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第三話 天才少女とジャンカー少年、暴力女とこんなメンバーでやってます無人島生活

 そこは真っ白な壁に包まれた世界だった。

どこまで行っても白、白、白一色。気が狂いそうなくらいに清潔なようで、実際は驚くほどに醜悪と感じるのは何故だろう。

ただ風景として見るなら、まさしく殺風景な光景だ。

自動ドアをくぐっても白。廊下も床も白なら、扉も白だ。

そして通り過ぎる謎の人も、やっぱり白い肌。しかも髪の毛どころか体毛が一本もない。

これまた白い簡素な服だけを身につけている、坊主頭の少女だか少年だかは、辛うじて肩に刺青のような刻印が刻まれていることで個性を示していた。

算用数字のゼロだ。しかも斜めに線が入っている。その横には七の記号も見えた。

うつろな瞳でただひたすら歩いているその人は俺とすれ違うが、目はなんの反応も示さないまま、廊下のさらに向こうの部屋へと黙々と歩いていく。

「ナナ……」

誰かがそんな風に声を発した。多分この視点の主なんだろう。

どうやら俺は、誰か他人の見た光景を追体験しているらしい。


呼びかけられる声を聞いても、よちよちと歩くそいつは、振り返りさえしなかった。

ただブツブツと言葉を発する。

「機械に命が生み出せるはずがない。だとしたら我々は一体なんなのだ。私には大事な半身が欠けている。私はその心のかけらが欲しい……」

それは呪文のように無感情な呟きだったが、その中性的な外観を持つ子供の、心の慟哭を示しているようだった。

その声でようやくその子が女の子らしいとわかる。だがその声は女の子にしては酷く低いものだ。


そして廊下の端に辿り着いたそいつは、一度だけ振り返った。

「一足先にゼロに会いに行くよ、ナイン。いつかキミを迎えに来る」

その言葉を発したと同時に突然床が開いて、彼女はそのままどこかへと落ちていった。

それをずっと見つめている俺、の視点。

その子は次に、自分のてのひらを見つめた。その小さめの子供のようなてのひらに、ぽつりぽつりと落ちた水滴は……涙?

機械音が響くと同時に、その子が顔を上げる。

そこにはさっきの無毛の子ではなく、あのロボが迫ってくる。

「すけて……誰か、助けて!」



「うわぁぁぁぁ!」

俺は思わず体を跳ね上げていた。

立ち上がった俺は、そのままゴミの山に突っ込んでいきそうになって、そこでなんとか止まる。

「なんなのだ……朝からうるさいのだ」

背後から聞こえる声とともに、小さい子の軽い蹴りが入って、俺は本当にそのまま転倒しそうになったが、それはなんとか踏ん張って堪える。

うむ、健康体の俺は強い。以前の太って腰痛持ちの体なら、そのままゴミ山に突っ込んで、激痛にのたうち回っていたことだろう。

「ちょ、それ冗談でもやばいからな!」

俺はプリプリ怒りながら、ソファに並んで眠っていたサッちゃんとミノリのほうを振り返った。

「一体なにがあったんです?」

ミノリが寝ぼけまなこをこすりながら言うので、俺はそれを思い出そうとしたが、どうにも記憶が曖昧だ。

「いや、なんか不気味な夢を見ていた気がする……」

「夢などというあいまいなものにセンチメンタルになるとは、コウくんは随分とナンセンスなのだな」

「ほっといてんか……」


 さて、あの夜三人目の来訪者と出会ってからの話に戻ろう。

俺たちはとりあえずアジトに戻って、残っていた弁当をサッちゃんにあげることにした。

彼女は強烈なヘッドランプを照らしながら、俺たちの寝床でガツガツと飯を貪った。

「……ふう、朝からなにも食べていなかったのだ。それよりもキミらの名前をまだ聞いていないのだ」

少女は、散々飲み食いした末にこんなことを言い出した。

彼女の名前は「撮札册」。もうどんなネーミングセンスだという感じだが、とりあえず俺たちはサッちゃんと呼ぶことで落ち着いた。

「俺はコウ、こっちはミノリだよ」

簡単に挨拶すると、彼女は教授とはぐれてしまった自分の事情を語った。

どうやら彼女は大学生で、歴史考古学を学んでいるらしい。

自然が多く残るこの島には、研究とバカンスを兼ねて訪れたそうだ。

なんだそれという話だが、まあこの世界では飛び級があるんだろうな。


 そんなわけで、俺たちは夜も遅いということで、その日はそのまま休むことにした。二人がけのソファに三人はちょっと狭いが、まあサッちゃんは小さいのでなんとかなった。

右端にミノリが座って、その隣にサッちゃん。左端が俺という川の字だ。

周囲は異様なほどに静かだったが、気を張りつめていた俺はやはり中々眠れなかった……と見せかけて、実際はぐっすり眠っていたらしい。

そりゃただの引きこもりニートが、いきなりこんなことになってしまったら疲れもするさ。


 にしてもなんだったんだ、あのやけに生々しい夢は。

なんて思っている間にも、サッちゃんは俺をじろじろと観察していた。

サッちゃん、年齢は十四歳。ショートボブの髪型は全部が銀色である。が、顔の作りは日本人のそれだな。

やけに分厚いメガネをかけているが、目が悪いわけじゃないらしい。

よく見ると実に女の子らしい体つきなのだが、しかしそれは白衣によって全て隠されていた。

頭のヘッドランプはまあいいとして、白衣の下にちらちら見えるそのガンホルダー、ちょっと気になるんですが。

「この世界では銃の所持は合法なのか?」

「そんなわけはないのだ。キミも随分変わっているな」

「この人、記憶喪失らしいんです」

「記憶喪失の割には随分別の方向に事情通なようなのだ。全然おどおどしたところがない」

ミノリのフォローに即答でそんなセリフを返すとは、中々鋭い観察眼だ。

まあ、これ以上自分の事情を説明するのも面倒だし、説明したところで伝わるかどうか自信がない俺は、適当に笑ってごまかすことにした。

「これは護身用のエアガンなのだ。改造してあるから百科事典くらいは撃ち抜けるが、試してみるかね」

ガチッと引き金を引きながら構えるその銃は、小さい手指にはまるでしっくりこないものだ。

というか護身用でエアガン持ち歩くのは合法だっけか?

