恋に気がつき、愛はつながる ~侍女と従者の物語~ 後編
「今頃リザ様は、なにをされているかしら?」
ニーケは轡を並べるセローに尋ねた。
「きっとお館様と、夕食前の散歩にいらっしゃってますよ。今日はいい天気ですし、城壁から夕陽を眺めておられるかも。さぁ、宿につきました。ニーケさん、ここ覚えていますか?」
王都の手前の街、ラガース。
かつて、リザの逃亡劇の際、エルランドと出会った思い出の街である。
馬で二時間も走れば王都に着く立地だ。
しかし、エルランドが優秀な馬を貸してくれたおかげで、かなり日程を稼ぐことができたので、セローはニーケをゆっくり休ませようと思ったのだ。
「覚えているわ。リザ様が王都から逃げる途中、私、足をくじいたのよ」
「ええ、あの時はリザ様が男の子の格好をして、お館様は必死に追いかけていて……思い出すなぁ」
馬を預けた二人は、思い出の宿の扉を潜る。
「私はあなたに部屋まで運んでもらったのよね」
「そうでした。女の子ってこんなに軽いのか……ってびっくりしたっけ」
「リザ様の方が軽いわよ」
「でも、あの時は少年だって思ってたから……あ、俺、部屋を聞いてきます」
なぜか頬を赤くしたセローが帳場へ走っていくのを見送り、ニーケは懐かしそうに階段下の食堂を見渡した。
––––あの時、エルランド様から逃げる事しか考えていなかったリザ様が、今は立派なご領主様の奥方様だものね。
––––私もそろそろ、リザ様ばなれしなくちゃいけないのかな……。
「あのぅ……ニーケさん、困りました。部屋が一つしか空いていないのですって」
すぐにセローが戻って来る。
「そうなの? 季節もいいし、きっと王都に遊びに行く人で混んでいるのね」
「ええ。でもどうしましょう? 別の宿を探しますか?」
「どこに行っても同じと思う。だからお部屋は一つでいいわ。衝立を置けば平気よ。以前、リザ様もそうなさっていたもの」
「ああ……そうでした。もうずいぶん前の事に感じますね」
「ええ。今私も同じようなこと思ってたの……」
少し寂しそうなニーケにセローは優しく微笑んだ。
「ニーケさん、まだ起きてます? すみません、ため息が聞こえたので」
深更。
「……ええ、細い月が綺麗」
衝立を隔ててセローはそっと声をかけた。彼は警護も兼ねて扉側の寝台を選んでいる。だから、窓際のニーケの寝台からは、三日月が見えるのだ。
「何か気がかりなことでも?」
「気がかりと言うか、今までのことを振り返っていたら眠れなくなって……あなたはなぜ起きていたの?」
「俺は……そうですね。俺も、自分のことについて考えていました。普段あまり考えない方だから、考えるの苦手で、こんがらがっちゃって……」
「じゃあ一つ尋ねてもいい?」
「なんなりと」
「セロー、あなた私のこと好き?」
ニーケは月を見上げながら静かに尋ねた。しかし、答えは返ってこなかった。
「……この旅の間中ずっと考えてたの。あなたとても優しくて、私が気を遣わないようにきちんと距離を取ってくれてた」
衝立の向こうには重い沈黙が漂っている。
「私はもしかして……少し期待してたのかもしれない。でも、あなたはいつも通り、まるでリザ様やエルランド様が傍にいるように接してくれてた。とても自然だった……それでね、気がついたの。私」
ニーケは言葉を飲み込んで身を起こすと、衝立の向こうにいる青年の方へ向き直った。
「私、そういうセローが好きなんだって」
「え!? わっ!」
がばりと布団が捲れる音の後に、どさりと重いものが落ちる気配がニーケの肩を竦ませる。
「あいてっ!」
「大丈夫? すごい音がしたわ」
「大丈夫です! ごめんなさい……あ、あのっ! 嫌だったら言ってください。この衝立、どかしてもいいですか? 誓って何もしません。ニーケさんの顔が見たいんです」
「いいわ」
すみやかに背の高い衝立が脇に寄せられ、弱い月明かりに痩せた青年の姿が浮き上がる。ニーケは、思わず布団を握り締めた。
「もしかして……どこか痛めたんじゃない?」
「ちょっとぶつけましたけど、平気です。それより」
セローはニーケを怖がらせないためか、寝台から少し離れたところに立っている。
「さっき言ったこと本当ですか?」
