20:救いの天使(1)
十二月も半ばになった、ある日のこと。
クローディアは頬を膨らませて、大きな声で訴えていた。
「だから、私は別にランドルフのこと好きじゃないって言ってるのに!」
その訴えをうんうんと頷きながら聞いているのはシンシアだ。彼女は調理室で料理の下ごしらえをしながら、クローディアの相手をしてくれている。
「なんかややこしい関係だとは思ってたけど、ますますややこしいことになってるのね。まあ、ランドルフって剣の腕はいいけど、恋愛方面はまるでポンコツだから」
シンシアがそう言って、苦笑する。くるくると野菜の皮をむく手は止まることがない。
さて、なぜクローディアが、今こんなに膨れっ面になっているのかというと。
全てはここ最近のランドルフの言動のせいだった。
ピクニックに行った日の夜、「俺のことは好きになるな」とランドルフは念押ししてきた。だから、クローディアも素直に彼の言葉に頷いてみせたはずなのだけど。
その次の日から、ランドルフはわざとらしいくらいよそよそしくなった。話しかけてもすぐに話を終わらせようとするし、クローディアが触れようとすると避ける。
なんでそんな意地悪をするのかと聞くと、「これ以上好きになられたら困るから」と返された。
いや、そもそも好きじゃないと訴えたけれど、全然信じてもらえなかった。
微妙な関係のまま――半月ほどの時が過ぎてしまった。
「ねえ、シンシア師匠。また前みたいにランドルフと仲良くするには、私はどうしたらいいと思う?」
「仲良くって……今も夜は一緒に寝てるんでしょう?」
「うん」
クローディアは頷きつつも、不服そうに口を尖らせた。
「でも、前みたいにランドルフは話してくれない」
寝ようと思ってランドルフの寝室を訪れると、既に明かりが落とされており、ランドルフは背を向けて眠ってしまっているのだ。話しかけても無反応。
しかも、朝になってクローディアが目を覚ます頃にはベッドにいない。それまでは、寝る前にたくさん話をしてくれたし、絵本だって一緒に読んでくれたのに。
「私、寂しい」
ぐすんと鼻を鳴らすクローディアを見て、シンシアは複雑そうな顔になった。それから、ぽつりと呟く。
「ランドルフは、たぶん恐いのよ」
「何が?」
「これ以上近付いて、クローディア姫のことを好きになってしまうのが」
「……え? ランドルフは、私のことを好きだなんて言ったことないよ? 私がランドルフを好きになったら困るとは言ってるけど」
シンシアの言うことがランドルフの言うことと全然違うので、クローディアは困惑した。
シンシアはひとつ小さく息を吐き、続ける。
「ランドルフ本人も自覚してないと思うわよ。というか、自覚したくないのかも? あいつには……あいつの中には、既に一番大切な存在がいるから」
「一番大切な存在? あ、ランドルフが言ってた『心に決めた存在』?」
クローディアが身を乗り出して尋ねると、シンシアはこくりと頷いた。
「そう。『救いの天使』という存在が、ね」
皮むきを終えたシンシアが、野菜のかごを持って立ち上がる。
「『救いの天使』については、あたしよりもジルの方が詳しいと思うわよ。聞いたらいろいろ教えてくれるんじゃないかしら。……さてと、おしゃべりはここまで。あたし、そろそろ調理に入らないといけないから」
「あ、うん! シンシア師匠、いろいろ聞いてくれてありがとう!」
「どういたしまして」
ひらひらと手を振って見送ってくれるシンシアにぶんぶんと手を振り返しながら、クローディアは調理室を出た。廊下をとたとたと小走りになって進み、ジルフレードを探す。
(『救いの天使』かあ。ランドルフの『心に決めた存在』……)
なんとなく胸の奥がもやもやしてくる。なんでだろう。
クローディアは胸に手を当て、口をへの字にしながら廊下を走る。そして、騎士団の事務室で、ようやくジルフレードを発見した。
「ジルさん!」
「ああ、クローディア姫。どうしました?」
机で何やら作業をしていたらしいジルフレードが顔を上げた。
クローディアが近付いて机の上を覗くと、そこにはやたら数字が並んだノートが置かれていた。どうやら経理に関するもののようだった。
何気なくそれを眺めていたら、計算が間違っている箇所があることに気付く。クローディアはその個所をちょんと指でさして、こてりと首を傾げた。
「ここ、間違ってるよ?」
「……確かに」
ジルフレードが眼鏡をくいっと直し、その間違いを認めた。改めて計算をやり直して、正しい数値に修正する。
「計算が合わなくて、おかしいと思っていたところだったんですよ。ありがとうございます、クローディア姫。助かりました」
「ふふふ、よかったね!」
「……それにしても、クローディア姫が数字に強いとは思っていませんでした。こんな風にさっと見ただけで間違いに気付くなんて、すごいですね」
「すごくないよ。お城にいた頃、こういうのいっぱい勉強させられたけど……先生たちはあまり褒めてくれなかったもん。もっと賢くならなきゃダメだって」
クローディアが自信なさげに言うと、ジルフレードがとんでもないとばかりに首を振った。
それから、ジルフレードの眼鏡がキラリと光る。ちょっと恐い。
「クローディア姫、こちらの書類も見ていただけますか?」
「うん」
ジルフレードが渡してきた書類には、またしても数字がたくさん並んでいる。
クローディアはじっと書類を見つめ、「あ」と声を上げた。
「ジルさん。これはここが間違ってるの」
「……クローディア姫、さすがです。貴女は隠れた逸材だったのですね」
「逸材?」
「そうです。この騎士団は、ずっと前から事務仕事が滞りがちだったんです。魔物と戦える騎士を確保するのに精いっぱいで……でも、できるだけ早くきちんとした事務ができる人を迎えなくては、と思っていたんですよ」
急に饒舌になったジルフレードに目を瞬かせていると、ぎゅっと力強く手を握られた。
「クローディア姫、お手伝いをお願いできますか。これは、貴女にしか頼めないことなのです」
「……私、もしかして役に立てる?」
「もちろんです。この騎士団には、貴女のような人が必要なのです」
クローディアはぱあっと顔を輝かせた。
「私、お手伝いする! 役に立つ人間になりたいもん!」
「素晴らしい! クローディア姫、ではさっそく、こちらの書類から……」
ジルフレードはクローディアを椅子に座らせると、目の前の机にどさどさと書類を積み始めた。あっという間に高くなった書類の山を前に、クローディアの口がぽかんと開く。
「ジルさん、これ、全部……?」
「はい、お願いします。本当に困ってるんです、助けてください」
ジルフレードが真顔で言い、ペンを渡してくる。
クローディアはへにょりと眉を下げつつも、そのペンを受け取り、覚悟を決めたのだった。
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