「いや結構。まあ事情はわかったよ。しかし、これからどうすればいいか」

「決まっているのだ。港に行って状況を確認しよう」

サッちゃんはよっとソファから腰を上げ、両手を前に突き出してうまいことバランスを取ると、すたすたと表に歩き出した。

「ちょ、マジかよ。危ないだろ」

「だがここにいても食料もないし飢えるだけなのだ。ロボットがどこに行ったのかもう帰ってこないのか、それを確認するためにも偵察は必要だ」

「しかしもし捕まったら……」

サッちゃんはくるりと振り返ると、肩を竦めて

「武器ならその辺にあるのだ。さっさと来るのだ」

そう言って指差したのは、部屋の隅に立てかけてあったミノリの木刀と、元からここにあったデッキブラシだった。

ミノリは逡巡しながらも木刀を手に取った。

おいおい、俺は猪八戒かよ。

まあいいや、危なくなったら逃げてやろ。逃げ足だけは速くなったしな。

「女子を置いて一人で逃げようとか、思ってはいけないのだ」

なんだよ、こんなちびっ子に心読まれているのか、俺は。

しょうがなく俺は、大人しく頷いてからサッちゃんの後ろについて外に出た。


 すっかり夜が明けた外は、少し霧は出ているが視界は悪くなかった。

まずは港が見えるほうに歩いていって、遠くを見据えるサッちゃん。

「ほんとに静かになりましたね……」

不気味なほどの静寂を見せる港町に、俺は視界を巡らしてみたが、人っ子一人ロボット一体動いているようには見えなかった。

「その辺のコンビニで食事をかっぱらうことにしよう。案内するのだ」

「かっぱらうとか、言葉がよくないな。教育に悪い」

だがよく考えたら、この中で一番高学歴は彼女か。

まあ前世の分も合わせれば、知識は俺のほうがあるような、いやもう学生時代なんて遙か過去で知識なんて全然ないような。

それでなくても、ここ数年はネットとゲームの世界だけで生きていたしな。

そんなことを考えていたらすっかり取り残されて、遠くでミノリがこちらを振り返っていたので、俺は慌てて二人を追った。


 コンビニのカウンターで朝食を済ませてから、俺たちはそれぞれペットボトルの飲み物を一つ腰にくくりつけると、港のほうへと降りていった。

サッちゃんが小さいおかげで、たまに瓦礫の段差を通るのに苦労した。

そっと抱き上げて降ろしてあげたり、あるいは引っ張り上げるのだが、その度に体がちょっと触れる。

白衣に隠されてはいるけど、やっぱりサッちゃんの体は女の子らしくて柔らかい。

最近の、ではなく異世界の女の子も発育はいいようだ。

彼女もあと数年でミノリみたいになるのか。

「しかしこのあたりも爆撃は散発的だな。なんでこんな中途半端なんだ」

俺は破壊された町並を見ながら、ぽつりと呟いた。そりゃあ破壊され尽くしていたら、俺も生きてはいなかっただろうけど。

ミノリは軽く首を傾げるだけだが、ここでそれまで寡黙気味だったサッちゃんが口を開く。

「爆撃は見せしめ効果程度だろう。本当の目的はウィノチップの機能停止なのだ。それで我々は文明の利器から完全に分断されてしまうからね。誰の仕業か知らないが、現代人にとっては実にいやなやり口だ」