「本当よ。私、昔から人とのつきいが少なくて……ずっとリザ様と二人で暮らしてきたの。にぎやかになったのもイストラーダに来てからだし。今でもたまに戸惑う時がある……。それでもリザ様を除いたら、あなたといるのが一番落ちつくの」
「落ちつく?」
「そう、安心するの。そして楽しいの。もっと、一緒にあなたと過ごしたい、笑い声を聞きたいって思うようになったの。物語に出てくるような激しい気持ちとは違うけど、これはきっと『好き』と言うんじゃないかしら?」
「ええ、わかります! きっとそうですよ!」
夜中なのを配慮してか、青年は声を潜め、それでも喜びをにじませながら、ニーケの寝台の側に膝をついた。
「俺はね、初めてニーケさんに会った時から、この人は何かを隠しているって思ったんです。もちろんそれは、リザ様を助けるためだったんですけど、俺はすごく気になって、知りたくて……。そして、いつもリザ様のために細やかに尽くしている、あなたから目が離せなくなったんです。それまで俺の周りには不器用な荒くれしかいなかったから。お館様も入れて、みんないい人たちですけど」
「そうね」
「変な言い方だけど、俺、自分は主役になりたくないって思ってたんです。そしたら、ニーケさんもそうなんじゃないかって感じて……でも、今の俺は、ニーケさんを主役にしたいって思うようになった」
「私を主役に?」
思わずニーケは笑った。
弱い月明かりに、彼女の茶色の髪が優しい光を帯びる。
「はい」
セローは恭しく手を伸ばし、ニーケの布団の端にキスをした。それはまるで貴婦人に忠誠を誓う騎士のような仕草だった。
「ニーケさん、俺の話も聞いてくれますか? ちょっとだめな話もあるんですけど、ニーケさんには知って欲しくて」
「ええ。聞きたいわ。でも、椅子があるから座って。床は冷えるから」
セローは素直に寝台の傍の椅子に移動し、そこに掛けてあったニーケの上着を丁寧に畳んでテーブルに置いた。
「俺ね。実は歳をごまかしてるんです」
「ごまかす? 年齢を?」
ニーケは心から驚いた。ずっと自分と同じ歳だと思っていたのだ。
「ええ。本当はニーケさんより二つ下で、リザ様と同じ、二十歳と少しなんですよ。このことはたぶん誰も知りません。コルさんも」
「……まぁ」
「俺の村はすごく貧しくて。俺がいた最後の秋は、ほとんど作物が取れずに冬を迎えようとしてたんです。家には兄弟も多くて……それで父親が、旅人のコルさんに俺を預けたんです。その時父親が俺を六歳だと言ったんです。本当は四歳で、自分の年は知ってたんですけど、父がこいつは六歳のわりに頑丈で役に立つって言うもんだから……黙ってた」
「……」
「コルさんは何も言わずに俺を引き取ってくれて、正直、村にいる時よりもいいもんが食えたし、俺も言わないことにした。あのまま村にいたら俺、飢えで死んでたかもしれないから」
「……でも、幼いあなたにはどうしようもなかったのでしょう?」
「そうかもしれません。でもだから俺、お館様に引き合わせてもらってから、必死で働いた。しなくてもいいって言われたことでもやった。役に立ちたかったから、もう捨てられたくなかったから……だけど、今まで正直に打ち明ける機会がなくて。でも、これって悪いことですよね?」
「……」
ニーケは理解した。
城中の人間が、セローのことを、機転が利いて頼りになる男だと思っている。
しかしこの青年は、幼い頃から他人の顔色を読み、言われていないことまで察して行動してきたのだ。
誰に対しても朗らかにふるまい、悪く思われないように丁寧な言葉遣いを身につけて。
捨てられないために、生きるために。
必死で––––。
「だから俺、本当は嘘つきなんです。ニーケさんよりも年下。今まで騙していてごめんなさい。この旅から帰ったら、お館様やコルさんに打ち明けます」
「そうね。それがいいと思う」
「……はい」
「でも、私の気持ちは変わらないわ」
「え?」
「あなたのことが好きよ、セロー」
ニーケは足を床に下した。
「今の話を聞いて、ますますあなたのこと好きになったわ。リザ様やエルランド様、それにコルさんやアンテさんも、きっと同じだと思う」
「そうでしょうか?」
「そうよ。だから、思い切って打ち明けたらいいわ」
