19:ふんわりシフォン(7)
「プレゼント?」
ランドルフが怪訝な表情を浮かべ、クローディアを見る。
クローディアはこくりと頷いて、寝衣のポケットから小さな包みを取り出した。その小さな包みをランドルフに見せつけながら、えっへんと胸を張る。
「ふふふ、これがあれば、狼にぺろりと食べられなくてすむの!」
「は?」
「じゃーん、シフォンケーキ!」
包みを開くと、ふわりと甘い香りが広がった。クローディアは包みの中からシフォンケーキを一切れつまみ出すと、それをランドルフの口元へ持っていく。
「はい、あーん」
そう、そもそもクローディアがシフォンケーキを作ろうと思ったのは、狼の食欲を削ぎたかったからだ。
これでランドルフのお腹が満たされれば、クローディアは食べられない。
食べられなければ、この先も安心して一緒に寝られる。
なんて完璧な計画だろう。今こそ、その計画を遂行するべきだ。
そう思っていたのに。
「いやいやいや、待て待て待て」
ランドルフが真っ赤になって後ずさりした。ベッドの端まで下がっていき、壁に背を預けるような格好になる。
「お前、狼に食べられるって意味が本気で分かってなかったんだな!」
「え? 分かってるよ。狼はランドルフなんでしょ?」
「ああ、そこまでは合ってる」
「食べるってことは、お腹がすいてるってことでしょ? だから、大好物のシフォンケーキがあればお腹いっぱいになって、私を食べなくてもよくなるよね? そうしたら、一緒に寝ても大丈夫になるの」
「うん、そこの認識がやっぱり間違ってる」
ランドルフは遠い目になった。
「これは、俺がクローディアを子ども扱いしすぎたせいなのか? というか、そもそも俺が男として見られてねえのか……?」
「なに一人でぶつぶつ言ってるの? いいから、早く食べて?」
クローディアはシフォンケーキを持ったまま、ランドルフにじりじり近付いていく。
「はい、あーん」
もう一度差し出すと、ランドルフは赤い顔をより赤く染め、本当にしぶしぶといった様子で口を開けた。
クローディアはその口にシフォンケーキを放り込む。
その時、ランドルフの唇にほんの少し指が触れた。指先に彼の熱を感じてしまい、クローディアの頬もなんだか熱くなってくる。
(あ……まただ)
ピクニックの時と同じように、とくん、とくん、と心臓が大きな音を立てている。クローディアはランドルフの唇に触れてしまった指を胸元に引き寄せ、もう一方の手で包み込んだ。
なんだろう、このドキドキ。
風邪?
風邪だったら大変だ。一緒に寝たらランドルフにまでうつしてしまう。
クローディアは慌ててランドルフから離れようとした。
けれど、クローディアの腕をランドルフが捕まえる。
「クローディア」
「ひゃあ!」
離れるどころか強く引き寄せられてしまい、クローディアは思いきりランドルフにしがみつく羽目になった。ランドルフはクローディアを腕の中に閉じ込め、耳元で囁いてくる。
「なあ、お前、本当に俺のこと、少しも意識してねえの?」
ランドルフの掠れたような声が耳の奥に響いたその瞬間、クローディアの身体が無意識にびくりと震えた。
「あ、あの、ランドルフ……離して」
「ちゃんと質問に答えたら離してやる。お前、俺のことどう思ってるんだよ」
「ど、どうって」
「男として見てねえの?」
何を言っているのだろう。
ランドルフは――どう見ても男性なのに。
「え、ランドルフは男の人でしょ? ……実は女の人なの?」
「そんなわけねえだろ。というか、微妙に質問に答えてねえな、お前」
「なんでちょっと怒ってるの……って、きゃあ!」
ランドルフの腕から逃れようとすると、ベッドにころんと仰向けに転がされた。そのままランドルフが上から押さえつけてきたので、身動きがとれなくなる。
部屋の明かりはついたままなので、こちらを見下ろすランドルフの顔がよく見える。
彼は――今まで一度も見せたことのない表情をしていた。
鋭い光を宿した翠の瞳。
今の彼は、まるで獲物を前にした狼みたいだった。
目を逸らしたくなるけれど、なぜか逸らせない。
とくん、とくん、と鳴っていたはずの心臓は、今やばくばくと早鐘を打っている。
「ラ、ランドルフ、だめ。私……」
こんなに激しい動悸がするなんて、これはもう風邪で間違いないだろう。顔も熱いし、頭もぼんやりしている気もするし。
大変だ、ランドルフから一刻も早く離れないと。彼に風邪をうつしてしまう。
それなのに、クローディアは動けなかった。
ランドルフがふっと優しく笑って、頬を撫でてくれたから。
「なあ、クローディア。狼に食べられるっていう意味、ちゃんと教えてやろうか……?」
頬を撫でたランドルフの手は、少しひんやりしていて気持ちよかった。そのまま大人しくしていると、ランドルフの指がゆっくりとクローディアの唇をなぞる。
その指の動きはまるで宝物を扱っているかのように優しい。ドキドキは止まらないけど、不思議なことになんだか安心する。
大丈夫、ランドルフは恐くない。
風邪はうつってしまうかもしれないけど、許してもらおう。
クローディアはふにゃりと微笑んで瞳を閉じ、そのまま身を委ねようとした。
「……クローディア。お前、もう少し頑張って抵抗しろよ」
「え?」
ぱちりと目を開くと、そこにはいつも通りのランドルフがいた。彼は大袈裟にため息をついて、やれやれと首を振っている。
「というか、なんで流れに身を任せようとするんだよ。そんなに素直に俺の行動を受け入れるなんて、食べてくださいって言ってるようなもんだろ。なんだよ、お前は本気で俺に食べられたいわけ?」
「ええっ?」
ランドルフときたら、さっき大好物のシフォンケーキを食べたはずなのにもうお腹がすいたのか。そんなにクローディアがおいしそうに見えるのか。
「ランドルフは、とんでもない腹ペコさんだったのね……。あ、もう一個、シフォンケーキ食べる?」
「ここまでやっても、お前には全然響かないんだな……」
ランドルフは半眼になりつつ、クローディアの上から身体を退けた。
「まあ、さっきのでお前が俺のことをどう思ってるのかは、はっきり分かった」
「え?」
「お前は俺に心を許しすぎてる。だからこそ、ここでもう一度言っておく」
ランドルフはクローディアの目をじっと見つめ、真剣な声音で告げた。
「俺には既に心に決めた存在がいる。だから、俺のことは好きになるな。いや、好きだと言われたら普通に嬉しいんだけど……でも、俺は、その気持ちにたぶん応えてやれないから」
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