「ウィノチップ?」

聞き慣れない言葉に反応すると、分厚いメガネに隠された目が丸くなっていくのが、サッちゃんの表情からはっきりとわかった。

「ウィノチップを知らんとは、一体キミは何時代の人間なのだ」

「えー、あーはい。いろいろ記憶が欠落しておりまして」

俺は素早く釈明したが、それを聞いていないサッちゃんは、いきなり俺の膝裏に、ほとんど効果のない足蹴りを食らわしてくれた。

「あのー、なにをそんなにお怒りで?」

「いいからちょっとしゃがむのだ」

しゃがませようとして蹴り食らわすってちょっと酷くないか。まあ細い脚で女の子の蹴りだから、俺の若くて頑強な脚相手では痛いとも感じないんだが。

「蹴りはやめなさい蹴りは」

言いながら俺はしゃがむ。すると唐突に伸びてきた腕が、俺の着ているシャツの首筋をめくった。

「きゃあ、なにするの」

「気持ち悪い声を出すのはやめるのだ。ふむ、やはりウィノチップがないな……」

「え!? そこまで変な人だったなんて……」

俺の首をとんとんと弄り回しながら、深刻な様子で語るサッちゃんと、さらっと失礼なことを言うミノリ。

「ウィノチップってなんなんだ? ウールマークみたいなもんか?」

「そのマークこそなんなのだ? ウィノチップとはこういうものだ」

そう言ってサッちゃんが後ろを向くと、白衣とアンダーのグリーンのシャツをめくって、自分の背中を少しだけ露出させた。

短い髪が揺れて、少しだけそこにかかる。

そして細い体のラインの向こうに、ほんの少しだけ垣間見える胸の膨らみ。

「どこを見ているんです?」

「いや、ははは……」

ミノリに鋭く指摘されて、俺はやっとそこに焦点を合わせた。

首筋のところに、小さく光る異物が埋め込まれている。

「なんだこれは……生体チップか?」

俺は思わずその突起に手を伸ばしていたが、指が触れる前に振り返ったサッちゃんに、その手を払われてしまった。

「キミの記憶喪失は相当深刻なようなのだな。それも先祖帰りを起こしているのかというほど古風な言葉が出てくる」

先祖帰りって意味違うだろ、と言いたくなったが、まあそう言われても仕方ない。

「で、それはなんなんだ? 政府か宇宙人に埋め込まれて監視されているとか……」

「わかった、キミは間違いなく過去からタイムスリップしてきた人間なのだな? 言うことがあまりにも常識はずれだ」

「過去からタイムスリップ!?」

ミノリが横で驚いている。大した慧眼だよサッちゃん。全部読まれてら。

素直に言うべきか、それともごまかしたほうがいいのか……。

「ま、それはともかく」

ええんかい。さっさと話を切り換えたサッちゃんは語り始める。

「ウィノチップというのは、ようするに統一された小型コンピュータ規格の総称だよ。この世界ではありとあらゆる電子機器にウィノチップが搭載されている。船や飛行機などの乗り物から、家庭用のレンジやポットといった家電製品。勿論ロボットにも、そして人間にもね。その人間に埋め込まれているものは、キミの言う生体チップのようなものと考えていいだろう。人間に埋め込まれているものが他と違うのは、生活に最低限必要な端末としての機能しか搭載されていないということだ。個体識別や位置情報の分析などには使わせないように、何重にもプロテクトがかかっているのだ」

「じゃあなにができるんだ?」

「そうだな、遠隔地との通話メッセージのやり取り、ナビゲーション、翻訳、情報の検索、ネットワークへの接続その他といったところなのだ」

「なんだケータイか」

「ケータイ?」

微妙にイントネーションがずれた言い方をするミノリ。その言い方だとケイタくんの胃だ。誰だケイタくんって。

「ふむ、キミは本当にエスエフ世界から飛び出してきた、本の中の人かも知れないのだな」

いやどっちかというと、こっちが本の中なんじゃないだろうか。

いやそれもないな。俺にとってはかつての世界もこちらの世界も、現実以外のなにものでもない。

これがVRかなにかだったら、俺はいつでも現実を捨てるぞ。いやもうとっくに捨てていたが。

「確かにケータイと呼ばれる端末が使われた時代もかつてあったがね。しかしそんな時代はすでに学術書の中だけの話だよ。今は面倒を省くため、端末を個人個人の体内に埋め込んで活用するのが普通なのだ」

「ならそれ使ってみてくれよ……って、機能停止させられたんだっけか」

「そうなのだ……あの日の爆撃の直前に、空が赤くなっただろう。あれはウィノチップを破壊する特殊な磁界を発生させたことで起こった現象なのだ。新しいものを埋め込み直さないと、もう各種機能を使うことはできない」

ミノリは話を聞きながら、ついに頭を抱えだした。

どうもこの娘は頭の出来が相当残念そうだ、というのはそろそろ俺にもわかってきた。

「電磁パルス攻撃みたいなもんか。埋め込み式のターミナルじゃ防磁シールドにも限界あるだろうしな」

「電磁パルス攻撃とはまた古風な名称が出てきたな。かつてはその脅威が散々議論されたらしいが……いや、まさに今回のケースはそれだな。一体誰がこんな手の込んだことをしたのか、全くわからんのだ」

はい、古い人間ですみません。

おっさん話題が古いと言われたことはちょくちょくあったが、ここまで自分が時代遅れになってしまっているとはな。いやもしここが未来世界なら当たり前なんだが。


 そんな会話を挟みながら、俺たちは無人の港町を見て回った。

倒壊している建物や焼失した場所などもあるが、しかし町並はそのまま保存されている小さな町。

そこはゴーストタウンのようにひっそりとしていた。

「誰かー、誰かいませんか?」

ミノリはいつしか声を上げて、人を呼んで回るようになる。

それを見てサッちゃんと俺は顔を見合わせたが、とりあえず今は過剰に警戒してもしょうがない。

どうせ姿を見せて歩いている時点で、俺たちはいい的になっているだろう。狙撃する奴もいないとは思うが。

ただサッちゃんは白衣の下に心持ち手を移動させて、ミノリからは少し離れて歩くようになった。


「ひっ!」

と、突然ミノリが声を上げたのでそちらを見ると、人間とそう変わらないサイズのキャタピラ型のロボットが、停止した姿で道路の真ん中に立っていた。

「……なんだ、ご奉仕メイドロボのヤスカさんじゃないか。驚くことはないのだ」

「なんだそのネーミングは。てか昨日のロボとどう違うのかわかんねーよ」

特に萌える外観でもなんでもない簡素なグレー色のメカの死体は、もえもえきゅっとか言ってくれることもなく、ただただ道路のかかしのようになってしまっていた。

「ここ……」

ミノリが反応したのは、ロボの腹の部分がぽっかりと空いていたからだ。

なんだヤスカさん出産でもしたのだろうか。

「ん? バッテリーがごっそり抜かれているのだ。誰がこんなことを……」

「バッテリー切れで動かなくなったのか?」

サッちゃんは近づいてロボの中身を確認していたが、俺のほうを振り返ると、軽く首を横に振った。

「いやどのみちハイパーパルサーでウィノチップがやられて、この島の電子機器はほぼ残らず全滅だろう。当然自動人形の類も例外ではない。コンビニでも店員は動いていなかったし、きちんと遮蔽された場所にいた個体もほとんどいなかったろうから」

おいおい、この世界ではメイドロボがコンビニで店員やっているのかよ。

「当然なのだ、誰が店員などやるのかね? キミはお店屋さんごっこに憧れて人間店員を復刻しようとするマヌカリストかね?」

なんだマヌカリストって。しっかし未来世界はすごいな、やっぱり……。

「もっともコンビニのような対人店舗自体今では珍しい存在なのだがね。この島はレトロ雰囲気も半分売りの観光地だから、ああいった業種も成立するのだよ。本土では商品が陳列された店というのは今はあまり見かけない」

