔導具を奪って、弱り切った顔になる。
その様子を見て、クローディアは思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
 




