第二十一話 外層都市
「人間って、なんで? グールの次は人が襲ってきてるの?」
信じられないと、怯えをその眼に色濃く表した真桜が、ぼそりと呟く。
「……うん、アタシも今知ったばかりだけど、あの赤い霧――街を取り囲んでいるのは、志麻霧市に住む移人の脱出を阻むだけじゃなかったんだぞ」
「だけじゃないって、なんだよそれ……どういうことだ?」
不意打ちで語られた事実に、思わず上ずった声を上げる綜。
そんな綜に、言い辛そうにしながらも、意を決して口を開くヴィー。
「転移してくる志麻霧市の対策に、事前に設置してあった策は一つじゃないんだぞ。この街を取り囲んでるのは赤い霧だけじゃない、街の外側、脱出したその先にある多重の――バームクーヘン状に配置されてる、複数の街を越えなくちゃいけないんだぞ」
「なんだよ、それ!? 街って……この世界のかよ!?」
突然知らされた新しい事実に、呆然と呟くしかない綜。
その自失した様子から目を逸らすように、ヴィーは淡々と語り続ける。
「この街を取り囲んでいる赤い霧の次に位置する廃都市、【奈落都市】、この廃墟の街からグールたちはやってきているんだぞ。そして……その先にあるのが、【煉獄都市】と呼ばれる混沌の街。今この街を襲ってるヤツらはそこから来たんだぞ」
「待ってくれヴィー、街を抜けたらゴールじゃなかったのか? なんでそんな!」
「……言い訳にしかならないけど、エイーシャ様は『街を出れたら』とは言ったけど、『どこの街』とは言ってなかったぞ……本当に、今更アタシが言うのもアレだけど」
「だからって……だああっ! 天然だとしたら抜け過ぎだろ、あの駄女神!」
怒りのあまり、つい目の前のヴィーに当たり散らしそうになる綜。
だが、ヴィー自身もその情報を知ったばかりだということに気付き、矛先をとりあえず大元である神霊に向け、怒りをぶつける。
「でも、そんな大事なこと……他に伝える手段は、なかったのかな?」
「情報をロックしてたのは胡散臭いし……あの女神が意図的かどうかは知らないけど、もしこの現場を高みの見物して、操作してるヤツが居るのだとしたら、箱庭であたふたしてるボク等を見るのはさぞ面白いんだろうねぇ」
両腕を掻き抱くと不安げに身を縮める真桜と、珍しく不機嫌さを隠そうともしない由宇。
そんな二人のいつもと違う様子を見て、綜は逆に腹を据えると、気を落ち着けるように深呼吸をした。
「ふう……何はともあれまずは情報、だろ? せっかくサポートが居るんだ、ヴィー、この街を襲ってるヤツらについて詳しく教えてくれ」
「う、うん、もちろんだぞ!」
サポートという言葉に顔を上げるヴィー、その瞳にも瑞々しい生気が再び宿った。
「煉獄都市の住人は……言ってみれば、表の世界で行き場を失った人々の集まりだぞ。この志麻霧市が出現する地域は、その周辺も含めてバークウェアの人間にはタブー視されて嫌われているんだ、例の【異郷の大炎】の後もしばらく手つかずのまま放置されてたから、モンスターの出現率も高いらしいし」
「つまり忌み地ってことだね、確かにそんなとこボクなら住みたくはないな~」
「由宇の言うとおり、だからこそ行き場の無い移人や貧民、犯罪者などのワケありから、果ては亜人や人外種との混血児まで。あらゆる規格外であふれた混沌の都市になってるんだぞ」
「そこの住人が今、街を襲ってる人間ってことか、まいったね……まったく」
グールの対処だけでも頭を痛めていた所に、予想外で想像以上に厄介な話を聞く羽目になり、綜は思わず現実逃避するように遠い目をする。
だが目に入るのは心癒す山並みなどではなく、相変わらず無駄に存在感を見せつける赤い霧と黒煙だ、その事実に更に不快そうに顔を歪める。
「それに加えてこの時期は、外から略奪者や請負人も侵入するらしいから、この街も今は、騒乱、動乱、混乱のお祭り状態になってるはずなんだぞ」
「略奪者に請負人?」
聞きなれない言葉に、疑問の言葉が真桜の口をつく。
「略奪者は強盗や人攫いをしてる連中のことで、規模が大きいグループは犯罪組織まで作ってる集団が居るらしいぞ。請負人は逆に、荒事を治める専門職で、民間の警備会社ってイメージが近いのかな……それぞれランクごとに登録されてて、治安維持が一応の仕事なんだけど、やることはかなり荒っぽいから気を付けるんだぞ。民間人がランサーのトラブルに巻き込まれる事例もかなりの頻度らしいから」
丁寧な説明で続くヴィーの言葉に、先ほど爆発を目にしたばかりの綜たちは肝を冷やす。
「マジかよ……それじゃ今のこの街は、一気に無法地帯になってるってワケかよ」
「なんで、そんなことに?」
「理由は至極単純なんだぞ真桜ちゃん、この志麻霧市には【お宝】が詰まってる。だからあいつ等は、それを奪いに来るのが目的なんだぞ」
予想外に飛び出した単語に反応を示す綜。
「ヴィー、お宝って?」
「綜、お前にとっては身の回りにあふれすぎてて、気にも留めないんだろうけど、ちょっと目を凝らせば見えるものなんだぞ」
「異世界だからね――それって……電化製品や書物、と言ったところなのかな」
ヴィーの問いかけに頭を悩ます綜をしり目に、由宇が簡潔に答えを出す。