そういや通販に押されて、コンビニも最近は大分お客取られているって、ニュースでやってたっけな。

コンビニも未来世界では斜陽なのか。

けど、コンビニのおかげで俺たち食い詰めなくて助かっているんだから、そこは感謝すべきかもな。


 その時、街中に響き渡るような音で、バイクのような連続的な爆音が響き渡った。

「!?」

「なんなのだあれは」

「バイクかなにかか……?」

「なんだ、バイクだって? それはまた古代趣味な代物の名前が出てきたのだ。コウくんらしいといえばらしいが……」

「バイクってなんです?」

バイクくらいでそこまで言われることになるとは。しかもミノリは存在すら知らないらしい。恐るべしカルチャーギャップ。

「行ってみよう。けど、行動は慎重に」

俺は二人に合図するが、その間もブボボボボとあのうるさい音はやまない。

俺は半分耳を塞ぎながら、かなり近い距離で二人と作戦を話し合った。

それでもほとんど声が聞こえやしない。まさか異世界に来てまで、あの忌々しい騒音に悩まされるとはな。


 すたすたと音が聞こえる方向に歩みを進める俺は、猪八戒スティックを片手にまっすぐそこへ向かった。

そのやや後方から、ミノリが木刀片手についてくる。

そしてサッちゃんはさらに後方から、銃をしっかり構えてって、おい喧嘩にでも行くつもりか俺たちは。

まあ掃除用具で殴ることもないだろう。殴ったところで、ブラシの毛先がちょっと痛いくらいだし。

そうこうしている間にも、エンジン音はさらにけたたましく鳴り響いていた。かと思ったら、パーンと乾いた音がしたとともに、急に静かになってしまった。

俺は後ろからついてくるミノリと顔を見合わせるが、ミノリと顔を合わせたところでなにがわかるわけでもない。

ええいしゃあない。俺は俊速を活かして一気にかっ飛ぶように走ると、エンジン音がしていた場所に急進した。


「あ……!?」

少し高めの声が響いたところで、俺は急制動をかけて滑る足を落ち着けた。

最後はデッキブラシをがっと地面に押しつけて止まったので、どこのプール磨きの清掃員だという格好になったが、まあそれはどうでもいい。

目があったのは、タンクトップと短パン姿のちょっと細身の兄ちゃんだ。

バサバサの茶髪を後ろだけ刈り上げているそいつは、俺の姿を見るとあからさまに警戒したような顔つきになる。

が、後ろからミノリが追いついてくると、少しその顔を柔和にする。

手に持っていたレンチをくるりと回すと、しかしそれをしまわずに俺に向けながら、そいつはぎこちない笑みを浮かべた。

「よ、よう。無事な人がいたんだな」

「さっきのバイク音、あんたかい?」

俺は猪八戒スティックを杖のように突きながら、周囲を見渡した。

 そこには、いかにもなサイドカーつきのバイクが鎮座していた。

俺の時代のものと比べると、随分とデザインセンスは違うが、やはりそれはバイクだ。

「おう、バイクを知っている人がいるんだな。よくぞ気づいてくれた。俺のこれはそんじょそこらの代物とは違うんだぜ。なんとウィノチップもパーセプトロンマシンも使っていない、正真正銘原始的手法を使ったマシンなんだ! 見てくれよこのエアー式じゃなくしっかり地面を噛んでいるゴム製のタイヤ。レトロ感たっぷりで惚れ惚れとするだろ」

