29:目覚める力(4)
「くふふ。ランドルフはもう大丈夫なんだぞ! というわけで、おれさまはもう一仕事してくるんだぞ!」
ヴァルターはランドルフの様子を見て満足そうに頷いた後、小さな羽をぴこぴこさせて、診療所の外へと出て行こうとする。クローディアは慌ててヴァルターを止めた。
「待って、ヴァルちゃん! 今、外は大変なことになってるの。魔物が近付いてきてるから、まずは急いで逃げないと!」
「クローディア、心配はいらないんだぞ? おれさまは竜なんだぞ?」
ヴァルターはもふもふの手で自分を指しながら、当然のことのように言う。
「竜だから、ちょっとブレスを吐いてくるんだぞ!」
「ブレス……?」
「そうなんだぞ! もふもふ竜のブレスは魔物をやっつけることができるの。くふふ、おれさま、とっても強い竜なんだぞ!」
そんなの信じられない。信じられるわけがない。
だって、魔物はとても大きいし、こんな小さなもふもふ竜の攻撃なんて痛くもかゆくもなさそうだ。やはり逃げるべきだとクローディアがヴァルターを捕まえようとした、その時。
「クローディア。ヴァルターを行かせた方がいいかもしれない」
ランドルフがそう言って、クローディアの腕を掴んだ。
「俺も聞いたことがある。魔物を倒すのに竜のブレスが有効だと」
「そうなの……?」
「今の状況をできるだけ詳しく教えてくれ。魔物はどこにいる?」
ランドルフは大怪我から回復したばかりだというのに、すごく冷静だった。クローディアから話を聞き出して魔物の位置などを把握すると、あっさりと結論を出す。
「よし、ヴァルターのブレスに賭けよう。ヴァルター、魔物三体……いけるか?」
「おう! おれさま、余裕なんだぞ!」
元気よくもふもふの手を上げたヴァルターの頭を、ランドルフが少し乱暴に撫でた。それから、ぽんとその小さな背中を押して送りだす。
「行け。でも、危なくなったらすぐに逃げろよ」
「おう!」
小さな青いもふもふ竜は、ぴこぴこと羽を動かして外に飛び出していった。クローディアは心配で心配でたまらなくて、思わずその後を追いかけようとしたけれど、ふらりとよろめいてしまう。
「きゃあ!」
「クローディア!」
ランドルフが抱き留めてくれたおかげで、転ばずにすんだ。けれど、すっかり気が抜けてしまったせいか、一人でまともに立つことができない。ぷるぷると足が震えているクローディアを見て、ランドルフがふっと笑った。
彼は当たり前のように、ひょいとクローディアを横抱きにする。
「とりあえず避難するか。お前に傷ひとつつけるわけにはいかねえし」
クローディアはぎゅっとランドルフにしがみつきながら、眉をへにょりと下げた。
情けない。ランドルフを助けようと思っていたはずなのに、これではクローディアの方が助けられているではないか。
でも、ランドルフの腕の中は温かくて安心した。ふんわりと、穏やかな夜の森のような優しい香りがする。その香りの中にいると、なんだか少し胸が苦しくなった。
(……好き。私は、この人のことが、やっぱり大好き)
クローディアは泣きそうになりながら、ランドルフの肩に頬をすり寄せる。
「行くぞ」
ランドルフがクローディアを抱っこしたまま、診療所の外に出た。小さな通りの向こう側、先ほどよりも近い位置に魔物の姿が見える。
夜の闇を蹴散らすように、魔物の傍で炎の柱が燃え上がっていた。ぱちぱちと何かが爆ぜる音に混じり、魔物が咆哮する声が聞こえる。
焦げ臭く、生温い風。
じっとりとした重苦しい空気。
そんな中、すっと線を描くように夜空を駆ける小さな竜が見えた。小さな青いもふもふ竜は、大きな魔物を恐れることなくまっすぐに突っ込んでいく。
間違いない、あれはヴァルターだ。
魔物は地上の人間を追い回すのに夢中なのか、空にいる小さな竜には気付いていない。
ヴァルターは魔物の真上まで辿り着くと、そこでぴたりと止まった。
次の瞬間。
ヴァルターのいる場所から、綺麗なキラキラしたものが放出された。そのキラキラは勢いよく魔物に降り注ぐ。
「ヴァルちゃんの、ブレス……?」
クローディアは目を見開いて、その光景を見つめた。ランドルフも同じように、魔物に降り注ぐキラキラを呆然と見つめている。
そのキラキラはどうやら氷の粒が集まってできているようで、生温い空気が急激に引き締まっていく。
魔物はキラキラに触れた瞬間、空気が震えるほどの叫び声を上げ、キラキラから逃れようと闇雲に暴れ始めた。けれど、ヴァルターはそれを許さず、さらに追撃のキラキラを魔物にお見舞いする。
しゅうう、と魔物の体が溶けるように消え始める。ヴァルターのブレスは三体の魔物を完全に消し去るまで、何度も何度も空から吐き出されていた。
ひとつ、ふたつ。魔物の影が次々と消えていく。
それから間もなく三体目の魔物も、その姿を消していった。
「ヴァルちゃん、すごい……」
クローディアがぽつりと呟くと、ランドルフも黙って頷いた。いつの間にか炎の柱も消えており、あたりには冬の冷たい風が舞い戻ってきている。
ランドルフはクローディアを抱き直すと、魔物がいた場所に向かって歩き始めた。一歩、また一歩と近付くたびに、凍てつく空気に包まれる。
魔物がいたはずの場所は、白く輝く氷でいっぱいになっていた。はあ、と息を吐くと、すぐに息が真っ白になる。しばらくゆっくりと周囲を確認していると、ランドルフが何かに気付いた。
「……ジル!」
急にランドルフが走り出したので、クローディアは慌てて彼にぎゅっとしがみついた。彼がその足を止めると同時に、クローディアもはっと息をのむ。
ジルフレードが壊れた家の壁にもたれたまま、意識を失っていた。だらりと下がった腕からは、赤い雫が伝い落ちている。
「ジル! しっかりしろ、ジル!」
ランドルフはクローディアを下ろし、すぐさまジルフレードの傍に膝をついた。意識を失ったままのジルフレードの頬を、彼が軽く叩く。けれど、ジルフレードは固く目を閉じたまま、反応ひとつしない。
クローディアはぺたんとその場に座り込んだ。
ジルフレードがクローディアとランドルフを逃がすために本気で戦ってくれていたことを思い知る。この金髪眼鏡の副団長はクローディアを信じてくれていた。ランドルフのことを任せても大丈夫というくらいに、きっと、心の底から信じてくれていた。
それなのに、クローディアは何もできずにただ戸惑うだけで、役立たずのままで――。
違う。
まだだ。
まだ、クローディアにはできることがあるはずだ。
震える手のひらをじっと見つめる。そして、クローディアはゆっくりと顔を上げた。