「当たりだぞ由宇ちゃん、あのガレージの車だってそう、他にも地球産の食料やお菓子に玩具などの嗜好品も、こちらの富裕層には純正品ということで高く売れるんだぞ。略奪者にとっては千金に値するものが、この街にはゴロゴロと埋まってるってワケ、ヤツラにはこの街が黄金郷に見えるはず、だからこそ、この街に残された有限の製品を求めて我先にと、がむしゃらに奪いに来るんだぞ」
ヴィーの説明を聞きながら、考えていたことが綜にはあった。
グールの解放と街の襲撃が、時間的にズレていたことの意味、それは――
「もしかして……グールを街に放したのは、そいつらへの抑止も考えてのことなのか?」
「え――綜、もしかして頭打ったんだぞ?」
「……おい、なんだその『お前はアホの子じゃなかったっけ?』って意外そうな顔は?」
目をクリクリと忙しなく動かし、まさにハトが豆鉄砲を食らったような顔をしながら、見つめてくるヴィーに、ジト目を返す綜。
「あ……あはは~、いやほら昨日のこともあるし、綜ってば直情型で力押しのイメージがあったからね~、いやーゴメンだぞ」
「ったく、これでも一応、成績は良い方なんだぞ俺」
「兄さんは、基本的に何でもできるよね」
「うんうん、ボクも綜はできる子だと思うよ」
「へへん、分かってくれる仲間が居るってのは救いだねー」
「……むうっ」
綜自身を肯定してくれる真桜と由宇の二人に照れた表情を返し、あっさりと機嫌が直るのを見て、逆に頬を膨らましてむくれるヴィー。
「ふん、スペック高いと良いね~、色んな女の子と付き合えてさー――あ、ゴメーン、それはお前じゃなかったんだぞー」
「うおーい! 今のわざとだろ? 悪かったなぁ一人だけ、独りもんでさ!」
ニヤニヤと笑うヴィーに、無駄に大きいリアクションを返す綜。
そのやり取りに、今までの張りつめていた空気が和らぎ、息苦しさが軽減したのを由宇は感じていた。
「はい、漫才はそこら辺にして……ねえヴィー、抑止の話について詳しく話してよ」
上手く緊張をほぐすこともできたが、いつまでも緩んだ気持ちのままではいけないと、気を引き締めるために由宇は話を戻した。
「ん、そうだね……まず第一に勘違いしてもらいたくないのは、煉獄都市の住人は基本的に保守派が多いってことだぞ。表の世界で行き場を失った彼らは、煉獄都市で静かな生活を送ることを望んでる。グールであふれた街で強奪を働こうなんて無茶なこと考えるヤツは、そもそもまともじゃないし、あくまでも少数なんだぞ」
「……移人の口減らしを基本として、逆にグールが居るからこそ、外からの侵入者を牽制してるってことか? じゃあ逆にここに来てるのは、命の危険を冒してまで金品が欲しい、イカレたヤツらってことじゃねえか……それってマジで厄介だな」
「もしくは、グールなんて意に介さないほどの力があるのか……なんにしろ、忌み地に入ってまで、やるものかねぇ。それだけの欲深さ、ボクにはまだグールの方が本能で動いてる分、マシに思えるよ」
綜と由宇が眉じりを寄せ顔をしかめる、そんな彼らを見つめ、真桜が問いかけてくる。
「あの、邪魔をしなければ……見逃してくれたりとかは?」
「あのね真桜ちゃん、これははっきり言っておいた方が良いと思うから言うけど、この世界では【人】も売れるんだぞ」
「……っ!」
ヴィーの言葉を即座に理解し、想像したのだろう、真桜の顔は見る間に青褪めていく。
「可愛い娘は特に高く売れるらしいぞ、人身売買について規制する法律ももちろん存在はしてるけど、有名無実ってところだし、特にこちらの戸籍が無い移人は……」
「おいヴィー、そこまでにしとけよ、真桜が怖がってるだろ」
「綜も、男娼の方でなら、高く売れるハズで――」
「うぉい! その話やめろよお前はー! ほんとに、マジでさー! ほらっ鳥肌!!」
「わっ、ちょ! わ、分かったぞ! もう……泣くこと無いのに」
前腕に、びっしりと浮き出た鳥肌を見せつけ、涙目で迫る綜に顔を引きつらせるヴィー。
そんな滑稽な二人と、すっかり怯えてしまった真桜を見て、軽く嘆息する由宇。
「はあ……とにかく、いつまでもここで話し込んでても埒が明かないよ、取りあえず車で移動しよう。あれなら多少の悪路でも大丈夫だし、もしこれから道路が破壊されたり、封鎖でもされたら、移動もままならなくなるよ」
「確かになあ、まず優先するのは、この街からの脱出ってことか」
「うん……そうだね」
由宇の提案に同意を示す綜に倣い、真桜とヴィーの二人も頷く。
「よし、それじゃあボクらはガレージに戻ろう!」
全員の意見が揃ったことを確認すると、由宇は新たな一歩を踏み出すべく号令を上げる。
ガレージへと続く山道、そこから綜はもう一度街を見回した。
その脳裏によぎるのは、学園生活を共に過ごした学友たちの姿。
(……後はもう、神部会長に任せるしかないよな)
頭の片隅に引っかかる事柄を無理やり振り払うように、綜は軽く首を振り、意識を切り替える。
別れた生徒たちのことは、未だに気には掛かるが、今はそれ以上に大切なことがある。
まずはこのメンバーで街を脱出すること。
そのことが、今の綜にとっては第一に優先すべき事柄だった。
それは物事に優先順位を付ける――【大事な人】を選別するということ。
それは今までの綜が避けていた、選択肢を選ぶという行為。
ほんの一日、されどこれ以上ないほどの濃密な一日を経て、綜の心情は少しづつ変わってきていた。