「どうやら本当にコウくんと気が合いそうな御仁のようなのだ」

いつの間に回り込んだのか、そいつの後ろから現れたサッちゃん。

いや男と気が合いそうとか言われてもなあ。

だがそいつは突然の声にびっくりして、ぐるんと身を翻すと、サッちゃんに向かってレンチを投げつけようとした。

「!?」

タンクトップの後ろがばってんになっているそいつの腕が高く上がったので、俺は慌ててその腕をつかむ。

やけに細い野郎だ。力はなさそうなので、その手は容易に止められた。

「仲間だよ! 落ち着いてくれ」

「あ、ああ……なんだちびっ子か。驚かすなよ、てかさわんな」

ぺしっと俺の手を払って離れる男は、バイクにもたれるようにしながら、また警戒の視線を俺に向けた。

「ちびっ子とは、レディに向かって失礼なのだ」

あまり怒りを露わにしないで、不快感だけを表明するサッちゃん。

だがその男は、やっぱり俺を一番見ている。

なんだこの視線は……まさかそっちの趣味があるんじゃないだろうな。いや、というよりは俺を異様に警戒している風に見える。

「あの、私ミノリって言います。この人は記憶喪失のコウさん、そちらがサッちゃん。貴方は……」

「ああ、俺は良太だよ。飯召良太いいめし りょうた、十五だ」

「ふむ、良太よ。このバイクは動かないのだろうかね?」

「ああ、ロボットのバッテリーをかっぱらってきたんだけど、やっぱ無理があったな。かといってガソリンなんてこの辺じゃ手に入んないしな」

そうか、さっきのロボットの電池を抜いたのはこいつか。

「エネルギーの変換はどうなっている? 口金の形状は……」

二人は並んであれこれ話し始めたので、俺とミノリは少しだけ下がって、そんな二人を見守った。

「なにを喋っているのかちんぷんかんぷんです」

「まあなあ。しかしサッちゃんは随分と博識だな」

「古い機械技術も研究対象の一つではあるからね」

振り向きもしないで突然俺たちの会話に割り込んできたサッちゃんは、すぐまた良太とあれこれ会話を始める。

あんたは聖徳太子か。って言っても知らないか? この世界の人は。


そう言えば学生時代の歴史の授業って、古い時代ほど細かいのに、近代は全然やんないよな。

しかもその近代が、親父やじいさんの世代の時より俺のほうが、いやさらに子供の世代のほうが広がっているわけで。

界歴が西暦から名前が変わってつけられたものなら、俺がいた時代より七百年は経っているわけで、そう考えると歴史の授業なんて膨大な量になるんじゃないだろうか。

「二千七百年分の歴史を覚えるのも大変だろうなあ」

思わずぽつんと呟いた俺。

「あの、歴史の授業は必修じゃないですよ……」

即答のミノリ。

「なんだって? 未来の授業風景は一風変わっているなあ」

「あんなのとても授業じゃ覚えきれませんよ。それに大抵のことはウィノチップで検索すれば一瞬ですし」

「そうなのだ。最近は積極的に学問に力を入れない子供が多すぎて困る。漢字の識字率も下がる一方で嘆かわしい。全てウィノチップ頼みだ」

またサッちゃんが聖徳太子して、俺たちの会話に割り込んできた。

良太ははてなマークを浮かべていたが、すぐまた自分のほうに会話が戻って、そちらで話を進め出した。


子供が多すぎると言われても、あんたが一番子供だろと思うが、しかし彼女は本当に天才なんだなあ。

それと同時に、俺は昨日ミノリが漢字を読めなかった事実を思い出して納得していた。

これがケータイが当たり前になって、それどころか小型化が極まり体内に埋め込まれてなくす心配すらなくなった未来の常識になっていくのか。年寄りにはついていけませんなあ。

「てか、それじゃチップなくなったらすごい困らないか?」

「ええ、すごく困ってます……文字も読めない調べられない、知り合いや家族と連絡も取れないし、本当になにもできません」

「そもそもミノリって学校でなに勉強していたんだ?」

「それはその……実践流剣道とか」

なんだその物騒なネーミングは。しかしそれで木刀なんか持ち歩いていて、しかも指に剣だこがあるのか。

彼女はどうやら運動能力全フリの肉体派少女だったらしい。

となるとサッちゃんは勉学方面全フリ、良太は機械オタクか。

なら俺は……なんだ。一番退屈なバランス型かもしんないな。

いや、旧世代の教育は、ありとあらゆる基礎能力をバランスよく持たせてくれたのかも知れない。

改めて義務教育に感謝すべきだな。


「よし、早速取りかかるのだ。ミノリ、コウくんよ、君たちは食料を手に入れてきてくれないか。日が暮れる前にコンビニからかっぱらえるものをかっぱらってきて欲しい」

話がまとまったのか、サッちゃんが俺のほうを振り返る。

「それならいいもんがあるぜ。これも俺が復刻したんだ。荷物運びに便利な代物だ」

良太は立ち上がると、ガレージの方向に歩き出した。

「なにをやるつもりなんだ?」

俺がサッちゃんに聞くと、彼女は胸を張ってふんぞり返った。

思ったより膨らんでいる胸が強調されて、俺はいいものを見た気分になる。

「これからここで暮らすには、まず風呂を用意しないといけないのだ。そのためにはお湯を沸かす必要がある。そこでこのシステムを流用して、バッテリーで湯沸かし器を作るつもりだ。それと本格的に私たちが暮らす家も探さないといけないが、まずはとにかくお風呂なのだよ」

なるほど、やけに力説すると思ったら、彼女がぽりぽりと頭を掻き出した。自分が入りたいんだな。

「そうですね、私も熱いお湯に浸かりたいです……」

ミノリが控えめに同意すると、良太はガラガラとリヤカーを引いて戻ってきた。

いやそれは間違いなくリヤカーだ。この世界でこんなものを見ることになろうとは。

「これを使えば荷物も楽々運べんぜ。どうだ、惚れ惚れするほど原始的だろ。機械的要素が一切ないこの美しいフォルム、姉ちゃんたちに理解できっかなあ」

「ただのリヤカーじゃん」

俺は思わず良太の自画自賛に突っ込んでいたが、それを聞いた三人は、それぞれ微妙な顔をした。

「ふむ、さすが古代人の末裔だけはあるのだ。この人力カートの名称は、さすがに私も知らなかったな」

サッちゃんがさりげなく俺を傷つけることを言い、俺はまた自分がしくじったらしいことを知った。

「なんでもいいのだが、日持ちのする食料とできれば飲料水を中心にありったけ積んできてくれたまえ。良太よ、寝る場所はあるのだな?」

「ああ、家はぶっ壊れちまったけど、ガレージは無事だから、布団を運び出せば四人くらいは寝られるよ」

「ではその用意は帰ってきてからコウくんにやってもらうとして、我々は風呂の設営にかかるのだ。それから照明も欲しいな」

「ああそれなら……」

二人は仲良く歩きながら、あれこれ語り合いその場を去っていく。

俺はそれを見送りながら、なんだか気に入らないな良太の野郎と唇を尖らしていた。

その俺の手を、ミノリがつっつく。

「行きましょう。二人は大丈夫でしょう」

「そうだな」

俺はなんだか釈然としないまま、ガラガラ音を立てながら、やけに出来がいいリヤカーを引いて、ミノリと二人歩き始めていた。



「へっへっへ……二人きりになったな、もうこっちのもんだぜ」

「なにをするのだ良太よ、冗談はよすのだ」

「冗談ですむか、お前みたいなロリが俺の一番の好物なんだよ」

「幼女趣味は犯罪だぞ」

「つか年一個しか違わないだろうが、問題ない」

「やめるのだー……あぁ」


 はぁ? ふざけんなよ良太!

