43:一番大切な人(5)
クローディアは通信の魔導具を受け取ると、魔石がきちんとセットされていることを確認してボタンを押した。三回ほど呼び出し音がした後で通信が繋がり、魔導具の向こうからジルフレードの声が聞こえてくる。
『それで? 求婚の結果は?』
ランドルフが答える。
「ちゃんとクローディアに受け入れてもらえた。だから、書類はそのまま神殿に預かってもらってくれ」
魔導具越しに『了解』と短く返事が届いた。
ジルフレードはこちらからの連絡をずっと待っていたのだろう。ほっと息を吐く音が聞こえる。
それから間もなく、時計の針が零時を示す時が来た。
三月二十日。ランドルフとクローディアの「ひみつ婚」が今この瞬間、正式な結婚へと変わった。
『……ランドルフ、クローディア姫。ご結婚おめでとうございます』
ジルフレードのお祝いの言葉が届いた。それに続き、ヴァルターも小さな羽でぴこぴこ飛び回りながら祝福の言葉をくれる。
「くふふ、くふふ! 結婚おめでとうなんだぞ!」
ランドルフとクローディアは、そのお祝いの言葉に揃って「ありがとう」と答え、それから目を合わせて微笑み合った。
なんだかいろいろと遠回りしてしまった気はするけれど。
やっと大好きな人と一緒にいられる未来を手に入れることができたみたいだ。
(これからはずっとランドルフの傍にいられる。私は、ランドルフのお嫁さんになったんだから……)
ひとまずほっとしたけれど、ここで「ん?」と首を傾げる。
正式な夫婦になったとはいえ、このままランドルフがクローディアの部屋にいるのはまずいのではないだろうか。だって、ここは王女の部屋。普通に考えて、辺境騎士団の団長が夜中に入り込んでいい場所ではない。
誰かに見つかったら、たぶん大変なことになる。
ランドルフもそう考えたらしい。窓の下に誰もいないかどうかを確認するようにヴァルターに頼み、外へと送り出した。ヴァルターは「おれさまにまかせろ!」とご機嫌で飛び出していく。
部屋に二人きりになると少しだけ緊張した。ぎこちない動きをするクローディアの頭を、ランドルフがぽんぽんと優しく撫でてくれる。
「またすぐに会いに来る。今度はちゃんと手続きをして……お前の正式な夫として、お前のことを迎えに来るから。十日……いや、一週間ほど待っててくれ」
「うん、待ってる」
素直に頷くと、ランドルフがふっと嬉しそうに笑った。彼はクローディアの頬を両手で優しく包み込み、額にひとつキスを落とす。
不意に落ちてきた柔らかくて温かな感触に、ぶわりとクローディアの顔が熱くなった。
甘くとろけるようなランドルフの視線に心が震える。
穏やかな夜の森のような優しい香りに、ドキドキが止まらなくなる。
「クローディア、可愛い」
ランドルフは甘い声で囁いて、クローディアに顔を近付けてきた。クローディアはそっと瞳を閉じてその時を待つ。
先ほど額に落ちたあの感触が、今度は唇に落ちてきた。
(あったかい……)
温かくて、ちょっとくすぐったい。
もっともっと触れていたくて、続きをねだるようにランドルフの服をきゅっと握ってしまう。
けれど、軽く触れただけのそのキスは、ちゅっという音とともにすぐに離れていった。
「ランドルフ……?」
「続きは、また今度な」
ランドルフは少し顔を赤らめてそう言った。
そこに、周囲を確認し終えたヴァルターがぴょこんと窓から顔を出す。
「誰もいないんだぞ! 今のうちに帰るんだぞ!」
「あ、ああ」
ランドルフはクローディアの頭をもう一度優しく撫でた後、窓の外へと出て行った。ここへ来た時に使ったロープを伝って、ゆっくりとクローディアから離れていく。
淡い月の光に照らされた彼の姿が見えなくなるまで見送ってから、クローディアはそっと唇に指を添えた。
――唇に残る熱は、まだ冷めない。
ふと空を見上げる。
夜空に浮かぶ月は少し欠けていて、けれどとても明るく見えた。そんな月を囲むように満天の星が広がっている。キラキラと光る星たちは、小さいけれど月と同じくらい綺麗だった。
ふわりと柔らかな春の風が、熱いままのクローディアの頬を撫でていく。それはまるで、自然がクローディアの結婚をお祝いしてくれているかのようだった。
約束の一週間後。
改めて城にランドルフがやってきた。
ランドルフは謁見の間で、クローディアと共に国王の前に立つ。その手にクローディアとの婚姻を証明する書類を持って――。
クローディアが「ひみつ婚」をしていたことに全く気付いていなかった父は、突然現れた「クローディアの夫」に目を丸くしていた。もちろん母も兄も同じように目を丸くしている。
「まさか、クローディアが『ひみつ婚』していたとは……」
父が眉間を押さえて小さく唸った。大きな窓から差し込む光がその悩ましげな顔を照らしている。クローディアは隣に立っているランドルフの黒い騎士服をきゅっと掴んだまま、父を見つめた。
父も母も兄も、クローディアを手放してしまった過去を悔いていて、もう二度と遠くへは行かせないと決めていたらしい。クローディアが結婚した後もこの王都で暮らせるように手を打つつもりだった、と。
けれど、クローディアはふるふると首を振り、にこりと微笑んでみせる。
「お父様、お母様、それにお兄様。私、分かったの。私が幸せになれる場所はここじゃないって。だから、私は辺境へ帰ります」
「クローディア、しかし」
「ごめんなさい。もう決めたことなの」
心配そうな顔をしている家族の目の前で、堂々と胸を張り、クローディアは宣言する。
「私は、辺境で、大好きな旦那様と一緒に生きていきます!」
今まで育ててくれてありがとうございました、とぺこりと頭を下げる。父とそっくりな色をした髪がさらりとクローディアの肩を滑り落ちた。
しばらく誰も何も言わない沈黙が、謁見の間に落ちる。
やがて諦めたような父のため息が零れた。この国において「ひみつ婚」を無下に扱うわけにはいかない。「ひみつ婚」で結ばれた貴族も多いからだ。ここでクローディアの婚姻を認めなければ、そういった貴族に何を言われるか分からない。
少し悔しそうな、けれどどこかほっとしたような顔で父が笑った。
「……分かった。彼と一緒に、これから先の未来を生きていきなさい」
「うん! ありがとう、お父様!」
クローディアはぱっと顔を輝かせ、ふにゃりと微笑む。その幸せそうな顔を見て、父もうんとひとつ頷くとランドルフに向き直った。
「辺境騎士団の団長ランドルフと言ったな。クローディアは私の大切な娘だ……頼んだぞ」
「はい、必ず幸せにします」
ランドルフは国王に深く一礼をすると、クローディアに手を差し出した。クローディアは迷わずその手に自分の手を重ねる。
明るい日の光の差す謁見の間を、ランドルフに手を引かれながらクローディアは歩いた。赤い絨毯の上を進み、大きな扉の前まで来ると、一度だけ振り返る。
父と母、そして兄が、きらびやかな空間には似合わないような寂しい顔をしていた。けれど、温かな眼差しでクローディアを見送ってくれている。
クローディアは一国の王女にふさわしい綺麗な礼をして、ランドルフと一緒に謁見の間をあとにした。