「そうします。ザンサスさんには拳骨をもらうかもですが」
「もらえばいいわ」
ニーケは強面で、人のいい戦士の顔を思い出した。
「ニーケさん。あの……お願いがあるんですが」
「なぁに?」
「お嫌でなければ、掌にキスさせてほしいんです……」
「……いいわ」
ニーケはセローに向かって両手を差し出した。セローは再び床に膝をついて、その白い掌に顔を埋める。
「好きです。ニーケさん、俺にあなたを幸せにさせてください。あなたを俺の人生の主役にしたい。」
「ありがとう。でも、私もあなたを幸せにしたい。だからね……」
ニーケは立ち上がり、驚くセローに向かって体を屈めた。
額に寄せた唇から甘い吐息が零れ、青年の前髪を揺らす。
「ニーケって呼んで、セロー」
しっとりと押し付けられたそれは、青年の体温を二度ほど上げたが、彼は目を固く閉じてその衝動を逃がした。
「ありがとうございます、ニーケさん……じゃない、ありがとう、ニーケ。これでいい?」
「ええ。明日が来るのがこんなに楽しみなのは、はじめてだわ。明日は早起きしなくちゃね。おやすみなさい、セロー」
「はい。王都ではいい仕事をしましょうね。おやすみ、ニーケ」
青年はゆっくりと立ち上がった。
三日月がその額を淡く照らしている。明日も晴れることだろう。
***
「……で、経理士はどうした、セロー君」
「あー、えー……その、春には来てくださると……」
エルランドの厳しい問いかけに、セローは視線を泳がせる。
「ウィルターさんから信用のできる経理士さんを紹介していただいたんですけど、その方の奥様が赤ちゃんを産んだばかりだそうで……」
「まぁ。それは大変ね」
「でも、大丈夫です! 春になったら、ご一家でこちらにいらしてくださるということです」
「そうなの!? じゃあ赤ちゃんを連れてきてくださるのね! ああ、パーセラさんの赤ちゃんもすっかり大きくなっているでしょうねぇ」
リザはすっかり有頂天になっている。
「……だが、そうなるとこの冬の収穫の税金その他の金銭関係は、俺がやらなくちゃいけないってことか……?」
エルランドの眉間に絶望の皺が寄る。
「まぁまぁお館様、私はまだまだ手伝えますぞ」
「私もお手伝い致しますわ」
コルとアンテが笑いをかみ殺しながら主を励ました。
「リザ様には、たくさんのお手紙とお品を預かってきております」
ニーケが盆の上の手紙の束を差し出す。床には王都からことづかった、たくさんの商品が並べられていた。
「ジダン様からは素晴らしいドレスが届いております」
「あら嬉しい。あ、これはミランダからの手紙だわ。まぁ、エル! 春になったらこちらに来るかもしれないって!」
「それはよかったな。さて、二人ともご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」
何とか立ち直ったエルランドの言葉に、ニーケは膝を屈め、セローは深く辞儀をした。
「ねぇエル、気がついた?」
「……なにを?」
「セローったら、さっきからニーケの前に立っているわ」
「……?」
「知ってる? これはあなたの立ち位置よ、私を守る時の。セロー、そうよね? そうなったのよね? ニーケ」
リザは長い間、彼女の友人であり、姉であった娘の手を取った。幼い頃からずっと二人で支え合って生きてきたのだ。
「はい、リザ様。やっと気がつきました。私、セローのことが好きなんです」
「あ! 俺が先に言おうと思ってたのに! お館様……俺、ニーケさん……ニーケを幸せにしたいんです!」
セローは胸を張って宣言した。
「きゃあ!」
声を上げたのはリザである。
「そうなると思ってたわ! おめでとう! ニーケ、セロー! こんなに嬉しいことはないわ!」
リザは二人を一度に抱きしめようとしたが、それは無理な話なので、コルとアンテが支えてやる。
「でもまぁ、本当にリザ様のもくろみ通りになりましたね」
「そうだなぁ。だがセロー、ニーケさんを一生大事にするんだぞ」
「もちろんです! 俺のお姫様ですから!」
セローは元気よく答え、それから急に肩を落としてエルランドを見つめた。
「でも実は俺……お館様にお詫びしないといけないことがあるんです……」
「なんだ? まさかお前もうニーケに手を……」