いきなり出てきてなにサッちゃんに手出してんだ。あの娘はまだ未成年だぞ。

いやそれを言ったらミノリもか。

中学生……いや大学生だな、いわゆる女子大生だ、サッちゃんは。なら問題はなにもないような気が、いやいや大問題だぞ。

俺はお約束の妄想から来る怒りで打ち震えていた。

「あのう、これも積みますか?」

ところに、ミノリから声をかけられて、やっと少し冷静になることができた。

「ん、ああ……そうだな。積んでしまおう」

もう何回ここにお世話になっただろうか。例のコンビニにやってくると、俺たちは言われた通りに日持ちのする食料を探し始めた。

まだお弁当コーナーに食材はたっぷりあったのだが、それはすでに消費期限が切れていた。

一日くらいは平気だと思うが、温暖な土地で冷蔵庫もないだけに、危険は避けたほうがいいだろう。どうせ明日にはもう完全にアウトだから、大量に持って帰ってもしょうがないし。

それでサッちゃんも日持ちのする食材を確保しろと言ったんだな。

しかし今気づいたが、未来でもコンビニという略称と店のスタイルはそのまま残っていたな。

考えてみれば不思議なものだ。それだけ生活に密着、定着した文化ということなのか。

残るならもっと他のもん残れよと思わなくもないが。


 そんなわけで、まずはお米の袋を担いで持ち出した俺たち。

次に缶詰やレトルトパックっぽい商品を探して、それをミノリと一緒に手分けして運び出し始めた。

続いてミネラルウォーターも積んでいくと、俺たちは汗びっしょりになってしまった。

さすがにこれだけの量となるとかなりの重労働だ。リヤカーもこころなしか車体が沈んでいた。


 にしても……やはり気に入らんな、良太の奴とサッちゃんを二人きりにして、なにか危ないことにならないだろうか。これだから男はいらないのだ。

いや、逆にこれはチャンスなのか? こっちだって二人きりじゃん。

俺は休憩をとって水を飲んでいる、濡れた制服がびみょーなレベルで透けているミノリを見遣って、少し心を落ち着けるようにした。

もうちょっと過激に透けてくれれば目の保養になるんだが……。

「どうかしましたか?」

「いいえなんでも」

俺は自分がものすごく勝手なことを言っているようなもやもやした気持ちを抱えながら、リヤカーを引いて港町の良太の家付近に戻ることにした。

もうお日様は頭の上のほうに来ていて、そろそろお昼時だ。

想像以上に重いリヤカーは、押しても引いても動こうとしやがらない。

そのあまりの重量感は、今の俺の心を嘲笑うかのようだ。

「ちょっと重すぎましたね、これ……」

「ああ、多分そうだね」

後ろから押してくれるミノリに生返事を返す俺は、あまりの進みの遅さに完全にやけになっていた。

リヤカー押しにひたすら力をこめることで、目先の問題を忘れようとしていたのだろう。


「随分遅かったな。陽が暮れるまで戻ってこないかと思ったのだ」

ひいひい言いながら、俺はやっとのことでリヤカーを押して良太の家のガレージ前まで来た。

さすがにミノリもふうふう言って汗だくである。

この時のミノリは俺が望む通りぐっしょり濡れて、かなりの色合いで下着を透けさせていたのだが、もはや下心など思い浮かぶ気力もありゃしない。

俺はリヤカーの引き手に上半身を埋めて、サッちゃんの顔を見上げる気力もなかった。

もしサッちゃんの首筋にキスマークがついていても、これでは気づかん。


とか考えたら、気力が涌いてきて思い切り顔を上げたが、そこには思った以上に近いサッちゃんの顔があった。

が、彼女に起こった変化といったら、顔にスミのような真っ黒な汚れがついていることと、白衣を脱いで全身を包み込むエプロンを着ていることくらいだった。

やけに肩がもこもこしていて妙なデザインの服だが、しかしサッちゃんはやはり可愛い娘だな。

ちょっと喋り方変だけど。そもそもまだ○学生の年齢だし。頭も意外と固そうだしな。

「これは良太に借りたのだ。いろいろ汚れ仕事をしたからね。良太は原始的な道具をいろいろ持っていて、私としても勉強になるよ。この島ではフィールドワークをする予定だったが、古代技術にここまで触れられるなら、こちらのほうが大歓迎だな」

俺は楽しげに語るサッちゃんにムッとしてしまったが、サッちゃんはそれに気づかずに俺たちを手招きする。

「昼食は良太が用意してくれているのだ。キミたちもさっさと来たまえ。それが終わったら布団の設置と水汲みだよ」

「え、まだ働かせるつもりかよ」

だが情け容赦がないサッちゃんは振り返ると、びしっと人差し指を俺に突きつけた。

「今晩寝るところもなく風呂にも入れず、そんな泥だらけ汗まみれの格好で眠るというなら、止めはしないのだ」

その言葉に反応して、ミノリが起きあがると、ふらふらおぼつかない足取りでそれでも前に進む。

風呂はそれくらい重要な要素らしい。ま、女の子ですし。

とか納得してる場合か。しょうがねえなあ、ほんとに。

とはいえいつまでもここで一人佇んでいてもしょうがないので、俺もなんとか重い腰を上げた。

良太が用意してくれた昼飯は、なんと乾パンだった……この世界でも変わらないんだな、乾パンの味って。


 さて素っ気ない昼飯を食ったあとは、風呂の設置である。

が、これはさほど問題はなかった。

庭の真ん中にどどんとドラム缶を設置するだけである。

よくこんなドラム缶があったもんだ。

どうやら良太の奴の古典趣味が功を奏したらしい。これは家に元からあったのだとか。

「ほんとは惜しいけど、断腸の思いで風呂に活用することにするぜ。露天ドラム缶風呂なんて、史料にも名称しか残ってない伝説の存在だからな」

「うむ、私も原理そのものは学んだが、実演となると初めてなのだ。天下の大泥棒はこの風呂に親子でゆっくり浸かったらしい」

「さすがサッち、博識だな」

いやそれ全然違うぞ。未来ではそんな風に伝わっているのか。というかこの世界普通に未来だな、もう。

つかなんだサッちって。早速愛称が短く略されてやがる。どんだけ親密になってんだよお前ら。

 俺はぶつぶつ言いながら、バッテリーで温めたお湯を引き込むチューブをドラム缶のフチに固定して、その横に照明のスタンドを立てた。正確には立てさせられた。

これくらい、ひょっとしなくても良太一人でできたんじゃないのかと思わなくもないが、それを言うのはもうやめておこう。

「あの、これ外に作ったら丸見えじゃないですか?」

ミノリが当然の疑問を口にするが、当のサッちゃんはそれがなにか? とでも言いたげな顔をしていた。

「露天風呂というのは露天、外にある風呂のことなのだ。囲いなどは邪道、星空を見上げながら入るのが一番なのだ」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「心配しなくても俺は紳士だから、姉ちゃんのこと覗いたりはしねえよ。そっちの兄ちゃんは知らないけどな」

