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3.



「あれっ? 彩ちゃん戻って来たの?」

 来る客、来る客が彩さんを見という。

「戻るも何も、私、どこにも行っていないんですけど」

 その度に彩さんは笑顔を振りまきながら受け答えする。彼女がこの店でどういう存在だったのかが容易に想像できる。てきぱきと店内を動き回る彼女に圧倒されてボクは何をしたらいいのか分からず、右往左往するばかりだ。今までボクが一人でやっていたのとはまるで次元が違う。

「彩さん、すごいですね。彩さんが居ればボクなんか要らないんじゃ…」

「なにを言っているのよ。ヒロシだってちゃんと役に立っているわよ」

 そう言う彩さんに肩をポンと叩かれる。

「そうなんですかね…」

 半信半疑でボクは首をひねる。とは言え、ボクだって働いて稼がなければやっていけないのだから、せいぜいクビにならない程度には頑張らなければならない。

「ほら、ヒロシ! 刺し盛り上がったぞ。奥のテーブルな」

 厨房から店長に呼ばれる。

「あ、はい!」

 それをカウンター越しに受け取ると店長に一言言葉を掛けられた。

「大丈夫だから。ちゃんと給料分は役に立ってるよ」

 それを聞いて安心した。この店がどのくらい儲かっているのかは判らないけれど、連日大勢の客で賑わっているのだから、アルバイト二人雇えるくらいは儲かっているのだろう。まあ、店がどれだけ儲かっているのかなんてボクにはどうでもいいことなのだけれど。


 彩さんはボクより3歳年上だ。いつものように彩さんにバイクに乗せられて南大屋へ向かう途中でふと、そんなことを思った。そんなボクの想いを察したのか、彩さんは店に着いてバイクを止めるなりにっこり笑って口を開いた。

「私が卒業したら後はよろしく頼むよ」

「えっ? どういうことですか?」

「学校を卒業したらアルバイトも卒業。それがここのルールだから。それにもう就職先だって決まっているし…」

 卒業したら彩さんがアルバイトを辞めるなんてことは考えてもみなかった。少なくともボクは卒業するまでの4年間は南大屋でアルバイトを続けるつもりだったし、ずっと一緒に彩さんと働けると思っていた。それに、学校を卒業したらアルバイトも卒業だなんて、そんな話は聞いていなかった。

「だから、ヒロシもこれからはそのつもりで働いてよね」

「はぁ…」

「なによ! その気の抜けた返事は」

「あ、はい!」

「よろしい。じゃあ、気合い入れていくわよ」

 そう言って彩さんは店のドアを開けた。ボクはしばらくその場でぼんやりと立ち尽くしていた。急に心の中にぽっかりと穴が開いてしまったような気分だった。

「なにをしているの? 早くおいでよ」

 彩さんに促され、ボクは店に入って行った。しかし、この虚無感は何だろう。「はい」と返事はしたものの気合いを入れていく気分ではなくなってしまった。


 南大屋でアルバイトを始めて9か月が経とうとしていた。アルバイトを始めたころに比べると、ボクもずいぶん仕事を覚えた。店は相変わらず繁盛していた。それなのに、店長から信じられない言葉が飛び出した。

「年内で店を閉めるから」

 店長の突然の言葉にボクは唖然とした。そんなボクの顔を見て店長は言葉を続けた。

「心配するな。お前の次の働き口には当たりを付けてあるから」

「店を閉める理由は何ですか?」

「味が判らねえんだよ。料理人としては致命的だ。かれこれ半年かな。今までは経験から勘でやってたが、最近はそれさえも怪しくなってきた」

 そう言えば、ここ最近は常連の客が料理を食べて首をかしげる仕草をしているのをよく見かけた。

「彩さんは知っているんですか?」

「彩にはまだ話してねえ。何とか彩が卒業するまではと思っていたんだが…」

 そう言って店長は天井を仰ぎ見た。その時、店のドアが開いた。

「遅れてごめんなさい」

 彩さんだ。

「彩にはまだ言うなよ」

 店長は小さな声でボクに耳打ちした。

「なに二人でひそひそ話なんかしているの?」

「なんでもねえよ」


 その日の営業が終わると彩さんに「お茶しよう」と誘われた。そして、深夜まで営業している駅前の喫茶店に連れていかれた。

「あんた、最近、店長が作る賄の味が変わったのに気付いてる?」

「賄の味ですか? 毎回違う料理ですから当たり前なんじゃ…」

「そういうことじゃなくて、なんかこう…。ピントが合っていないというか毎回言いたいことがちぐはぐな感じがするんだよな」

 彩さんの言いたいことはよく解かる。きっと彩さんも気が付いているのかも知れない。ただ、店長にはまだ彩さんには言うなと言われているのでとぼけるしかない。

「言いたいこと?」

「そう! 店長の料理は言いたいことがはっきりしているんだ。どんな料理にも主張があるというかさ。それが最近ばらばらのような気がするんだよな」

 そう言って彩さんは考え込む。

「私が思うに、店長、最近、味覚障害を起こしてるんじゃないかな」

 ドキッとした。

「だったらどうするんですか? 味覚障害でも何十年も料理を作っていたら作れるんじゃないですか?」

「料理ってそういうもんじゃないんだよ。あんたには解んないだろうな」

「だったら、どうしてボクにそんな話をするんですか?」

「明日確かめる。明日の賄は私が作る。それで確かめる。もし、店長が味が判らないようだったら店の存続にかかわるからね」

「店の存続って…。彩さんは卒業したら辞めるじゃないですか」

「それはそうなんだけど…。とにかく、明日はそれを確かめる。その結果次第じゃあんたのも覚悟してもらわなくちゃならなくなるかも知れないからね」

「覚悟って…」

「じゃあ、そういうことで」

 それだけ言うと彩さんはとっとと店を出て行った。

「あの…。ここの支払いは…」

 既に姿が見えない彩さんにボクは言葉にならない声でボソッと呟いた。


 翌日、幸いと言っていいのか店はいつもほど混み合っていなかった。状況を見計らい彩さんが店長に申し出た。

「店長、今夜は私が賄を作るよ」

「なんだ彩、どういう風の吹き回しだ? まさか、花嫁修業のつもりか」

「まあ、そんなところ。いいでしょう?」

「どうせお前たちが食う分なんだからヒロシさえよければ」

「じゃあ、決まりだね」

「えっ? ボクはまだ何も…」

「いいよね!」

「は、はい…」

 こうして彩さんの作戦が始まった。


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