27:目覚める力(2)
「ランドルフが、怪我をしたの……?」
騎士団の事務室にクローディアの声が響いた。クローディアの足元に立っているヴァルターは、きょとんとした顔で黒い瞳をぱちぱちと瞬かせている。
窓の外はもう真っ暗で、闇が静かに広がっていた。その窓を背に立っているジルフレードが深刻な面持ちで頷く。
「とりあえず状況を確認するため、現場に行ってこようと思います。クローディア姫はシンシアたちと一緒にこの騎士団で待機していてください」
「嫌! 私も行く!」
クローディアはぶんぶんと首を振った。ランドルフが怪我をしたと聞いて、じっとなんてしていられるわけがない。
涙目でジルフレードを見上げ、もう一度「私も一緒に行く」と訴える。
けれど、ジルフレードは頷いてはくれなかった。
「ダメです。私はランドルフから貴女のことを頼まれています。危険にさらすわけにはいきません」
「でも」
「大丈夫ですよ、きっと。ランドルフは“狂狼”なんですから」
そう言うジルフレードの声は少し震えていた。夜の事務室に、しんと冷たい空気が満ちていく。
こういう事態は初めてなのだろう。今の騎士団はどこか不安定だ。
ジルフレードは黒い騎士服の上にグレーのコートを羽織り、クローディアを置いて部屋から出て行こうとする。そんな彼の腕を必死に掴んで、クローディアは再度訴えた。
「私も行く! 危ないところには絶対近付かないようにするから!」
「クローディア姫、手を離していただけますか」
「ジルさん、お願い! ランドルフに会いたいの!」
一生懸命懇願したけれど、クローディアの手はジルフレードにするりと外されてしまった。ジルフレードは言葉もなく、ただ眼鏡の向こうから感情を消し去った碧の瞳を向けてくる。
冷たい視線にクローディアの体が震える。恐い。今までで一番恐い。
でも、クローディアは諦めなかった。ヴァルターを抱き上げて、ぎゅっとその小さな体を抱き締めながら、勇気を出してまた口を開く。
「お願い、ジルさん。私をランドルフのところへ連れて行って。私は、仮だけど、ランドルフのお嫁さんなんだよ?」
「クローディア姫……」
「怪我をした旦那様のところにお嫁さんが行くのは当たり前だよね? それなのに、なんで行ったらダメなの?」
ジルフレードは「お嫁さん」「旦那様」という言葉に、少しだけ瞳を揺らした。クローディアを連れて行くべきかどうか、迷いを見せている。
クローディアは一歩前に足を踏み出し、まっすぐにジルフレードを見上げながら、さらに畳みかける。
「私、ランドルフには言ってないけど……言えないけど。でも、ランドルフのことが好きなの。大好きなの。愛する旦那様のところへ、私は行きたい」
ジルフレードは驚いたように目を瞠り、そして降参したとばかりに苦笑した。
「『愛する旦那様』ですか。……しかたないですね。ならば、すぐに支度をしてください。一緒に行きましょう」
「ジルさん! ありがとう!」
クローディアはぺこりと頭を下げると、急いで出かける準備を始めたのだった。
魔物が出たという東の森までは、馬車で一時間ほどかかるという。
夜の闇を裂きながら、クローディアたちを乗せた馬車は全速力で駆けていく。
(ランドルフ、無事だよね。怪我なんて大したことないよね)
クローディアは胸の前で両手を組み、ひたすらにランドルフの無事を祈る。足ががたがた震えるのは、馬車の中が寒く冷え込んでいるからだろうか。それとも、馬車のスピードが速すぎて揺れているせいなのか。
馬車の窓から見える景色は、殺伐としていて寒々しかった。馬車の前を照らすわずかな明かりが、葉を落とした木々の黒い影を映し出す。どこまでもどこまでも、その寂しい景色は続いている。
クローディアと一緒に馬車の中にいるジルフレードは、御者を務める騎士に馬車の中から時折何か指示を出す。けれど、それ以外は何も言わず、険しい顔のままクローディアの向かいに座っていた。
そんな中、唯一元気そうなのは――。
「馬車、とっても速いんだぞ! おれさま、びっくり!」
もふもふ竜のヴァルターだった。まだ今の状況をよく分かっていない小さな子ども竜は、馬車の速さに目をまん丸にしている。クローディアの膝の上に乗って、背伸びをしながら外を眺め、たまに小さな羽をぴこぴこ動かす。
そこに不安な様子はなく、まるで悪いことなんて何も起きていないと信じているみたいだった。
やがて、東の森に一番近い村に到着した。
もう真夜中という時間帯。それなのに、村の中はやけに騒がしかった。そこかしこに明かりがつけられ、異様な雰囲気に包まれている。
魔物が来る!
逃げろ!
騎士様が苦戦している!
そんな人々の悲痛な声が溢れる中、クローディアたちはランドルフがいるという診療所へと走った。
「ここです」
ジルフレードが民家とそう変わらない大きさの建物を指した。
クローディアはこくりと頷き、診療所の扉を開ける。
騒がしい外とは違い、診療所の中はしんと静まり返っていた。ぼんやりとした明かりに照らされた室内に、いくつかのベッドが並んでいるのが見える。
つん、と消毒液のような臭いが鼻をついた。
一番端、窓際のベッドに、見慣れた藍色の髪を見つける。
「ランドルフ!」
クローディアはまっすぐに窓際のベッドへと駆け寄った。そして、ベッドに横たわっているその人の顔を覗き込む。
そこにいたのは、確かにランドルフだった。
けれども、その表情は苦悶に歪んでしまっている。意識は混濁しているようで、クローディアが傍にいることにも気付かない。痛みに耐えているかのようなうめき声が、彼の口から漏れている。
「ランドルフ……」
クローディアは、ランドルフが生きていることにひとまず安心した。
最悪の事態になってなくて本当によかった。ランドルフの手を握ると、その手の温もりが伝わってきて、なんだかほっとしてしまう。足から力が抜け、クローディアはへなへなと床に座り込んだ。
そこに医者がやってきて、ランドルフの状態を教えてくれた。
どうやらランドルフは仲間の騎士をかばって怪我をしたらしい。背中に魔物の爪痕がひとつ、大きく残っているのだそうだ。傷は深く、出血はかろうじて止まったものの、まだまだ油断はできないという。
「これから熱が出ると思います。額に濡らした布を乗せて、冷やしてあげないといけません」
医者の言葉に、クローディアはすぐさま反応した。
「それ、私がやる!」