「違います! 違いますって!」
エルランドの鋭い視線に、セローの顔は思い切り赤くなった。
「そうじゃなくて、俺……本当はお伝えしていた齢よりも二つも若いっていうか……すみません! 年齢詐称してました! 本当は二十歳と少し、なんです!」
言いながらセローは、長い体を折り曲げる。
どっと笑いが起きたのは、その後だった。
「なぁんだ、お前そんなこと気にしてたのかい? そんなのとっくに皆知ってるよ」
「え? コルさん?」
「私が調べないと思ったかい? お前の父親に預けられてからすぐに、村長に手紙を書いて、生年月日と名前の正しい綴りを調べてもらったんだよ。身元のわからない者を、お館様の傍に置くわけにいかなかったからね」
「え!? そう……そうだったんですか?」
緊張していたセローの頬がほんの少しだけ緩む。
「お前がちっとも尋ねないから、敢えて言わずにおいたが、お前の村は北の方に残っている。残念ながら、お父上は亡くなってしまったようだが、お母上はご長男の家族と共に暮らしているそうだよ。会いに行くならいつでも……」
「いいえ。俺はもう両親の顔も覚えていません。生まれた村の風景も忘れました。俺の故郷はここです! コルさんが父さん、アンテさんが姉さん、そしてお館様が兄さんです」
「ひゃあ! お館様が兄とな? こりゃ贅沢だな!」
コルが禿げ頭を光らせておどけ、セローは慌てた。
「い、いやこれはものの例えで……」
「……いいだろう。これからも励んでくれ」
エルランドは重々しさを装って頷いた。
「アンテとコルと相談して、結婚式の日取りを決めるがいい」
「まぁ、エル! 素敵!」
リザに抱きつかれ、セローとニーケが手を取り合うのを見て、ようやくエルランドも破顔した。
「おめでとう。住まいも用意しよう」
「ありがとうございます! お館様!」
「ありがとうございます、エルランド様」
「早速ウィルターさんに素敵な花嫁衣装を注文しましょう。そうだ! ミランダに頼めるかも!」
イストラーダ城の古い広間は、祝福の言葉であふれていた。
***
「リザ、あなたは俺などより、よっぽど優秀な戦略家だな」
エルランドは寝室の扉を閉めた。リザは寝台から窓を見上げている。
三日月は大きく成長し、今は丸く優しい光となって、夜の城を照らしていた。
晴れやかな晩餐の後、セローはザンサスに拳を一発貰い、他の仲間から今夜はつきあえと言われ、まだホールに残っている。
ニーケはいつも通りリザの入浴を手伝い、今は自室で休んでいるはずだった。
「そぉ? だって、お互い好きだってわかっているのに、もどかしいなって思ったの。だって、二人とも普段はきびきび働いてくれるのに、こういうことになると、なかなか自分からは動こうとしないから……みんなで相談してね」
「……で俺は、したくもない喧嘩をして見せて、二人を送り出す原因になったってわけか? 間抜けすぎる役だなぁ」
「セローはともかく、ニーケはわかっていたみたいだけどね。それに、エルはすごく敏いのに、この件に関してはとっても鈍感だったから」
「それは俺も反省している。セローのことは小僧の頃から知っているだけに、そういう方面から奴を見たことがなくてな」
「二人が幸せそうでよかった……」
「そうだな。じゃあ、この話は今夜は終いだ」
「ん?」
「今からは俺を幸せにしてくれないか? リザ」
エルランドはそう言って、妻の体に覆いかぶさる。待っていたように白い腕がその肩に巻きついた。
肌の触れ合う音、甘い吐息、切れぎれのささやき声。
ここからは夫婦の時間だった。
そして。彼らの窓の下では––––。
庇の下からふらりと出てきた青年は、庭先の小さなベンチにへたりこんだ。
そこへ白い影がゆっくりと近づく。
影は青年の頬に唇を寄せ、青年はショールに包まれた肩を抱いた。隣り合って座った二人は、夜の天蓋を照らす光を見上げる。
月は、満足げに恋人たちの夜を見下ろしていた。
恋に気がついた時、心は愛へとつながっていく。
そしてこの後、イストラーダ城には次々に新しい命が誕生するのだった。
完結 and 重版記念番外編でした。
いかがでしたでしょうか?
これにておそらくこの物語はおしまいです。