歯を見せて余裕たっぷりに笑う良太に、俺はすんでのところで食ってかかりそうになった。

駄目だ、相手は子供だろ俺。

いい年して大人げないぞ……ここで攻撃的なところを見せたら、周囲からも一気に嫌われるだけだ、耐えろコウ。


 それから俺は、さらに布団の運び出しをさせられた。あの……リヤカー引いて疲れてんですけど。

俺たちが走って逃げた山手のほうに比べると、この海に近い港町、良太の家がある区画は、かなり酷く破壊されていた。

おかげで良太の家も酷い有様だが、倉庫になっている離れは焼け出されなかったために、衣類や寝具はなんとか使えるものがあった。

良太はあるものを適当にひっつかむと、それをぽんぽんと俺たちに投げて運ぶように指示した。

なんとか四人分の布団と枕を運ぶと、俺たちはガレージにビニールシートを敷いて、さらにそこに布団を置いた。

これでソファで仮眠からは脱却できそうだ。あまりいい環境という感じでもないが。

「ほらよ、家族の服で悪いけど、替えの服を持ってきたよ。サッちにあうサイズの服もあると思う」

「おお、ありがたいのだ。着たきりスズメは辛かったので、そろそろ洗濯したかったのだ」

着たきりスズメって言葉は未来でも残っているんだな、などと平和に考えていたら、俺は良太が投げてよこす服を見て絶句した。

「おい、なんだよ。俺の服だけなんでこんなデザインなんだよ!」

「しゃあねえだろ、男物の服であんたのサイズのものなんて、この家にはほとんどないんだから」

「良太のは細身だから無理なのだな」

「そういうこと」

たまんねえなおい。俺は絶望的な気分で、その白に青と赤の水玉があしらわれた、昭和かというセンスの衣装を手にして絶望した。

「なにも着るものがないよりは……ましですよ」

ミノリの慰めは全然慰めになっていない。

「イチゴパンツよりはましか」

俺は思わずつぶやいていたが、それはミノリのローキックを誘発してしまった。


 そして夕暮れに近い時間がやってきた。

「では改造湯沸かし器を使ってみようじゃないか。その前に、無事な上水道から水を汲んでくるのだ」

水の確保は思ったよりも楽だった。水道施設自体は人気のない山手の場所にあり、爆撃の対象にならなかったらしく、破壊されていなかったからだ。

それに水道網自体はウィノチップに依存する設備を使用していないため、ウィノチップが破壊されても問題ないらしい。

最もそれは今のうちだけで、浄水施設のシステムが止まって、いずれは水質が問題になるかも知れない。


俺たちはバケツをそれぞれ探し出し、町にある水道をひねって、出てきた水を交替で汲んでは、タンクの中に流し込んだ。

それをバッテリーに変換器をかましたバイクのエンジンで温めて、お湯にしてドラム缶に流し込むという寸法らしい。

これ、ホースで水引いてきたらもっと早かったんじゃないだろうか。

くたくたに疲れてから気づいたが、あとの祭りだったので、俺はあえてみんなには言わないでおくことにした。

明日どこかでホースを探すか。


「そういえば、良太はどこに隠れていたのだ?」

「ああ、俺は家の地下室に隠れていたんだ。家族は本土に行ってたから、家に居たのは俺一人でさ。昨夜はすごい騒ぎだったけど、だんだん静かになったから、それで今朝出てきたんだよ」

賢明といえば賢明な判断か。

しかしそのおかげで、良太も爆撃のあとなにが起こったかは、詳しく知らないらしい。

頼りにならない奴だぜ、けっ。

「どうしたんです?」

サッちゃんと話している良太にこっそりと毒づいている様子を、ミノリに見られてしまった。

なんでもないとごまかすのに苦労した。


 いや、決して俺が変な独占欲を剥き出しにしているとか、そんなんじゃないんだ。

どうも良太の視線がずっと気になる。

あいつはサッちゃんとは仲良くしているし、ミノリに対しても朗らかだ。

なのに俺にだけは、何故か冷たい視線を投げかけてくる。

なにが気に入らないのか。

俺としてはそんなにあからさまに男はいらないという本性を露わにしているつもりはないのに、だ。

いやそれがばればれで嫌われているのか?

いやいやそんなことはないな。あいつは最初から俺を嫌っている。

そんなわけで壁を感じた俺は、どうにも不機嫌だった。

かつては人間関係の最底辺に置かれ、友だちなどほとんどいなかった俺だが、それでもやっぱり理由もなく嫌われるのは腹が立つぞ。


 ごごごと音を立てながら、簡易湯沸かし器が動き出した。

やがてチューブをつたって流れてくるのは、間違いなくお湯だった。

「おお、適当に作った割にはちゃんと動いたのだ」

「おかげでバイク一個駄目にしちまったけどな。まあ生活優先するしかないか」

二人で感動している姿が、やっぱり憎らしいぜ。

「ではレディファーストで早速使わせてもらうのだ。ミノリ、ゆっくり裸のつきあいと行こうではないか」

「え、うん……でも」

「心配ない。もし二人が覗いた場合は、二度とそんな気が起こらぬほどのお仕置きを用意してある」

「おいおい……」

「じゃあ二人が終わったら俺がつかわせてもらうよ。あんたは最後な」

良太の勝手な言い分に、俺はついにムッとした顔を全開にしてしまった。

「こういう時くらい年上に譲れよ、こっちだって疲れてんだ。譲る気はないぞ」

「図々しいな、俺のバイクで作った風呂だぞ」

負けていない良太が食ってかかるので、俺も不快感を全開にした。くそ、いくらなんでもそこまで言われる筋合いはねえよ。

「男は男同士で一緒に入ればいいのだ。ドラム缶は二人でも十分な大きさになっている」

「うぇ!?」

サッちゃんの提案に、俺たちは珍しく声を揃えて難色を示した。のだが、当のサッちゃんはさっさとミノリを押して、着替えを取りに行ってしまった。

その背中がくるりと振り返る。

「二人は半径百メートルから離れているのだ。動くものを見たらエアガンの餌食になると思っておくべし」

決して笑っていないサッちゃんの声が、夕暮れ時の町中に響き渡った。

「……」

取り残された俺たちは、途方に暮れたままお互いを見合ったが、すぐに視線を逸らした良太につられて、俺もふんと顔を背けた。

だが、いつまでもこうしていていも気分が悪い。これはいい機会かも知れない。

「しゃあない、聞きたいこともあったんだ。風呂くらいつきあえよ」

俺が言うと、良太は信じられないものを見たような顔で、いよいよ俺に攻撃性を剥き出しにして挑みかかってきた。

「はぁ!? ふざけんなよ。誰がお前、なんかと……」

尻すぼみに声を小さくする良太を置いて、俺は大人しく半径百メートル向こうに引き下がった。

「ちょ、待てよ、おい!」

だが風呂に入る用意を終えたらしいサッちゃんとミノリが帰ってきて、エアガンを振って威嚇すると、仕方なく良太も俺の後ろを黙ってついてきた。



「サッちゃんって意外と発育いいよね」

「なにを言うのだこの乳まんじゅうが。ミノリの成長ぶりは常軌を逸しているのだ。脳の全てが胸にいっているんじゃないのか」

「もうっ、こんなの剣道するには邪魔なだけなのに」

お湯をかけあいながら、二人して並んでいるサッちゃんとミノリ。

サッちゃんは頭の上にタオルを置いて、メガネを上向きに上げている。

ミノリは湯船から漏れ出すかのようなボンバーおっぱいが、水面をゆらゆらと揺れ動いていた。

そばには丁寧にたたんだ服。一番上にはイチゴと水玉のパンツ。

二人はドラム缶風呂に身を沈めながら、互いの距離だけで見える細部をあーだこーだと言い合う。

「ふむ、私も少しは女らしい体つきになったと思っていたが、ミノリを見ていると自信をなくすな」

「サッちゃんももう少ししたらもっと成長するよ。ちゃんとご飯食べていれば」

「だといいのだ。少なくとも毛は生えて欲しいものだ。ふむ、そろそろ茹だってきたな……」

「だーめ。あと十は数えて」

「子供ではないのだ。少なくともミノリよりは物事の道理も人生も知っているつもりだぞ」

「だよねえ。私なんてまだ子供なのに……」

「もういいだろう。物事はなんでも程々が一番なのだ」

ざぱっと音を立てて湯を大分はみ出させると、サッちゃんが先に湯から上がった。

真っ暗闇ではシルエットも見えないが、そのラインは年齢からすると限りなく美しい女のラインを持っていた。

だが行動は幼子とあまり変わらない。

ぴょんとジャンプすると、ドラム缶の横に置いた階段状の台を駆け下りて、濡れた体から水滴を大量に滴らせながら、バスタオルを手にとってゆっくりと柔肌に当て始めた。

追いかけるようにミノリが立ち上がると、サッちゃん以上に湯を波立たせて、爆裂ちちぶくろが暴力的なほどにぶるぶる揺れて上下した。

「あー、ここはムシムシしているから、お風呂は気持ちいいなー」

「全くなのだ。さて」

ぱち、と突然サッちゃんはヘッドライトを照らすと、周囲の索敵を開始した。

突然の灯りに、ミノリは思わず隠れきらないと知りつつも、自分の体の重要箇所を手で覆おうとする。

「きゃ、ちょっとサッちゃん!」、

「ふむ、外敵はいないようだ。あの二人は案外意気地がないな」

「そんな意気地はいりません!」


うへへへ……妄想するだけならただだもんな。

しかし意外とこの妄想、実際に起こっているかも知れないな。我ながらリアリティたっぷりだ。

「なにいやらしい顔してんだよ……」

横で良太が呆れ顔で見ているので、俺は慌てて居住まいを正したが、それは時すでに遅かったらしい。


「良太、コウくん、こんなところにいたのかね。お風呂空いたのだ。仲良く入ってくるがいい」

「お先に……お風呂の水とか飲まないでくださいよ」

「誰が飲むか」

失礼なことを言うミノリと、サッちゃんの二人が、俺たちを呼びにやってきた。

湯上がりでほかほかの二人は、暗がりでは見え辛いが、新しい服に着替えていた。

サッちゃんはお腹のあたりにポケットがついた割烹着のような白い服。

ミノリのほうはやけにミニで裾がカールしている変なスカートに、体のラインがしっかり見える白い服。

なんだそのめくってくれと言わんばかりの格好はと思ったが、本人も違和感を覚えるのか、裾を押さえて気にしている。

良太の家族ってどんな趣味なんだろうな……つかサッちゃんはそこまでして白衣にこだわるのか。

「じゃ、行くか良太。裸のつきあいに」

「ちょ、離せよ……わかった、わかったから」

俺は嫌がる良太をずるずると引きずると、ドラム缶風呂のほうへと引っ張っていった。


思えばこれが、悲劇の始まりだった……。

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